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あれから五年

当時は眠れない日も多く 書き残していた 何故あんなに綴れたのだろうか 今も妹の写真を飾る事は出来ない 変わった事といえば 6日の命日、発見された7日 自分、周りを責める気持ちで 無力、怒り、憎しみで 過ごさなくなった事が1番大きい もう、どうしようもなかった 私達は何度もお互いに助け合ってきた 疲れたよね、おやすみって静かに思う 実家の猫のイヴ 妹が最期を迎えた場所で今もくつろいでいる しっぽの近くにあるネズミの玩具は 妹がイヴにプレゼントした、通称チューちゃん

    • 4年という年月

      妹が亡くなってから4年が経つ たまにTwitterでは心情を呟くが いざnoteにしようとすると止まってしまい 中途半端な下書きだけが増えていった 感情というものが更に消えていく数年 現実感も乏しく離人症も悪化している しかし毎夜夢に現れて消えていく なんて妹は狡く強烈な存在 狂おしく愛おしい、29歳のまま AM3時半から4時半 死亡推定時刻だと思ってる 丸一日発見されなかった 鬱で引きこもっている ほぼ寝て自室で過ごしている 異変は日常化して麻痺していくんだよね

      • グリーケア講座2級受けました

        お久しぶりです。 妹が亡くなり、3年。 グリーケア講座申し込みをして2.5年。 心の準備が整わなかったり コロナもあり延期 グリーケア協会がオンライン受講を お知らせが遅くなりましたが 2月に受けて合格いたしました。 皆さんの支援のおかげで 一歩踏み出せた事 感謝とごめんねがいっぱいです。 オンラインで資料を元にお話しを聞いて 自分なりにメモを取ったり 当たり前に苦しくて良いんだ 受け入れがたいこと それらにゆっくり寄り添って 生きていて良いのだ と思えました  記

        • 私に妹が居たのだろうか

          日に日に書けなくなっている 書き起こすのは難しい 記憶が断片的でもはや実感はない この一年もあっという間 架空の妹、私の妄想 そんな感じであろうか 元々、離人症なので現実感は掴めず 今は外出もほとんどしてない 通院も母が行き薬を送ってくれる 役所に精神障害手帳の申請したものの それすら受け取りにいけない 毎日、死なないように 眠って生きてるだけ 死のうと気力さえ湧かない お風呂に入れない日も続き 料理も出来なくなったので ベッドで寝たきり これは…もしかして鬱なの

        あれから五年

          心の中で抱きしめる

          月日で言えば2年 早いようで私の中では殆ど時間は動かない 妹は、やはり戻ってこない 3日に1度は妹の夢を見ている まだ温かく柔らかい微笑みを浮かべる 目が覚めての絶望と現実は強烈しかない 命について 何か伝えたり、考えたりは出来ないか? 似たような境遇、死別は皆に訪れる ・おやすみなさい、わたし (memento mori 2019) ・亡くなった人を想い話す会 を開いた 人の死はタブー感が強いけど 怒りも悲しみも戸惑いも話し交わせた気が ただ年々、口にはしなく

          心の中で抱きしめる

          私の作り話しではないか

          2020年 エディプスの禁忌展 1年4ヶ月前に自死を選んだ妹へ 狂おしい愛をテーマに作ろうと思い 会期の前々日まで形にならなかった 記憶/気持ち/写真 向き合う事が沢山あり過ぎて 心が乱れて泣く 紛れもない事実だからこそ 手に取り見る側の事を考えたら 写真は生々しい その表現は何か違和感を感じました PCを開いてみたけれども 妹の皮膚、髪、血管が美しくて 姿、形がある事が悔しかった 同時に形に残っていて欲しい 腐乱しても良いから 閉じ込めて側に居て欲しい 死後の

          私の作り話しではないか

          グリーフケア試験受けれず…

          お久しぶりです。 お知らせしたい事があります。 妹の見た景色 19892018 グリーフケアアドバイザー試験の為に 皆さまに写真を買って頂いたり note.ブースでも支援金を沢山頂きました 本来ならば今年の8月に試験 6月に応募し 試験の手続き資料等が届きました 6月は妹の30回目の誕生月もあって どう過ごしていけば良いのか? 買った本も開く事が出来なくなって グリーフ、死別の悲しみにさえ 目をそらしていたい気持ちが高まり 試験を受けるのを辞退しました 試験の応募

          グリーフケア試験受けれず…

          月日をなぞるだけ

          亡くなる月日が経つ程に書けない 向き合うのが辛いからだ 亡くなった直後にあんなにも 書いていた事を不思議に思う 2018.3.30 妹と谷中霊園に行き花見をした カメラを貸して2人で歩いた 彼女にとってこの季節は 性的暴力を受けた季節になるので 外出も辛く、声を失う事もあった 13年経っても消えない傷である しかし 少し行ってみようかな 桜に自ら触れてみたりしていた ハラハラしながらも 少しずつのリハビリを写真におさめた あまりにも妹がゆっくり歩いて 桜と会話しているよう

