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「法師」から「坊主」へ【てるてる坊主の呼び名をめぐって#7】


はじめに

 「てるてる坊主」のことを「てるてる法師」と言ったら、みなさんは違和感があるでしょうか。私自身としては、少しだけ違和感を抱きながらも、まあ有りなのかなという感覚があります。てるてる坊主の呼び名に注意して、近世(江戸時代)や近代(明治・大正・昭和前期)の文献資料を見てみると、語尾が「法師」である事例も散見されます。
 てるてる坊主の呼び名については、民俗学研究者の橋本知美が論考「晴乞い習俗について ―雨乞い習俗を通して―」(1997年)のなかで少し触れています。橋本は辞書類に見られるてるてる坊主の呼び名5~6種類を紹介したうえで、「この語を二分節に分けてみると、おもしろいことに前部・後部のそれぞれに共通した語があることに気づく」として、以下のように指摘しています[橋本1997:72-73頁]。

・前部ではヒヨリ(日和)やテル・テリ(照る・照り)など、晴れ(太陽)を連想させる語が使われている。
・後部では、ボウズ(坊主)やボウシ・ボンサンなど、坊主・法師といった僧をさす語になっている。(ボウシはホウシのことで「法師」であろう。このホウシが口にしやすいように後にボウシと濁ったのではないかと思われる)

 橋本の言う「前部」については私もこれまで何度となく取り上げてきたので、今回は「後部」に注目してみます。近世(江戸時代)と近代(明治・大正・昭和前期)の文献資料を手掛かりとして、てるてる坊主の呼び名の具体的事例を検討してみましょう。

1、近世(江戸時代)のこと

 まずは近世(江戸時代)の事例に目を凝らしてみます。私の管見の限りでは、てるてる坊主の呼び名が記された文献資料は39点。文献の種別は俳諧集や滑稽本、紀行文など多岐にわたります。それらを年代順に並べ、記された呼び名の語尾に注目して「法師」系と「坊主」系に大まかに分けて整理してみました(表1参照)。「法師」系には「法主」(表1の㊲)なども含み、また、「坊主」系には「坊(ぼん)」(㉚)なども含みます。

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 時系列に沿って整理してみましょう。初出に注目すると、「法師」系は随筆『榊巷談苑』(表1の①)に見られます。発行年は明らかではありませんが、作者である榊原篁洲の生没年(1656-1706)から推測して、1700年ごろの執筆でしょうか。そこには「照法師」と記されています。
 いっぽう、「坊主」系の初出はそれから20~30年遅れて1727年。俳諧集『篗纑輪』(わくかせわ。表1の②)にてるてる坊主ではなく「日照(ひでり)坊主」と記されているのが初出です。
 近世(江戸時代)全般における流行の跡はどうでしょうか。以前、てるてる坊主の呼び名の前半「てるてる」の部分の多彩さについて紹介した際、年代を恣意的に3区分して検討しました。今回も同様に近世を3区分して、第1期を1700ごろ~79年(①~⑬)、第2期を1780~1830年(⑭~㉙)、第3期を1831~67年(㉚~㊴)として整理してみます。
 第1期には「法師」系が優勢です(文献13点中9例)。「坊主」系も散見されます(同3例)。次の第2期も「法師」系の優勢が続きます(文献16点中11例)。第1期に引き続いて、やはり「坊主」系も散見されます(同6例。うち2例は「法師」系と重複)。第3期になると「法師」系は劣勢です(文献10点中3例)。代わって「坊主」系が目立ってきます(同7例)。
 長い目で見るならば、第2期と第3期のあいだの1830年ごろを境として、それ以前は「法師」系が優勢で、それ以降は「坊主」系が優勢です。もとより、それぞれに劣勢の時期であっても、まったく消えてしまうことはなく、ちらほらと散見されます。また、「坊主」系優勢の第3期には「日和坊主」系の呼び名が目立ちます(㉚㉛㉜㊳)。
 「法師」系と「坊主」系が併記されている事例も2つ見られます。1つは『蝦夷喧辞弁』(1789年。⑮)という紀行文。作者の菅江真澄(1754-1829)は同じものを指して、「てろ〳〵ほうづ」とも「てろ〳〵ほうし」とも呼んでいます(同じ音の繰り返しを表す踊り字(くの字点)は横書きできないため、「〳〵」と表すこととします)。
 もう1つは『俚言集覧』(1797年ごろ。⑰)という辞書で、「てり雛」の項に「てり法師とも又俗にてり〳〵坊主」と説明書きがあります。この⑮と⑰の2例はともに18世紀終わり近くの事例です。当時は「法師」系と「坊主」系が混在して、どちらもさほど違和感なく用いられていた様子が見て取れます。

