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■啓蒙思想初期に周知!のタナトスはヒトの共有エルゴン i.e.その悪の情念の天敵はアナログモーダル(健全なヒトの意識)!先行把握の身体知で新しい「社会構成」への展相が急務/<注>アナログモーダル=生あるヒトの概念流動性

(プロローグ)

意識のプラットフォームはアナログ・デフォルトモードフラッシュ?

【印象派を代表する画家の一人であるアルフレッド・シスレーの魅力は、いわばそれが画家(i.e.ヒト)の意識の「アナログ・デフォルトモードフラッシュ」(委細後述:第1章↓)のあまりにも見事な表現であること?】・・・(↓Related image)Alfred Sisley 「サン=マルタン運河の眺め/View of the Canal Saint-Martin」1870 50 x 65 cm Musée d'Orsay, Paris, France /https://www.wikiart.org/en/alfred-sisley/view-of-the-canal-saint-martin-1870 

シスレー 「サン=マルタン運河の眺め」1870  50 x 65 cm   オルセー美術館、パリ
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Alfred Sisley/self-portrait

    
【注記】コンピュータ用語のプラットフォーム(platform)はサービス、システム、ソフトウェアを提供したり、カスタマイズしたりするため必須となる標準環境(Standard Software)なる基盤を意味する。・・・IT‐Web(インターネット)で遠隔の情報処理を行うためのクラウド環境でも、必ずプラットフォームが必要である。更に、様々な工場や製品がネットで繋がる近未来の産業社会でも、どのようなIoTプラットフォームを共通基盤とするかが重要となる。

【注記】Alfred Sisley(↑self-portrait), French Impressionist Landscape Painter:[Alfred Sisley was Friendship With Pierre-Auguste Renoir and Claude Monet . He became close friends with Pierre-Auguste Renoir and Claude Monet, two of the most prominent impressionists. The trio often painted and socialized together. ]By Bill Lamb Updated on June 30, 2019https://www.thoughtco.com/alfred-sisley-4691533 ・・・なお、「サン=マルタン運河の眺め↑」の情報源(出典)であるWikiArtの開発者はウクライナを拠点としており、2010年以来、その編集長は同じくウクライナの美術評論家Kseniia Bilashである。https://wikipredia.net/ja/WikiArt

【補足】産み分け、着床率ら i.e.市場原理主義に偏れば、例えば米最高裁『時代逆行のアンチ銃規制・中絶権利』判決”or 露ウクライナ侵攻で露出したエネルギー・食糧危機らと同じくリアリズム倫理orオミクス生命論的にアンチ民主主義の謂いで社会“自体”が総異常化の危機!∴逆に此れをポテンツ、展相の好機と見て啓蒙時代初期の議論へ立ち戻るべき!  →着床前検査(保険適用外)めぐり学会が国に注意喚起求める要望書 提出625NHK、

https://twitter.com/tadanoossan2/status/1540784072422998016

https://twitter.com/tadanoossan2/status/1541163374926794752

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【補足】そもそも裁判はAI型の効率に一任し得るのか?フーコー『真理と裁判形態/1973』↓♨に照らす議論が必須!∵一見、非合理なリアル外部の無視は“非人間的”帰結が必定!  →令状請求に往復2百キロ 刑事手続きIT化、議論スタート 負担減へ、オンライン化期待628朝日https://twitter.com/tadanoossan2/status/1541611279743610881

【補足】当Tw情報は、露プー・ウクライナ侵攻を先端AI“認知戦”の唯一のリアルと見做す過半の政治権力・アカデミズム&ジャーナリズム等、即ち現代プロフェッショナル意識の貧困!を摘出。i.e. それは、a構造的カップリング と b空間分離主義の陥穽、の見落とし!ということ、である!Cf.↓♨1、2 /+<追記>:AI“認知戦”なる概念そのものが軽薄!∵AI‐DLアルゴリズムとアナログモーダル意識の関係は、喩えれば自然界での「外来種(寄生)Vs固有種(宿主)」に相当するhttps://twitter.com/tadanoossan2/status/1541163374926794752
 

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【補足】「只の民主主義からオミクス・エビデンス社会への展相、Potenz」が必須↓♨の時代だからこそ、超ひも理論の物理学者が提供する「神の方程式」(万物の理論)なる新たなエンテレケイアの希望 →ミチオ・カク「神の方程式‐『万物の理論』求めて(NHK出版)625朝日、
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1540945540342751233

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【補足】…全世界の極右軍事派ら i.e.≪脳超硬化≫した「市場原理主義」代理人達がプーチン・習・金正恩らを新有能アバターと見るまで重篤<認知症>化した証左むしろ新たな社会構成の創生を目指すアナログモーダルなリアリズム倫理こそが肝要

 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1536061787313143808

 【補足】政府は肝心の啓蒙主義の根本のホネを抜き権威主義との価値観の違いを喧伝中なので其の不誠実さに疑問感じるべき!∴対権力批判と弱者保護の線引きを総メディア巻き込み議論すべき!       →「侮辱罪」厳罰化 改正刑法が可決成立 ネット中傷“歯止め”なるか613FNN

https://twitter.com/tadanoossan2/status/1536199886311665664

 【補足】《日本危機》の核心に居座るタナトス怪獣! そもそも権力者とは侮辱罪や旧“讒謗律”の対象でありうべからざるどころか、権力者である限り、必然的に、彼らは、即刻、糾弾・弾劾の対象であり徹底責任を問われ追及されうることを常に自覚すべき立場である! 故に当ジャーナリストの主張&猛批判は至極当然! ↓

https://twitter.com/tadanoossan2/status/1537531996251226112

佐藤 章 @bSM2TC2coIKWrlM /本当の「戦犯」は黒田ではなく安倍晋三。 無意味なアベノミクス・超金融緩和によって大量の国債・当座預金残高が日銀内に積み上がっている。金利を上げればほとんど消費増税に直結。 経済の現実を知らない安倍は痛みの伴う厳しいミクロ政策を素通りし今日の事態に。安倍追放!

https://twitter.com/bSM2TC2coIKWrlM/status/1537297128988749825

1 意識の源としての情念、 アナログ・デフォルトモードフラッシュ、そして“時間の矢”の問題

・・・ヒトと「AI‐DLアルゴリズム」、これら二つの“意識”の分岐点となるのがデフォルトモードフラッシュと時間の矢の問題・・・

【注記】デフォルトモードフラッシュとは?・・・このフラッシュ(flash)は、“無心・明鏡止水”化する瞬間(デフォルトモード)への回帰の謂いで使っているので、それはflush(赤面すること)ではない。(苦w)

―意識の源と見える感覚および感情・情念―

生命維持や本能行動に関与する大脳辺縁系による身体の統合“感覚(外・内両受容感覚)”の源が情動作用であるとも考えられる。しかも、情動はかなり強い反応であり、その種類は「げっ歯類(ネズミ目の“ねずみ、りす、やまあらし”ら)」と共通基盤を持つ強い怒り・恐怖・不安などの本源情動から高次の社会的感情(嫉妬・困惑・罪悪感・恥など)まで多岐に渡る(参照情報:情動‐脳科学辞典、https://bit.ly/3t0GS9j)。

ところで、ここで言う[ヒトと「AI‐DLアルゴリズム」、これら二つの“意識”の分岐点]なる表現は、“近未来において、仮にAI‐DLアルゴリズムが“意識もどき”を持てたとしても!?”ということを含意する。

また、Affective computinghttps://bit.ly/3LOoWWe)と呼ぶコンピューター技術の分野があるが、それはAI‐DL( i.e. AI‐DL:ディプラーニング人工知能技術で人間の感覚および感情や感性を取り扱うことである。例えば下のTw情報(↓)は、その先端技術の「ヒト自身のⅩモーダル知覚(=クロスモーダル/五感の相互作用)への応用」だが、これは“AI‐DLアルゴリズムの意識もどき”実現とは全く異なる「ヒトのⅩ(クロス)モーダル知覚」の只の増幅・助長機器である。

―アナログ・デフォルトモードフラッシュ―

生理心理学の用語であるデフォルトモード( or デフォルトモード・ネットワーク /default mode network)には「なんらの思考も関心も、あるいは注意をもほとんど伴わない、無心の安静した状態にある脳(内外の諸環境と全身のオミクス論的な生命活動に包摂された脳内のニューロン・ネットワーク)が示す最小限度の神経活動、言い換えれば漠然とした空想や想像をしてみたり、物事を思い出したりするなどの脳活動」という意味が込めてある。

例えば、プロローグで取り上げた「Alfred Sisley 『サン=マルタン運河の眺め/View of the Canal Saint-Martin』」」の絵画は、そのようなイメージを表現した典型的な事例と言えるのではなかろうか?

シスレー 「サン=マルタン運河の眺め」1870  50 x 65 cm   オルセー美術館、パリ_R

もっとも、おそらく一般的には生命維持の安全のためと思われるが、それは100%のデフォルトではなく、例えば睡眠状態でも左脳(右利きの人の場合)は右脳に比べて覚醒度が高い状態であることが知られている(参照↓◆)。

◆左脳は「夜の見張り番」、“枕が変わると眠れない”わけ/睡眠研究者・三島和夫(秋田大学・医学系研究科教授)、https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/15/403964/120800130/?P=1

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レベッカ・フィンチャー-キーファー(ゲティスバーグ大学/心理学教授)著・望月正哉ほか訳『知識(メタ認知知識・メタ記憶≒意識)は身体からできている/身体化された認知の心理学』(新曜社)によると、心理学者グレンバーグ(Glenberg A.M./米アリゾナ大学、https://bit.ly/3MU4t3u)と同・プロフィット(Proffitt, D.R./米ヴァージニア大学、https://bit.ly/3PN278r)は「認知は行為に仕え、行為は身体によって制約され、また情報を与えられる身体化された知覚」という概念を提唱している(厳密に言えばグレンバーグが前段を主張し、プロフィットが“身体化された知覚”(後段)の概念でそれに同意している)。…Rebecca Fincher-Kieferの画像↓は、https://www.researchgate.net/profile/Rebecca-Fincher-Kieferより。

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Prof. Dr. Arthur Glenberg

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両者が主張するのは、「ヒトの視覚の感覚経験は、例えば我われが光学情報である角度の大きさの変化で対象物の大きさ、距離、あるいは光の色調の変化(この場合は可視光の振動数の変化で)を理解したり、又は可視光の入射角の様々な変化で網膜像の大きさの違い、i.e.数学的線形の変化でモノ(見ている対象物)の形の違いを理解できたりしている。」ということである。

プロフィットは、更に「我われの身体は光学情報から一定の意味を導出するための尺度化装置であり、すなわち“身体が知覚的定規”になる」とも述べている。だが、身体の様々な側面の一つだけが全ての場面で適切な定規になるということではない。実際にはアナログモーダル・ブラウジング意識が、時にはソロか、あるいはアンサンブルかオーケストラの様に多様なハーモニーと音色で身体知のメロディーを奏でているのであろう。

また、どの側面かが固定的な定規または楽器として使われるのではなく、それは我々の行為の目的や我われが置かれた内外(オミクス生命論的に厳密に言えば、決して留まることなく絶えず変容しつつ生きている我われ自身の身体の内外)の環境条件によって、その定規も楽器もが生命論的に自在に変化することになる。

しかし、我々の身体が一定の個体(しかも、絶えず生命維持のために一定の健全な安らぎの位置を求め続ける個体)として存在せざるを得ないのと同じことで、それがれっきとした個体生命の一部である以上は、この「身体化された知覚」(身体的な定規)も、一定のデフォルトモード(アナログ・デフォルトモードフラッシュ)へ回帰し、絶えず、そこから日々新たにリフレッシュして、明日を目指しつつ展相(ポテンツ/Potenz)する必要があると考えられる。

【注記】Potenz(ポテンツ/展相)・・・ドイツ語の原義は掛け算された数のことだが、特にシェリング哲学では持続しつつ内在する力が徐々に高まることも意味する。政治・哲学用語では、政治的な意味での健全な共同体の生命力が徐々にパワーを高めつつゼロサム「赤の女王」に抗って持続し発展することを意味する。https://note.com/toxandoria2/n/n71729a662785

そして、興味深いのは、この「ヒトの身体の様々な側面の一つだけが全ての場面で適切な定規になるということではない=身体化された知覚身体的な定規という点こそが、近未来に実現すると予想される「AIアンドロイド」(Cf.↓◆)と「オミクス生命論の下で生きるヒト」の間における「知覚に基づく意識」の根本的な差異ではないか?と考えられることだ(オミクスについては、後述する【注記】生体内オミクス環境(生体オミクス医療研究におけるオミクス)とは?を参照乞う)。

想定上の完全AIアンドロイドはなぜ胡散臭いのか? それは「アナログ/自然計算(“暗黙知”ワールド?)」と「デジタル/AIディープラーニング(“形式知”抽出マシンワールド?)」の溝の深さによる?(仮説)https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2019/09/02/125003 

・・・映画『エクス・マキナ(2016)』の画像↓は、https://deskgram.net/p/1965314503818192166_13432762 より

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―自然計算は情念の海に浮かぶアナログ「暗黙知」ワールドのエルゴンー

・・・アナログ・デフォルトモードフラッシュは、多様性に満ちた自然・社会環境に潜む「暗黙知」のスタート・プラットフォーム・・・

・・・エルゴンは、W.フンボルト(19世紀、プロイセン時代ドイツの言語学者)の用語で、普段は休眠状態にある「±」または「善・悪」など、そもそも両義的な性質をもつ情念or表象のことだが、リアルに活性化するとそれら両者の何れかを表現する言語的な意識活動となる

近年の生命科学、生化学、量子物理学ら先端科学研究フィールドにおける生命エネルギー論では、たとえばATP(アデノシン酸三燐酸)あるいは生体中の微小管(microtubule)などにおける、ヒトの意識プレ生命エネルギー(たるエルゴン)の(おそらく量子論的な?)関係性が注目されつつある(Ex.@R.ペンローズ、Cf.↓★)。

★コンシリエンス的“想像力”に因るリアリズムの復権と自覚が必須!/ バシュラール「形式的想像力・物質環境的想像力」と深く共鳴するマクダウエル「リアリズム倫理学」の核心(第二の自然)https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/09/01/165255

また、そのエルゴン(ergon)の語源(古代ギリシャ語)は、労働、仕事、行為などの意味であるが、ここでは稼働エネルギー(現実態/エネルゲイア、energeia)へ展相(Potenz)するより前の「±の両義的な潜性可能性、i.e. 潜勢態/デュナミス潜在性の可動態」を意味することになる。そして、「エルゴン空間」は善悪の評価とは基本的に無関係な生命力そのものに匹敵する自然の摂理と見るべきであろう現代に先駆けて資本主義の根本に係わるこのような懸念に早々と気付き、記念碑的な問題作とも見なされる『蜂の寓話』(1714)で警告を発したのがマンデヴィルである(なお、当マンデヴィルの問題点については第2章で又ふれることになる)。http://park.saitama-u.ac.jp/~yanagisawa/kagawa04/mandeville.html https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2019/12/02/063303

◆【ポスト・シンギュラリティの哲学】ユク・ホイ(香港在住で新進気鋭の国際的哲学者)『再帰性と偶然性』(青土社)https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784791774463?rec_tp=1&us=dtl&um=rec&uc=ItmRec …kinokuniya-webより部分転載↓

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・・・[出版社内容情報]ポスト・シンギュラリティの哲学/フィードバックシステムをそなえ限りなく有機体に接近した機械に取り込まれて、私たちはいやおうなくシンギュラリティに推し進められていく。果たしてそのような未来は一直線の道路なのか? それとも潜在的な可能性を含んだ豊穣な分岐たり得るのか? ユク・ホイは後者に賭けるために、偶然性を呑み込んで必然性と化す機械の中に飛び込み、そこから再び偶然性を奪還しようとする。それは唯一のシステムという幻想(シンギュラリティ幻想←AI‐DLアルゴリズムが神になると見て、これを煽った?のがユヴァル・ノア・ハラリ/補記、toxandoria)を粉砕し、宇宙と技術の多元性に向かう可能性が秘められているからだ。21世紀の思想史に名を刻むであろう哲学者の思想が凝縮された待望の邦訳。

【注記】対概念である「暗黙知」と「形式知」は共にマイケル・ポラニー(1891-1976/ハンガリーの物理化学者・社会科学者・科学哲学者)が提唱した概念。・・・「暗黙知」は言葉や数式に置き換えて表せない知であり(∵それは、身体化された認知なる情念の海に浮かぶから!)、「形式知」は客観的な言葉や数式に置き換えて表すことが可能な知と定義できる。この両「知」の差異の問題は、特にAI(ディープラーニング/DL)をビジネス・製造・軍事・医療・教育・司法・行政支援等で具体的に利・活用する場面で非常に重要な意味をもつ

(自然計算と南方熊楠の先見性)

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          (↑南方熊楠の画像はウイキより)

自然計算の全体像を論理的に説明するのはなかなか難しいが、日本では南方熊楠の「やりあて」を始めとして、特に医学の世界では経験的(あるいは殆ど無意識)にそれを使ってきている。

【注記】博物学者・南方熊楠の研究手法「やりあて」の実績・・・おそらく、南方熊楠は無意識に自らの脳の働きを一種の特殊な自然計算と見立てた上で、その「やりあて」と命名した手法で、自然計算のハーネス(調教)的な使い方を自らの研究活動の成果に結びつけていたと考えれれる。「やりあて」による熊楠の研究成果は、例えばネイチャー誌に掲載された熊楠の論文数「約50報」がそれであり(日本人最高記録保持者)、この実績は未だに破られていない(出典/https://bit.ly/3lT1pZD)

