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短編写真論

はじめに写真で銭を稼いでない私が写真について論じることは甚だ僭越であるが、自身の写真活動の指針を明確にするにしても、巷の扇動者の影響を受けないためにも重要であるため端的に整理しておきたい。所々で生じると思われる言葉足らずな理論は後々に追求できたらいいと思う。 なぜ写真を撮るか多様な撮り手 写真を生業にして撮る人がごく一部であることは周知の事実である。趣味で写真をする人が比較的多いだろう。高性能な機材と編集ソフトの普及によって、写真を見て撮影者が何者かを判別することは難し

    • 人の手が 届かぬ故に 偶然と 空を見上げて 西陽を見送る 人の手で創造された景色は整然としている。 そこに何があるのか一目で分かり、再現性がある。 外れ値が少ないからこそ期待を上回ることが少ない。撮るのは簡単だけれど、写真が何を記録したものなのか思い返せないならば、僕の写真は変わらない。

      • 明滅

        滑らかに 闇を横切る 明滅に 誘われ惑い くらむ足元 闇の中では蛍の発光が眩しく感じる。 その光を追いかけていると自分が闇にいることを忘れてしまう。 靴に水が染み込んだ時、ようやく我に帰り、深く目を閉じる。 虫に刺された手の甲が痒くなり始めた。

        • 寄り道

          天迫る のどかな牧場 干し草の 香り漂う 寄り道日和 直線的で効率的な移動が魅力的だと思わない。 拾い物を集めたい僕にとって、急くことで受ける損失は大きい。ゆえに急峻な坂を蛇行することへ要する時間を惜しまない。 安価で住むなら、それ以上の贅沢はない。

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          源流

          日常を 潤す源流 知らずして 垂れる文句に 溢れる欲望 自分が住む街を流れる川や浄水場で精製された飲み水を遡ったことはあるか。 冷たい澄んだ水の美しさと魚止めを越えるたびに干上がっていく河川との対比を見れば、誰もが水の希少性に唾を引くだろう。 退屈な日常を過ごすことは水の恩恵に対して無作法であることと構造が似ている。

          バイク

          陽が差して やっと目覚める 商店街 静寂破る バイクが駆ける 暑い地域は夜が長く、朝が緩やかに訪れる。 日本は時間に厳しいが、一部地域には同様の慣習がみられる。 これを怠惰と貶すことはできない。 気候の違いが習慣の違いとして顕在化しているだけだからだ。 それらを感知することが旅の醍醐味でもある。

          夜市

          灯る火と 暑さを忘れて 楽しげな 夜市に伸びる 影の足取り 台湾の夜は深くまで賑やかだ。 あちこちの夜市は飲食の屋台のみならず、若者どころか子供達の遊び場としても機能している。 この活気は幼い頃、友達と行った夏祭りや花火大会を連想させる。 それが日常の一部であることを羨ましく思うのは、かつての風景が戻らないことを知っているからだ。

          ダイヤ

          刻々と 移ろうダイヤ この世界 沈む夕陽と 煌めく街並み いつもは単調に毎日をこなしていて、面白みのない繰り返しに飽き飽きしていた。 いざこの国の境に立ってみると、延々と続く航空機の発着に動き続ける世界を感じた。 太陽を快く見送り、気持ちよく夜明けを迎えるために、より高い所へ行きたい。

          春風

          春風と 陽気に温む 牧場にて 育む英気 満ちる体温 僕らの生活の端には太陽を源とするエネルギー循環が活発な環境がある。自然の美しさはその最適化されたシステムにある。手付かずの自然というのは今や殆どないとはいえ、その回路の一部に溶け込む産業と我々が受ける恩恵はかけがえのないもので、それを軽視することはシステムからの逸脱を意味する。近年では太陽光発電所のために山林が解体され、人は都市へ流れ、日夜仕事に勤しみ、こうして電脳上でエネルギーを無に返している。様式は数多だが、どれもより

          過ぎた道 戻る頃には 影が伸び 落ちる太陽 追うも届かず 過ぎたことはどうしようもない。 僕らの余命は現在と未来のためにあるのだから、常に最善を探す道しか残されていない。 それを善意と曲解して頼ったり、利用しようと企む人間が必ずいる。 これは許すための座右の銘ではなく、捨てるための理論武装だ。 度重なる過ちなど易々と受け入れられる訳がない。 起きた過ちを覆すことは困難だ。 だから僕らは最善を追求するべきだ。 諦められないために。

          春風に 満ちる下界を 見下ろして 冬の名残と 踏み場を探す 冬の山に苦戦しているうちに春が来てしまった。 鼻を刺すような寒さはどこへやら、着膨れる上着も用済みとなったが、それでも使い所を探している。 距離以上に遠くに感じる速度だとしても、着実に進めば必ず景色が変わるのが山の面白いところだ。 雪溶けで泥まみれの道が氷へと変わり、次第に雪が深く、樹林は低くなり、日常を見下ろす高度になる頃には季節の遷移から逃げ切った気になる。 したり顔は風に横殴りされ、今度は日常へ帰りたいと心変

          波と風 湿った空気に 混ざる砂 ベタつく肌が 塩味を帯びる この世の物質は全て波を帯びているらしい。 感覚では全く解らないが、海も空気も砂浜も、そして目に飛び込む光も等しく波であるというのは壮大な自然と未知の中で粋がる人間の矮小さを示している。 些細な砂つぶにすら気を立て、敵わず背を向ける僕らは弱い存在だ。

          叫び声

          叫び声 正義虚しく かき消され 悪を被って 毒を流布する 芸能、音楽やスポーツに関する情報媒体に価値はない。それらは直接触れて楽しむべき事柄だからだ。所詮、道楽に過ぎないものに対して無駄に情報を堆積させては、真に汲み取るべき事実を逃してしまう。 資本主義は未知に触れている先駆者に寄り添って然るべきだろう。大衆化は先駆者からの還元の結果であるべきで、大衆を標的に金儲けをするメディアは文明退廃の重大な要因になり得る。何も考えず享受する人間も同罪だ。 そんな腐ったシステムの中で正

          降り頻る 雨に構わず 袖濡らし うねる水面に 逆らい歩く 僕が支配可能な領域は小さくて狭い。ときどきそんな事実を突きつけられ、目を覆ってしまう。でも、強く有りたいという願望は不変だ。悔しかろうが、恥ずかしかろうが、波立つ自分の感情を置き去りにするつもりで歩まなくては異なる景色を観られない。

          天災

          天災が 萬の神の 仕業とて 力を敬い 文化を護る 日本は起伏が激しく、生活の場と険しい山が隣接している。我々の先祖は度々起こる自然災害を神の癇癪だと恐れ、神との共存こそが生きる術だと信じ、各々の地で神を奉り、神を敬いながら生活した。だからそれぞれの山、それぞれの木、それぞれの葉、花、土、石、川、海、雨、風その他万物に神が宿るという意識が文化に馴染んでいる。それは宗教と呼ぶには曖昧で、複雑で、自由で、局所的な共通認識だ。でも日本人にとっては身近な信仰心だ。

          すれ違い

          すれ違い 振り向き捉えた 日常の 再現できぬ 美を独り占め 僕はGR2というカメラを自在に使いこなしたと自負していた。それを右手に握っていた時期は人よりも写真を撮り狂い、多くの偶然を切り取った。僕の中で一番記憶に残るこの写真も、他人から見れば質の悪い蝶の写真なのかもしれない。易々と見逃す景色ならば、その美しさについて他人からの同意を得られると勝手に期待していた。

          すれ違い