2、近代(明治・大正・昭和前期)以降のこと

 続いては近代(明治・大正・昭和前期)の事例をめぐって。てるてる坊主の呼び名が記された文献資料は33点確認できました。文献の種別は小説や雑誌をはじめ多岐にわたります(表2参照)。

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 特徴的なのは、明治・大正期には「法師」系が姿を消す点です。いっぽうの「坊主」系は、「坊」(表2の③)や「坊さん」(④⑧⑬)なども含め、文献14点すべてに見られます。昭和前期に入っても、「坊主」系の圧倒的優勢は続きます(文献19点中18例)。なお、昭和前期の事例のなかには、童謡「てるてる坊主」(作詞:浅原鏡村、作曲:中山晋平。表2の⑪)の引用がいくつか見られます(表2の右端に☆印を付したもの)。
 また、明治・大正期には皆無だった「法師」系が、昭和前期には2例確認できます。1つは『葦笛』という童話集で、浜田勝次郎(生没年不詳)が1931年に著したものです(表2の⑲)。そのなかに「テルテル法師」が登場します。「法師」系としては、近世(江戸時代)の事例のなかで最も遅い㊱(1849年)や㊲(19世紀中頃)以来、実に約80年ぶりの再登場です。
 「法師」系が登場するもう1つの事例は、『岩波講座国語教育 小学国語読本綜合研究』巻2第1冊(1936年。表2の㉓)です。玉井幸助(1882-1969)が著した「解釈」の項に、「テルテルバウズ」の別名として「てりてり坊主、又はてるてる法師ともいふ」と記されています。なお、同書は『小学国語読本(尋常科用)』(1年生)巻2(表2の⑳)の解説書です。
 ここで、昨今に目を転じてみると、日常語での主流は言うまでもなく「坊主」系です。研究書や辞書類で「法師」系に触れられていても副次的な扱いで、あくまでも主は「坊主」系です。私の管見の及んだなかで、昨今では唯一、「法師」系が「坊主」系と対等に並んでいる実例があります。台東区から1997年に発行された『台東区むかしむかし:お話と遊び』(1)で、「春の遊び」の1つとして「てるてる坊主・照々法師」の項が立てられています[台東区立教育研究所1997:182頁]。

3、「ほうし」から「ぼうし」へ

 先述のように、近世においては1830年ごろを境に、それ以前の第1期(1700ごろ~79年)と第2期(1780~1830年)には「法師」系が優勢、それ以降の第3期(1831~67年)には「坊主」系が優勢でした。「法師」系から「坊主」系へと変化した原因については分かりません。
 ここで思い起こしたいのが、冒頭で紹介した橋本の指摘です。橋本はてるてる坊主の呼び名の後半部分をめぐって、「ボウズ(坊主)やボウシ・ボンサンなど、坊主・法師といった僧をさす語になっている」ことに注目しつつ、「ボウシはホウシのことで「法師」であろう。このホウシが口にしやすいように後にボウシと濁ったのではないかと思われる」と述べています。
 「法師」について、元々は濁らずに「ほうし」と言っていたものが、のちに発音しやすいよう濁って「ぼうし」になったのではないかという推測です。頭文字の子音が「H」から「B」に変化しています。「法師」の読みは本当に「ほうし」(H)から「ぼうし」(B)に変化したのか、検討してみましょう。
 近世の「法師」系23例のうち、平仮名や片仮名で記されていたり、漢字に振り仮名が振られていたりするために、読みかたが明らかであるものは11例あります(表3参照)。

