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昔は「てれてれ法師」といったのか【てるてる坊主の呼び名をめぐって#10】

はじめに

 てるてる坊主のことを古くは「てれてれ法師」と呼んだ、そんな説が、てるてる坊主研究所で収集してきた各種の文献資料のなかに散見されます。かつては、呼び名の前半部分が「てるてる」ではなく「てれてれ」、後半部分が「坊主」ではなく「法師」だったというのです。
 呼び名の後半部分をめぐっては、「法師」から「坊主」への歴史的な変遷をかつて明らかにしました。江戸時代後期にあたる19世紀前半ごろまでは、「法師」が「坊主」より優勢でした。昨今のように「坊主」が優勢となったのは、幕末の19世紀中頃からです(★詳しくは「「法師」から「坊主」へ【てるてる坊主の呼び名をめぐって#7】」参照)。

 それでは、呼び名の前半部分についてはどうでしょうか。本稿では、まずは「てれてれ」が付く呼び名の新旧に言及している文献資料を整理します。古くはてれてれ法師と呼んだという説の出どころは、いったいどこなのでしょうか。
 そのうえで、辞書を何冊かひも解いてみます。「てれてれ」が付く呼び名は、辞書ではどのように位置づけられ、説明されてきたのでしょうか。

1、「てれてれ」の古さへの言及

 古くは「てれてれ法師」という呼び名だったことを初めて指摘したのは、目下のところ管見の限りでは、昭和8年(1933)発行の『大百科事典』。その第18巻、「照々坊主(てるてるぼうず)」の項で、呼び名をめぐって次のように記されています(傍点は引用者。以下同じ)[平凡社1933:183頁]。

江戸時代の中葉には、てるてる法師、てりてり法師、てりてり法主などと呼ばれて広く民俗の間に行はれてゐた。今ではてるてる坊主といふが、最も古い呼名は恐らくてれてれ法師●●●●●●であつたであらう。

 「てれてれ法師」という呼び名は、ただ単に古いというだけでなく、数ある多彩な呼び名のなかでおそらく「最も古い呼名」だったであろうと説明されています。もとより、その根拠は明記されていません。
 てるてる坊主研究所で収集してきた文献資料をひも解いてみると、この『大百科事典』のほかにも、「てれてれ法師」あるいは「てれてれ坊主」という呼び名の古さに言及した記述を、昭和30年(1955)ごろから続々と目にすることができます(★下記の表1参照)。

 記載内容に目を向けてみると、大きく2つに分けることができそうです。
 1つは「てれてれ法師(坊主)」を最古の呼び名とする記述。前掲の『大百科事典』(表1の①)を含めて8例見られます(ほかに②③④⑦⑧⑫⑯)。
 もう1つは、最古とまでは断定しないものの「てれてれ法師(坊主)」が古い呼び名であるとする記述。9例見られます(⑤⑨⑩⑪⑬⑭⑮⑰⑱)。

2、「てれてれ」の地域的な偏りへの言及

 そうしたなかで例外的な記述が見られるのが『おりふしの記』(⑥)。統計学者・石川栄助(1910-99)が故郷の水沢(岩手県)に伝えられてきた風習をまとめた随筆集で、昭和37年(1962)の発行。もととなったのは、地元の新聞『岩手日報』などの連載記事です。
 「テルテル坊主」という項があり、呼び名をめぐって次のように記されています(初出は『岩手日報』昭和33年(1958)3月31日)[石川1962:55頁]。

テルテル坊主はところによってテレテレ法師●●●●●●、テルテル法師あるいはテレテレ法主●●●●●●、テルテル法主などといわれているが、最も古くはテルテル法師であったといっている。

 「テレテレ法師(法主)」という呼び名は「テルテル法師(法主)」とともに「ところによって」、すなわち、地域的な偏りをみせて存在するといいます。ほかの17例のように時間的な古さを強調するのではなく、⑥では空間的な偏りを指摘している点が注目されます。
 「テレテレ法師(法主)」と呼ぶ具体的な地域については、残念ながら明記されていません。おそらく、石川が生まれ育った水沢あるいはその周辺で聞かれた呼び名なのでしょう。
 さらに石川によれば、多彩な呼び名のなかで最古は、「テレテレ法」でも「テレテレ法」でもなく、「テルテル法師」であったといいます。ほかの17例とは正反対に「てれてれ」より「てるてる」のほうが古いのではないか、という見解です。

