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写真日記

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スナップと日記です。
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#写真家

横柄

横柄

小さな頃は落ち着きのない子供として育ち、評価を受けてきた。人間の本質は年月が経過しても簡単には変わらないようで、大人しく振る舞えるようになった今でも不安や焦燥を由来とする衝動との葛藤が勃発している。自身の衝動を抑圧できていない状態のことを大人をして落ち着きのない子供と称するのであれば、社会で胡座をかいて価値以上の見返りを要求する横柄な人間は大人と称するに値しない。他人を過小評価する幼稚な大人が蔓延

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共存

共存

自分の感情を抑えることが苦手だ。けれどそれ以上に人に嫌悪されることが耐えきれない。だから物事に対して自分の意志と第三者としての意志を並列して抱くことを心掛けていた。自我を抑圧し続けた結果、やること成すこと全てに対しての意欲が消失し、自己防衛として独りでいることを選ぶ羽目になった。身を削るほどの客観性は何も生み出さない。結局のところ裏表を作らずに個性を向い合わせ、認め合える関係を創出できるかが他と共

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平静

平静

どうしようもなく自分が嫌になった時には山へ行くことにしている。終点さえ決めなければどれだけ歩き続けても旅路が続いていく。帰りたいと心から思うまで留まる理由になってくれる。帰路につく背中を黙って見送ってくれる。後ろ向きの自分にも前向きになった自分にも都合よく付き合ってくれる存在を社会に求めるのはお門違いだ。社会に溶け込み続けるならば、自分を騙して平静を保つことが最も合理的だ。

ISO100
f14

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観測

観測

個性のない人間はいない。一人一人に他と差別化できる要素が必ず存在する。しかし、この競争社会では他人が作った善悪の尺度を以て勝手な評価を受ける。見えるものしか測れない定規の信憑性を疑う慣習はない。環境を整えたり、目を凝らしたり、時間を費やしたりしてようやく認識することが叶う個性は常に不遇な立場に置かれる。光を発さないものや届かないものは存在すら疑われる。観測したものが本当に今在るのかも定かではないの

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二面性

二面性

誰もが本音と建前を使い分けている。他人の二面性を紐解いて本音に辿り着くことは容易ではない。しかし、如何に難解なことだとしても、言葉や行動に潜む真意を汲み取ろうとする努力は無駄にならない。意識がなければ虚像と実像を見分けることが叶わないこともあるのだ。

ISO200
f14
1/40s

過程

過程

太陽が沈むまでの時間を如何にして潰すかを考えている。他への依存を減らし、金を遣わずに楽しみを得るにはどうしても時間がかかる。それ以前に過程を嬉々として受け入れる人間性が必須だ。もし自分のような人間ばかりになったら今ある仕事の多くは廃れるだろう。

ISO100
f16
1/100s

麻痺

麻痺

人の価値観は負の感情を中心に形成される。失ったものの数や大きさ、またはそれを自己認識する感度の鋭さには個性がある。だからこそ同一の価値観など存在しようがない。対して一時的な幸福や喜びは人の感情を麻痺させて快楽を与える。それから醒めた時に自分を見失うか否かで確固たる価値観の有無を自覚できる。

ISO400
f5.6
1/13s

遮蔽物

遮蔽物

遮蔽物だらけのこの社会で動かずして日の目を見ることはないだろう。かと言って死を意識するほど動き回っても叶わない。きっと何をしたかよりも何処で成したかの方が光に近いのだろう。ただ、それは分かりやすく丁寧に提示するということではないか。すぐに分かるものほど退屈で無価値に等しいというのに、説明し終えるものを以って自尊心を得ることなど不可能だ。そんな考えもただの強がりで、語るに落ちるのが怖いだけなのだろう

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変化

変化

喜びも楽しみもない。変わらない毎日にほとほと愛想は尽きている。特に何かをする気力もないが、暗い部屋でじっと過ごすのも飽きてしまった。そんな日々にせめて灯の一つでも点ればと思い、懐にカメラを収めて一年が経過した。見ている景色の明るさは相変わらずだが、目を凝らさなくても光の粒を感受できるようになったのは変化と言っていいだろう。

ISO800
f10
1/13s

依存

依存

手の繋ぎ方はすっかり忘れてしまった。依存しているものから如何にして離れるかばかりを考えて今に至っている。今更掴み直すことは積み重ねた自身の価値観を否定すると同義だし、それが正しいとも幸福を産むとも思えない。人間同士で食い合う現代社会において、自己完結を進めることが最も合目的な生き方だと信じている。

ISO200
f8
1/10s

浴衣

浴衣

最後に浴衣ではしゃいだのは10に満たない頃。人が巣をほじくり返された蟻のように湧いて出てくる花火大会を毎年楽しみにしていた。陽が斜めになると家族で堤防に向かい、陣を敷くことが恒例だった。例年以上の濃い硝煙に浮かぶ屋台。祭りの空気に充てられたその日、自分は500円玉を1枚隠し持っていた。トイレに行くと言って人混みに紛れ、日本屈指の花火を横目にチョコバナナを2本平らげた。煙が晴れ、熱りが冷めた家路で父

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大人

大人

彩のある毎日を過ごす大人は全体の何割だろうか。そんな問いが浮かぶ時点で自分が満たされていないことが分かる。何も力をつけずに生きてきた自身の怠惰を棚に上げ、見かけの美しいものばかりを羨むことは酷く不毛だ。けれど、そうすることが生きる上での唯一の慰めなのだとしたら満たされないくらいが丁度いいのかも知れない。

ISO100
f10
1/160s

風

風情を感受する閾値は人によって異なるはずだ。五感以外に人間の性格が大きく関わるからだ。しかし、風に揺らめく提灯や風鈴といった風景に感じる心地良さは万人に共通する。風流と言われるものは今や個人の感性ではなく幾世代にも渡り民族に刷り込まれた画一的価値観と化しているのではないか。表現が容易なこの風景を趣があると言うべきではないのかもしれない。

ISO100
f16
1/100s

ハイライト

ハイライト

9月になった途端に秋の到来を示唆する文言が急に増えたが、何を以て秋としているのだろうか。確かに晩夏であることは玄関先の蝉の死骸や彼岸花の開花で感じ取っている。しかし、蝉の鳴き声は止んではいないし、青々しい空には白いハイライトが似合っている。だから自分は薄味になった夏を未だに噛み続ける。金木犀が香るまで。

ISO100
f16
1/320s