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 「法師」系優勢の第1期の場合、「法師」3例の読みはいずれも「ほうし」(H)です。続く第2期になると、「法師」系の優勢は変わりませんが、読みかたには目立った変化が生じます。「法師」の読みが明らかな6例のうち5例が「ぼうし」(B)であり、「ほうし」(H)は1例のみです。
 同じ「法師」系優勢期にあっても、第1期は「ほうし」(H)優勢、第2期は「ぼうし」(B)優勢と明らかな違いが見られます。「法師」の読みかたが「ほうし」(H)から「ぼうし」(B)へ変化した原因については、橋本の言う「口にしやすいように」という理由からなのかどうか、定かではありません。ただ、第2期に「ほうし」(H)から「ぼうし」(B)へ変化したことが呼び水となったのか、次の第3期には「ぼうし」(B)に音が近い「坊主」系が優勢となります。
 そうしたなか、第3期には劣勢となった「法師」2例の読みは、「ほうし」(H)へと回帰します。優勢であった「ぼうず」(B)との区別をはっきりさせるためでしょうか。第2期には頻出した「ぼうし」(B)が第3期には全く見られない点が特徴的です。
 近世(江戸時代)の大まかな傾向としては、第1期には「法師」(ほうし。H)、第2期には「法師」(ぼうし。B)、第3期には「坊主」(ぼうず。B)が目立ちます。「法師」の読みが「ぼうし」(B)である5例は、1808年(表4の⑲)から1827年(㉖)の約20年のあいだに集中して見られます。
 その後、明治・大正期には先述のように「法師」系そのものが姿を消します。また、昭和以降になって散見される「法師」系の事例には振り仮名がなく、読みかたは定かではありません。
 なお、表3に付記したとおり、文献資料のなかには私が原本を参照できていない事例が多々あります。そうした場合には、呼び名やその振り仮名は、私が参照した文献での表記に依拠しています。
 また、近世(江戸時代)には文字を記す際に濁点を省くことが多く、「話す」言葉と「書く」言葉のあいだには乖離が見られたようです。本稿で検討した「法師」についても、普段の発音は「ぼうし」(B)でありながら「ほうし」(H)と記されている例が少なからず含まれている可能性を否定できません。より厳密な検討が今後の課題です。

4、東日本と西日本の違い

 「法師」系と「坊主」系の使用頻度をめぐって、東日本と西日本で違いは見られるでしょうか。てるてる坊主の呼び名が記された文献資料のなかで、記述内容から該当地域が明らかなもの、あるいは、出版元の所在地が明らかなものについて整理してみましょう。
 近世(江戸時代)では、呼び名が記された39点(表1参照)のうち、地域が明らかなものは21点、同じく近代(明治・大正・昭和前期)では33点(表2参照)のうち29点が該当します(表4参照)。

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 東日本の場合、近世には「法師」系9点、「坊主」系8点と、その数は拮抗しています(⑮は両方)。続く近代には「坊主」系が圧倒的優勢で24点見られるのに対し、「法師」系は2点に過ぎません(㉓は両方)。
 いっぽうの西日本の場合、全体的な事例数が少ないものの、近世と近代を通じて目立つのは「坊主」系です。近世における「坊主」系の登場は遅く、4点とも1830年代以降のもので、いずれも「日和坊主」系の呼び名です。⑪は近世・近代を通じて西日本唯一の「法師」系で、年代的には早い1773年の事例です。
 近代の西日本には「法師」系は見られず、4点すべて「坊主」系です。そのうち明治・大正期の3点(③⑥⑬)がやはり「日和坊主」系です。「坊主」系でありながら唯一「日和坊主」系ではないのが⑱で、年代的には遅く、昭和前期に入ってからの事例です。

