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心の中で抱きしめる

月日で言えば2年
早いようで私の中では殆ど時間は動かない

妹は、やはり戻ってこない

3日に1度は妹の夢を見ている
まだ温かく柔らかい微笑みを浮かべる

目が覚めての絶望と現実は強烈しかない

命について
何か伝えたり、考えたりは出来ないか?
似たような境遇、死別は皆に訪れる

・おやすみなさい、わたし
(memento mori 2019)
・亡くなった人を想い話す会 を開いた

人の死はタブー感が強いけど
怒りも悲しみも戸惑いも話し交わせた気が
ただ年々、口にはしなくなっていった

それ以降、塞ぎ切ってしまい記憶もない
鬱の進行は自覚はなかったけど深くなり
1人では外出、身支度、風呂なども出来ず
精神障害者手帳の申請も2級となり
近場に通院したいが貴女は複雑過ぎて…
カルテに書ききれないと八方塞がりだ

この2年
何よりもグリーフケアの本を読み
これからの自分にどんな変化が起こるのか?
身構えていたのだけど、予想以上…

とにかく私がしっかりして
知識も身につけてまず両親のケアを
1年間はこまめに連絡して話し合ったり
しかし自分のケアを置き去りにしてた
誤魔化すように、がむしゃらに働いた時も

もう全て自分の空想に過ぎなかった
妹を作り上げて殺めてしまったという感覚
身体が自己を守り、保つ為なのだろう

悲しみにくれて抜け出せない気がして
自死遺族と名乗るのも抵抗が出てきたりと

私が〜してれば妹は死ななかったのでは?
私が最後の最後を逃してしまった
そんな時もあれば
あの人があんな事をしなければ…
あの人があんな事を言いふらさなければ
あの人が妹を傷つけなかれば
あの人と妹がずっと仲良しだったら…

死にたい、殺したい、恨んでる、感謝
内と外に向けての感情が渦巻く日もある

結局、私が思い当たる事をクリアしても
その先を妹が生きていたかは分からない

選んだ道を否定はしない、美化もしない

人は痛み、価値観も違う、キャパも
絶対に比べてはならない
痛みの推測ほど、
彼女にとって失礼にあたると思った

目の前にある死を
静かにいつまでも胸の中で思い出してたい

noteは 悲しい、苦しいを書きたくて
作ったわけではなくて
ドキュメンタリーとして書くべきだと
それは妹が…と連絡が入った時から
浮かんで、今の艶子というのも昔も
変わらずにドキュメンタリーであること
もうそれすら捨てて感じずに死にたい事
その狭間で常に揺れ動きながら息をしている今

やっと決断が出来て
今年は仕事を休むことにした
まず生活リズムから日常の基盤を作り直す
心が何より生きていたい、体が動いていたい

何を綴りたいか
分からなくなっているのだけど
流れた月日の記録、わたしの記憶として

6日の朝、きっと彼女は息を引き取った
7日の朝、発見されタクシーで駆けつけた

心の中で抱きしめる、生きて何度も何度も

添えた写真は妹の携帯の中にあったセルフから

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