          月日をなぞるだけ

          亡くなってから注ぐ愛情なんて

          イベントは予期せぬ痛み 今回はひなまつり 私達、姉妹にはひな祭りはなかった 雛人形を見たことがない 勿論、家になかった そしてお祝いなどしなかった 今は仏壇に華やかな祝い ケーキ、お菓子、マスコット 戸惑いに両親に返信出来なかった 亡くなってから注がれる愛情など 残酷 亡くなってから大切にされる 今更…なんだろう 両親がしたいことは 出来るだけ良いと言ってきた とにかくなんでも妹に費やしてる 生きてないのに 償いなのか、供養なのか 妹と比べられてきた 妹が羨まし

          亡くなってから注ぐ愛情なんて

          現状は寝たきりの鬱か

          気を抜くと同じ道を選びそう 気を張れば擦り切れる 僅かな生活音も頭に響いて痛い 心拍数が上がり、恐怖心が蘇る 眠れば夢を見る事を止められない 目が覚めてしまうと 妹が死んでしまった 繰り返し、実感せざるを得ない 夢の中で生き返らないで欲しい 淡い期待をして 夢の中で暮らしてしまいそうだ 現実よりも色鮮やかで感覚も得れる 彼女に絶対に逢えるから 眠りを繰り返してもいるのか 誕生日に沢山頂いた入浴剤を ランダムで選んで湯船を洗ってくれる お風呂の準備をしてもらう それでも入れ

          現状は寝たきりの鬱か

          バレンタインフラッシュバック

          9月から2月になってしまった 月命日の前後は未だに調子が狂ってしまう 気が振り切ってしまいそうで 確かな温かささえ忘れ手放しそう 調子が悪い、帰ってきて 出先の主人に連絡を入れたかった しかし折角、友人と遊んでるのに 言えない 言えない 死にたくなってきたと言えない 伝えても 帰ってきてくれても 安堵や涙と共にまた眠り始めだろう 私と暮らして楽しいのかな 不安定になる自分があまりにも情けない 泣くのも堪えてまた眠りについた ここ数日はベッドの上 ご飯をなんとか炊い

          バレンタインフラッシュバック

          皆様の支えのお知らせです

          おやすみなさい、わたし memento mori 無事に閉幕いたしました まずお知らせをさせて頂きたいです 艶子と妹 1989-2018 妹がみた景色 お互いのセルフポートレート 最期を見届けた愛猫…等 チェキを購入して下さり そして応援募金も誠にありがとうございます 皆様のおかげで ¥44,550が集まりました 経費を引いて ¥37,730 ☆受講料に達成いたしました☆ 受講料と参考書を買います! 今でも不安定になる日々に 生きていくという誓いの約束をした

          皆様の支えのお知らせです

          経験を伝えて生きていく

          2019年 明けましておめでとうと言わないように これほど気をつけた年はないだろう そして出来るだけいつもと同じ様に暮らす事 心がけながらも笑い、泣き、新年を迎えた 新年というよりかは あれから4ヶ月、私は後追いせずに 死なずに生きれたとハッとしながらため息を 何かが大きく解決した訳でもない しかし、納骨が終わり正月を迎えて 何度かある山の一つを家族でこえた気がする 家族の変化といえば グリーフケアの会へ参加すると 行ってみようと思ってくれたこと 二月に行ってみます

          経験を伝えて生きていく

          3ヶ月が経ち

          妹は亡くなったのは9月6日 あれから3ヶ月経ちました 変わらない虚しさと無力さ 泣き出してしまう回数も減らない 夢では息を切らして走る姿 夢でも体温を感じる表情 3ヶ月も会ってないのは人生で初 1ヶ月会ってないのはあった気がする 私は妹の事を誰より何よりも 理解した気になってたのでは? 切った電話の後にさえ 思考を変える事が出来なかった いつでも会える そうゆう思いから行かなかった場所 今度また行こう やっぱ体が重いからやめようか いつでも行けると思った 変わらない

          3ヶ月が経ち

          家族の後追い未遂

          後追いは何故するのだろうか? この2ヶ月で死にたいは幾度も思った 首をくくってぼんやりすると 家族、友人、支えがあるのに 何も思い出せなくなる心境 少しでも妹に近づけるような気がして 嬉しくてにやけてしまう程 感覚と近くなれたのが嬉しかった 最近は妹の名前を出さないでくれ そう両親から言われた は?今更? 会社に嘘をついている 母は忌引きとさえ言ってない 思考は極端でバレたら 「会社を辞めなければ」 居辛さや偏見に遭遇したら耐えられない 私からしたら隠している方

          家族の後追い未遂

          49日が過ぎて

          ツイッターにアカウントを作りました twitter @ai_mementomori このアカウントを作ってからは 自死遺族の方の気持ちを見れたり 同じような気持ちになっても良いんだ 落ち込む時は心底、死を考えるほどに 落ち込んで良いと思え、 泣いて泣いて浄化する事を覚えてきた 49日もあっという間に過ぎて 最近は両親とやはり感覚や価値観の違いで 悩みながら、支えていく事に悩みながらの日々 土日休みの両親 土日は絶対に休めない私 敏感になっているのか 些細な連絡にも一瞬

          49日が過ぎて