おわりに

 本稿では、てるてる坊主の呼び名の後半部分について検討してきました。ここで、かつて検討したことのある前半部分と合わせて、呼び名の大まかな傾向を概観してみましょう(表5参照)。

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 それぞれの年代において、優勢な呼び名の跡をたどってみます。近世(江戸時代)の場合、第1期(1700ごろ~79年)には「てるてる法師」。「法師」の読みは「ほうし」です。第2期(1780~1830年)には「てるてる法師」に加えて「てりてり法師」。「法師」の読みは濁って「ぼうし」です。第3期(1831~67年)になると語尾が変わって「てりてり坊主」。第3期には「てるてる」は劣勢です。
 近代に入ると、明治期には「てりてり坊主」に加えて「てるてる坊主」。大正期には「てりてり」が劣勢となり、「てるてる坊主」が圧倒的優勢です。昭和前期には引き続き「てるてる坊主」が圧倒的優勢です。ただ、昭和前期には「てりてり」や「法師」が使われている事例もわずかながら確認できます。
 本稿で注目した後半部分については、近世(江戸時代)後期にあたる1830年ごろを境として、「法師」から「坊主」への緩やかな変化が見られました。もとより、「法師」にせよ「坊主」にせよ、冒頭で紹介した橋本も指摘しているように、いずれも僧侶を表す語が用いられている点が注目されます。なぜ、「てるてる人形」あるいは「てりてり人形」などとは呼ばれず、「法師」または「坊主」という語が択ばれてきたのか、機会をあらためて検討したいと思います。

参考文献(編著者名の五十音順)
【全体に関わるもの】
・台東区立教育研究所〔編〕『台東区むかしむかし:お話と遊び』1、台東区、1997年
・橋本知美「晴乞い習俗について ―雨乞い習俗を通して―」(俵谷和子ほか〔編〕『久里』第4号、神戸女子大学民俗学研究会、1997年)

