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なぜ今更、地元にこだわるのか。

私は今、地元のフリーペーパーを作っている人の、手伝いをしている。

特に、「地元が好き」という訳ではなかった私が、かなり地元にこだわり始めている。

なんなら、地域創生だとか、街づくりだとか、割と避けてきた分野のド真ん中を歩いている。

なぜ避けてきたか。
なんとなく、小っ恥ずかしいからだ。

普通に地元は好き。でも、別に公言するほどでは無い。

私の「好き」は、育ってきた環境への「愛着」だとか、友人がいる「安心感」からの「好き」であって、

特に、「私の地元の、こういう所が素晴らしい」というのは、なかった、というか、知らなかった。

何があるかと聞かれれば、
「特に何も無いよ、てか全く何も無いね。」
と答えるくらいの地元愛。

大地真央に、「そこに愛はあるんか?」と、言われそうだ。

愛は無くはない。
何も無い空間というのは、かなり気持ちの良いものだ。

東京に暮らし始めた時、高い建物による閉塞感、見える空の狭さを知った。

息苦しいと感じた。

じゃあ、都会は嫌いかと聞かれれば、別に嫌いではない。都会の利便性には、かなり感動した。

田舎が良い。都会が良い。という話ではない。
私は今、急に、地元にこだわり始めている。

かなり今更である。
それはなぜか。というのが、私の中の疑問だ。


地元は、普通に好きだった。

人に説明する時の、「何も無いよ」の中には、誰にも言わない、教えない、

「何も無いという、ここにはない空間が、あるんだよ。『何も無い』があるんだよ。私はそれが、素晴らしいと思うんだ。」

という意味合いが込められていた。
ただこれは、そこに住んでいた、私のただの「愛着」でしかないと気づいていたから、伝えることは無かった。


22歳、まあ色々あって、地元に帰ることになる。

友人と、地元で遊ぶようになってから、今、手伝っているフリーペーパーと出会った。

最初、どこで見たのかは忘れてしまったけれど、かなり目を引く内容だった。

地元では、良い意味で浮いている、オシャレな表紙。「気になるあの子が遊びに来たら?」というかなり難問だなと感じる、内容。

実際、読む前に友人と

「どこ連れてく?無くない?あの公園?あのカフェ?あのショッピングモール?もう母校とか見せちゃう?自分の生い立ちツアーしか出来ないな…」

などなど、それだけで割と盛り上がった。

それから、「あ、ここにも置いてある」と、色んな場所に置いてあることに気づく。

もはや、自ら探していることにも気づく。
ついに、「こんなのあるんだよ、面白いよね」と人にまで、勧めるようになった。

そして、もうこれを作っている人が、まあ、気になる気になる。

この決して、秀でた何かがある訳でもない、場所を、ここまでして、取り上げたいと思った人は、どんな人なのか。

その発想はどこから来るのか。
どれだけ、この場所が好きなのか。

何度見ても、同じ内容であることは分かっているのに、何度もそのフリーペーパーを見た。

それくらい、私の地元イメージの中では、斬新だったのだ。
私がいない間に、知らない間に地元で何かが起こっている気がした。

そして、インスタをフォロー。
そして、さらに驚く。

「え、ここの出身じゃない…」

私の地元好きを、ギリギリで繋いでいた「愛着」ではない、本当の「好き」がそこにあった。


あーすごいな…てか、すごい有難いな…
面白いな…なんでここを選んだのかな…
「愛着」とは良い意味で違うから、魅力的な内容なのかな…

とにかく、フリーペーパーにも、これを作った人にも、魅力しか無かった。

そんなこんなで、インスタを追う生活。
2号のお渡し会の存在を知る。

これは行かなければ。
行って、「いつも見てます」だけでも、言えたら良い。

てか、2号って…そんなに取り上げることあるんだな。
どんなだろ…

もう、普通に虜だった。

お渡し会は、色んな意味で、ドキドキで、でも、予想以上にお話が出来た。

そして、これをきっかけにお手伝いをすることになる。

Shimotsuma FREEpER 3号

地元に関わることをし始めると、必然的に、地元の人との交流をすることになった。

そこには、魅力的な人が沢山いた。
何かに、熱量を注いでいる人はかなり魅力的で、そんな魅力的な人が、ここにはこんなに居たのかと知る。

1度は、地元を離れてみた方が良いとは、よく聞くし、私もそうだなと思うところはある。

けれど、地元を全く知らずに、外に出るのはちょっと違ったのかもしれない。

例えるなら、日本文化をそこまで知らないのに、アメリカに行って、アメリカの文化を学んでくる。

みたいな。

海外で、日本文化について、質問されて答えられない。

みたいな。

どれも、ちょっとしっくりこない例えだが、まあ、そんなところで。

知らないのは、勿体ないし、ずっと住んでいたのに、知らない方が、ちょっと恥ずかしいかも。と思うようになった。

少しずつ、色々なことに触れる度、
「何も無い空間」だと思っていた場所には、しっかりと、田んぼだったり、畑だったり、池だったり、人の営みを感じるモノがあると学んだ。

こんな所に、こんなに美味しいご飯があったのか、こんなオシャレなイベントも今はあるのか、と、知った。

そして、それらは沢山の人の力で、できている。

私の地元の人って、こんなにキラキラとカッコイイ大人で、私はきっとこんな人達に、守られて育ってきたのだと、今、肌で感じることが出来ているのだ。

フリーペーパーの編集部も、イベントの主催も、農家さんもラーメン屋さんも、パン屋さんも神社やお寺の管理人さんだって、この街は、皆キラキラと、生き生きとしている。

そんな生き生きとした大人達によって、子供達ものびのびとできる空間がある。

ただただ、素敵だなあと思うのである。

そして、そんな子供達を見る度に、もっと皆に知ってもらいたい、誰も置いて行きたくない、と思うのである。

来るも来ないも自由だけど、こんな場所があるよ、こんなイベントがあるよ、と教えたくなる。

偽善かもしれない。

でも、知ると知らないとでは全く違う、選択肢は多い方が良いし、情報もそれなりにあった方が、安心すると思う。

今の、地元のクオリティを見てみて欲しい。
私も、もっと知りたい。

大人の本気を間近で見ていたい。
私も、少しだけ力になれたら、それほど嬉しいことはない。

だから私は、もう少し、この場所にこだわってみようと思う。

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