見出し画像

20240626 イラストエッセイ「私家版パンセ」 0022 真実の追求に意味はあるか

 真実が知りたい。
 一般的には正しい欲求だと思います。
 その動機によって、ニュートンは万有引力の法則を発見したし、アインシュタインは相対性理論を確立した。
 フェイクが横行する昨今、ファクトに基づいて判断することはとても重要です。

 けれど、そうでない場合もある。
 一般論を全てに適応することはできないんですよね。
 人生においてははむしろ、真実を知ることよりも大切なことがある。それは、実際に生きる、ということです。

 妻は自分を本当に愛しているのか?本当は愛していないことだってあり得る。
 「自分探し」という言葉があります。けれど探し続けて、気がついたら一生が終わっていた、ということもあります。
 神は存在するかという問題を問い続けて、結局、神はいないという結論に到達することもある。
 オイディプス王は立派な王様でしたけれど、真実を追求した結果、破滅してしまいます。
 生みの親を探し求めて、育ての親との大切な時間を失うこともある。
 自分がガンであることを知った方が良い場合もあるけれど、知らない方が良い場合もあるでしょう。

 真実を知りたい欲求は強く人をひきつけます。
 けれど、人の心も物事も複雑系(様々な事柄が絡み合っているので、単純には説明できないことがら)なので、多くの場合、人間には理解できない。移ろいやすいものなので、ある時点で真実であってもすぐに変わってしまう。身もふたもない言い方をすれば、大抵、徒労に終わります。

 ぼくは、妻が本当に自分を愛しているのかを問い続けるよりも、妻との良い関係を作る努力の方が尊いし、良い人生になると思います。
 自分の仕事に意味はあるのかと考えるより、意味あるものにしてゆく方が大切だと思います。
 ユングは人間の一生を「個性化の過程」と呼びました。簡単に言うと、一生かけて人は自分自身になるのです。自分を探すのではない。
 「ライフ・イズ・ビューティフル」は、子供を幸せにするために、命をかけて嘘をつく父親の話です。

 昨今、プロパガンダとかナラティブという言葉が否定的に使われます。人をだます手段であるとして。もちろん、そういうことがある、ということを知っておくことは大切です。

 しかし、人間はひっきょう、一生をかけて自分の物語を創り出してゆく。これが正しいと信じて自分の生活、家庭を営み、社会的責任を果たしてゆく。それが仮に真実でなくとも、ぼくはそうした涙ぐましい努力こそ尊いと思うのです。というか、人間に許されているのはそれだけだ、と言っても良いかもしれません。
 とにかく、ぼくたちは不完全であっても己の生を、何とか良いものにしようと生きなければならない。
 ソクラテスは真理を求めて生涯を探求についやしました。しかし彼の結論は「人間は何も知らない」ということを知ることでした。つまり、真理は発見できなかった。それでもソクラテスがぼくたちの心を打つのは、彼のその探求の姿勢、生きざま、努力そのものなんですよね。

スフィンクスの謎に答えるオイディプス 古代ギリシアの壺絵 模写





私家版パンセとは

 ぼくは5年間のサラリーマン生活と、30年間の教師生活を送りました。
 その30年間、子供たちが元気になれるような言葉はないかなと考え続けて来ました。
 そんな風にして考えた小さな思考の断片をご紹介します。
 これらの言葉がほんの少しでも誰かの力になれたら幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?