【表1に関わるもの】
(丸数字は表1の№に対応。発行年のあとの括弧内は掲載箇所の詳細。二重括弧内は原典にあたることができなかったための参照元。)
①榊原玄輔『榊巷談苑』 ≪太田南畝〔編〕『三十輻』第1、国書刊行会、1917年(巻之2)≫
②松月堂不角〔編〕『篗纑輪』11集 巻3、1727年 ≪穎原退蔵〔著〕尾形仂〔編〕『江戸時代語辞典』、角川学芸出版、2008年≫
③松月堂不角〔編〕『篗纑輪』11集 巻4、1727年 ≪穎原退蔵〔著〕尾形仂〔編〕『江戸時代語辞典』、角川学芸出版、2008年
④苔翁『裏若葉』、1732年 ≪鈴木勝忠〔編〕『雑俳語辞典』、東京堂出版、1968年≫
⑤四時庵紀逸〔編〕『武玉川』、1753年、(5編)≪国書刊行会〔編〕『徳川文芸類聚』第11、1914-16年≫
⑥自楽『地獄楽日記』、太田庄右衛門ほか、1755年、(巻之2 第1) ≪古谷知新〔編〕『滑稽文学全集』第7巻、文芸書院、1918年≫
⑦川柳〔評〕『万句合』、1758年、(満) ≪石川一郎〔編〕『江戸文学俗信辞典』、東京堂出版、1989年≫
⑧川柳〔評〕『万句合』、1761年、(桜2) ≪前掲同書『江戸文学俗信辞典』≫
⑨如露〔評〕『風丈・如露評万句合』、1762年 ≪鈴木勝忠『未刊雑俳資料』第43期、1968年、(8「風丈・如露評万句合」)≫
⑩按山子『静夜独言』巻3、1771年 
⑪滄浪居嘯山『俳諧新選』、橘仙堂善兵衛ほか、1773年、(巻之1 春「藪入」) ≪佐々醒雪・巌谷小波〔校〕『名家俳句集』(俳諧叢書第3冊)、博文館、1913年≫
⑫薪葉〔著〕湖竜斉〔画〕『松茸売親方』、1778年 ≪幸堂得知〔校訂〕『黄表紙百種』4版(続帝国文庫第34編)、博文館、1909年≫
⑬鳥山石燕〔画〕『続百鬼』、1779年、(中之巻、晦)
⑭川柳〔評〕『万句合』、1785年(智3) ≪前掲同書『江戸文学俗信辞典』≫
⑮菅江真澄『蝦夷喧辞弁』、1789年 ≪菅江真澄『真澄遊覽記』第34冊(巻16)≫
⑯山東京伝〔作・画〕『傾城買四十八手』、1790年、(「やすい手」) ≪『近代日本文学大系』第11巻(洒落本代表作集)、国民図書、1926年≫
⑰太田全斉〔編〕『俚言集覧』 ≪村田了阿[編]井上頼国・近藤瓶城〔増補〕『俚言集覧』中巻 増補、皇典講究所印刷部、1899-1900年≫
⑱呉陵軒可有ほか〔編〕『誹風柳多留』、石井佐太郎ほか、1808年、(41篇12丁) ≪前掲同書『江戸文学俗信辞典』≫
⑲式亭三三〔著〕歌川豊国3世〔画〕『鬼児島名誉仇討』、西宮、1808年 ≪式亭三馬〔著〕歌川豊国(3世)〔画〕林美一〔校訂〕『鬼児島名誉仇討』(江戸戯作文庫)、河出書房新社、1985年≫
⑳小林一茶『我春集』、1811年 ≪小林一茶〔著〕信濃教育会〔編〕『一茶叢書』第7編、古今書院、1926-30年≫
㉑小山田与清『松屋筆記』、(巻94)
㉒中山美石「諸国風俗問状 三河国吉田領答書」、1817年 ≪竹内利美ほか〔編〕『日本庶民生活史料集成』第9巻 風俗、三一書房、1969年、(「諸国風俗問状答」)≫
㉓高田与清『擁書漫筆』巻第4、伊勢屋忠右衛門ほか、1817年
㉔清水浜臣『語林類葉』5
㉕尾上梅幸〔作〕歌川国貞〔画〕『皇国文字娘席書』、丸屋甚八、1826年
㉖文亭綾継〔著〕春川英笑〔画〕『小糸佐七糸桜形見釵』巻之1、1827年 ≪中村幸彦ほか〔編〕『角川古語大辞典』第4巻、角川学芸出版、2012年≫
㉗奥山四娟〔著〕円洲〔画〕『浮世名所図会』上巻、1829年(「てる〳〵法師雩の霊場」) ≪博文館編輯局〔校訂〕『滑稽名作集』下 5版(帝国文庫25、26編)、博文館、1909年≫
㉘喜多村信節『嬉遊笑覧』、1830年、(巻8「方術」) ≪喜多村信節〔著〕日本随筆大成編輯部〔編〕『嬉遊笑覧』下、成光館出版部、1932年≫
㉙呉陵軒可有ほか〔編〕『誹風柳多留』、石井佐太郎ほか、1830年、(111篇24丁) ≪前掲同書『江戸文学俗信辞典』≫
㉚柳生範萊〔編〕『冠附類題集』、1834年 ≪前掲同書『江戸時代語辞典』≫
㉛山月庵主人『意気客初心』巻之下、吉田屋新兵衛・山城屋佐兵衛、1836年
㉜『冠附あふむ石』、1839年≪前掲同書『江戸時代語辞典』≫
㉝呉陵軒可有ほか〔編〕『誹風柳多留』、 石井佐太郎ほか、1840年、(162篇18丁) ≪前掲同書『江戸文学俗信辞典』≫
㉞野之口隆正・ 西田直養・ 岡部東平 『嚶々筆話』第2集、1842年(森田春郷「雑説」)
㉟万亭応賀〔著〕静斎英一〔画〕『幼稚遊昔雛形』下巻、吉田屋文三郎、1844年 ≪尾原昭夫『日本わらべ歌全集』27 近世童謡童遊集、柳原書店、1991年≫
㊱『をたまき集』、1849年 ≪鈴木勝忠『雑俳語辞典』続、明治書院、1982年≫
㊲歌川国芳「てる〳〵法主おひよりおどり」
㊳田中楽美『大阪繁昌詩』巻之中、紀律堂、1859年
㊴『和英語林集成』初版、1872年