3、伝聞ではなく実証へ

 なお、前掲した表1を一覧してみて、目立つのが伝聞形の記述の多さ。18例のうち半数を超える11例において、「……といわれている」といったかたちの言い回しが使われています(右端の欄に△印があるもの。②③④⑤⑥⑧⑩⑫⑭⑮⑰)。
 おそらく、発端となった先述の『大百科事典』(①)に基づいて、そのまま援用を繰り返してきた結果なのでしょう。安易な援用ではない、根拠を明示した実証が切に求められます。
 「てれてれ」をめぐる検討。その手がかりとして本稿では、古今の辞書に見られる説明を整理する作業に手を染めてみましょう。当面の課題は以下の3点です。

・てるてる坊主の最古の呼び名は「てれてれ法師(坊主)」なのか。
・もし最古ではないとしても、「てれてれ法師(坊主)」は古い呼び名なのか。
・「てれてれ法師(坊主)」という呼び名には地域的な偏りが見られるのか。

4、「てれてれ」が主(メイン)の事例

 同時代の言葉を反映していると信じていいはずの辞書。そこに登場する「てれてれ」は、目下のところ管見の限りでは下記の表2のとおり。表1で前掲した『大百科事典』(表1の①、表2では❼)と『新明解国語辞典』(第8版。同じく⑱、⓬)を含めて12例です。

 古今を通じて広く散見されます。12例のうち、てるてる坊主の多彩な呼び名のなかで「てれてれ」が主(メイン)に位置づけられているのは2例(❶❺)、副(サブ)に位置づけられているのが9例(❷❸❹❻❼❾❿⓫⓬)、その他が1例(❽)。
 まずは、「てれてれ」が主(メイン)の2例(表2の青い行)に注目してみましょう。
 1つは❶の『語林類葉』。江戸時代の三大辞書の1つにも数えられる書物です。発行年は明らかではありませんが、著者・清水浜臣の没年から文政7年(1824)より前と推測されます。てるてる坊主が項目の1つに並んでおり、その項目名として「てれ〳〵ほうし」が択ばれています。
 ただし、「てれ〳〵ほうし」そのものについての説明はまったく見られません。記されているのは、中世(13世紀中頃)の女流日記『弁内侍日記』からの引用文のみです。その内容はというと、当時の宮廷には燈台を用いた晴天祈願のまじないが伝えられており、「てれてれひのこ」という唱え文句があった旨が綴られています(★詳しくは文末の「鎌倉時代の「てれてれひのこ」【てるてる坊主考note#9】」、および、その続編【同#10】参照)。
 『語林類葉』の項目名として「てれ〳〵ほうし」が択ばれた理由は、引用した『弁内侍日記』のなかの「てれてれひのこ」という唱え文句にあるのかもしれません。てるてる坊主と目的を同じくする、中世に見られた晴天祈願のまじない。女流日記に綴られたその様子を紹介するにあたり、『語林類葉』の著者・清水浜臣は、てるてる坊主の数ある呼び名のなかから、唱え文句の「てれてれ●●●●ひのこ」に引きずられるようにして、音が近い「てれ〳〵●●●●ほうし」を択んだ可能性があります。
 「てれてれ」が主(メイン)の2例のうち、もう1つは❺の『模範故事熟語辞典』。大島庄之助(生没年不詳)や小野機太郎(生年不詳-1967)らを中心に編まれ、明治45年(1912)に発行された辞典です。「掃晴娘」の項を引くと、たった一言「てれてれ坊主」とだけ説明されています。
 「掃晴娘」とは、中国に伝えられてきた、てるてる坊主とよく似た晴天祈願のまじないの人形。その簡潔な説明として、てるてる坊主の数ある呼び名のなかから「てれてれ坊主」が用いられています。

