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逃げ出してばかりの人生だけれども、ハラゴシラエして歩くのだ。

7月になった。気が付けば、2023年も下半期に入っていた。今年は、「できるだけ色んなことを難しく考えすぎないようにしたい」と思っているので、まるでテストの採点をするように上半期の振り返りをするのはやめようと思う。

何となく、会いたい人に会い、行きたいところに行き、たまに落ち込んだりしながら春と夏のはじまりを楽しく過ごしている気がするので、それだけで満点だと思う。下半期もこのまま自分のペースで生きていきたいな。まあ、大抵人生は自分の予想を超えて進んでいくんだけど。

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最近、無性に炊き立てのご飯をとても美味しく感じる。一人暮らしのとき、私は1度も炊飯器を使わなかった。つまり、4年間一度も炊き立てのご飯を食べなかったのだ。料理はたまにしていたのだけれど、一人分だけご飯を炊くなんていう気にもなれず、かといって多めに炊いて冷凍する気にもなれず、せっかく買った炊飯器は綺麗なまま知り合いに譲ってしまったのは良い思い出。

私はたまにダイエットなるものをしたりするので、ちゃんと体重管理をしているときはそれなりに食事(糖質とか)に気を使ったりするのだけれど、今年はGWあたりからめっきりダイエットの存在を忘れてしまった。

昨日も唐揚げを揚げながら、「これは炊き立てのご飯と食べないとだよなぁ」と思い、空腹だったのだけれどご飯が炊けるまで我慢し、炊き立てのご飯と唐揚げを美味しくいただいた。これぞ最高の幸せ。美味しいご飯は人を幸せにする。

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美味しいご飯を食べているとき、必ず思い出す映画がある。「かもめ食堂」という映画だ。フィンランドのヘルシンキを舞台に、3人の日本人女性とフィンランドの人々の穏やかな日々を描いている。

映画には様々な種類があって、1回でドーンと強い印象を与える映画もあれば、何度も見るうちにどんどん味が出てくる映画、というものもあるのだけれど、これはまさに後者だと思う。

何年も前に初めて観たときは、初めて見る北欧の風景にうっとりしているうちに映画が終わってしまっていたのだけれど、久々に見るとサチエさんの迷いのないきっぱりとした様子や、自分の信念を貫く姿勢、おにぎりを握ったりコーヒーを淹れる姿がすごくいいなぁ、と思った。

「やりたくないことは、やらないだけです。」

かもめ食堂

いいわね、やりたいことをやっていて、とマサコさんに褒められたサチエさんがこう答えるシーンがある。

やりたくないことはやらない、ってすごくシンプルだけど、意外と難しい。私は昔から、「苦手なことは頑張って乗り越えるもの」と思っていた。努力することは偉い、頑張ることは偉い、そう教えられてきたしそう思い込んでいた。

けれど、大人になって気が付いたことは「やりたくないことは無理してやらなくてもいい」ということだ。嫌なことを嫌だなあと思いながら続けていても、嫌な気持ちが増すばかり。

幼い頃に、嫌だなぁという気持ちを抱えながらやっていたことで、今も続けていることや今好きになったことって残念ながらない。だから、やりたくないことはできるだけやらない。嫌なことに費やす時間をなるべく減らして、その分やりたいことをとことんやる。子どもの頃は、嫌いな教科の授業も受けないといけなかったし、食べ物も好き嫌いはしてはいけないと教わってきた。でも、人生は短いし、限られた時間の中では嫌なことをなるべく避けて、好きなことに費やしたい。それができるのは、大人の特権かもしれない。まあ、もちろん避けられることに限りはあるけれど。

そんなサチエさんは、ちゃんと「やりたくないことは、やらない。」を守っている。自分の食堂にもきちんと自分なりの信念があって、やりたくないことはきちんと断る。どんなにお客さんが来なくても、不安になって「やりたくないこと」をやったりしない。

これってなかなかできないことだと思う。もし私が異国の地で食堂をやっていて、お客さんが全く来なくて「〇〇してみたら?」と言われたら、それがやりたくないことであっても「やっぱりやった方がいいのかな…」と不安になってやってしまう気がする。私も、サチエさんのような強い気持ちを持って生きていきたい。

