寄り添うということ

みなさんの周りに
この人いつも考えすぎだよな
言い方を選ばなければ病んでるよな
って人いませんか?

人によってはそれが私だったりするかもしれませんね笑

みんながみんな同じわけではないかもしれないけれど、近いものを持っている私の頭の中や物事の感じ方をここに記し
何か周りの方への接し方を見つめ直すきっかけになれたらとても嬉しいです

私の場合、もともとの脳の発達の特性として
いわゆる「妄想」に近い自分の世界に入り込んでしまう傾向があるのですが
それとは別に「悩み」の部分も多くあります
なぜ、それほどまで悩むのかというと
社会生活や対人コミュニケーションに大きな
不安やコンプレックスを抱えているからです
簡潔に表現すると
「自己肯定感が低い」
これにつきます

きっかけは大小様々だと思います
悪気のない一言に傷ついたり
一度の喧嘩だったり
家族との不和だったり
いじめだったり
何かしらの“失敗体験”が関与していると考えられます

心が平らな土壌だとします
成功体験をすると土が盛られます
それを重ねる度に土はやがて大きな山のように盛られて、強靭なメンタルや自信になります
反対に
失敗体験は土壌をスコップで掘っていきます
それは不可逆的なものです
傷つくたびに穴は深みを増していきます
どらだけ成功体験を積もうともその穴を手前で隠すことはできるけど、埋めることはできません
だから
今この瞬間幸せの絶頂にいても
ふとしたきっかけで気持ちが一瞬で穴の底に落ちることがあります
その落差が大きければ大きいほど絶望感は増していきます

この絶望感は当たり前ですが可能な限り感じたくありません
だからそれを防ぐために人に嫌われないようにしなければならない
故に、自身の一挙手一投足を執拗に考えたり
すぐ深く反省したり、後悔したり、嘆いたり
耐えられなくなると人を避けたりします
その日々の危機管理が
周囲からすると“病んでる”ように感じるのかもしれません

普通じゃないように思われるのは仕方ないと思います
しかし、普通じゃいられないというこちら側の不可抗力もあるわけで
そこは両者の相互理解しか互いに幸せに生きる道はないのかなと思います

頻出している“病んでいる”というワード
これはけっこうなパワーワードです
とてつもない抑止力をはらんでいます
何に対してか
それは
抱えきれない想いを吐露すること
に対してです
普段人と接する時は楽しくやりたい
ただ、どうしても一人の時間に穴に落ちてしまうことがある
でも、病んでるとネガティヴイメージをもたれて日常生活で敬遠されるかもしれない
あー、誰にも吐き出せない・・
こうやって一人で抱えている人はたくさんいるのではないでしょうか
なので“病んでる”という言葉選びを改めれば
もっと吐き出せる人が増えるのではないかと思います
“よく考えてる”が最も適切かもしれません

悩む人に対して
何かできることはないか?
と考えられる人はとても優しい人だと思います
私自身とても助けられてきました
ただ、注意しなければお互い辛くなってしまうこともあります
ここからは実体験をもとにその辺を記していきます

「話聞くよ」
この言葉本当嬉しいですよね
でも気軽に言ってはいけないと思います
ずっと誰にも言えなくて一人で苦しみながら孤独に抱えていたことをぶちまけるわけです
なので、それがどれだけ重く陰鬱なものでも
しっかり真正面から受け止める覚悟を持たなければなりません
藁にもすがる想いで泣きながら話す人もいるかもしれません
それなのに、軽くあしらわれたり、苦笑いされた時の悲しさはとてつもないです
私は、LINEを既読無視で強制終了されたり、
まぁまぁとりあえず飲んで忘れよ
みたいにあしらわれました
こちらからしても重い話なのは自覚しているので自ら話すことはありません
でも、何でも話してと手を差し伸べてくれたら、その言葉に思わず甘えて話してしまいます
にもかかわらず、前述のような対応をされると

あぁやっぱ自分の悩みは人に迷惑をかけるから誰にも吐き出しちゃいけないんだな・・

と余計にその人を追い詰める原因になります
なので、ついつい使ってしまいがちな文言ですが気軽に使うべきではないのでは、ということを考えてもらえたら嬉しいです

お前を変えてやるよ
お前を救ってやるよ
そんなスタンスでよく人が集まってきます
私が嫌がっても追い回してくる人もいました

方法はそれぞれで
コーチング、心理学、宗教のお祈り
全て経験しました
でも、その人たちは私のことを想ってくれているのではなく、自身の成功体験が誰にでも応用できと勘違いして、こちらの気持ちを無視して押しつけているようにしか感じられませんでした
特に傷ついたのは、一部界隈で有名な
今のあなたの辛い現状は過去のあなたがそうなるように選んだという考え方です
ただでさえ常に大反省会を繰り返している人にそれを言ったら、例えそれが仮に正しいことであっても
本人を追い詰め、絶望させ、究極の選択をさせてもおかしくないと思います

自分のために勉強して人生を乗り越えてきたのは本当素晴らしいことだと思います
その理論も方法も信仰も否定しません
ただ、他人を簡単に
変える
救う
なんてことができるとは思わないでください
本人はただ漠然と苦しんでいるのではありまさん
厳しい現実に向き合いながら幾晩も幾晩も考えてそれでも辛い現実と闘っているのです
お願いだから“弱い”とか“逃げてる”なんてことは言わないでください
弱くても弱いなりのやり方で闘っています

色々、偉そうに御託を並べて何様なんだと
自分でも感じます
不快な想いをさせてしまっていたら
本当に申し訳ないです

ただ、これらのことを読んでもなお
悩める人のために何かしたいと思ってくれる人がいのであれば
ぜひ近くで寄り添ってあげてください
あなたの存在は誰かの希望になりえます

何も物理的でなくても良いのです
日頃から言葉の選び方を温かいものにしたり
良いところを見つけたら素直に褒めたり
言いたいことを吐き出しきるまで待ったり
“頑張ったね”“偉かったね”
ここまでたとえ綺麗な姿形じゃなくても
今生き続けていることを認めてあげてください

そして、今まで私の近くで寄り添い支えてくださった皆さん本当に感謝しています
ありがとうございました
これだけ重いテーマでいつも発信していても
近くに変わらずいてくれることは当たり前じゃないと感じています
本当にありがとうございます
これからもよろしくお願いします

また、私は当事者として、どんな話でも受け止める覚悟があります
なので、このnoteを読んでくれた方の中で
本当に誰にも話せない方がいたら
いつでも連絡してきてください
誰かに頼ることは勇気がすごいいると思います
それもわかるからこそ、その分決して失望はさせません

失われてからじゃ遅いものを
最近嫌でも考えさせられます
他人を変えることはできなくても
相互理解ならできると思います

と言いながら
このnoteも人を変えようとしているのではないか?
そんなジレンマを抱えながら
筆を置きます

あしからず





















































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