笑う人

とにかく笑顔が似合う人だった

そして周りも笑顔にする人だった

わたしは暗い時期が長かった
悲しみが表情にこびりついた
どれだけ心が踊っていようが
「大丈夫?楽しい?」
心配されるくらいには
負のオーラをまとっていた

だから彼は別の世界の人に見えた
わたしは彼の眼(まなこ)を覚えていない
思い出されるはクシャッと細めた
件の笑顔ばかりだ

そんな人間を見ていると
羨望と諦めが交互に顔を出しはじめる
“多くの人に愛されてきたのか”
“順風満帆な人生だったのか”

なぜ、彼は笑うのだろうか

彼は自分のことが大好きらしい

うわ、でた・・・
わたしはこのタイプの人間に振り回されてきた
苦い過去が頭を過ぎる

ただ・・彼はそれとは違う

“ネガティブ”
でもあるという

ネガティブなら負けない
こちとら歴十数年のホンマもんである
ネガティブの真髄まで到達している
そんなわたしから言わせれば
ネガティブと自己嫌悪は共存しても
ネガティブと自己愛好は相反するもの
理論破綻も甚だしい

その矛盾について問うてみた

意外にもスッと腑に落ちる答えが返ってきた

要はベクトルの問題なのだ

私のネガティブは
私がつまらない人間だから(自己)
相手が退屈だったらどうしよう(他者)
自己にも他者にもベクトルが向いている
だから物事が悪い方向に向かった際
原因である自分を責めることになる
これが自己嫌悪へと繋がる

彼のネガティブは
相手が退屈だったらどうしよう(他者)
他者にしかベクトルが向かない
仮に物事が悪い方向に進んでいても
自分への評価は下がることはない
ましてや、彼は笑いを生み出すことができる
笑いを生み出すには空気を読む力が必須である

ネガティブだから他者を思いやることができる
さらに空気が読めて笑いが取れる
自己愛好が下がるわけがない




彼には願いがある

皆がいきいきと笑顔で生きれる世界である

そのために第一にすべきこと
自分を大切にして笑顔にすること

他人を笑顔にしたいのに
まずは自分を笑顔にする??
もう彼はあれだ
矛盾の権化なのかもしれない

そんな私のくだらない比喩も
後述の考えで一蹴された

彼が大切にしている考え方
“インサイドアウト”
何重にも重なる円の中心から
外側の円へと影響を波及させていく
(あくまでも筆者の見解であり・・)

わかりやすいように自分と他人という
ドライな隔て方をする
他人を幸せにしようと思った時
直接他人に何をすれば幸せにできるかという
考え方に陥りやすい

しかし、他人に尽くすことに限度は存在しない
尽くせば尽くすほど喜んでもらえるが
反比例するかのように自分の心にガタがくる
気づいた時には自分も他人も幸せにできる
心の余裕がなくなってしまう

対して件のインサイドアウト
他人を幸せにしたいのにまず自分からは
一見遠回りなような気がするが
他人から見た自分も結局他人なわけで
いきなり他人を幸せにしようとするより
まずは自分を幸せにして
最も身近な家族に幸せが波及し
親友、友人、顔見知り、ビジネス関係・・
と関係の濃い順に幸せになっていく

よって、彼の願う未来と
彼が第一にしようとしている行為は
非常に理にかなっているのだと
心の底から納得した

私にとって周囲の人に喜んでもらうことは喜びで自分を喜ばせることは罪悪だった
無意識のうちに自己犠牲を賛美していた
でも、それでは一過性の効果に過ぎない
それならば、罪悪と捉えていた自分を喜ばせることの捉え方を改めて
恒久的に周囲の人を幸せにするために
自分をたくさん喜ばせてみたいなと
生きていてはじめて前向きな気持ちになれた

今まで何度も聞いてきた
“自分を大切に”
今回彼から同じ言葉をもらった
同じ言葉なのに“笑う人”から授かった
その言葉はどこか温かく
また生きるパワーに満ちたものだった

不思議なことにいつも笑顔の人がいる
でも、それは決して
順風満帆だったからとか
無条件の愛を授かってきた
だけでできることではない
誰よりも目の前の人を気遣い
誰よりも場の空気を読み
誰よりも関わる人を愛し
そして誰よりも自分を愛す

そんな素敵な人がこんなにも近くにいたんだな
その出逢いの素晴らしさに心が震える

皆を幸せに・・
彼は願う
そのために今日も
彼はネガティブを働かせている

でもね
たか
もう少しだけ気を緩めてもいいかもよ

だって
君の周りはもうすでに
たくさんの笑顔にあふれているから


Special One
笑う人(わらうひと)



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