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私には、あまり「やりたいこと」がない。好きなことはたくさんあるし、行きたいところもたくさんある。けれど、仕事としてやりたいかどうかはまた別だ。もちろん、それなりに勉強を頑張って、就職して、仕事を頑張って、とキャリアを積んできたのだけれど、その中で「これは自分のやりたいことなんだっけ?」という壁にぶち当たることになった。

悶々とした日々の中でヨシダナギさんの「しれっと逃げ出すための本。」を読んだ。少数民族や先住民の方々を被写体として撮影をしている写真家として有名なヨシダナギさん。本の中で、彼女の意外な面をたくさん知ることになった。

『「やりたいことを見つけて、それを仕事にするべき」という世の風潮にプレッシャーを感じている人は多いと思う。私もそうだった。「やりたいことを仕事にする」というのは、けっこうハードルが高い。
欲しい服が必ずしも似合うとはかぎらないように、好きなことと自分ができることは明らかに別物である。自分の興味があることで、なおかつ仕事にできることなんて相当限られてしまう。
そこで、「すごく好きというわけじゃないけど、できなくないこと」という選択基準を一つ増やすだけで、仕事の選択肢はかなり広がると思うのだ。』

ヨシダナギ

ヨシダナギさんは、元々イラストが得意だったのだけれど、イラストの仕事で挫折し、幼い頃からなぜか好きだったアフリカに通うようになり、趣味で撮っていた民族の方々の写真が仕事につながったのだという。

『「逃げること=悪いこと」だと、世の中では思われがちである。
が、私はそう思わない。
ーかくいう私も、いろんなものから逃げてきた。
集団生活から逃げ、受験から逃げ、自分自身が不向きだと感じたモノすべてから逃げてきた。』

ヨシダナギ

ヨシダナギさんは、「やりたくないことをやらない」ことを貫き通して、惹かれるもののためにちゃんと行動して、そして今のヨシダナギさんになったのだと思う。

嫌なこと、合わないことからとことん逃げ続けている人生だなぁ、と自分の不甲斐なさにうんざりして落ち込んでいた時期に、この本に出会い、それでいいんだよ、と言ってもらえた気がして、とても救われた。

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思えば、初めて「書くこと」に興味を持ったのは中学生のときだった。中学生のときに授業で「小説を書いてみよう」という授業があった。書き始めてみたら、楽しくて楽しくて時間を忘れてしまった。高校生のときは、研修で二人組で文章を作成する機会があり、ペアになった女の子が私の文章を褒めてくれて誇らしかった。社会人になってからは、インタビュー記事やDMなどの校閲に関わる機会が多くあり、上司がよく私の仕事を褒めてくれて、こういう仕事に興味はないの?と聞かれて初めて文章を仕事にすることを考え始めた。

小説家になりたいとか、編集者になりたいとかそれまで一度も考えたことはなかった。文章を書くことを自分で得意だと思ったことはなかったのだけれど、人に褒められることが多かったことに気が付いた。

そうして、私はキャリアに漠然とした不安を抱えながら、何となく文章を書き始めることになる。「仕事と生活のバランスが取れなくなること」が自分にとって一番辛いことだということに気が付いたので、仕事は以前より減らし、空いた時間には、とにかくアートに触れたり映画を観たり、本を読んだりと好きなことに時間を費やしている。

そんな時間を過ごしていると、不思議なもので自然と「書きたい」という気持ちが沸々と湧いてくる。「やりたくないことを、やらない」を意外と私も実践できているのかもしれない。

「でも、ずっと同じではいられないものですよね。人はみな、変わっていくものですから。」
「良い感じに変わっていくといいですね。」

かもめ食堂

今の、ゆるりとした生活に満足している一方で、「このままでいいのだろうか」という不安も少しある。ずっと同じではいられないんだと思う。人はみな、変わっていくから良い感じに変わっていくといいなぁとぼんやりと考えている。そして、やりたくないことは、やらなくていい。ハラゴシラエして、歩くのだ。









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