ところで、鈴木泰博氏(名古屋大学准教授)によると、自然計算の応用事例としては、例えば「幼児性中耳炎(好発は 2 歳)の治療(炎症の原因菌と戦う常在菌を選抜し両菌を混在させた上で後は“武運長久”祈願! として敢えて放置する治療戦略が成功している)」こと、あるいは「最新のがん免疫療法」などが挙げられる(出典:自然計算/201505人工知能30巻3号https://www.ai-gakkai.or.jp/my-bookmark_vol30-no3/ )。

因みに、同じ鈴木泰博氏は自然計算を詳細に論ずるのが難しいのは自然計算ではアルゴリズムを与える主体と計算を実行する主体が同じになって しまうことに因ると説明している。それは、仮に生命現象を含む“森羅万象”(自らが<神>同然であることを自負する?かの安倍晋三氏のことではないが!)に関わる自然計算のアルゴリズムの全指定ができるプログラマーがもしいるとするなら、もはや彼は人間が神と同然化したとも言える存在であるだろうからだ。

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しかも、これは「ヒトの感情とAIの感情もどき」の間に横たわる『不気味の谷』(ロボットを人間に近づけていくと、ある地点で急に違和感や嫌悪感をもつようになる心理/↑画像:https://bit.ly/3mccQvP)とも重なる問題になると思われる。

が、それどころか現実はおそらく「リアル・アナログ世界」と「デジタル世界(コンピューター上の抽象化で実現するAI抽象化デュナミス潜性態の世界」が完全一致する(ハラリが言うところの『AI‐DLアルゴリズムが神になる』)とは思えないので、おそらく人文「知」による何らかのルネサンス的な新たな知恵(クワイン、マクダウエル、ガダマー、あるいはメイヤスーら“意味の全体論”の立場の更なる先にあるetwas?)が創造されなければ、むしろ『リアリズムの危機』とすらなりかねないだろう

また、例えば「電気化学的勾配によるカルシウム・イオン、又はホルモン・酵素等の“内分泌系”情報伝達物質の脳など生体内における移動・伝播の動き、または細胞蛋白質や細胞小器官らの間における情報伝達的かつ物理的な橋渡し役を担う細胞骨格(マイクロフィラメント等(直径で約約5~9nm以下の驚異的なマイクロ・スケール!/1nm=“1/10憶”m=“1/1千万”mm)という超微細組織の働きなど、我われ自身の体内にも実に驚くべきミクロ・リアリズムの世界が存在している。

また、「もしプラトン的な観念が不在であれば数学の概念を我々は理解できないはずだ」との見解や、あるいは「我われの周囲には量子力学を用いて説明できる現象が偏在している」との見解など、これらR.ペンローズ(英国の天才的な数学者・理論物理学者/1931- )の注目すべき主張を裏付ける観測的な事実が明らかとなりつつあること(https://bit.ly/3LSmxJX 、https://bit.ly/3zb3A2J )や、同じくペンローズが強い関心を寄せる重力(量)子(これは未観測!)と生命体(特に脳の働き)との関係性?などの問題もヒトの脳と意識(心)の作用を構成する重要なファクターであると考えられる。それ故、特に脳の全ての働き、i.e.ヒトの意識の問題についてはAI‐DLアルゴリズムだけでシミュレーション的に説明することはできないだろう。

従って、この様なことに加えて「そもそも脳のニューロン・ネットワークを模したAIディープラーニング自動計算には、それが、主に一定の限界があると見るべき“ビッグデータを利用したベイズ推計”によるという現実もある」ため(https://bit.ly/3wW0OfU)、そのトータルが殆ど「暗黙知」的な「自然計算」とAIディープラーニング自動計算との間には大きな落差(断絶)があることが理解できる。

そもそも宇宙の銀河数1,000億個を超えるともされる莫大なニューロンの規模(厳密に言えば中枢神経全体の神経細胞の数、https://bit.ly/3wWXOjG)に加え、そのニューロンが数え切れぬ程のシナプス(イオン系、化学系、混合系から成る規模)などの問題が存在するため、脳内の情報処理ネットワークを、AIディープラーニング自動計算(ビッグデータ+ベイズ推計)で100%再現することは到底不可能と思われる。

仮に、「DNA量子コンピュータ-↓◆やイオントラップ量子コンピュータ/https://bit.ly/3GrTego」らの超巨大な量子記憶デバイスが実現したとしても、今度は、それらによって「デジタル・シミュレーションで創造する抽象世界」と「地球自然環境が包摂する暗黙知に因るリアル日常の生命世界(ヒトを含む)」との間の断絶を解消することは、(仮に近未来において実現するとしても、人類が、ユク・ホイの指摘する<生のアナログモーダルな『再帰性と偶然性』>を捨てぬ限り、i.e.< ヒトが地球型の人間であること>を諦めぬ限り、それはまったく無意味なものとなるだけであろう。


◆“成功”は同慶の至りだが相変わらず格差(AI生産性Vsヒト生産性)解消(適正交換)の手法の開発が放置の儘では片手落ちでは?/Cf.↓♨ →世界初、群れで作業をする分子ロボ(駆動系=DNAコンピュータ)を開発、実働に成功=北大など426 MITテクノロジーレビュー、https://www.technologyreview.jp/n/2022/04/26/274442/

[関連参考]データサイエンスの発想?医学・金融等のプライバシー保全の技術性評価と思われるが、一歩誤れば(=市場原理主義ヘ過剰傾斜すれば)解釈学的循環によるポテンツへの希望 i.e.アナログモーダルな人間性の視座を捨て更に格差拡大等のリスクが高まる!→なぜ今、AIのため合成データが必要か?616MIT.Rev https://twitter.com/tadanoossan2/status/1537356172751405057

・・・

なお、このような意味での自然計算はフランス科学認識論の哲学者、G.シモンドン『個体化の哲学』(叢書・ウニベルシタス)の“ミクロから宇宙規模のマクロにおよぶ大自然世界における相転移の問題意識”の連続リアリティの概念にも重なると理解できること)および個体生命内の「ATP/アデノシン酸三燐酸(動植物に共通の個体内における生命エネルギー通貨)」創造の謎の問題とも深く関わると考えられるが、此処でそれらを深堀りする余地はないので、以下に事例◆を列挙するだけに止めておく。

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シモンドン(Gilbert Simondon/1924 - 1989)、個体化の理論を提唱したフランスの哲学者/↑画像は、https://bit.ly/3NyOZ50 より転載)によれば、ミクロ~マクロに至る世界の総体は<存在の特定の相(情報、形相、特異点)>という概念に比肩できる。これは「相転移の閾値(特異性)で繋がる一定の系が強度intensitéとしての情報が連続する多層構造(?・・・超ミクロスケール~量子物理学スケール~物理・化学スケール~オミクス生命論スケール~宇宙論スケール~超マクロスケール・・・?)」ということを意味する。今もって重力と磁力の本性が未解明であることを連想すると興味が尽きない!/参考資料:ジルベール・シモンドンとジル・ドゥルーズの「特異性」の概念―「情報」の形而上学的な問い直しのために―堀江郁智(日本学術振興会 特別研究員)http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/manage/wp-content/uploads/2018/04/88_6.pdf

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◆【ATP合成酵素分子モーター人間の場合、ATP合成酵素はミトコンドリアの内膜にあり、水素イオンの流れでATPを作っているが、その役割は発電所の仕事に喩えることができる)のメカニズムは解明されつつあるが、なぜ、あらゆる生物が簡単な機構ではなく、複雑なナノモーターを使用しているのか?は未解明である!その回転には何らかの宇宙的な普遍性があるかも!?/京都産業大学、総合生命科学部 生命システム学科 吉田賢右教授https://www.kyoto-su.ac.jp/project/st/st11_06.html 】・・・Cf. 「分子モーター」を人為的に回して「ATP」の合成に成功(基礎研究最前線)伊藤博康(浜松ホトニクス(株)筑波研究所研究員(専任部員))戦略的創造研究推進事業「タンパク質分子モーターを利用したナノメカノケミカルマシンの創製」研究代表者 https://bit.ly/3lS4RUv 

(注目すべき、ローレンスW.バルサルーのアナログモーダル・シンボル理論)

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同じく、レベッカ・フィンチャー-キーファー(ゲティスバーグ大学/心理学教授)著・望月正哉ほか訳『知識(メタ認知知識・メタ記憶≒意識)は身体からできている/身体化された認知の心理学』(新曜社)によると、ローレンスW.バルサルー(‪Lawrence W. Barsalou‬/米国の心理学者・認知科学者、英グラスゴー大学在籍)は、伝統的に「AI知識表象/人工知能」研究の中核と見られてきた「物理的シンボルシステム(非感性的シンボルシステム仮説/ PSSH )」(ある知覚、例えば椅子を見た意識経験は、その椅子の各部分の<特徴>である座面、背もたれ、脚などに分解されたイメージ(アルゴリズム分解のイメージ特徴量)として長期記憶に保存される)を批判し、人間的な「アナログモーダル・シンボル理論/PSS」(ある知覚、例えば椅子を見た意識経験は、その椅子の全体イメージが長期記憶に保存される)を提唱している。

[関連資料]概念の流動性について、On the Fluidity of Concepts:松香敏彦 千葉大学/川端良子(同)、Keywords: concept, category, context,perceptual symbol https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsai/31/1/31_67/_pdf

結局、(AI設計等に関わる詳細の議論を省いた、かなり大雑把で直感的な表現となるが)ヒトの意識は、今まで「AI知識表象」研究において「物理的シンボルシステム(非感性的シンボルシステム)仮説」が理解してきたような、言い換えればAIディープラーニングが補足するビッグデータによる<特徴量>の集積の如きものでは決してあり得ず、むしろバルサルーが提唱する「アナログモーダル・シンボル理論」にこそ、より馴染むものではないか、ということになるだろう。

それは、生命のエルゴン空間を漂う存在たる「オミクス生命論」的な意識と情念(感情の海)を持たないAIアドロイドならぬヒトにとっては、絶えず共感し合えるブラウジング意識(情念の海に浮かぶマルチモーダル・ブラウジング効果)を共有しつつ、一回性の日常を生きるのが紛れもなくリアリズム(現実)であるからだ

[補足]当記事における「モダリティ(modality)、モーダル(modal/モダリティの形容詞形)の定義について(インターミッション)

・・・ある程度大分の辞書を調べれば分かるが、modalityの意味は“様式、形式、物理・科学・数学等の法(法則)性”、規則(性)などと書かれている。従って、(具体的に見れば)例えばAI‐DLのモーダルは同アルゴリズムであり、医療分野では医療機器の種類やタイプを表す言葉(厳密に見れば、それらを稼働させるよう特化された個々のソフトやアルゴリズム等の法則性)として「モダリティ」(の用語)が使用されている

・・・
だから、生命個体であるヒトやサルなどの霊長類も何らかのモダリティ(モーダルな法則性)によって、意識を含む凡ゆる活動が行われていると考えるべきだろう。例えば、ヒトとサルに共通する一定の意識活動の例として、特に近年において注目されるようになった「ミラー・ニューロン」の問題がある。これは、Rizzolatti( Italian neurophysiologist/
University of Parma)らの研究によってサルの腹側運動前野および下頭頂小葉で見つかった<自分が行為を実行するときにも他者が同様の行為をするのを観察するときにも活動するニューロン>である。単に行為の視覚特性に反応しているのではなく、行為の意図まで処理していることが示唆されており、他者の行為の意味の理解・意図の理解などとの関与が提案されている。ヒトの相同領域でも、ミラー・ニューロンと解釈できる活動が示されている(https://bit.ly/3toW3cS)。

・・・但し、このような<個体生命の意識の問題>など「生のモダリティ」の存在様式の在り方が、医療機器やスマホなど、いわゆるマシン(機械類)のモダリティ(モーダル)とは単純な比較を許さぬ多様性と複雑さ(というか、異相性 or 異端性 or ある種の無限性 or 偶然性の必然性(Q.メイヤスーの用語)というべきか?/その意味では“生命の究極の特異性”とも見える数学的でありつつ、かつ経験に対し開放的な性質)を帯びている現実があることについては論を俟たないと考えられる。

・・・

[補足]宗教学者・井上順孝氏は「他者の行為を自分の行為の如く脳内で再現するミラーニューロン」(その自閉ループ感染は恰も洗脳?)には「宗教儀礼や諸実践の動きの理解に新しい地平をもたらす、恐らく最も原初的な宗教に関わる何かの発見の可がある」と指摘する(Cf.↓◆/et ガダマー『地平の融合』:後述)。https://note.com/toxandoria2/n/ndf2a223ea56c
 
◆1「ミラーニューロンの謎の力」ブログ宗教文化の網の目(宗教学者・井上順孝)、https://syukyobunka.hatenablog.com/entry/2021/04/07 
 
◆2/関連記事「フェイクニュースの感染力」ブログ宗教文化の網の目(宗教学者・井上順孝)https://syukyobunka.hatenablog.com/entry/2020/12/09 
 
◆3/関連記事「カルト問題の根深さと複雑さの背景」ブログ宗教文化の網の目(宗教学者・井上順孝)、https://syukyobunka.hatenablog.com/entry/2021/10/13
・・・

この点で、いわゆるシンギュラリティ論は、それ自体がマッドサイエンティスト風の“異相性 or 異端性”を帯びているように思われる。(苦w)

・・・それは、ヒトを初めとする個体生命のモダリティが(それは特にオミクス生命論の意味からも明らかだと思われるが)、その生命個体を包摂する地球の自然環境(最広義のinvivo環境)に支持されているからだ(いわゆるマシン(機械類)のモダリティ(モーダル)は、その両者の関係が決定的に断絶している)。

・・・言い換えれば、例えば、特に「ヒトの意識」に代表される生命活動は「自然環境の暗黙知(自然計算)」に深く支持されていると思われるということだ。従って、当記事の「アナログモーダルなヒトの意識」という表現における「アナログモーダル」は、そのような意味を含意することを前提とした言葉として使っている。また、この「自然環境の暗黙知」の問題は、言語学における「選言説(論)」とも関係するが、これについては、別途、当記事の終わり辺りでふれることになる。

・・・

ともかくも、更に敷衍すれば、おそらく「この広大な宇宙の片隅にある、とてもちっぽけな?(果たして、そう言えるのか?/苦w)銀河系、i.e. 太陽系が属すこの「天の川銀河」の中の地球において、よしんば“これがミンコフスキー空間(=同・時空の↓画像は、https://note.com/toxandoria2/n/n4ea0f2eba0e6 から)の中でのファンタジーであるとしても”、我われは「ほぼ同じ時空にいる!」というユクスキュル環世界https://bit.ly/3wWXi3V)の中でほぼ同様に協働・作動し、共感し合えるブラウジング意識マルチモーダル・ブラウジング効果)を共有しつつ、潜性イノヴェーションリアル日常デュナミス生産性・可能性/↓◆)に満ち溢れた「一回性の日常」を生きる我われヒト(および全ての地球型生命)の存在は、それだけでも奇跡的なことだと言うべきかもしれない。

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つまり、それは奇跡の『地球自然環境』及び内なる“感覚・感情を含む生命環境”そのものがリアルな『生命倫理』の湧出源!であることを意味する。そして、その『生命倫理』は地球環境の破壊、i.e.“タナトスの闇が導く『戦争のリアリズムの対極!になる

◆【QT/短期間で1/10以下の価値に!】は『市場原理主義』以上に“生命倫理&潜性イノヴェーション/リアル日常のデュナミス生産性”を無視する名バカりステーブル妄想、AI‐DLアルゴリズム万能の狂信が白日化したから? →ステーブルコイン「テラ」暴落 なぜ?529NHK https://twitter.com/tadanoossan2/status/1530642543276609536

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・・・関連/【内向化する闇の情念(負のエルゴンたるタナトス)が激烈に渦巻く非人道の極み!“生命倫理”完全無視プーチンの象徴的な存在】それが「ワグネル 影のロシア傭兵部隊/プーチンの影の軍隊… 無論、ワグネル・メンバー自身の人権も端から無視!すっかり目が血走ってしまった日本をはじめとする欧米側“産軍複合体”らもコレ、i.e.自らの内部にも巣食う<両義的「エルゴン空間」の諸共の破壊>なる愚挙・醜行を反面教師とするべき!」NHK/BSドキュメンタリー518 (“Wagner, Putin's Shadow Army” by Amandine Chambelland – CAPA – for France 5) https://www.youtube.com/watch?v=ue7HkPE007g /再放予601、

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https://www.nhk.jp/p/wdoc/ts/88Z7X45XZY/episode/te/3KY1ZPV423/

―「ビックバン以降のヒックズ機構」の下における“時間の矢”の問題ー

・・・ビックバン以降のヒックズ機構こそが<“時間の矢”とヒト(情念の海に浮かぶ個体生命)の“一回性”を繋ぐリアリズム>の証人!(当内容は、特に下のブログ記事二つと深く関係する)・・・

・・・

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世界的に著名なフューチャリスト(未来学者)であるF.R.ヨンク(F.Richard Yonck/↑画像は、https://futurist.com/futurist-think-tank/futurist-richard-yonck/ より)は、著書↓『Heart of the Machine : Our Future in a World of Artificial Emotional Intelligence/‐Arcade Pub‐』(未邦訳)で、↓次のように語っている(wired.jp『MASANOBU SUGATSUKE-AWAY FROM ANIMALS AND MACHINES2019.02.18 :AIが感情(情念)を理解する日はやってくるか?』より部分転載/一部、+toxandoria補記)。 

