ずっと表現者になりたかった 絵画もイラストもデザインも動画も写真もダンスも歌も演技もかたっぱしから何か自分に合うものはないかと模索して生きてきた お題や条件を与えられたら創作意欲が湧いて及第点のものは生み出せた ただ自分が求めていた 内なる己の心の叫びや想いを 能動的に表すことはできなかった 何を描けばいいかわからない 何を記したらいいかわからない 何を表現したらいいかがわからない 辛くて苦しくて張り裂けそうなくらい 入ってくる情報量が多くて 繊細で心が感情が不随意
小説を貪るように読み漁っている 最近の話だ なかなか難しい人生だった “独り"を感じることが多かった 出逢った人の運が毎回悪すぎると周りから慰めてもらえることもよくあるけれど ここまで長く様々な立場やステージで生じるとなるとかなり早い段階で 自分が変で社会や環境の次元ではなく 高いコミュニケーション能力を有する “ヒト"という動物として 集団の中で生きるには不適合なのだろうと自覚していた そんな独りの現実から物理的に逃げることはせず 周囲にできるだけ波風を立てない我
生きづらい 何度感じただろうか しかも生きる年数が増えるほど 比例して頻度も高まるから厄介だ 小さい頃は周りなんて気にしなかった 小学校でいじめられてからは 周りから浮かないことだけを念頭に生きた 周りと同質にならなければ目をつけられる 声をあげたくても 周りが声をあげなければ黙るし 特に意見がなくても 周りが発言すれば自分もしなきゃと焦るようになった いつしか自分のやりたい、言いたいを叶える喜びよりも みんなと同じであることの安心感が大切になった 自分の心から湧き
地獄のような一週間も 心満たされる一日も 足枷には十分すぎる一言も 全ては人間の仕業なのだ そして自分自身も人間で 人間をどれだけ忌み嫌っても 人間であるが故に 人間からは逃れられない 人間と関わりながら 人間に助けられながら 終の時がくるまで 生きながらえなければならない 間違えた それは許されない 行きながられるほど甘くない世界だった ただ生きてるのはこの世の言葉で 堕落とか無駄とか“mottainai”とか揶揄されるんだった 夢とか目標とか目的とか意味とか当たり前の
僕は男性が苦手です 自身が男性でありながら男性が苦手です わけわかんないですよね? 僕もずっとわけがわかんないです いやわけはわかってるっちゃわかってるんですけど 年々周囲からの目もあって 生きづらいなーって思うことが多くなっています 僕は女系の家族で 姉がいて従兄弟も4人女性で 実家のマンションの同世代もみんな女性でした なので自然と リカちゃん人形やシルバニア ままごと、編み物 お絵かき、マンガを描いたり ちゃおりぼんなかよしを読んで育ちました 結果としてか
とりあえず好きなバンドの曲名をお借りした noteを書き始めた19年末 まだ周りに使う人は少なく、重めの内容でもクローズドな分書きやすいこのツールは嬉しい発見だった 20年になりコロナ禍も手伝ってnoteを利用する人が増えていった気がする 爽やかな文 綺麗な写真 有益な情報商材 どんどん増えていった 始めた2012年は ○○なう、腹減った くらいの個人のつぶやきを平和に眺めて 重いことも含めて気楽につぶやけたツールが 積み上げ なんで行動しないの? フォロワー何人!