5、「てれてれ」が副(サブ)の事例

 いっぽう、「てれてれ」が副(サブ)に位置づけられているのは、先述のように9例(表2の緑の行)。明治後半以降、大正・昭和・平成を経て令和に至るまで、長いあいだ散見されます。
 このうち、『同意語二十万辞典』(❹)と『読書作文日本大辞典』(❻)の記述は、記載内容がほぼ重なっている『日本類語大辞典』(❸)からの転用と思われます。これら3例では、いずれも「人形」の項が設けられています。そのなかで「てれてればうず」は、「てりびな(照雛)」や「てりてりほうし(照々法師)」などとともに、てるてる坊主の多彩な呼び名の一例として並んでいます。
 また、『国語辞典』(❷)では「てりてりばうず」の項において、別名の一例として「てれてればうず」が挙げられています。同様に、『日本百科大事典』(第9巻。❾)の「照る照る坊主」の項では「てれてれ坊主(法師)」、『国語大辞典』(❿)の「照照坊主」の項では「てれてれぼうし」が、それぞれに数ある別名のなかのひとつとして挙げられています。

 『大百科事典』(❼)と『新明解国語辞典』(第8版。⓬)では、「てれてれ」という呼び名がかつて聞かれた古いかたちであると指摘されていることは、先述のとおり。
 このほか、『日本国語大辞典』(第9巻(第2版)。⓫)では「照照坊主」の項において、「なまり」すなわち方言が列挙されています。そのなかで、「鳥取」の方言として紹介されているのが「テレテレボーズ」です。
 そして、表2のなかで例外的なのが『日本歴史大辞典』(❽。黄色い行)の記述。「乞胸」の項において、「願人坊主」「法印」「虚無僧」などと並んで「照れ照れ坊主」が登場します。
 この「照れ照れ坊主」は実は晴天祈願の人形ではありません。幕末、江戸の街に見られた乞食僧の呼び名のひとつとして紹介されています(★詳しくは文末の「銭をもらう「てれてれ坊主」【てるてるmemo#9】」参照)。

おわりに

 先ほど掲げた3つの課題について、順を追って検討してみましょう。
 1つめに、てるてる坊主の最古の呼び名は「てれてれ法師(坊主)」なのかという点をめぐって。
 繰り返すようですが、昭和8年(1933)発行の『大百科事典』(表1の①、表2の❼)で初めて言及された説です。その後も昭和30年(1955)ごろから、天気や風習をテーマとした書物や週刊誌の記事などで、「てれてれ」が最古らしいという説はしばしば紹介されてきました。
 ただし、その根拠を示した記述は皆無です。「てれてれ法師(坊主)」が最古の呼び名なのかどうかは、目下のところ残念ながら不明です。
 そうしたなか注目しておきたいのが、辞書の説明ではないものの、雑誌『財界観測』(15巻5号。表1の④)の「編集後記」に記された一文。「てれてれ」が「てるてる」の命令形である点にさりげなく触れています。
 言うまでもなく、「てれてれ」という命令形の表現には、「てるてる」「てりてり」よりも強い願望があらわれているように感じます。今後も多彩な呼び名の新旧を探っていくにあたり、語感がはらむ願望の強弱の度合いは、何らかの手がかりとなるであろう予感がします。
 2つめに、もし最古ではないとしても、「てれてれ法師(坊主)」は古い呼び名なのかという点をめぐって。
 「てれてれ」という呼び名に触れている辞書は、先述のとおり管見の限りでは12例。そのうち、数ある呼び名のなかでも「てれてれ」が主(メイン)に位置づけられているのは2例。19世紀前半ごろ編まれた『語林類葉』(表2の❶)と明治45年(1912)発行の『模範故事熟語辞典』(同❺)です。
 辞書の説明が同時代の言葉を反映していると信じるならば、この2例が見られた時期には、「てれてれ」を主(メイン)に据えても何ら違和感はなかったと考えられます。それは江戸時代後期(表2の❶)と明治の末(同❺)のこと。
 「古くはてれてれ法師(坊主)と呼んだ」という場合の「古く」とは、具体的には、どうやら江戸時代後期から明治期にかけての時期を指すと言えそうです。
 3つめに、「てれてれ法師(坊主)」という呼び名には地域的な偏りが見られるのかという点をめぐって。
 先述のように、『おりふしの記』(表1の⑥)においては、水沢(岩手県)あたりで「テレテレ法師(法主)」という呼び名が聞かれた点に触れていました。さらには、『日本国語大辞典』(第9巻(第2版)。表2の⓫)の「照照坊主」の項を引くと、「鳥取」の方言で「テレテレボーズ」と呼ぶことが明記されていました。
 前者の『おりふしの記』は昭和37年(1962)の発行(『岩手日報』連載時の初出は昭和33年=1958)、後者の『日本国語大辞典』(第9巻。第2版)は平成13年(2001)の発行です。岩手や鳥取ではわりあい近年でも「てれてれ」という呼び名が聞かれたことがわかります。ともに、関東や関西といった大都市圏からは遠く離れた地域です。