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☞  そもそも「地球自然環境(および生体内オミクス環境、et 両者の無限の関係性/補、toxandoria)との関係が深いと見るべき感情や情念と基底で繋がる、というよりほぼ一体化しているヒトの知」「その意味での内外環境との多様な関係性が完全に断絶している(補、toxandoria)AIの知」全く異質なものなので、AIは感情や情念(内・外両受容“感覚”の情動化)に基づいた判断はしない。(因みに、地球自然環境の内外ではエンドレスの偶然(一回)性の連続と散逸構造が自在かつ無限に錯綜している/補、toxandoria)

遠い将来、感情モドキのAIに感情移入するヒト(ヒトもどき/補、toxandoria)の出現はあり得るかも知れぬが又、それでも個人差があるはずなので(補、toxandoria)、結局は個々のヒトビックバン以降のヒッグズ機構の“時間の矢”の下にある、i.e. いま存在している人類(補、toxandoria)が何に幸せを感じるかの問題になる、と思われる![〈AIが感情を理解する日はやってくるか?/連載『動物と機械からはなれて』(部分抽出、転載)] WIRED.jp https://wired.jp/series/away-from-animals-and-machines/chapter4-1/ 

因みに、我われのリアルなアナログモーダル意識は時間の矢の流れから外へ決して脱出することはできないので、近年は『我われが日常で意識するリアルな自然現象の範囲においても「量子力学的な非局所性/非局所実在論的な観測結果」が確認されたという報告も出始めている』ようだが(とはいっても、それは未だナノスケールのことであるようだ!?)、時間の矢の流れのなかで生き続ける我われの日常においては、換言すれば因果に支配される此の「理由の空間」においては、所定の確定した「結果」が古典物理学的(局所実在論的)に根底から覆ることはないし、その意味で時間の矢が破れる(時間が瞬時に逆転し、もう一つの局所実在のリアルが目前に出現することなどはあり得ない(大ウソが大好きなポストトウルース派の安倍晋三・プーチン・トランプ氏らに対しては誠にお気の毒なことだが!w)。

注記ヒックズ機構・・・橋本純一郎「空間は実在するか」-インターナショナル新書-によれば、この宇宙に存在する質量を持つ物質は、宇宙の始まりから存在したのではなくビッグバン後の<ヒッグズ機構の作動>という後天的な出来事で生まれた。そして、この「ヒッグズ機構」は、2012年7月4日に“CERNの2つの実験グループ”が「ヒッグス粒子」を発見したことによって確実視されることとなった(https://go.nature.com/3BbHrjL)。また、ヒッグス粒子を発見したアングレールとヒッグスは、2013年度のノーベル物理学賞を受賞している。https://editor.note.com/notes/n4ea0f2eba0e6/edit/

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【注記】生体内オミクス環境(生体オミクス医療研究におけるオミクス)とは?・・・オミクス医療(Omics-based Medicine)研究はオミクスOmics情報を駆使して、疾患の予防、診断、治療、予後の質を向上することを目指す医科学研究の名称。又、オミクス情報とは網羅的な生体分子(ナノメートル(凡よそ1㎜の100万分の1)前後の世界)の情報で、具体的にはゲノムGenomeやトランスクリプトームTranscriptome、プロテオームProteome、メタボロームMetabolome、インタラクトーム(分子間の相互作用https://www.yodosha.co.jp/jikkenigaku/keyword/2797.html)、又はセローム(分子と細胞の間の階層構造、https://andtech.co.jp/books_detail/?id=1524))と呼ばれる、様々な網羅的な分子情報を纏めた情報、知識、集合のこと・・以下、省略・http://omics.jp/about-omics 下記◆も乞参照。

◆オミクス(オミックス、オーミックス)について/バイオコラム:オミックスより(一部、転載)、https://note.com/toxandoria2/n/nba47ae28eff6

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<注>画像↑は、クイーン・メアリー・センターのHPより転載/クイーン・メアリー・センター・フォー・ザ・ヒストリー・オブ・ザ・エモーションズは、感情の歴史に特化した英国初の研究センター。https://projects.history.qmul.ac.uk/emotions/ 

・・・人間が「地球自然環境」で包摂されつつ生きるヒトである意識と情念を持つのを諦めぬ限り、相変わらず人間の世界(人間社会)では「ヒトの意識と情念」に役立つ開放系のプラットフォーム(platform)が必要であり続けるだろう(カルト or AI‐DLではコレが閉鎖系!)。・・・

・・・以下は[AIに感情(情念)を通わせるのは想像以上に難しく不可能かもしれない/20181207GIGAZINE https://gigazine.net/news/20181207-ai-emotion/より部分転載・・・

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英国(クイーン・メアリー・センター)の感情言語科学の研究者であるリチャード・ファース・ゴッドビーヒー博士(Dr.Richard Firth-Godbehere/Centre for the History of the Emotions(London)/画像↑は、https://cosmicshambles.com/bookshambles/richard-fg より)は、AIが人間の感情(意識)を読み取ることは想像以上に難しいのではないかとの見解を明らかにしている。

ゴッドビーヒー博士によれば「感情(情念)とは動的なもの(ミクロ・マクロの内外環境と共鳴し続けるオミクス生命論的な概念流動/補、toxandoria)」であり、人間の脳はこの動的なもの(マッハ感覚論的素材性でもある/委細、後述/補、toxandoria)を柔軟に捉える能力にたけている

これに関してゴッドビーヒー博士は「コンピューターの記憶(保存データ)事実(デジタル抽象化情報のトークン)を完璧かつ確定的に保持できるものではあるが、柔軟性(情念の海に浮かぶオミクス生命論的な意味での概念の流動性/補、toxandoria)がないゆえに、場合によっては相反する事実に折り合い(例えば、生命倫理的な意味での)をつけつつ結合させるというような作業は苦手である!」とも述べている(例えば戦争を回避するためのヒントも此の点にあると思われる!/補、toxandoria)。・・・ここで転載は終わり・・・

コンピューター上の抽象化情報はデジタル・ナルシス(西垣 通)、あるいは AI抽象化デュナミス潜勢態(情念の海の感性を帯びた生命体であるヒトにとっては、それが《概念の流動性》と断絶した抽象化(例えば、《表象の政治学》上の病理)である限り、それはあくまでも可能性の次元に留まるもの/明治大学大学院教授・大黒岳彦氏(哲学・倫理学))である。その具体例は「(1)AI‐Webの検索」や「(2)AIディープラーニングが抽出する特徴量)」等であるが、 いくら大量のデータを使って鍛えても、ヒトと全く同等の“生”の水準でAIが動的(ヒトの生命活動的)な感情をパーフェクトに正しく判断することは、難しいと言えそうだ。cf.[参照資料]『AIに感情を通わせるのは想像以上に難しく不可能かもしれない』Dr. Rich Firth-Godbehere/Centre for the History of the Emotions(London) ・・・https://projects.history.qmul.ac.uk/emotions/

<注>AIディープラーニング(DL)の特徴量などは「AI抽象化デュナミス潜勢態」(orデジタル・ナルシス)であり、それとヒト(情念の海に浮かぶ)の間には断絶(絶対的な壁)がある!それどころか、既述したとおりのことだが此のデジタル・ナルシス(AI抽象化デュナミス潜勢態)はヒトのアナログモーダルとリアル生命そのものに寄生し易いという厄介な性質を帯びている。つまり、あくまでもAIは“両刃の剣”的な道具(技術・ツール)のジャンルなのである(参照 ☞ http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180701)

例えば、DLの特徴量は、確かに「ある事象の典型パターンの一部」の抽出(ベイズ推計での予測的な)ではあるが、それは一定の想定された巨大空間(≠一般の統計学における母集団)における特定の現象に関わるベイズ推計上の確率の大きさ(抽象的推測値/一定の“形式知”に馴染む範囲内の特徴量であるのに過ぎぬこと)を意味するに止まる。

従って、そのDLの特徴量は、「それ以外の残余」の現実(時間の流れに沿う無限の因果で全方向の空間へ繋がるリアル現象(マッハ感覚論的素材性、i.e.エトノス&感情の海を漂うエネルゲイア)が“大数の法則”の謂いで関わる一定空間/公理的確率により構成される確率空間の全体母集団の意味での全体)、言い換えれば「絶えず地球の自然エトノス&生命環境と同期する“暗黙知”が持続的に創生するアナログなリアル世界の全体」を示すものではない(“暗黙知”と“形式知”に関連する委細は後述)。

なぜなら、ビッグデータの機械(自動)計算処理プロセスでは、アナログ暗黙知が優勢なリアル現象トータルの殆どが“形式知”に馴染む抽象的推測値を集約(推計)する機械(自動)計算の過程で(オミクス生命論を無視するベイズ推計の原則に従い)切り捨てられているからだ。

このことを、より厳密に言えば「AIディープラーニング(DL)は、<論理的に説明ができない深層学習プロセスの部分で、その処理に関する暗黙知の部分をソックリ自らの内部に吸収(内部化/厳密に言えば内部に“内生”している(あくまでもリアル暗黙知の宿主であるヒトと徹底的に断絶した儘で、謂わば“全体の意味”から切断された遊離デジタル抽象化して、不条理に(諸矛盾を抱え込んだ状態で)寄生(i.e.恰も“生きたアナログ生命個体であるヒト”に寄生する『デジタル寄生』虫化!)することが出来るので、それに関しては形式知化する必要がない>ということである。

だから、そもそも“長所であったはずの”DLの特徴量=ビッグデータの機械(自動)計算処理プロセスの成果“が根本的な弱点とも見えることがある例えば、「セル生産工場」の現場(作業者一人が受け持つ範囲が広い生産システム)では、その製造工程のDL調教のために、改めてQ&A構造化した自然言語データベース(選言論の外部環境に相当する)と組み合わせるなどの工夫が必要になる。(野村直之『人工知能が変える仕事の未来』‐日本経済新聞社‐) 

【注記】セル生産方式とは?ライン生産との違いやメリットを解説20190610ロボット導入com.・・・単一の製品を大量に製造できる「ライン生産方式」は、これまで日本の製造業を発達させてきた。しかし、現在の製造業は大量生産ではなく、多品種少量生産の時代。ライン生産方式は生産品目の柔軟な変更に適していないため、この課題を解消できる「セル生産方式」へのシフトが進んでいる。https://www.robot-befriend.com/blog/cellular-manufacturing-system/

(アナログモーダル・シンボル理論とマッハ感覚論的素材性の関係性)

・・・カルト、AI‐DL“内生化”らの“ヒトの意識”(宿主)への寄生を許さぬ「リアリズム倫理」が必須となる背景と見るべき、「AI・DL‐Web情報」と「リアル社会情報」の根本的な差異の問題・・・https://toxandoria.hatenablog.com/entry/20180701/p1

 その前提には、先ずa「あくまでもヒトがリアルに生きている文脈的世界の一環であるデータ(一般的な意味での抽象性とは異なるマッハ感覚論的素材性)の暗黙知」b「機械言語上の情報知(抽象的体系性)」、の「断絶/アポリア」ということがある。

a「あくまでも“内外の感情の海、アナログモーダル空間(紛れもなく自然世界の一部でもある流動概念的な意識空間)を漂うヒト”がリアルに生きている文脈的世界の一環であるデータ(一般的な意味での抽象性とは異なるマッハ感覚論的素材性)の暗黙知」

b「“ヒトの意識と断絶した電脳空間”上の“アルゴリズム or 物理”的データたる機械言語上の情報知(抽象的体系性)」

aとbの両者は、アリストテレスの潜勢態(デュナミス/dynamis)現勢態(エネルゲイア/energeia)に対応する。なお、その潜勢態(可能性でもある!)を完全に実現して、その目的に到った状態のことはエンテレケイア(entelecheia/プラトンのイデアに匹敵する)と呼ばれる。

そして、より詳しく見ておけば、今や我われは[(1)リアルアナログ・モード:社会活動的な意味での間主観性が日々に更新され続けるリアル側面に相当する、一定の文脈的世界の一環たるマッハ感覚論的素材性(エトノス&感情の海を漂うエネルゲイア)(2)抽象デジタル・モード:巨大AI・DL‐Web情報&データベース型汎“知”が時々刻々と更新し続ける新たなクラウド世界(増殖し続ける抽象的データ・デュナミス)(3)エンテレケイア・モード:ルソー「一般意志」に相当する普遍観念(絶えざる未来志向の理想)]という、日々に我われが生きる環境世界のリアリズムに関する三つのフェーズを明確に意識しつつ生きるべき時代に入ったといえる。

なお、例えば下の記事◆で“反面教師的”教材の意味で取り上げた東 浩紀『一般意志2.0』の如く、その筋の専門家でも「(1)と(2)」を混同するケース(マッドサイエンティストもこのジャンル?)が観察される。ともかくも、一般的には(1)、(2)、(3)が区別されず漫然と混同されているようだ。(以上についてのヒントを与えてくれた主な資料:大黒岳彦『情報社会の哲学』(勁草書房)、p316・注記 ほか)・・・https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784326154388

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端的に言えば、a「リアル社会情報=パースの“トークン”(関連参照↓◆)が代表する社会の潜在的な諸活動(潜勢態/エルゴン/ergon)が日々に創造するリアル因果の連鎖=時間の流れに伴い永続更新するマッハ感覚論的素材が紡ぎ出すリアル現象」、および b「Web情報=Webネットワーク内のデータ分布(ビット&抽象情報化した各データは一定のリアル文脈構造から切り離されている)が拡張しつつ創造する無限のヴァーチャル構造/巨大AI・DL‐Web情報&データベース型汎“知”DBが構築し続ける電脳空間」、として<根本的にaとbを対比して見る>ことで、これらの両者が決定的に「断絶」していることの理解が可能となる訳だ(前段の文脈で言えば、(1)と(2)の断絶ということ!)。

◆ボディーブローの逆流となり世界へ拡散する安倍ネオ・ファッショ(というより、これはカルトそのもの!/Cf.↓♨)の恥!/高度Web情報化で本格的「出現」が懸念されるネオ“優生学”ファッショの超リスクhttps://toxandoria.hatenablog.com/entry/20180701/p1

・・・

【補足】NN(ニューロン・ネットワーク)がモデルのAI‐DLブラックボックス物理的シンボルシステムPSSHとアナログモーダル・シンボルPSSの差異(格差)は、喩えれば自然界での「外来種(寄生)Vs固有種(宿主)」なので、前者PSSH(AI‐DLアルゴリズムBlackbox物理的シンボルシステム)は、ヒトのリアル意識PSS(メタ認知知識=記憶)とは全く別物>と見るべき!∴ヒューリスティックな抑制活用の視座が必須では? →「忘れちゃった」を自覚するコンピューター 名大チーム開発622毎日、

https://twitter.com/tadanoossan2/status/1539689031856189440
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1539681706391015424

2 初期啓蒙思想期には周知だった[「情念のマグマ」の超リスク(死への誘惑タナトス/-)と可能性(生への希望デュナミス/+) ]の問題

・・・あるいは、この「初期啓蒙思想期には周知だった『情念のマグマ』から更に一歩踏み込み、<目下の“露プーチン・ウクライナ侵攻”が象徴する「タナトスの闇」>とは『人類共有のエルゴン』(普段は休眠状態にある±または善・悪、真・偽などそもそも両義的な性質の情念を準備する、“身体知”に基づくデュナミス表象)のリアル形象化(インカーネーション)と見るべきかも知れない!・・・

・・・エルゴンは、前稼働態・抽象的死生態(この段階では善悪の判断を伴わない)とも呼ばれる、潜性イノヴェーションの在処の一つ。ヒトの『日常』(i.e.日々のリアル生命活動であるエネルゲイア(energeia)=現勢態・稼働態)は、「エルゴン(ergon/前“稼働態・抽象的死生態”(もう一つの潜性イノヴェーションの在処はエネルゲイア))⇒デュナミス(dunamis/プレ・エネルゲイア/可動態)⇒ リアル・イノヴェーションたるエネルゲイア(現勢態・稼働体)⇒新たに展相(ポテンツ)した エンテレケイア(entelecheia/未生態/理念・理想 or 純粋抽象観念のフェーズ)」のプロセスに支えられている。・・・https://note.com/toxandoria2/n/n4ea0f2eba0e6

(AI‐DX展相どころか靖国“愛国”国体論、i.e.『タナトスの闇/穴クロ“情念のマグマ”』に相変わらず取り憑かれたままの不思議の国、ニッポン!)