12月15日でnoteを書き始めてちょうど1年がたった 文章は、私みたいな言葉や態度で何かを伝えるのが怖かったり苦手な人間にとって 唯一の表現方法であり救いとなるツールだった 高校で周りがやってるからという理由でmixiを始めて そこの日記機能で初めて不特定多数の他者に向けて想いを綴る経験をした 何を書いていたのかは忘れたけど、部活で毎日のように人格や存在を否定されていたから、それを吐き続けてた気がする 小学校から人格否定はあったけど、存在を否定されたのは高校が初めてだっ
よく見る夢がある ダンスを踊っていて popやlockは全力で踊っているのに houseになると脚が急に重くなる 大学3年からダンスを始め休部期間を除くと 部活の引退まで実質1年houseを主ジャンに踊っていた 脅迫文が家に届いたのもそうだし 下手な奴は楽しんではいけないと心に刻み込むような出来事はいくらでもあって 怯えながら踊っていた ダンスは人種・性別・年齢・宗教などあらゆるものを問わず全ての人開かれ そこに音さえあれば いや手拍子のようなリズムさえあれば 体を揺らすだ
彼女との出逢いはある花の名前を冠したイベントだった 彼女はイベントの主催者で 当日まで全く面識がなかった イベントのメインテーマは 「男女の壁を壊すこと」 現代のジェンダーレスな動きに即した 意義深く また反面ではとても難しいテーマだと感じた 日常の中では女性の方がこの類の事象への感度が鋭く苦悩することが多いと感じていたし 私自身が性別で人を軽んじる感性は持ち合わせていなかったものの、受け手側か不快な想いをしないよう言葉選びは大切にしよう などと勝手に緊張していた ただ
みなさんの周りに この人いつも考えすぎだよな 言い方を選ばなければ病んでるよな って人いませんか? 人によってはそれが私だったりするかもしれませんね笑 みんながみんな同じわけではないかもしれないけれど、近いものを持っている私の頭の中や物事の感じ方をここに記し 何か周りの方への接し方を見つめ直すきっかけになれたらとても嬉しいです 私の場合、もともとの脳の発達の特性として いわゆる「妄想」に近い自分の世界に入り込んでしまう傾向があるのですが それとは別に「悩み」の部分も多く
人生は登山みたいなもの なんて誰かが言ってた気がするし 言ってないかもしれない もし人生が山ならば 間違いなく2020年夏を峠に見据えていたわけで 峠を越えたら安定した余生を過ごすつもりだった 個人的な感覚では生まれ持って授かったギフトは地下からのスタートで そこから泥臭く這いつくばって2019年に 苦節26年かけてやっと多くの人のスタート地点である五合目にたどり着いた感がある そこから設定した峠までの5合分を半年で登り切るには大博打が必要だった その大博打が関われるか
とにかく笑顔が似合う人だった そして周りも笑顔にする人だった わたしは暗い時期が長かった 悲しみが表情にこびりついた どれだけ心が踊っていようが 「大丈夫?楽しい?」 心配されるくらいには 負のオーラをまとっていた だから彼は別の世界の人に見えた わたしは彼の眼(まなこ)を覚えていない 思い出されるはクシャッと細めた 件の笑顔ばかりだ そんな人間を見ていると 羨望と諦めが交互に顔を出しはじめる “多くの人に愛されてきたのか” “順風満帆な人生だったのか” なぜ、彼は
姉弟もいとこもほとんど女性 マンションで遊ぶ同世代も皆女性 おのずと遊ぶものも女の子遊びだった 幼い頃からお絵かきには親しみがあり 小1からずっと自作の漫画を書いていた 特に鉛筆で描く模写が得意だった コツは影の明暗を淡くするためにティッシュで優しくこすること 最後に輪郭や影の一番濃い部分を強めになぞること これさえすればなんとなく上手にみえる たぶん 体育大と栄養大 8年大学生をやった 資格 中学校保健体育教諭一種免許状 高等学校保健体育教諭一種免許状 健康体力づ
言葉を武器にしようと思った 言葉のチカラを信じていたからだ 私は言葉に救われた 言葉で伝えるのが好きになった 「朝起きたら二重になってないかな」 高校まで本気で祈ってた 容姿へのコンプレックスは小6で芽生えた キモいという自身への陰口を知ってからだ 鏡は今も見たくない 唯一見る動機は、対面や写真で自分の顔が誰かの目に映って、その人を不快にさせないようにせめて髪型だけでも整えないとみたいな 罪滅ぼしのような心持ちの場合のみである アイコンは個人が特定できないものに
まぶしくて見えないものがある 暗く長いトンネルの中から 出口をに向けて徐々に光が近づき 外界に解き放たれたその一瞬 陽の光のまぶしさに目が眩む それは眼の明暗に対する順応の機能的な問題かもしれないし 陽の光の眩しさによる外的要因なのかもしれない ただ、生きていくとそれとはまた異質な類のものもあった 高校3年生 初めての文化祭だった 陸上部の新人戦が毎年文化祭と同日だったため1.2年は準備しか参加できなかった 題材は「黒魔術カフェ」 当時流行りの漫画「君に届け」から着想
木 葉が風に揺れる 空は灰がかっている 雨降らなきゃいいな サークル何人来てくれるかな 先週初めて来てくれた子また来てくれるかな あの子は一人になりがちだから一緒にいよう 〇〇の新曲でたからあの子と話そう 久しぶりにボール蹴れるの嬉しい 右なら体の向きラインと並行にして縦に突破 左ならアウトでカットインしながらミドル 俊輔ベッカムのフォーム足首いかないのかな ワンステップであんな速いボールになるんだろ ・・・ みんななんか書いてる 実験の説明始まってるじゃん やばい板