 「てれてれ法師(坊主)」という呼び名に触れている辞書は、わたしの管見が及んだ限りでは、たいへんに数少ないのが現状です。てるてる坊主の最古の呼び名を「てれてれ法師(坊主)」とする、各種の文献資料でしばしば言及される俗説について、真偽のほどは不明なままです。
 ともあれ本稿では、呼び名に「てれてれ」が違和感なく使われていた時期、および、方言として使われてきた地域については、その一端を明らかにすることができました。
 辞書の説明を手がかりとして得られた、本稿での見通しをもとに、辞書以外の「てれてれ」の具体的事例にも目を向け、稿をあらためて整理・検討を試みたいと思います。

参考文献

【表1に関わるもの】
①平凡社〔編〕『大百科事典』第18巻、1933年(「照々坊主(てるてるぼうず)」の項)
②岩手県教育委員会〔編〕『岩手の俗信』第2集、岩手県教育庁、1954年
③気象庁予報部天気相談所〔編〕『日本のお天気』、大蔵省印刷局、1956年
④野村證券金融経済研究所・野村資本市場研究所〔編〕『財界観測』15(5)、野村證券、1957年(「編集後記」)
⑤藤原滋水『天気予報ものがたり』、大日本図書、1958年
⑥石川栄助『おりふしの記』、新岩手社、1962年
⑦『週刊少女フレンド』1(26)、講談社、1963年(「つゆの正体 13 てるてるぼうずは中国から」)
⑧大野義輝・平塚和夫『お天気歳時記』、雪華社、1964年
⑨『小学六年生』17(8)、小学館、1964年(「クイズ」)
⑩清水教高・時田正康『日本のお天気 12か月』、牧書房、1968年
⑪堀川直義 等編『成功するセールス話法』第5巻,河出書房,1968.(山名正太郎「歴史」)
⑫『週刊新潮』15(16)、新潮社、1970年(「除湿歳時記43」)
⑬『歴史と旅』1(5)、秋田書店、1974年(岡田章雄「茶の間のミニ歴史 雨が降ります」)
⑭『小六教育技術』32(3)、小学館、1979年(「6月の話材 入梅」)
⑮『教職研修』14(10)、教育開発研究所、1986年(「今月の一口メモ 季節暦」)
⑯荒川博・ 半藤一利『風・船のじてん、蒼洋社、1987年(半藤一利「くろはえ」)
⑰『小三教育技術』48(4)、小学館、1994年(「はーふたいむ 6月のお話歳時記 入梅」)
⑱山田忠雄ほか〔編〕『新明解国語辞典』(第8版 小型版)、三省堂、2020年

【表2に関わるもの】(二重カッコ内は原典にあたることができなかったための参照元)
❶清水浜臣『語林類葉』5、1824以前 ≪三ヶ尻浩〔校〕、1938年≫
❷林幸行『国語辞典』、修学堂、1904年
❸志田義秀、 佐伯常麿〔編〕『日本類語大辞典』、晴光館、1909年
❹津村清史〔編〕『同意語二十万辞典』、北隆館、1910年
❺大島庄之助・小野機太郎ほか〔編〕『模範故事熟語辞典』、長風社、1912年
❻岡島誘・ 岩佐重一『読書作文日本大辞典』、広文堂書店、1913年
❼平凡社〔編〕『大百科事典』第18巻、1933年(「照々坊主(てるてるぼうず)」の項)
❽河出書房新社〔編〕『日本歴史大辞典』第7巻 (くらーこう)、河出書房新社、1957年
❾昭和出版研究所〔編〕『日本百科大事典』第9巻、小学館、1964年
❿尚学図書〔編〕『国語大辞典』、小学館、1981年
⓫日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部〔編〕『日本国語大辞典』第9巻(第2版)、小学館、2001年(第1版第1巻は1972年)
⓬山田忠雄ほか〔編〕『新明解国語辞典』(第8版 小型版)、三省堂、2020年

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