「米 問われるバランス」というより、<露プ侵攻=人類共有タナトスの闇!>覚醒の有無の問題!min.此の点が欧米Vs日本(今も露プ仲間の背後霊アベが取仕切る!)の差異かも神社! →米の支援戦略、外交解決視野 露領に届かぬ兵器提供/プーチン追放しない」明言 602朝日 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1532135082869555202

[関連」安倍氏、防衛費7兆円視野:23年度当初予算で主張  et「米バイデン大統領が台湾有事で軍事的関与の発言を歓迎したい!」と表明0526日経https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA26BRG0W2A520C2000000/

[関連]ホントのコト批判した相手の何が悪い?プーチン・タナトス流、口封じの異常論理に酷似!只、自戒すべきはタナトスが各国民も含めた全人類共有の根深い前意識の闇であること! →「QT/君はアベノミクスを批判するのか!」安倍氏怒りの電話で何が起きたか602朝日 <注>ホントのコト=<アベ・タナトス自画像>の政治権力的“投影”で<極貧相化>したJPN、i.e. 「旗艦モスクワ」ならぬ「旗艦アナ黒アベ」の旗印がアベノミクス!ということ。https://www.asahi.com/articles/ASQ615RM1Q5VUTFK013.html

[関連]とすれば、これは「アベ有事」であろう!?オール日本人を巻き込んで無理心中を図るつもり?(関連↓♨)or パックス・シニカ(中華治世)への徒な恐怖心?Cf.必読書=李懐印(テキサス大学歴史系教授)著「現代中国的形成」605朝日Globe 

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・・・以下は、[20220605朝日GLOBE・記事]より「北京大学教員・馬場公彦氏の[李懐印(テキサス大学歴史系教授)著『現代中国的形成』↑]に係わる、主な注釈のポイント」の部分転載。末尾の(  )内の記述は、toxandoria の所見。・・・

●清朝[その領土はモンゴル帝国を除けば歴代最大を誇るが、西洋植民帝国のように対外拡戦争で獲得したものではない]では、藩部からの進貢のほかは自主権に委ね、その巨大版図は中央派遣の官僚組織での統治が行われ、軽微な田賦により財政が末端村落まで浸透し平和と安定が維持された。←(所見/比較史の視点でみれば、ほぼ清朝前期に当たる西欧近世の時代は、現在の市場原理主義のルーツとも見える重商主義政策の時期に相当する。また、この時期は、ほぼ西欧啓蒙思想・発展史の前半にも重なる!)

●平安が破られたのは、内陸危機から海上危機への地政学的変局への対応を誤り、日清戦争に敗北したことによる。清朝は東アジアの宗主権を失い、ウエストファリア条約システム(その本質=重商主義の権益保全?」)に組み込まれた。   ←(所見/ウェストファリア条約の段階は、主権国家が成立していたが、それは各国の君主が絶対的な国家主権を行使する「絶対主義」(絶対王政)であり、明確な国民意識や国境線で区切られた領土、傭兵ではない国民軍、さらに国民主権という概念やその政治機構などを特質とする「国民国家」が形成されるのは18世紀後半のフランス革命に代表される市民革命の時期を待たなければならない。@木畑洋一『国際体制の展開』世界史リブレット54 1997 山川出版社 p.5-7

●その後の軍閥混戦、国民党の北伐、国共合作(一致抗日)は統一を回復するための集権化の模索でもあった。内戦を勝ち抜いた共産党は、ソ連式の統治国家システムと強権支配による統一国家を建設した。が、近代化以降に導入された試用型の代議制民主主義は持続せず、集権独裁に置き換わっていった。このような中国の形成過程により、「現代中国像」はパックス・シニカ(中華治世)と強権国家のヤヌスの顔となっている。  ←(所見/Pax Sinicaは中国主導による東アジアにおける平和な時代を意味する史学上の用語。パックス・シニカの複数の時期を合計すると、仮に漢王朝(前漢)の頃を起点とすれば、それは凡そ2000年超もの長さとなる。)

●南シナ海の九段線(Nine-dash Line、https://artsandculture.google.com/entity/m0gmh4mv?hl=jaにおける領土観、自治区での治安政策にみえる辺防意識などには、清朝辺境国家像の残存がある。大陸の学者と少数民族問題を話していると、貧しい辺境住民の生活を都市部のわれわれが支えているという論法があり、そこには伝統的国家観と近代主権国家意識が同居しているように感じる。西側諸国からの批判が高まっているのは領土問題だけではなく、貿易摩擦、労働市場、知財保護などをめぐっての経済安全保障論議もかまびすしい。当書には、産業開発や企業融資において中央と地方政府が介入し、官僚と企業と社会が一体となって経済建設を推進するメカニズムが書かれており、経済発展の「中国的特色」を知るうえで、有効な事例と示唆を与えてくれる。     ←(所見/当書には、内需や格差の問題などにふれる個所もあり、特に『AI‐DLアルゴリズム時代』の『格差』は、今や世界共通の課題として意識されつつあるのではないか?と思われる。また、中国国務院「中国的民主白書」(2021、年末に発表)の『内在論理』は容易に腑に落ちない点もある。しかし、プーチン・ウクライナ侵攻の余波で、凡ゆる国家を民主主義と権威主義にスパッと分断し、そのパワーポリテクスの顛末を武力戦争で解決し得ると思考するのは感心できない。それでは、何のための歴史経験・戦争経験だったのか?ということになる。例えば、かつて東アジア文化圏の中で飛びぬけた存在感を示したともいえる日本「法学」アカデミズムの伝統(美濃部達吉(戦前)、横田喜三郎(戦後)ら)が、近世から現在までにおよぶ中国の発展(凡そ中華民国政府の成立前後から中国共産党政権が成立する頃までの)に対し、良い意味で大いに貢献した、ごく直近の歴史があることを、明確に意識している現代の日本人は少ないのではなかろうか?/Cf.↓◆

◆世界との関連性を十分に意識しつつ「共和国たる20世紀中国」の憲政をめぐる歴史を俯瞰すると、「“日⇔中憲政”交流史」に透ける日本「法学」の影響力の大きさ(否、かつてはその影響力が大きかったこと!)が浮上する、https://toxandoria.hatenablog.com/entry/20180107/p1

・・・

[関連]忖度?高揚中?の日本国は[QT:断固、中国以外の選択肢も提示可の胆力と柔軟性Cf.↓♨“アジア安保会議の注目点”]を示せ! →侵攻で高揚するナショナリズム、ウクライナの未来 民族の分離独立超える知恵は?地域単位自治、主権国家連合らの知恵を! 中井和夫・東大名誉教授/ウクライナ史609朝日、https://twitter.com/tadanoossan2/status/1535089660162379776

[関連]♨ アジア安保会議の注目点/中国以外の選択肢になれるか?:東大教授・川島真氏(アジア政治外交史)、米中国防会議の実現に期待:ビラハリ・カウシカン氏(シンガポール国立大中東研究所長)、https://www.asahi.com/articles/DA3S15320470.html

♨【QT/露とウクライナの全市民を巻き込み権力者が無理心中を図るが如し!】は正鵠だが此れは何処の国でも他人事に非ず!しかもその動因は彼我が諸共に共有する闇の系譜の情念と見える!「先端AIデジ&核戦力」頼りでなく生のアナログモーダル感性で対峙すべき!https://twitter.com/tadanoossan2/status/1533591139957501957

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短期タカ派と長期安定派(異論民主主義の擦合せ)の区分は慧眼∴カギは中・印・土ら鴨?米:トラ et 産軍複ネオコン、日: #安倍信三(#日本会議=岸田“背後霊”)ら穴クロ軍事大国派は論外! →ウクへの支援 ずっとタカ派ではいられないR.ドゥザット617朝日/NYT

関連/1 a生存権では中・米欧が一致、問題はb多数派(民族?)重視(保護or養護者?)論!だが、bでは“凡そ2千年超のスパンで中日が共有”する、「漢字(表象)文化&歴史」観がカギ!“誤解された本居宣長以降の/続、2、3へ → https://www.asahi.com/articles/DA3S15326476.html

 関連/2 “偏屈・偏狭日本文化論へ異常に拘る日本会議、#安倍晋三 派岸田内閣の背後霊ではなく<真の歴史観に因る日本文化論>の役割が重要となる! →習氏「国際人権闘争、展開を」 米欧優位の価値観へ対抗617朝日 https://www.asahi.com/articles/DA3S15326476.html

 関連/ 3 矢張り“偏狭”日本へ異常に拘る #日本会議、#安倍晋三 派ら、i.e.岸田内閣の背後霊の言い成りではなく[真の歴史観に基づく日本文化]を掲げる、真の日本の役割の発揮が重要! ロシア批判、反応割れるアジア → 英国際戦研所長、J.チップマン氏617朝日 https://www.asahi.com/articles/DA3S15326490.html

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[専断権力”忖度”社会ならぬ視点、ステークホルダー・デモクラシーが必須!+比較表象文化(欧米Vs東亜漢字文化圏)]から、非「ウクライナ型」マクロ分断“共存”のリアル多様性を日本が堂々提示可では?→首相「国際秩序維持を」 力による変更、批判 アジア安保会議611朝日https://twitter.com/tadanoossan2/status/1535474777409867778

[補記]「<アベ、プーチン、北>らに煽られ目が血走った日本国民?は、「覆水盆に返らず!後の祭り!」を忘れたのか!? →(平和憲法の放棄と)「防衛費の増額」は日本が戦争に巻き込まれるリスクをさらに高めるだけだ─英研究者が警鐘611クーリエ・ジャポン https://t.co/0mLASebzAC https://t.co/FmPiugfT34」 / Twitter

(初期啓蒙思想期(17C)は第一次科学革命の時に重なる、又それは近代自由主義の始祖、ピエール・ベールとモラリストの時代)

・・・その後者の視点は、ユク・ホイらの「シンギュラリティ幻想」批判に重なる。・・・

・・・17世紀(初期啓蒙思想期)の欧州、特にネーデルラント辺り(英国、フランスを含む)はモラリストらが活躍し“オランダの光”が栄光を手に入れていた「レンブラントの世紀」(ホイジンガ、https://bit.ly/38W4Yv6)とも呼ばる先進地であった。・・・

・・・ただ、それは科学革命の時代でもあるため、感情と論理の泥試合的な綱引きの場と化した宗教権力への批判の嵐が、その上空で吹き荒れていたことも忘れてはならない。・・・

・・・また、科学知の深化とモラリストの出現は感情と論理の泥仕合の場と化したキリスト教への冷静な批判だが、この視点は「現代の“AI‐DLアルゴリズムこそが唯一の神になるという、あのコンピュータ・システム幻想(ユク・ホイが批判するシンギュラリティ幻想)に対する批判とピタリ重なることに驚かされる!・・・

(ピエール・ベール、モラリストの時代には自由の条件たる“両義性・多義性の視点、i.e.自由には一定の節度が必須!”との自覚があった)

・・・ピエール・ベール、モラリストら“自由故の両義性・多義性の自覚”と“『AI‐DLアルゴリズム時代の自由原理主義』の根本的な差異。・・・

英国の歴史学者ハーバート・バターフィールド(Herbert Butterfield/1900 - 1979)は、1949年の著書『近代科学の誕生』の中で近代の画期として、17世紀を「科学革命の時代」と名付けている。具体的に見ると、それはN.コペルニクス、J.ケプラー、G.ガリレイ、A.ニュートンらによる科学研究上の大きな変革のことを指すが、その影響を受けた哲学上の変化も含め、この時代は「17世紀科学革命の時代」呼ばれることもある。

しかし、この時期の科学者が宗教の頸木、または羅針盤から完全に解き放たれていたと見るのは大きな誤解を生む。例えば、フランスの思想家で「宗教的自由主義」を主張したピエール・ベールはデカルト(René Descartes/1956 - 1650/数学者、合理主義哲学と、近世哲学の祖)の物理学に従って、処女作『1680年の彗星に関する随想』を書いたが、そのデカルトの物理学には“神によって保証された法則”との注釈が付いていた(@平井俊彦/論文『マンデヴィルの人間像(1)/京都大学・経済論叢:第89巻‐第2号』)。

それは17世紀後半~18世紀にかけての欧州「啓蒙思想」期の前半(初期啓蒙思想期)にほぼ重なり、この時代の主な思想家では英国のホッブス、J.ロック、スコットランドのD.ヒューム、フランスのヴォルテール、ディドロ、モンテスキュー、J.=J.ルソーらが先ず想起される。また、それは「聖書・教会、神学、王権」ら諸権威のドグマ(固定観念)から脱し、理性により人間の意思(意識)と権利の「普遍性」を定義し、その保全のための政治体制(民主主義社会)を創造する思想活動であった

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             ピエール・ベール

そこで、マンデヴィル『蜂の寓話(意)』(1714)↑へ大きな影響を与えたという意味で、17世紀フランス“啓蒙思想の先駆け”の思想家ピエール・ベール(Pierre Bayle/1647 - 1706/↑画像はウイキより)について少し触れておく。フランスの思想家ではあったが、そもそも「宗教的自由主義」を主張していたピエール・ベールはカトリックの国であるフランスから、リベラルの空気が濃厚だったオランダのロッテルダムへ移住している。

丁度その頃にロッテルダムのエラスムス学校にマンデヴィルが在籍していた。そもそもベールは、1675年からフランスのセダンにあるプロテスタント系アカデミーの教授を努めていたが、1681年のルイ14世の勅令によって同校が廃止され、フランスにおけるプロテスタ ント迫害が過酷となってきたためフランスを逃れ、オランダへ移りロッテルダムでの教授職を得 て、オランダにおいて著作活動に専念していた

そして、ピエール・ベールがフランスで活躍していた時にほぼ重なる頃からフランスにモラリストたちが現れる

モラリスト(moraliste)は、いわゆる道徳家(moralisateur)と異なる概念(というか、紋切型で厳格な道徳家とは真逆で自由な発想を持つ人々)で彼らの自由な思考は主にエッセイや文学・箴言などの形で表現される感情・感性の要素を重視しつつ一方で大局的・客観的で冷静な視座で論ずるモラリストの思考は人間の日常における意識活動の多面性・多様性を様々な角度から深く思考するという、フランス文化に特有な知的伝統の一つの柱となっている

特に大きな特徴と見るべきことは、それが宗教や道徳の厳正主義(厳格主義/rigorism)から解き放たれた自由であるが故に各人に対して「両義性・多義性」の尊重を求めるという点にある。しかも、そのことから必然的に「その自由には一定の節度が求められる」のでそれは「自由原理主義」ではあり得ない。因みに、モラリストの発祥については諸説があるようだが「フロンドの乱/1648 - 1653」~「アンリ4世/フランス絶対王政の確立期」の間において「既存の政治体制と既成の価値観」(アンシャンレジーム)が崩壊する過程に入ったという点に求めるのが妥当と考えられる

(特に日本で忘れられている、『啓蒙思想初期』の“倫理”に基づく“法の精神”に潜む現代でこそ必須のリアリズムに係わる先進性)

しかし、現代の「宗教的自由主義」は「宗教原理主義」(キリスト教の場合は主にプロテスタント聖書原理主義(聖書(福音)主義))と正反対の立場で宗教的リベラリズムと呼ばれることもあり、それは現在にも繋がる中々デリケートで難しいテーマである。なぜなら、今では「キリスト宗教原理主義」と言えば主に米国のプロテスタント系「エヴァンジェリカルズ(福音主義派)」を指すが、聖書原理主義はカトリック系にも、又は神の唯一性(三位一体否定)を主張するユニタリアンでもあり得るからだ。

例えば、今の米国で「エヴァンジェリカルズ(プロテスタント・キリスト教福音主義派/聖書原理主義派)Vs(宗教的)リベラリズム」の対立の形で現れており、今のところトランプ岩盤支持(約30~40%?)の中核を未だにプロテスタント・エヴァンジェリカルズ(推定総数ca1億人/米全人口の約1/3)が占めている。だから、これはトランプ再選へも相変わらず大きな影響を与える可能性がある

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    第3代シャフツベリ伯爵アントニー・アシュリー=クーパー

平井俊彦/論文『マンデヴィルの人間像(1)/京都大学・経済論叢:第89巻‐第2号』によると、ベールは第3代シャフツベリ伯爵アントニー・アシュリー=クーパー/Anthony Ashley Cooper, 3rd Earl of Shaftesbury/1671–1713/哲学者、道徳研究者/↑画像はウイキより)と同じく、「宗教、理性、人間性一般」の三者は決して対等に適合し得るものではないと考えていたようである。それは、いわば現代的なコンシリエンスの概念の如きであり、強いて言えば「恰も異なる系が部分的に相転移する」ような関係性ということであると思われる。

このことを人文・社会・科学・AI関連知などが深化したと言う意味での“現代的”な理解で更に読み直すと、「宗教、理性、人間性一般」の三者は、夫々が何らかの表象・概念の統合であるから、三者を優劣の比較で認知できるものではなく、これは一般の生物ならぬヒトの意識だけに対する、ある種の特別な賜物、i.e. それは批判実在論(Critical Realism)的な認識の問題であるということになるかもしれない。だから、それはエトノス観念に置き換えることも可能となるはずである。

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           Bernard de Mandeville

同じく同論文によれば、「啓蒙思想初期において特に重要な人物を挙げれば、それはオランダ人でありながらロンドンへ移住(定住)したマンデヴィル(Bernard de Mandeville/1670 - 1733/オランダ生まれ、英国の精神科医、思想家(風刺、散文):主著『蜂の寓話――私悪すなわち公益』で名高い/マンデヴィルの↑画像は、https://www.philognosie.net/wissen-technik/bernard-mandeville-die-bienenfabelより)と、それとほぼ同時期にオランダへ短期滞在した経験をもつシャフツベリーであるが、両者は共に上でふれたピエール・ベールから大きな思想上の影響を受けていたらしい。

ところで、ピエール・ベールの思想で絶対に押さえるべきと思われる枢要なポイントは先ず宗教についての個所であろう平井俊彦/論文(『マンデヴィルの人間像(1)/京都大学・経済論叢:第89巻‐第2号』)によれば、ユグノー(改革派)のベールが実は無神論者だったと見るのは短絡である。

そうではなくベールは「宗教、理性、人間性の三者は何らかの表象の統合であるから三者を優劣の比較で認知はできない」と考える宗教的自由主義(リベラリズム)であったと思われる。又べールは「人間性の自然」という表現で自然の一部である関係性(現代風に言えば、因果の空間)の「個体における一回性の現れ」が人間性の正体だとも説明する

