ことのは

言葉を武器にしようと思った

言葉のチカラを信じていたからだ

私は言葉に救われた

言葉で伝えるのが好きになった

「朝起きたら二重になってないかな」
高校まで本気で祈ってた

容姿へのコンプレックスは小6で芽生えた
キモいという自身への陰口を知ってからだ
鏡は今も見たくない
唯一見る動機は、対面や写真で自分の顔が誰かの目に映って、その人を不快にさせないようにせめて髪型だけでも整えないとみたいな
罪滅ぼしのような心持ちの場合のみである
アイコンは個人が特定できないものにした
zoomは無意識に端によるか消える
自分の顔が酷く醜く感じられた

悲しいがな二重になる日は来なかった

そんな自分が外見を気にせず生きれる場があった
小説の中だった
そこに書かれているのは文字のみ
登場人物に感情移入すれば
苦難を乗り越えられ、仲間もいて、恋愛だってできる、素敵な家族がいて、大切に愛してくれる人だっている
この至福の世界で言葉をたくさん知った
口下手で感情表現が苦手だった分、自分の感情や心の機微を事細かく正確に表現できる術を知った

言葉が私の唯一にして最大の理解者だった

紆余曲折あり大学2年で学生寮の寮長になる
投票で決まるのだが、対立候補無しだったにも関わらず不信任票が過去最高レベルに入った
前評判の世界では“こいつには無理だ”が合言葉だった
寮長は長期休暇前後や研修後などに寮生や
共に運営する監督生の仲間の前で挨拶する機会が沢山あった
初めての挨拶は監督生同士が相互理解を深める冬季研修の締めの挨拶だった
重度のあがり症の私は事前に言葉を考えると飛ぶので、アドリブで話すことにした
心から湧き出た想いを素直にぶつけた
終わった後人が集まってきた
「感動した」「泣きかけた」
思いがけない称賛があった
そこから流れは大きく変わった
私に懐疑的だった人たちが心強い仲間になった
入学式では保護者の方に褒められ
幾度かあった寮生向けの挨拶では
私が話した内容が直後のTwitterのタイムラインを埋めた
卒業してから「あの話もう一度教えて下さい」という連絡が何件かあった

自分自身の言葉のチカラをこの1年で実感した

昨年の12月からnoteで自分語りをし始めた
自分を表現したかったし
あわよくば理解してほしいという動機だった
でも、最近誰かに届くようになった
見ず知らずの人からDMがくるようになった
自己満足の文でも誰かの心に何かを届けられることを知った
かつて自分を救うために副次的に身についた
数多の言葉が誰かを救えるかもしれないことを知った

話す
書く
言葉は私の理解者だけでなかった
武器になったんだ!
私には何もないと思っていた
でも言葉があるんだ!
言葉を柱にして生きていこう!!
言葉ってすごい!!!

自分らしさという言葉が
やっとしっくりきはじめていた


昨日

何気なく見たタイムライン

頭を鈍器で・・・
いや違う
魂を抜かれたような
ショックと虚脱感

確かに言葉は

“武器”

になっていた

私の知っている
理解者の姿ではなかった



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