20240920 イラストエッセイ「読まずに死ねない本」 吉川幸次郎著「中国の知恵」0026 孔子について
吉川幸次郎先生の「中国の知恵」(新潮文庫)は、もう絶版のようですけれど、中古で簡単に手に入ります。
これは、孔子の生きざまと思想を描いた本です。解説本とはとても呼べない。すぐれた孔子伝であり、思想の解釈で、これ自体が一級の書物になっていると思います。
しかもすごく読みやすい。
孔子というと、何だか堅苦しい、形式主義者、封建的な道徳みたいな印象がありますが、吉川先生の著作の中では、人間としての苦悩や挫折、弟子との人間関係なんかも描かれていて、人間としての孔子の魅力を堪能することができます。
孔子の思想は、「論語」という書物に全て書かれています。
孔子は一言で言うと、理想主義者です。
人は生まれながらに善いものである。世の中は、お互いに愛を持って仕えあう、礼節を守った、善(正義)の支配する場所でなければならない。
「人が生きていられるのは正しいからである。悪が幅をきかせているのは、まぐれあたりに過ぎない。」
なんだか、当たり前のことのようにも思えますよね。学校の道徳の時間にお説教されているような。あるいは、あまりにも理想主義、優等生的な、甘っちょろいヒューマニズムとも受け取れます。
ところが、吉川先生は、孔子の生きた時代背景を丹念に解説します。
それは、春秋戦国時代といって、古代中国で最も悲惨な戦乱の時代です。兄弟が殺し合い、子供が親を殺す。そういう殺伐とした、誰もが正義を信じられなくなった時代です。
孔子自身も危ない目に会っています。
そんな戦乱の世に、全国を遍歴して、人間は元来、善いものであり、愛を持って正しく生きるべきなのだと説いたんですね。
当然、ほとんど相手にされません。
それでも孔子は信念をまげずに歩生き続け、説き続ける。
これは、甘っちょろいヒューマニズムと言うにはあまりにも強靭である。と、吉川先生は言うのです。その単純素朴さが逆に胸を打つと。
孔子は時に弱音をはきます。それもちゃんと論語に記載されています。「ああ、人生はむなしい。川の流れのようだ」なんて。それでもまた立ち上がり、己の理想を説く旅を続けました。
決して書斎の中できれいごとを語ったわけではないんです。命がけで、命をすり減らしながら、己の理想に生きた。論語はそういう人の言葉なのです。
たとえ世の中がどれほど乱れていようとも、人間の本質は善であり、正しく生きなければならない。
これは現代に生きる私たちの胸にも強く迫って来る言葉だと思います。そして実際、東アジアでは、何千年も人間の行動規範として、時代の変遷にも耐え抜いたんですね。
ぼくはこの本を高校生の時に読んで、感動して、論語も全部読みました。吉川先生に導かれながら読むと、論語は古めかしい死んだ言葉ではなく、みずみずしい命の言葉に思えたものでした。
吉川先生に従って孔子を学ぶと、「人間は捨てたもんじゃない。人間は素晴らしい」と思うことができます。孔子の生きざまに励まされるんです。簡単に絶望しちゃだめだ。人間を信じて、頑張ろうって。
この孔子の姿は、「善く生きる」ことを提唱したソクラテスに通じるものがあると思います。二人とも命がけで善く生きることを追求しました。
その後、大学生になって、人間と人間を超えるものという視座を与えられ、クリスチャンになりましたけれど、それでも論語の精神は強く生きています。人間は激しく超えられなければならない。そこには強烈な痛みと、同時に救いがある。そのためには、人間が限界まで頑張らなければならない。今でもそう思っています。
以下は余談です。
中国文化は偉大です。今は日中関係は悪いのですが、千年以上、わたしたちは中国から学んできたんです。中国全ての王朝がそうであったように、現政権もやがて過ぎ去ります。今の状況だけを見て中国全体を評価することは正しくありません。
悪はいつの世にもあります。それでも人間は善いものであり、正しく、愛し合って生きよう。この孔子の精神を忘れないようにしたいと思います。
余談をもう一つだけ。中国で革命が起こったことにより、この本が書かれた1950年代、中国の古典研究は日本が世界一の水準を誇っていました。吉川幸次郎先生は、そういう意味で、世界最高峰の中国文学者だったのです。
ぼくの父はフランス文学を学びたくて大学に入りました。その時、吉川先生が、「フランス文学者の桑原君も伊吹くんも優れた学者でしょうが、日本一であってフランスを含めた世界一ではありません。しかしわが中国文学科は世界一です。世界一の研究がしたいものは、中国文学化へ来たれ!」と学生に語ったそうなんですね。父は結局仏文に行きましたが、あやうく中国文学科にひきこまれるところだったと苦笑していました。老後、父は吉川幸次郎全集を揃え、今でもぼくの書斎の本棚に鎮座ましましております。
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