おそらく、ピエール・ベールの「自然の一部としての人間性」という観念は、<政教分離>(政治と宗教の分離の謂いに止まらず、科学(等)と宗教の分離も意識していた!?)への長い道程の端緒であったはずだし、その「個体における人間性の一回性の現れというリアリズム倫理的な観念」は同じく、現代的な意味での<基本権>のルーツになったと考えられる。

だからこそ、ピエール・ベールは「これら種々の人間性の多くを占め、かつこれら人間性の諸相が浮かぶ海の如く流動的なプラットフォームである個々人の感情の作用」を最も重視したと考えられるのだ。そして、オランダでの生活と研究の経験によって、かつ何らかの交流の実績すら窺われるマンデヴィルとシャフツベリー(既述のとおり、両者は啓蒙思想初期へ重要な影響を与えた人物である!)がピエール・ベールの「感情の作用を最も重視する」考え方を深く共有していた可能性は高いと思われる。

しかし、同じピエール・ベールの人間性(自然の一部としての)の要とでも言うべき「感情の海」を共有しつつ、<マンデヴィルは自然の一部である人間性の「悪」の成分の分析へ、シャフツベリーは「善」の分析へ>と、何かを契機として、夫々の関心が異なる方向へ傾斜することになったようだ。

おそらく、その契機となったのは、シャフツベリーの貴族の系譜ゆえの「上からの美学」的な抽象論的・概念論的な視座であり、マンデヴィルの場合は生粋のオランダ人としての(それはそろそろ黄昏の時ではあったにしても)、あの栄光に輝いた時代(17世紀、レンブラントの時代)の残照の中で『日常のエルゴン=±を併せ持つプレデュナミス潜在性・潜勢態』という<活気の土壌=内需と外需へ共に対等に係る新しい生産性の培地>を経験したことではなかったか?と思われる。

啓蒙思想の先駆けと見なされるピエール・ベールがフランスで活躍したのは17世紀の後半であるが、それはフランスのアンシャンレジームに初めて動揺を与えることとなった「フロンドの乱/1648 - 1653」を契機に台頭した初期モラリストの時期と重なる

モラリストたちの思考の特性は「定型化した論証や規範的な言説」を否定する点にあるが、それはベールの中世的・神学的な歴史観(神の意思や神の恩寵に偏るドグマ)を否定する立場とほぼ同じである。

そして、地球自然環境に包摂されている現実の世界は「キリスト教の定型化した論証や規範的な言説」で全て説明がつくほど単純でないことが、アンシャンレジームの動揺や第一次科学革命による「知」の深化と多様化によって理解されるようになってきた。同時に、神の視座から解放されることで、新たに歴史的・政治的に共通した普遍的な構造があり得ることにも気付く人々が次第に増えていった

しかし、これら歴史に裏付けられた普遍的な概念(理想)と、今は普遍的と思しき国家制度(政体)であっても永久に完全無欠ではあり得ないので、絶えず、個々の現実的な、より厳しいリアル事象とエトノス観念の深化に照らし続け、持続的に展相(ポテンツ)する必要がある。従って、啓蒙思想初期の思想家たちが、現代の「オミクス生命論に基づくリアリズム倫理」にほぼ匹敵する「一定の節度ある自由」という考え方に到達していたとしても、それは何ら不思議でも何でもないことになる。

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         Charles-Louis de Montesquieu

また、このことに逸早く気づいたのが英国政治の動向に関心を向けアンシャンレジームを批判して均衡・抑制を重視する「権力分立制」を提唱したのがモンテスキュー(Charles-Louis de Montesquieu/1689 - 1755/↑画像はウイキより)である。そのためモンテスキューは普遍理念の次元を積極的に高精度化することに努め、ピエール・ベールの死から約40年後に「法の精神」(1748))を発表したことになる。

従って、そもそも啓蒙思想の「自由原理」とモンテスキュのー「三権分立」は只のお飾りではなく、喩えれば絶えず酷使されるべき車のエンジンの如き存在であった。因みに、モンテスキュー「三権分立」(特に司法権の独立を強調する)の根本である「法の精神」の論点は、政治学、法学、社会学、人類学など多岐にわたるだけでなく、それは気候風土(自然環境)と社会や法との関係性にまで踏み込んでいるため、現代的に言えばモンテスキューは地球環境や生命倫理・リアリズム倫理的なものまでをもその視座に入れていたことになる。

しかし、アカデミズムも、国民も、主要ジャーナリズムも、肝心の政治権力者らも、果ては国民へ奉仕すべき公僕たる官僚機構(司法・官憲もろとも)までもが、ことごとく此の「自由原理とモンテスキューの根本(法の精神に基づく)三権分立」についての根本を忘れ去ってきたようだ

これこそ「相変わらず靖国“愛国”国体論 i.e.『タナトスの闇/穴クロ“情念のマグマ”』に取り憑かれた儘の不可思議の国、ニッポン!=アナクロニズム権力独裁の「“自由原理”の政治利用」なる、現代日本における悲惨な政治的病理(表象文化意識不在)の原因ではないのか?

(啓蒙思想初期には周知だったプーチン型タナトス、i.e.『悪の情念』の系譜は、人類共有のエルゴンでもある)

・・・ 現代に繋がる“(プーチン型)の「悪徳のタナトス欲動」(悪の情念)”たる「エス(前意識)の系譜」の問題・・・

[再録]/【QT/ロシアとウクライナの全市民を巻き込み権力者が無理心中を図るが如し!/@無数の橋をかけなおす──ロシアから届く反戦の声/奈倉有里20220526「新潮」編集部は正鵠だが此れは何処の国でも他人事に非ず!しかも、その動因は彼我(ひが)が諸共に共有する「闇の系譜の情念」と見える!“先端AIデジ悪用 or 核戦力トレードオフ”らの小賢しい“キャリートレード”型小細工(i.e.カルト表象と化した総駆り立て論)でなく、生命力に満ちた未来志向のアナログモーダル感性で対峙すべき!https://twitter.com/tadanoossan2/status/1533591139957501957

・・・エス(前意識の系譜)、i.e.エルゴンのタナトス型特異性は「真の科学時代」に必然の展相(Potenz)に[相応しいエビデンス」を嫌う!それは、科学および神秘・心霊主義(オカルティズム)とも親和性を持つ両義的な「エスのエルゴン(潜勢態)」が、例えばヒトラー、プーチン戦争、アベノミクス、トランピズムらの如く、“新時代に相応しいリアリズム倫理の証言(民主的裁判)の見守り”による真の科学的・客観的な「真/儀」判断とは全く無縁な“新生児の初の泣き声”同然であるから(“新生児の初の泣き声”は、『エスの系譜‐沈黙の西欧思想史‐』の著者・互 盛央氏の“闇の系譜”に係わると思しき表現の借用)。・・・Cf.↓★

【注記】タナトス(thanatos)とは、もともと精神分析の用語でエロスと対になる「人間の欲動を説明する」ためつかわれる言葉で、死への欲動と訳される。JUST | 特定非営利活動法人 日本トラウマ・サバイバーズ・ユニオン | 理事長 斉藤学(医師)、https://www.just.or.jp/?terminology=000853

★1 互 盛央著『エスの系譜‐沈黙の西欧思想史‐』(講談社)https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784062923859

★2 松村一志著『エビデンスの社会学‐証言の消滅と真理の現在‐』(青土社)https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784791774326

https://twitter.com/tadanoossan2/status/1531631542271102976

≪注/誤記訂正≫・・・上Twの中で[「第一のエス(闇)」の系譜」、としているのは、[「第二のエス(闇)」の系譜]の誤り(誤記)なので、訂正します。委細は、下の(1)と(2)の記述を参照乞う。


表記の『エスの系譜‐沈黙の西欧思想史‐』(講談社)著者・互 盛央(講談社勤務、元岩波書店『思想』編集長、言語論・思想史研究者)「二つのエス(das Es)」という注目すべき視点(↓1,2)を指摘している。それは、重要な思想論の系譜、すなわち相互主観性の拡がりの系譜であるとともに、特に(2)の系譜は、アナザーファクト(ポストトゥルース/リアル証拠の隠蔽・隠滅、フェイクなど)を煽る内なる病巣とも見える。 https://note.com/toxandoria2/n/n817dde72962e

(1)第一のエス[開放的で持続生命論的な光の系譜]:リヒテンベルク→フォイエルバッハ→ニーチェ→フロイト→(フロイト左派/i.e. 新フロイト派)・・・、という『エトノス環境と繋がり共鳴する無意識の系譜』i.e. 生命力そのものに匹敵する自然の摂理と見るべき無意識の深い層であるエルゴン空間において伝承される。この空間にある限り、それは未だ善悪の評価とは基本的に無関係である。<注>系譜“後半”の(  )内の流れは、toxandoria が追記したもの。

(2)第二のエス[閉塞的で無限後退的な闇の系譜]:リヒテンベルク→フィヒテ→シェリング→ビスマルク→(ニーチェ→フロイト)ヒトラー→(自由原理主義、リバタリアニズム、トランピズム、プーチン、アベノミクスらポストトウルース派)・・・、という『これも矢張りエトノス環境と繋がり共鳴するが、(1)より深い無意識の系譜』i.e. 生命力そのものに匹敵する自然の摂理と見るべき無意識の深い層であるエルゴン空間において伝承される、と考えられる。しかし、この空間にある限り、それは矢張り未だ善悪の評価とは基本的に無関係である。<注>系譜“後半”の(  )内の流れは、同上の補記。

従って、同じく表記の[松村一志著『エビデンスの社会学‐証言の消滅と真理の現在‐』(青土社)]が指摘するとおり、このような視点から見ても[抽象デジタル・モード:巨大AI・DL‐Web情報&データベース型汎“知”社会化]する現代社会においては、ますます「そのような“証言の消滅”orフェイクを煽る如き不埒な傾向に対抗し得る新しいエビデンス」の問題が重要になると思われるが、この論点については第4章へ譲る。

(ホッブス『リヴァイアサン』は“政治権力の正体=双頭の怪獣リバイアタン”の発見に止まらず“遍くヒトの深層に潜むタナトスの闇”の気付き)

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             トマス・ホッブズ

ところで、論文/平井俊彦『マンデヴィルの人間像(1)/京都大学・経済論叢:第89巻‐第2号』によるとトマス・ホッブズ(T. Hobbes/1588 - 1679/英国の哲学者、社会契約説で近代的な政治哲学を基礎づけた/↑画像はウイキより)は、マキャベリの「運命に抗うべき変異性必須論/マキャベリズム」(君主論/君主に限定された役割)を抜け出し、そのマキャベリズムの変異性必須論を近代自然法思想の中核(国民主権を前提にする政治権力の正体に関わる解釈論的な視座)に密かに忍び込ませた、とされる

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その具体的なイメージ表象が上掲(当画像は、2022年4月7日・朝日新聞『(明日へのLesson)第1週』https://bit.ly/3tfAUBQ より)、リヴァイアサンである。ホッブスは、デカルトらと共に(というかデカルトの影響を受けて)機械論的世界観(結果から原因へと還元・構造的に考える自然発生的世界観への対概念)の先駆的哲学者の一人でもあり、スピノザ(Baruch De Spinoza/1632 - 1677/オランダの哲学者/デカルト、ライプニッツと並ぶ17世紀近世合理主義哲学者らと共に唯物論の先駆的思索者とされる)らと共に「人工的国家論」(“可死の神”を登場させることでキリスト教神学下での王権の定義から距離を置く考え方このためホッブスは現代でも王党派・共和派的な相異なる立場から両義的(良識専断権力 Vs 国民主権普遍権力)に都合よく解釈される傾向がある「社会契約説」の提唱で近代的な政治哲学理論を基礎づけている

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                    ギュスターヴ・ドレ製作の版画/レヴィアタン

17世紀の半ばにピューリタン革命(1642~1649)で国王チャールズ1世が処刑(王政⇒共和政への急激な転換が実現)されたとき、ホッブズがこの動乱を逃れた亡命先のフランスで書かれたのが著書『リヴァイアサン』(1651)である。リヴァイアサンは、この著書の巻頭で国家の原理を象徴するものとして掲げられた銅版画である。その原型イメージは旧約聖書ヨブ記で現れる、そもそもは「海の怪獣」(まさに、ヒトの“感情の海”の深層に潜むタナトスの象徴イメージと見える!)とされるレヴィアタン(リバイアタン)である。

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             カール・シュミット
カール・シュミット(Carl Schmitt/1888- 1985/ドイツの思想家、法学者、政治学者、哲学者/ナチス政権下でベルリン大学教授となったが、その後に共産主義者と国家社会主義者(ナチス)を内部の敵として批判したことで失脚している/↑画像はウイキ(英語版)より)が指摘したとおりこれは国家神話(善と悪の両義性)の表象である

また、このイメージを王権神授説の表象だと誤解する向きがあるようだが基本的な誤りである(そもそもレヴィヤタンは巨人、巨獣、人工機械(オートマタ)、可死の神という4つのイメージの融合であるので、死すべき寿命のある神が永遠の王権を授けるのには無理がある!w)。むしろ、ホッブズの真意はマンデヴィルと同じく「善と悪が併存する自然・人間社会のリアル/というか、遍くヒトの深層に潜む両義的エトノス」の直視!と見るべきで、そこには「対称性バイアス」の問題(参照↓★)すらが潜むと思われる。

★対称性バイアス(無意識の思考/潜在的・無意識的推論形式に含意されている対称性原理)の必然性と可能性: 無意識の思考をどうモデル化するか/中野 昌宏, 篠原 修二、https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcss/15/3/15_3_428/_pdf

ところで、田中純一『政治の美学―権力と表象―』(東大出版会)によれば、「王権神授説」の物語は「ローマ教会の教皇権の連続性」の借用であるので、カール・シュミット『政治神学』https://bit.ly/3xdx26Jが指摘するとおり、近代国家論の重要概念はすべて世俗化された神学概念であると見てよさそうだ。

だから、例えば教皇権の連続性を仲介するのは完全な空位状態を回避するために行われる象徴的「儀式」であり、これによって「権力の三つの身体」(前教皇→象徴的儀式→新教皇)の永遠の連続性が確保される。つまり、その象徴的儀式こそが教皇権の永遠の連続生命を保証していることになる。

「王権神授説」でもこれと同様の象徴的儀式を介在させる、いわゆる「権力の三つの身体」のプロセスで王権の永遠の連続性(連続生命としての王権)が保証されてきた訳だが、ホッブスのリバイアタン(レヴィアタン)が「可死の神」であるのは、初期啓蒙思想の「社会契約」に関係すると考えられる。やはり、初期啓蒙思想の「社会契約」も旧来の王権の連続性に倣って王権を保証したことになる。

しかし、この点については異論も多々あるようだが、第一義的な市民の「生存する権利」、つまり「自然権」を重視したホッブズには矢張り「抵抗権」の考え方は存在したと見るのが妥当である。また、当然ながら「可死の神」には第一次科学革命の影響もあると思われる

そして、ホッブズ政治学で何よりも絶対に見逃すべきでない“急所”を一つ挙げるとすれば、矢張り、それはリヴァイアサン(その原型イメージ=レヴィアタン)が象徴する「ヒトの“感情の海”の深層に潜むタナトスの闇」であろう。それは、この「ヒトの“感情の海”の深層に潜むタナトスの闇/暴力性、好戦性、
猟奇性、倒錯性、自由原理主義的性向ら
、i.e.西欧哲学の終着駅たるニヒリズム嗜好ら」こそが、最も現代的な課題である「オミクス生命論、リアリズム倫理、ローレンスW.バルサルーのアナログモーダル・シンボル理論の身体知」などと深く関わることになるからだ

・・・ “曲解”された“逆説の風刺”?マンデヴィル『蜂の寓話(寓意)』の真意を探る・・・

https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2019/12/02/063303

(1)『蜂の寓話』が出版された18世紀初頭、英国(啓蒙思想初期)の空気と、マンデヴィルのプロフィール

既に述べたとおり17世紀半ばの「フロンドの乱」を契機にアンシャンレジーム(“横暴専断権力”の支配を押しなべて忖度する社会構成意識)に根底から亀裂が入りつつあるのと呼応するかのように、やがてフランスでは政治ジャーナリズム文学的ジャーナリズム『学者新聞(Journal des Savants)』ら多くの小プレスが活発化していた

また、フランスのモラリストたちがイギリスの影響を受け開始していた18世紀のフランス啓蒙思想(J.J.ルソーら)を更に深化させていたイギリスでマンデヴィル『蜂の寓話』(1714)が出版された18世紀の前半は、そのようにしてイギリスとフランスの啓蒙思想が、互いに、ジャーナリズム意識の台頭につれ往還的に影響し合う最中であった。

オランダ・ロッテルダム生まれの脳神経系統を専門とする医師マンデヴィル(Bernard de Mandeville/1670 - 1733)は、そのような時代の空気が流れる18世紀初頭のロンドンヘオランダから移住し(そもそもは英語を学ぶのが目的であったとされる)、開業医(今で言えば心療内科医?/ライデン大学で哲学の学位と医学博士の学位を取得していた)となり英国で結婚し、遂にはそこで永住することになった。また、マンデヴィルは17世紀フランス“啓蒙思想の先駆け”の思想家ピエール・ベールと仏モラリストらの影響を受けていたと考えられる。尤も、そもそもは17世紀末頃~18世紀初頭における英仏相互の思想・文化交流の一環のなかで、マンデヴィルは英国啓蒙思想初期の影響を受けたことになるから、渡英したことでマンデヴィルは英仏の双方から回帰的に仏モラリストらの影響を受け得たということになる。