【表2に関わるもの】
(丸数字は表2の№に対応。発行年のあとの括弧内は掲載箇所の詳細。)
①『現代日本文学全集』第84(明治小説集)、筑摩書房、1957年(巌谷小波「妹背貝」)
②稲垣達郎ほか〔編〕『斎藤緑雨全集』巻7、筑摩書房、1991年(「門三味線」)
③松井由谷『麗新画帖』、本田書店、1900年 
④『ホトトギス』8巻9号、ほととぎす発行所、1905年(寺田寅彦「龍舌蘭」)
⑤『風俗画報』346号、東陽堂、1906年
⑥松瀬青々『妻木 青々句集』、春俎堂・宝船発行所、1904-06年
⑦『実業之日本』10巻20号、実業之日本社、1907年(「坪井正五郎樺太にテリ〳〵坊主を遺す」)
⑧巌谷小波『お伽歌劇』(小波お伽文庫2)、博文堂、1912年
⑨『小学男生』1巻2号、実業之日本社、1919年
⑩徳永寿美子『薔薇の踊子』、アルス、1921年
⑪『少女の友』14巻6号、実業之日本社、1921年(浅原鏡村・中山晋平「てるてる坊主の歌」)
⑫中山晋平『童謡小曲』第2集、山野楽器店、1922年
⑬長崎市『長崎市史』風俗編、1925年(「長崎方言集覧」)
⑭『四年の小学生』創刊号、一星社、1926年(福田正夫「てるてる坊主」)
⑮町田桜園〔編〕『かわいゝ歌劇』1、盛林堂書店、1927年
⑯『金の星』9巻8号、金の星社、1927年(西川喜平(作)水島爾保布(画)「てり〳〵坊」)
⑰『ハーモニカ童謡曲集』第2輯、シンフォニー楽譜出版社、1928年
⑱後藤道雄『迷信茶話』第3編、中外出版、1929年
⑲浜田勝次郎『葦笛』(宗教童話集第1編)、文書堂、1931年
⑳海後宗臣〔編〕『日本教科書大系』近代編第7巻 国語4、講談社、1963年
㉑田中ナナ『金の風車』、金の星社、1933年
㉒日本玩具研究会〔編〕『キンダーブック 観察絵本』8輯3編、日本保育館、1935年
㉓『岩波講座国語教育 小学国語読本綜合研究』巻2第1冊、岩波書店、1936年(玉井幸助「解釈」、柳田国男「参考」)
㉔日本玩具研究会〔編〕『キンダーブック 観察絵本』9輯12編、日本保育館、1937年(「テルテルバウズ」)
㉕大塚講話会〔編〕『実演童話新集』第2巻、隆文館、1937年(小野直「テルテル坊主」)
㉖『童謡画集』、大日本雄弁会講談社、1937年
㉗永尾龍造『満州・支那の習俗』(満鉄社員会叢書第28輯)、満鉄社員会、1938年
㉘『漫画と冒険物語』、大日本雄弁会講談社、1939年(井上一雄「テルテル坊主ノオ使ヒ」)
㉙初等絵本研究会〔編〕『童謡画集』、国民社、1941年
㉚『幼年倶楽部』16巻6号、大日本雄弁会講談社、1941年(太田黒克彦「テルテルバウズ」)
㉛前田直平『新古山梨童謡歌曲集成』、1942年
㉜円地文子『南支の女』、古明地書店、1943年
㉝武野藤介『妻と子供たち』、新元社、1944年

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