・・・このような17世紀半ばから18世紀前半のイギリスの時代の空気を補足するため、以下で歴史的な出来事について少し触れておく。

・・・

三回におよぶ海戦中心の英蘭戦争(17世紀後半)で、英国が勝利しオランダは海洋権益を失いその黄金時代(レンブラントの時代)が終わる。しかし、名誉革命(1688)の後には、英国が縁戚関係からオランダ総督ウィレム3世をイングランド王ウィリアム3世として迎えた。

●産業革命をめぐる状況・・・1709:ダービーがコークスによる製鉄法を発明、1710:ニューコメンが炭鉱での排水用の気圧機関を発明、1733:ジョン・ケイが飛び杼を発明、ハーグリーブスがジェニー紡績機を発明、アークライトが水力紡績機を発明、ジェームズ ・ワットが蒸気機関を改良、etc

・・・

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White's Coffee House formed part of William Hogarth's series The Rake's Progress CREDIT: 2005 GETTY IMAGES/HULTON ARCHIVE https://www.telegraph.co.uk/travel/destinations/europe/united-kingdom/england/london/articles/surprising-history-of-london-chocolate-houses/

17世紀の半ば以降のロンドンでは、18世紀がコーヒーハウス(新聞など現代的マスメディア活動の揺籃の場)のピークとなり、広く庶民へ行き渡る「新聞」情報の普及が見られるようになっていたが、その反面で言論の矛先になる権力者側からの反動もあって、印紙税(言論規制のツール)などをめぐり激しい攻防が繰り返されていた。
https://www.kwansei.ac.jp/s_sociology/kiyou/65/65-ch10.pdf

●新聞の刊行をめぐる状況・・・日刊新聞「London Daily Courant」が1702~発行/政党新聞、政党機関紙の登場(政論新聞時代の幕開け)/エッセーペーパー:文学的刊行物(literary periodicals)が刊行/1712~印紙税:Tax on Knowledge(知識に対する課税)が導入、1725~捺印税:Stamp Actが導入、1731~月刊雑誌 Gentleman's magazineが刊行、1738~議会での討論内容の掲載が禁止、1771年~今度は、議会報道が許される、etc

・・・

【参考】(上の時代に続く)19世紀前半における「英国議会」Vs「新聞ジャーナリズム」という、激烈な“国民主権、国家に次ぐ第三権力(対“立法・司法・行政”の意味では第四権力)たる新聞の批判力を巡る覇権闘争史”の一コマ

・・・1819年、議会は聖ピーター教会広場で開かれた政治集会を弾圧し(ピータールーの虐殺)、言論弾圧六法(Six Act)で統制を強化、数年のあいだに125のラディカル・プレスが罪に問われ、無害な新聞には補助金が与えられた。これによって「品のよい」新聞『タイムズ』の成長と「20年代の政治的平穏」が訪れる。

・・・だがラディカル・プレスは1830年代によみがえる。その象徴となった1ペニーの『プアマンズ・ガーディアン』(1831-1835)をはじめ、違法な新聞は5年あまりで500種以上、1日7万部以上にのぼった。これは合法な新聞を上回る数字であった。スタンプ税法反対、労働闘争、選挙法改正を掲げた運動は、1830年代以降の改革を先導する。第1回選挙法改正(1832)、工場法制定(1833)、救貧法改正(1834)、都市自治体法制定(1835)、そしてスタンプ税法下の広告税引き下げ(1833)、スタンプ税と用紙税の引き下げ(1836)と、労働福祉政策が相次ぐが、その改革の不十分さは逆に労働者階級の意識を高め、その後のチャーティスト運動の盛り上がりにつながっていくことになる」(伊藤[2014:95-96]) [種村 剛:社会情報学の基本資料、新聞、http://tanemura.la.coocan.jp/re3_index/3S/si_newspaper.html]より部分転載。

【補足】[ジャーナリズム&アカデミズムの役割=“社会『最深部の非人間的な病理を照射し抉り続けること!』は時代の如何を問わぬのでは?!↓

●【補足】崩壊する朝日新聞政治部エリートの経営陣はどこで何を町がいたのか此の社長=アベ様、と見立てれば当構図は現下の日本と瓜二つ!/Cf. ■啓蒙思想初期に周知!のタナトスはヒトの共有エルゴン i.e.その悪の情念の天敵はアナログモーダル!先行把握の身体知で新しい「社会構成」への展相が急務 ↓ https://twitter.com/nakajima1975/status/1536112122417283072

 ・・・以上で、[補足的な歴史的出来事の記述]は終わり・・・

(2)マンデヴィル流マキャベリズム・アイロニーの慧眼

・・・英国のリーダー層に対する「両義的エルゴン/“光(潜性イノヴェーション)と闇(タナトス)”の潜勢態」への覚醒を促す“逆説の風刺”と理解すべきマンデヴィル『蜂の寓話』・・・

・・・ここでは『蜂の寓話』の解釈で主流となっている考え方に対し、敢えてアンチ・テーゼのスタンスを採る。・・・

◆アナログモーダル理論の視野に潜性イノヴェーション、日常デュナミス生産性が疾うに入り始めた時代のデジ信仰一本槍では余りの周回遅れ? 一掃すべきはアベノミクスの残滓だろうに!w →目視や対面…「アナログ規制」一掃 4千条項見直し、デジ臨が公表604朝日604朝日

https://twitter.com/tadanoossan2/status/1532907221881073664  https://www.asahi.com/articles/DA3S15314646.html

◆【櫻井・安倍両氏は「台湾-中国」マターを穴クロ言論のため只管利用するバカり?】AI‐DLアルゴリズムならぬ、ヒト・アナログモーダル意識から見ても健全なポテンツ統合とは思えぬ。遅くはない!日本人と全人類の安保のため、慈愛が溢れるマンデヴィル流マキャベリズム・アイロニーの真理でも再学習せよ!w 

https://twitter.com/tadanoossan2/status/1533168593697144832

・・・関連/アナログモーダル理論の視野に潜性イノヴェーション、日常デュナミス生産性が疾うに入り始めた時代のデジ信仰一本槍では余りの周回遅れ?一掃すべきはアベノミクスの残滓だろうに! →目視や対面…「アナログ規制」一掃 4千条項見直し、デジ臨が公表604朝日

https://twitter.com/tadanoossan2/status/1533177792808243200

アホ安保論2_R

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・・・一般的に、マンデヴィル『蜂の寓話』のアイロニー(風刺)の意味は、おおよそ下のように理解されているようだ。・・・

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・・・徹底した国家保護主義経済、いわば「自己(自国)益第一主義」なる強欲な『情念』の湧出源である「悪徳」こそが17~18世紀絶対王制の「管理経済/マーカンティリズム(重商主義mercantilism)」の原動力である。そして、結果的にそれが国益のみならず貧困(格差)を救済する慈善(社会厚生)のためにすら十分役立っている、という事実を人々はもっと率直に理解すべきだ。が、現実的に世間の人々の多くが、特に英国では第3代シャフツベリ伯爵アントニー・アシュリー=クーパー」流の哲学思想に倣うリーダー(指導者)達が、大層ご立派な名目だけの道徳的「倫理観」に対し、これも大層上品な上流サロンや社交術とかいうハイレベルな文化交流テクニックを駆使して、歯が疼くような綺麗ごとで傲慢な権威・権力に対する浮ついた「おべっか」と「忖度」の御愛嬌をせっせと周囲に振りまきながら呑気な日々を送るばかりだ。そして、彼らは一向に社会的な真実、つまりそのように「有益な悪徳」が格差の解消に役立つという現実を直視しようとせず、しかも、それに付随して起こる凡ゆる問題点(不条理)の一切を他人事として傍観しつつ、マイペースで呑気な日々を送っている。だから、このような「おべっか」と「忖度」の文化を広く大衆層に作為で浸透させてきた現下「英国のリーダー(指導者)達」(の上っ面だけの政治スタイル)こそが、真の意味での「無益な悪徳」の率先者なのである。・・・

たしかに、このマンデヴィル『蜂の寓話』の見事なアイロニー(風刺)には苦笑させられる。しかし、そこには「巨大AI・DL‐Web情報&データベース型の汎“知”(AI・DLアルゴリズム)」が時々刻々と更新し続ける新たな、絶対抽象的なクラウド世界の出現」Vs「リアルに生きるヒトのためのアナログモーダル理論」という、人類の持続的な存在そのものをすら脅かしかねぬ深刻なテーマ、「絶対的な格差拡大トレンドの放置」の問題が超リアルに浮上し始めた現代であるからこそ、我われは、そのアイロニー(風刺)の解釈問題の奥に潜む、マンデヴィルの真の先見性とその奥深いオミクス生命論的な慈愛の眼差しにこそ気付くべきであろう

そして、それは「有益な悪徳」と「無益な悪徳」という、マンデヴィルによる「エルゴン空間の発見」ということであったと言えるだろう。

驚くべきは、このマンデヴィルの「悪徳に関わる先験的な両義性の発見」が実に見事に「情念の海に浮かぶアナログ「暗黙知」ワールドのエルゴン」の問題(第1章―自然計算は情念の海に浮かぶアナログ「暗黙知」ワールドのエルゴンーで、既にふれた)を先取りしていたことである。

“既にふれた第1章の内容”を繰り返すことになるが、つまり、エルゴンとはW.フンボルトの<普段は休眠状態にある「±」または「善・悪」など、そもそも両義的な性質をもつ情念 or 表象の潜勢態(デュナミス(潜在性)の可動態)のことなので、アルに活性化するとそれら両者の何れかを表現する言語的な意識活動となる>訳だが、このことは表音文字がベースの「西欧文化圏」等より、表意文字がベースの「東アジア漢字“表象”文化圏」らの近未来の発展における優位性を意味するかも知れない無論、「(W.フンボルトの)エルゴンの善の成分→マンデヴィルの『有益な悪徳』へ、(同)エルゴンの悪の成分→マンデヴィルの『無益な悪徳』へ」と、夫々を読み替える必要がある

しかし、これは矛盾でも何でもない。むしろ興味深いのは、このような日常言語上の些かの論理的な矛盾を解決(解消)し、人間社会にとって有益な現実「解」(展相/Potenz)となり得るヒント(これは決して安倍晋三・元首相、トランプ、プーチンらが重宝する、i.e.あのポストトウルース派が大好きな“へ理屈”のことではない!苦w)が、AI‐DLアルゴリズム(物理的シンボルシステム=非感性的シンボルシステム仮説/ PSSH )ならぬ「ヒトのアナログ・デフォルトモードフラッシュの作用(アナログモーダル・シンボル理論の原点!)」によるものだ、ということである

また、この点については第1章でも述べたことだが、英国(クイーン・メアリー・センター)の感情言語科学の研究者であるリチャード・ファース・ゴッドビーヒー博士も「コンピューターとは異なり、ヒトの感情(情念)は動的なもの」なので、AI‐DLならぬ人間の脳はこの動的なもの(マッハ感覚論的素材性/補、toxandoria)を柔軟に捉える能力にたけている」と語っていたことが想起される。

因みに、18世紀の英国で経済の発展が政治思想や法思想に影響を与えたことについて纏めた論文「徳と利益道徳と経済をめぐる 18世紀イギリス思想の変容/柘植尚則:倫理学者、慶応大学教授、https://bit.ly/3Q0JxKkがあるので、末尾↓の<スミスは(も)『私益の追求が公益をもたらすと唱えた』<の部分について、toxandoriaとしては?を感じるが、当記事のテーマと関連すると思われる(はじめに)の一部分を以下に転載しておく。

・・・18世紀のイギリスにおいて経済の発展が政治思想や法思想に影響を与えたことは,従来の研究がすでに明らかにしているが,経済発展が道徳思想に与えた影響については,いまだ詳細には論じられていない。ここでは,モラリストたちの言説を検討して,経済発展に伴う道徳思想の変容についていくらか明らかにしてみたい。18世紀イギリスのモラリストたちはつねに「自己愛(利己心)」や「利益(利害)」の問題について論じていた。これらの問題を提起したのは 17世紀中葉のホッブズであるが,ホッブズはそれらを政治哲学の中で扱っていた。だが,17世紀末のロックを契機として,自己愛や利益はしだいに経済的な意味を持つようになる。明らかに,その背景にはイギリスにおける経済発展があった。それゆえ,経済発展は 18世紀イギリス道徳思想を形成させた一つの要因であったといえる。
モラリストの間では,経済の問題,とくに経済と道徳の関係という問題は,「徳と利益」をめぐる問題として取り上げられた。それを主題にしたのはまずシャフツベリ(Anthony AshleyCooper,Third EarlofShaftesbury,1671-1713)であり,シャフツベリは「徳と利益」が一致することを証明しようとした。そして,この議論に反対して「私人の悪徳」が「公共の利得」を生
むと主張したのがマンデヴィル
(Bernard de Mandeville, 1670-1733)である。また,バトラー(Joseph Butler,1692-1752)はシャフツベリの議論に示唆を得て「良心と自己愛」の一致を説いた。さらに,これら 18世紀初頭の議論を踏まえたうえで新たな議論を示したのが 18世紀中葉のヒューム(David Hume,1711-1776)とスミス(Adam Smith,1723-1790)である。ヒュームは,自己利益を端緒として「黙約」に基づく社会が形成され,正義の徳が確立されると論じた(性善説?/補記、toxandoria)他方,スミスは「徳への道と財産への道」が同じであると語り,また,私益の追求が公益をもたらすと唱えた(このスミスに係わる“単純”な解釈の部分について、toxandoriaとしては?を感じるが/補記、toxandoria)。・・・

[関連/参考資料]啓蒙思想の遺産に背を向けた現代人(“民主主義ガチャ”化した?w/補、toxandoria)を痛烈に批判し近代精神の原点への再考を促す名著! →ジャン=クロード・ギボー著、菊地昌実・白井成雄 訳『啓蒙思想の背任』(叢書ウニベルシタス)

3 アナログモーダル(身体化認知)こそ「リアリズム倫理」覚醒への契機

・・・身体化認知とリアリズム倫理への覚醒が必須の時代/それは[ヒューム的『身体化認知(認識論)』]Vs[AI・DLアルゴリズム『ヴァーチャル身体論』]の逆説的な「構造的カップリング」関係の発見ということ。・・・

(構造的カップリング、メイヤスー『数学の一次性質』、ジルベール・シモンドン『相転移の閾値(特異性)』の必然的関連性)

[北大研究者総覧、https://bit.ly/3aufIBy]のプロフィールで「E・フッサールの現象学、「意識」をめぐる科学者との共同研究、西田幾多郎・田辺元の哲学。主に自我・自己論、間主観性論、明証(evidence)論に取り組んできたが、近年は神経科学・数学・ロボティクス・情報科学の研究者と共同で「意識」の学際的研究に取り組んでいる」と紹介されている、田口 茂・北大大学院文学研究院教授に、コメント論文「内と外の切断と接続、認知と生命の本質をめぐって:認知科学・第28巻、第2号https://bit.ly/3ziIpvx」がある

田口 茂教授は、その論文の中で「認知科学で生命性の復権を試みる」とする、“池上高志・東京大学大学院情報学環教授のQ.メイヤスー解釈”とも共鳴する重要な論点として「構造的カップリング」の問題を取り上げている。「構造的カップリング/相互浸透」とは、“二つの異なる閉鎖系であり、夫々が自律的に運動するシステム系でありながら、相手側の環境条件をお互いに作り出しているような関係性のこと”を言う(ブログ『発達理論の学び舎』https://bit.ly/3GQLrsG)。

また、田口 茂氏はベルグソン(Henri-Louis Bergson /1859-1941/生命・精神・物質の関係性を広く渉猟した経験主義的形而上学の哲学者)の用語である「縮減」に注目しており、それはイメージの総体である物質(物)から引き算して「知覚」が成立することを意味しており、このような視点はQ.メイヤスーの「新実在論(思弁的実在論)/祖先以前性の覚醒」の哲学にも繋がるものがあると考えられる

それは、メイヤスーが著書『有限性の後で―偶然性の必然性についての試論(人文書院)https://bit.ly/3mdwBmv』の中でメイヤスーも「数学は物体の知覚において表れる二次性質ではなく一次性質そのものに達することができる」という興味深い主張をしており、このメイヤスーの説明は「カントールの数学(無限集合論)を使うと、より精密な説明が可能となるのでは?と期待されているhttps://note.com/toxandoria2/n/n4ea0f2eba0e6)。

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ところで、「構造的カップリング」の具体例を考えてみると、例えば『三次元空間で観察される二次元の表面イメージ/石鹸幕、i.e.二次関数の極小曲面(石鹸膜の数学的抽象化)、https://bit.ly/3metuKW』が、その観察的な典型ではないかと思われる。これは、「変分原理」又は「変分問題」とも呼ばれる自然界で観察(実験を含む)される「なんらかのエネルギーが最小または極小となる状態」としてイメージ表現できる物理法則の事例である。

もう一つ事例を挙げれば【量子力学に因る化学的な力とされるロンドン分散力】もある分子を統合させる力には、量子力学的な性質も貢献していることが理解されており、その量子力学による励起双極子を原因とするファンデルワールス力〈分子間の引力〉は「ロンドン分散力」(物理学者Fritz Wolfgang London に因む/Ex.接着剤がくっ付く原理)と呼ばれており、モノとモノが接着剤でくっ付いた状態(姿)は、まさに「構造的カップリング」の賜物だと言えるであろう。https://study-z.net/100129053/2

このように見てくると「構造的カップリング」が連続して重畳・拡散するイメージは際限なく拡張(又は縮小、又は伸縮)することになるが、それは第1章で取り上げたジルベール・シモンドンの「相転移の閾値(特異性)で繋がる一定の系が強度intensitéとしての情報が連続する多層構造(?・・・超ミクロスケール~量子物理学スケール~物理・化学スケール~オミクス生命論スケール~宇宙論スケール~超マクロスケール・・・?)」という彼の問題にも関係することが想像される。

(ヒューム『身体化認知』Vs デカルト『コギト・エルゴ・スム』の逆説的“相補関係”の秘密を解く鍵は、“AI原理主義批判”風に言えばアナログモーダル)

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デイヴィッド・ヒューム

実は、我われが自在にイメージを膨らませながら、その諸相の段階を隈なく「認識」し抽象「観念」をも持ち得るのは、我われが正に「知覚」の能力を持つことから出発しているからだとする主張の始まりがデイヴィッド・ヒューム(David Hume/1711-1776/スコットランドの哲学者/↑画像はウイキより)であり、このヒューム哲学の核心である「古典的な身体化認知(ヒューム認識論)こそが知識の起源であるとする、身体化認知の『知覚』論がイギリス経験論の完成と初期啓蒙思想の胎動の土台となった

その意味での経験論の完成者であったヒュームは、知の成立過程をそもそもの源泉から問うやり方で知識の起源を知覚によって得られる観念にあるとしたが、一方で数学を唯一の論証的に確実な学問と認める比較的緩やかな懐疑論を打ち立て、結果的に「人間の知および経験論の限界」を示した。

なお、このヒュームが「比較的緩やかな懐疑論を打ち立てるため、数学を唯一の論証的に確実な学問と認めていた」という点は、奇しくも「ヒューム的な考え方をも含むと見える観念論」への徹底的な批判(祖先以前性なる概念で自らの思弁的実在論を完成させること、https://bit.ly/3GWzLVd)のため、メイヤスーが数学の本来性としての『数学の一次性質』ということを最重視していたことと、逆説的に一致している

そして、このことが小林道夫・京都大学名誉教授(哲学者)の論文(↓◆)が指摘する[ヒューム『身体化認知』Vs デカルト『コギト・エルゴ・スム』の逆説的“相補関係”を想起させるのは実に興味深いことである。端的に言えば、それは[常識的には決定的な対立関係と見るべき、ヒュームの観念論とデカルトの実在論(物心二元論)が逆説的な相補関係にあることが小林道夫氏によって論証された]ということである。

[参考]ヒュームの認識論についての覚え書き : デカルトの認識論との対比において:小林道夫(哲学者、京都大学名誉教授)https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/189806/1/smp_014_001.pdf

結局、このことから言えるのは、矢張り[ヒトは、“AI‐DLアルゴリズム原理主義(近未来に実現する?とされるAI‐DL“意識もどき”)”ならぬ、“生の身体知であるアナログモーダルな意識作用(知識は身体からできている!:ローレンスW.バルサルーのアナログモーダル・シンボル理論/PSS/↓★)”によってのみ、ヒトの内外環境を構成するリアル実在とリアリズム倫理が理解可能である]ということであるようだ。

[第1章の再録]レベッカ・フィンチャー-キーファー著・望月正哉ほか訳『知識(メタ認知知識・メタ記憶≒意識)は身体からできている/身体化された認知の心理学』(新曜社)=ローレンスW.バルサルー「アナログモーダル・シンボル理論/PSS」

(『身体的認知理論』のハイライト、アナログモーダルへ至るまでの概観)

・・・現代の身体的認知理論・・・

・・・(一般的に)身体化とは,精神現象が身体症状として現れることである。たとえば、身体化を特徴とする障害は、症状が「無意識かつ不随意的に発生するもの」から「症状が意識的かつ意図的に現れるもの」までの一連のものとして認められる。(メルク社のMSDマニュアル、https://msdmnls.co/3kWDF6iより転載)。

・・・身体的認知理論のハイライト、アナログモーダルへ至るまでの概観・・・


・・・以下は、レベッカ・フィンチャー-キーファー(ゲティスバーグ大学/心理学教授)著・望月正哉ほか訳『知識(メタ認知知識・メタ記憶≒意識)は身体からできている/身体化された認知の心理学』(新曜社)を参考にし、関連する部分を抽出し纏めたものである。・・・

デカルトの二元論(コギト・エルゴ・スム/我思う、ゆえに我あり)に反論し、カントは「知識が心と外界の相互作用によるもの」と主張し、その後、身体化された認知理論の発展に貢献した哲学者たちは、認知を現実世界の状況の要求に直面したときの「身体の欲求」に応えるものとして捉える当理論の名称の由来)。だが、この「世界に関する内的な心的表象は必須でない」とも受け取れる主張は「急進的身体化認知科学」の名称の下で強い批判を浴びる

しかし、別の哲学者らは、関係性を反転させ「外界世界(身体がそのエントランス)は、思考を構成する心的表象に情報を与えつつ、その案内をするように身体を導く」と主張する。それにより「身体は認知の生成に不可欠であり、事実、身体こそが認知処理において本質的な役割を担っている」と、より穏健に主張し、この考え方が現在では、いわゆる「身体化認知科学」とよばれる

その意味での現代の「身体化認知科学」は、『物理的シンボル

仮説』(脳内の表象的特性を備えた非(非生命の謂い!)モーダル的な物理的デジタル・シンボル、i.e.ニューロンネットワーク・モデルと関連付けるチューリングマシン(現代ではAIコンピューター)のベースともなっている)の段階から、今や『人間的でアナログ・モーダルな感性的シンボル』が優位とされる、新しい“知覚的シンボルシステム”理論へ到達(深化)しつつある。換言すれば、これはユク・ホイ『再帰性と偶然性』https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784791774463 の考え方に接近している、とも言えそうだ。

(『 巨大AI・DL‐Webアルゴリズム情報汎“知”DBが構築するリアル?空間』なる虚構、i.e.デジタル抽象空間の正体)

目下、大いに期待されている量子コンピュータについてはそれが「イオントラップ量子コンピュータ/ https://bit.ly/3GrTego 」   らの出現でスパコンの数億倍になるとしても、そして仮にそのような高速計算が可能とはいえども、量子ビットが熱などの外部要因でノイズや量子ビット同士の干渉などを引き起こすことリアル空間の因果性と断絶した不確定性原理のジャンル
から設定通りの動作をしない事態が考えられることに加え、その「不確定性原理」
 https://bit.ly/2Py1aVX /量子状態そのものが持っている不確定性なのでリアル“理由の空間”の因果性、i.e.“時間の矢”の問題とは無関係と考えられる)に係わる量子の状態変化を安定させる方法など(Ex.データ保持期間の長期化など)についての課題が多々残されている

また、1古典量子ビット(1.0)と比べた情報量の大きさで見ると、仮に、現行の50量子ビット(2の50乗=1,125,899,906,842,624)から100量子ビット(1.26765060022822940149670320537E+30)へ拡大する技術(古典コンピュータ50台分の計算の同時並行処理)が実現できたとしても、それを実用化する(そのままで理解不能な膨大な計算結果を人が読解できるよう処理する)ため(それは現在でも同じことだが)、その各々の計算(情報処理)の結果を統合的に理解する「古典コンピュータによる解読(計算)処理」が必ず必要である。

つまり、そこには「我われが日常を送るリアル世界」と「ビット情報が蓄積した抽象的ヴァーチャル世界」の決定的な「断絶」の幅が、古典ビット時代を遥かに超える膨大なスケールて益々拡大するという深刻なジレンマ問題が潜んでいるようだ。無論、この「隔絶(断絶)した両世界の生産性の差異=『労働生産性 Vs AI‐DL機械生産性』の差異、による深刻な『格差』問題」は、益々、拡がるばかりである。また、そのような「断絶」について、あまり深く考えず割り切って無視することも出来るだろう

が、そうすると今度はそこで「ヒトが生きる意味は何か?」という古くて新しい問いが、つまり<倫理と人道に関わる厄介な価値判断>が必ず浮上して影を落とすことになる。<日々に巨大化へと増殖し続けるWebネットDB汎“知”型ヴァーチャル世界>が、自分をも含むリアルの日常を圧倒しつつ飲み込み続けるという「デジタル・ナルシスのイメージ」が悍ましく見え始めることを只の杞憂として見過ごしてよいものだろうか?(参考情報 ⇒ポーランドのSF作家、スタ二スラフ・レム原作、表現の自由を求めてソ連から亡命し、故郷に還ることなくパリにて54歳で客死したアンドレイ・タルコフスキー監督、映画『惑星ソラリス』、ttp://www.imageforum.co.jp/tarkovsky/wksslr.html

要は、“ビット情報に因って伝わるWeb情報は、たとえそれが見かけ上で文脈的な体裁となっているものであっても、それは純粋に抽象化した「データ」(潜勢態/デュミナス)であり、リアル・コミュニケーションにおける会話や文章(がもたらすアナログ情報)は、

必ず何らかの特定の目的や意図、何らかの世界観・生活感などの表象(現勢態、エネルゲイア)と密に繋がる「インテリジェンス情報」ということになる。

真逆に言えば、<リアル世界でのデータ>は、たとえそれが数字等の抽象的データであっても、それがこの世界に出現した瞬間(何らかの数字や記号やコトバが話したり書かれたりした瞬間、あるいは書棚の本やそこに置かれた新聞が読み始められたりした瞬間など)には、それらは必ず何らかの生きたエトノス環境(内外の自然&文化環境)と生きた身体知に包摂されているという意味でリアルな「マッハ感覚論的素材性」を帯びていることになる。なお、ミシェル・フーコーによれば19世紀に印象派を導いた画家マネは“真に見るべき美的“表象”として、これ(言わば、動的表象の流動と遷移)を表現する絵画技法を発見していたとされる(@小林康夫『表象‐構造と出来事‐』(東大出版会))。

つまり、<巨大AI・DL‐Web情報&データベース型汎“知”DBが構築する電脳階層に格納され続けるデジタル情報>と<リアル世界という大海原と身体内感情の海を漂い、泳ぎ、潜水と浮上を繰り返し、あるいは交流する社会フィールドを駆け巡るアナログモーダル情報>との間には、このような意味で<宿命的、かつ決定的な断絶>があることになる。

その両者を仲介するのが「エトノス観念(エトノス環境論)とリアリズム倫理」(最広義の自然・文化環境に包摂され同期し続けるリアル意識の総体)である。かつ、これら両者を日常のリアル世界で繋ぎ続けるのが「生命の論理に支えられたヒトの身体知」であるだろう。そして、それこそが今の一回性を生き続けようとする生身のヒトの未来への意思の源泉でもあるのではないか(関連/エトノス環境の委細はコチラ⇒http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180503)。

つまり、「自然・社会・生命・精神」現象のリアルは、ある目的のために抽出した特徴量の如く、特定の目的等のため集約されたものだけから成っている訳ではない。因みに、ここで言う“アナログな暗黙知が優勢なリアル現象トータル”の、ある瞬間ごとの切り口がマッハ現象学における「マッハ感覚論的素材性」(マッハの内面的表象=日常世界で凡ゆる内外環境と共鳴しつつリアル意識が漂うアナログの海の表層)と見ることが出来るだろう。

因みに、このような「ヒトをめぐるリアル世界の描像」は当ブログ記事の基本コンセプトと位置付けている「W.Ⅴ.O.クワインのネオプラグマティズム」とも重なると思われるので、以下にその内容を転載しておく。

《W.Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「数多の境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)》

結局のところ、やがてAIは非常に原始的な“感情モドキ”を身に着けることにはなるかも知れないが、それはヒトの感情とは全く異なる何ものかであるだろう。それは、恰もAI機械学習やAIディープラーニングの特徴量らが過去・現在・未来のどのリアル事象とも全く別物であることに呼応すると思われる。

何故なら、ヒトの場合は個体が子から子へ、子孫から子孫へと連綿と持続させる生命連鎖が絶えず地球環境及び内面の生命環境(これも外界に劣らぬほど膨大なスケールで連鎖・交流・持続・共振する“地球型自然環境の延長”である!)と多面的・重層的に非常に複雑な交流・共鳴・反響を持続させており、ヒトの感情なるものはその瞬間の内外の複雑な反響の持続的反映上で述べたマッハ感覚論的素材性http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180701であるとの意味でゴッドビーヒー博士の指摘どうり、それは動的なエルゴン(生命エネルギー活動のリアルな側面)であるからだ

一方、AIの原始的な“感情もどき”(機械意識?機械感情?)は(仮に、そこで何らかの意識のようなものが生じるとしても)、それはヒトと同様の意味での内外の地球型自然環境を必要とはしないただ、そのようなAIの原始的な“感情もどき”はそれがいやしくも<知能>であるからには、必ず自らが対象とするものを分類し、あるいは区別・区分して認識するということが基本となるそして、AIには歴史観も倫理観も不在なのでそこ(ヒトの意識に対応する?AIの認知機能)にはヒトの場合で言う「区別」と「差別」が混然一体化して存在することになるだろう。

そこで懸念されるのが「AIによる、ヒトの場合の善悪の倫理観とは全く無関係な(換言すれば、人間的な感情とは無関係で超ハードボイルドな?w)“差別”や“マイファースト”or“異常な忖度”などが出現する可能性があることだ。米マイクロソフトがインターネット上で一般人と会話させた人工知能(AI“Tay”)がヒトラーを肯定する発言をするようになり、実験が中止された事件?(w)(Cf. →https://tech-camp.in/note/technology/48366/

実は、以上のような状況(現実)こそが、「いまやリアリズム倫理が必須の時代に入った!」と声高に叫ばれつつある昨今の時代背景であり、具体的に言えば、それは<巨大AI・DL‐Web情報汎“知”DBが構築する電脳型階層の中へ「ヒトの社会構成意識トータル」がスッポリ格納されつつある>という恐るべき倒錯の事態である。

(権力政治(マハト・ポリティーク)の正体こと「狂信者(orカルト)になった俗物」との対峙のため、今こそ求められるリアリズム倫理)

[参考資料]政治の無道徳性/政治的リアリズムのひとつの系譜は、政治の世界を権力という力学的作用が趨勢を決する一種の必然的空間として描くものである。私たちが受け入れている倫理や道徳は、一皮剥けば現れるこうした「 権力政治 マハト・ポリティーク」の表層でしかない。:政治的悪の規範理論的分析―政治的リアリズムを中心に―松元雅和(關西大學法學論集・巻 66-号 1)https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=3904&item_no=1&attribute_id=19&file_no=1

[注記]マハト・ポリティーク(独:Machtpolitik)とは?・・・政治権力(英:Power politics)のこと。国際関係を理解する最も基本的な考え方。日本語では、権力政治武力政治イギリスの国際政治学者マーティン・ワイトの著書『パワー・ポリティクス』が初出とされる。(出典:WebLIO、https://bit.ly/3zlq019

[第2章- 初期啓蒙思想期には周知だった[「情念のマグマ」の超リスク(死への誘惑タナトス/-)と可能性(生への希望デュナミス/+) ]の問題]で取り上げあげた「闇の系譜」(互 盛央『エスの系譜-沈黙の西欧思想史-』(講談社))は、その『エスの系譜-沈黙の西欧思想史-』が提起した二つの「エスの系譜」(1、2/↓再録)の一つ「第二のエス[閉塞的で無限後退的な闇の系譜]」である。重要な部分なので、以下に[再録]しておく。

(1)第一のエス[開放的で持続生命論的な光の系譜]:リヒテンベルク→フォイエルバッハ→ニーチェ→フロイト→(フロイト左派/i.e. 新フロイト派)・・・、という『エトノス環境と繋がり共鳴する無意識の系譜』i.e. 生命力そのものに匹敵する自然の摂理と見るべき無意識の深い層であるエルゴン空間において伝承される。この空間にある限り、それは未だ善悪の評価とは基本的に無関係である。<注>系譜“後半”の(  )内の流れは、toxandoria が追記したもの。

(2)第二のエス[閉塞的で無限後退的な闇の系譜]:リヒテンベルク→フィヒテ→シェリング→ビスマルク→(ニーチェ→フロイト)ヒトラー→(自由原理主義、リバタリアニズム、トランピズム、プーチン、アベノミクスらポストトウルース派)・・・、という『これも矢張りエトノス環境と繋がり共鳴するが、(1)より深い無意識の系譜』i.e. 生命力そのものに匹敵する自然の摂理と見るべき無意識の深い層であるエルゴン空間において伝承される、と考えられる。しかし、このエルゴン空間にある限り、それは矢張り未だ善悪の評価とは基本的に無関係である。<注>系譜“後半”の(  )内の流れは、同上の補記。

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Georg Christoph Lichtenberg
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リヒテンベルク(Georg Christoph Lichtenberg/1742-1799/↑画像×2件は(上)ウイキ、および(下)https://bit.ly/3NFPWJnより)は、ドイツの科学者、風刺家ドイツで初の実験物理学専門の教授(ゲッティンゲン大学)となった人物であり、荷電した樹脂板に現れる「リヒテンベルク図形(沿面放電図形)https://1000ya.isis.ne.jp/1715.htmlで名を残す人物である(同図形の“説明”画像↓は、https://detail-infomation.com/creeping-discharge/より)。

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ところで、フランス革命とナポレオンのイタリア討伐遠征の動乱期を経験したリヒテンベルクは、上の[互 盛央『エスの系譜-沈黙の西欧思想史-』]によれば、「フィフィテが希求した統一国家樹立に成功したドイツは勝利に酔いしれ、「狂信者になった俗物 =凡人権力のリアル狂人化」が跋扈している…「狂信者になった俗物」、それが私たちドイツの今を際立たせる前代未聞の現象である…」という言葉を残している

リヒテンベルクが言う、この「狂信者(orカルト)になった俗物」こそ「根本的に見誤り我を「神」とさえナルシスティックに自認してしまう、例えばウクライナ侵攻の暴挙へと走った彼(か)のウラジミール・プーチン、あるいは安倍晋三・トランプら、i.e.ポストトウールース派の嘘つき政治家たちの如く、瞬時にして“絶対独裁権力者”へと豹変するマハト・ポリティーク」の恐るべき出現(インカーネーション)である。

換言すれば、内なる<非生命論的な異端の『種(しゅ)』>こと『闇の系譜』のリアル出現である。すなわち『蜂の寓話』でマンデヴィルが使ったアイロニー風に言えば、それこそ正に“内なる悪の両義性”の内の一つ、すなわち『無益な悪徳』の実に奇怪で有害なインカーネーションである

この恐るべき「内なる闇」の「“沿面放電”のインカーネーション」に対峙し得る<このリアル世界における有効なパワー>とは何か? まことに残念なことではあるが、それは先ず[遍く人々による地球の自然環境と「オミクス生命論」で初めて納得できる生の一回性への目覚め]および其れをベースとする[「リアリズム倫理」へのアナログモーダル意識による覚醒]ということだけである

もし、この<唯一の対抗策であるアナログモーダル意識、オミクス生命論(個体生命の一回性)、etリアリズム倫理>の意義を見失うや否や、今度は肝心の民主主義がいとも容易く「プーチン、安倍晋三・トランプら、i.e. 残忍かつ冷酷なポストトウールース派の嘘つき政治家たち」の恰好の餌食と化すだけであり、それが現下「ウクライナ戦争」or 現下「統一カルト汚染」悲惨の真相である

一つだけ付言すると、互 盛央氏は著書『エスの系譜-沈黙の西欧思想史-』のなかの「端緒としてのリヒテンベルク」(フロイトらに先立ちリヒテンベルクが光と闇の『二つのエスの系譜』に覚醒した最初の人物であったことを意味する)という言葉でリヒテンベルクは、現代の科学者たちが殆ど忘れ去った「暗黙知を自在に操る能力」が健全な科学自身の発展のためにも非常に重要であることを理解していたと指摘している

・・・なお、「リアリズム倫理」「オミクス生命論」の委細については下のブログ記事★を参照乞う。・・・

★【実験医学的な思考実験】アンチ「重篤エピジェネティック疾患こと、アベシンゾー型トランスオミクス(orオミクス)層リアル反転『リピート異常発現』症」に対する、一つの処方の方向性、https://note.com/toxandoria2/n/nba47ae28eff6?nt=like_2181994

★科学と倫理の距離は近い!/大格差、人間の壁がDX肥大症化!「リーン高度生産性Vs伝統労働力」はAI構造災に非ず重力・変分原理ら科学「知」に関わる根本的な誤謬 or 作為(Pseudo)の人災!https://note.com/toxandoria2/n/n7f729d5bf46c

4 [アナログモーダルからの俯瞰]AI‐DL社会化を補完するアナログモーダル認知、…

・・・i.e. オミクス「社会構成意識」への展相(Potenz)のための環境条件の整理・・・

・・・アナログモーダル認知の時代に相応しく、旧来の「社会構成意識」からオミクス「社会構成意識」への展相(Potenz)のため必須となる条件を探るため以下では資料↓■に従いつつ[(1)科学論と社会学における「構成主義」の違い、(2)ルーマン作動実在論の限界、(3)アナログモーダル認知:フーコー「真理論」の画期、フーコー「真理と裁判形態の問題」]について各「課題」のポイントを整理する・・・

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■松村一志『エビデンスの社会学-証言の消滅と真理の現在-』(青土社)https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784791774326

(1)[アナログモーダルからの俯瞰1]科学論と社会学における「構成主義」の違い

・・・科学論の「構成主義」(Constructivism)とは?・・・

社会学における場合と異なり、科学論において採られる「社会構成主義」(人が議論して存在すると考えるから物事は存在するという考え方)の研究手法(換言すれば、そこで一定の概念をミクロ→マクロへ構想すること)の特色は“具体的な実験環境に関わるフィールドワークについて観察と考察”が行われる点にある

また、社会学においては社会構成主義(Social Constructivism)と社会構築主義(Social Constructionism)は明確に区分されず議論されることが多い。つまり、そこでは共に「人間の対話と議論における最小パーツ(社会の最小構成部品)と見るべき言説(言語)の交流(交換)の結果として物事(リアル社会現象/事実、実態、意味らの謂い)が存在する。それらは言語的に構成または構築されている、言い換えれば、そこでは「“部品言語”還元主義」的に(社会的リアルの最小単位を言語(部品言語)と見なすこと)にしている。

一方、科学論で「構築主義」(Constructionism)と呼ぶ場合は、『“言語以前の実在=一般言語である“部品言語”以前の実在”へ更に遡及しつつ還元するという意味での言語解釈』でリアル実在を組み立てるという意味で、そう(Constructionism)と呼ぶことになる。

換言すれば、科学論で「構成主義( Constructivism)」と言う場合は、「一般的な言語部品の意味から、更に、分子、原子らの根源的な物的実在」へ、還元する、というニュアンスで構成部品を理解していることになる

また、[科学論の「構成主義」(Constructivism/『“言語以前の自然科学的な実在”が視野に入る言語解釈』]における“言語以前の実在”とは“言語”を構築する単位となる更にミクロな部品“言語”、又は更なる“言語”の部品たる実在、その究極の核心はマックス・テグマーク『数学的な宇宙』が言うところの数学、あるいは『数理経済学者・宇沢弘文が言う“数学の本来性”、メイヤスー“一次的性質としての数学” i.e.絶対的エビデンスたる数学』と理解できるかもしれない。Cf. https://note.com/toxandoria2/n/n4ea0f2eba0e6

同じく、上の「構成主義」(Constructivism/『“言語以前の実在”へ還元する意味での言語解釈』における[・・・還元する意味での言語解釈』]の部分は、[・・・絶えざる“内外世界(空間)との相互交流&還元”作用という意味で“多元的”な言語解釈、すなわちそれは「“オミクス生命論”の意味で内外環境世界たる外部環境との間で無限に入れ子的、共鳴的に持続・作動する相互作用とも見える生命交流圏と物性交流圏 or 抽象界たる数学圏を繋ぐ最広義のコミュニケ―ション解釈](Cf.↓★)と理解できるかもしれない

なお、この論点「抽象界たる数学圏を繋ぐ最広義のコミュニケ―ション解釈]は、ユク・ホイhttps://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784791774463)が提唱する現象主義的客観主義、シモンドンの普遍サイバネティクス(アラグマティクス)、あるいはジルベール・シモンドンとカンギレムの一般器官学ベルグソンのエラン・ヴィタールélan vital生命の飛躍)などとも関係することになる?と思われる。

[★「オミクス生命論」の核心となる[情報分子トランスオミクス(多階層オミクス情報研究)/東京大学・黒田真也:大学院理学系研究科教授、https://bit.ly/3I3seDH]」]は、古澤満『不均衡変異モデル(Disparity Evolutionの根幹となるモデル)』のリアルなカギであり、同時にその「DNA次元における内外諸環境(マクロ・ミクロ)の双方交流の影響を重視する」という古澤仮説(不均衡進化理論https://bit.ly/3bxA9hq)と共鳴する非常に重要な研究である。https://note.com/toxandoria2/n/n4ea0f2eba0e6

更に、この[“オミクス生命論”的な意味で内外の環境世界たる外部環境との間で無限に入れ子的に持続する相互作用とも見える最広義のコミュニケ―ション解釈]は、結び目理論で無限に拡がっているという、しかもその一部が我われの三次元空間における極小曲面としてリアルに観察(科学実験を含む)される「なんらかのエネルギーが最小または極小となる“物性物理、または数理論的な状態」として表現し得る、あの変分原理をも連想させるのが興味深い(Cf. …ditto↑… https://note.com/toxandoria2/n/n4ea0f2eba0e6)。

つまり、このことは「我々の存在を条件づける空間そのものが多次元の入子構造(あるいは結び目(結び目理論))による結びつきの構造であることを暗示しているようだ。因みに、この科学論の[構成主義/Constructivism]における、宇沢弘文“数学の本来性”、Q.メイヤスー“一次的性質としての数学”、マックス・テグマークの“凡ゆるリアル存在の根源としての数学”と極小曲面(変分原理)の問題は、下のブログ記事★でも取り上げている。

同じく、上の[社会学における社会構成主義(Social Constructivism)、又は社会構築主義(Social Constructionism)]と、[科学論の構成主義(Constructivism)]は、同じく下記ブログ記事★でもふれており、それは“心の哲学”者、Ⅾ.ディヴィドソンの用語である[「理由の空間」(前者に対応)と「原因の空間」(後者に対応)」に、それぞれ対応していると考えられる

★1 「リアル意識(感性・知性)Vs 実在(自然)」での地球誕生ら「メイヤスーの祖先以前性」の覚醒と、「リアリズム倫理」即ち“理由の空間”の展相(ポテンツ)の二点を喚起するのが“原因の空間”たる数学!∴ コンシリエンスこそが必須!https://note.com/toxandoria2/n/n4ea0f2eba0e6

★2  科学と倫理の距離は近い!/大格差、人間の壁がDX肥大症化!「リーン高度生産性Vs伝統労働力」はAI構造災に非ず重力・変分原理ら科学「知」に関わる根本的な誤謬 or 作為(Pseudo)の人災!https://note.com/toxandoria2/n/n7f729d5bf46c

(2)[アナログモーダルからの俯瞰2]ルーマン作動実在論の限界、それは「アナログモーダル理論が必須!」への予兆

・・・ニクラス・ルーマンの「科学システム論」は、当書(↑■)の著者によれば、“真理の内発的”進化過程の一歩)に位置付けられる。・・・

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ニクラス・ルーマン

ニクラス・ルーマン(Niklas Luhmann/1927-1998/ドイツの社会学者/ルーマンの画像↑は、https://wiki.acervolima.com/niklas-luhmann/より)は、1984年に『社会システム理論』(Soziale Systeme=社会の諸システム)を発表した。そこでオートポイエーシス論を導入したルーマンは、その「只の機械主義(アロポイエーシス/allopoiesis/異種産出)を脱した疑似生命論でもあるオートポイエーシス(autopoiesis/自己創出論)」によって、旧来の“科学システム理論”の水準をも脱し、それなりに「真理/虚偽」の二値を客観的に扱う「視座」の特権を得た。

しかし、一方でニクラス・ルーマンの「真理の科学化」(社会システムの作動実在論)は、未だに社会学の内発的な社会的「機能分化論」に止まっており、そのままでは真に「ヒトのアナログモーダル意識のために有意な身体化された認知」(現代のオミクス生命論の水準、又はシモンドン、カンギレム、ベルグソンらの水準、i.e. 表象“流動”モーダルのレベル)へは到達していなかった

(3)[アナログモーダルからの俯瞰3]アナログモーダル認知

・・・アナログモーダル認知1/オミクス生命論への道程1:フーコー「真理知」なる画期・・・

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フーコー

同じく当書(↑■)の著者によれば、フーコー(Michel Foucault/1926 – 1984/フランスの哲学者、思想史家/フーコーの画像↑は、ウイキより)の「真理論」は、ほぼ同時代のニクラス・ルーマンの社会的「作動実在論」の限界を乗り越えているという意味で、近代社会における「真理の科学化」(それによる非科学的真理の駆逐)の過程をより深く読み解き、更に科学の客観的な視座のための特権性を強化していた。・・・

しかも、[フーコーの「真理の科学化」=単なる社会的「作動実在論」の強化]と理解すれば短絡である。それは、フーコーの緻密で、かつ新しい[社会学的想像力/『言表(言語表現)、言説(言表グループ)、アルシーブ』]には、古典的知識社会学モデルを根底から解体し、真に生命論的な「真理の科学化」を打ち立てる意図があるからだ。

[参考]フーコーのアルシーブとは?・・・Cf.[QT/アルシーヴは、言葉から連想されるような、一般的な意味での知的成果品の収蔵庫や図書館(i.e.一般的な意味でのアーカイブ)のようなものではなく、同時代のすべての言語行為を成り立たせる、より広く内外の環境に開いた枠組の様な(喩えれば漢字“表象”の表意の役割の如き)ものとして設定されており、エピステーメーのような一定の知識の定義が明示されている訳ではない。広く暗示されているだけである。:ブログ・知の快楽https://bit.ly/3mpbv4G

・・・

例えば、フーコーは「狂気」を歴史化(歴史的に客観視)したので「狂気の不在」を説くと思われ易いが、このような理解は短絡であろうそれは、フーコーの問題意識が「狂気の虚構性」ではなく、「狂気の現実性(実在)」にこそあるからだ(より厳密に言えば、狂気 or カルトの内容そのものは虚構であるとしても“狂気 or カルトが憑依した狂人らは有害なリアル実在である”と見るべきかも?i.e.それは堂々巡りをする表象 or カルトの病理のジャンルであろう!)。

ともかくも、換言すれば現下の統一協会ジャンルの如き心霊、カルト、ホメオパシーらとはまったく異なり、リアル生命の一側面が「狂気」(例えば、政治的“せん妄”とも見える“プーチン戦争の出現”の類い(安倍晋三“現象”、トランプ“現象”ら不可解なポストトウルース派の出現も然り?!)などは狂気の恐るべきリアルインカーネーション)に他ならないから(i.e.このような客観的“理解”のフレームがフーコーのアルシーブ!?)であることになるだろう

つまり、D.ディヴィドソンの「理由の空間」(https://bit.ly/3MtotZN)にありながらも、たとえば「狂気、ポストトウルース派」など“ある種”の不可解な対象は社会理論(社会学、科学論ら)またはアカデミズムの領域に組み込まれ、正当な批判の光に照らされてこそ初めて現実性を獲得し、有意でリアルな健全化への道筋も見えてくるものだということになる

だから、未だ社会的(社会論的)に構成(or 構築)されていないから、又は古市憲寿、三浦瑠璃ら名バカり学者達があり得ないと言ったとしても、その狂気やカルトが「存在しない」訳ではない。このことは、フーコーが「反-反実在論≒メイヤスー、M.ガブリエルらの新実在論」へ、(もっと言えば、フーコーこそ現代的な意味で身体化されたアナログモーダル認知(ヒューマンなリアル・オミクス生命論の視座)へ最接近していることを示しているともいえるだろう。

・・・アナログモーダル認知2/オミクス生命論への道程2:「真理と裁判形態」の問題・・・

・・・注目すべきはフーコーの[1973年の講演「真理と裁判形態」]http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/thesis2/d1/D1007630.pdfで、それによれば「真理の科学化」(この場合は、『真理/虚偽』を決定する手続きの意味)には「内発する歴史(真理の内発する歴史)」と「外発的な歴史(真理の外発的な歴史)」という二つの流れがある。そして、この二つは「ルーマンの真理論」(前者、つまり一定のシステム内における作動実在論)と「フーコーの真理論」(後者、つまり真にオミクス生命論的な『真理』の科学化)にそれぞれ、より強く対応すると考えられる。・・・

既に見たとおり、ルーマンの作動実在論(科学システム論)には一定の限界があるそれは、ルーマンの科学システム論(真理と虚偽の判別システム)が、その判別の手続きの場を「科学システム」の内部に限定し、その外部(一見では非合理なものごとに満ち溢れた世界)を無視したことに因る他方、フーコーは、ルーマンと同じく「反-反実在論」(新実在論)の立場ながらも「真理のゲーム」と名付けた「真理の科学化」(人間的な総合“証言”)への遥かに柔軟なビジョンを打ち出した

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スティーヴン・シェイピン

そのフーコーの方法の真骨頂と見るべきは、既述の[1973年の講演「真理と裁判形態」]で発表されたものであり、それは「社会学的想像力/言表(言語表現)、言説(言表グループ)、アルシーブ(既述のとおり、より広く内外の環境に開いた枠組のような、暗示された知の領域)」なる言説分析のプロセスである。そして、これは、「20C初頭以前の科学」が「法廷」という「真理のゲーム」から、その手続きを取り入れていたものであった上掲書の著者・松村一志氏によれば、スティーヴン・シェイピン(Steven Shapin/1943‐/英国出身、米国で活躍する科学史家・科学社会学者・科学論者であり科学知識の歴史社会学をリードする人物/シェイピンの画像↑は、ウイキより/https://en.wikipedia.org/wiki/Steven_Shapinも同様の主張をしている

[補足]松村一志氏が、著書『エビデンスの社会学―証言の消滅と真理の現在―』(青土社)の中で言う「裁判のレトリックの消滅」について

・・・これは、凡よそ19C末~20C初め頃から、それまで<公式な科学言語>の中で使われていた「裁判のレトリック表現」が消滅し始めたことを指す

・・・そして、いわば「数学の本来性、i.e. 現在で言えば、Q.メイヤスーの“事物を説明する数学の一次的性質”」こそは公式な科学言語の保証人の役目を担い得るということが、その頃から次第に遍く理解されるようになっていたことを、その理由の一つと考えても良さそうである。なお、“数学の本来性”は数理経済学者・宇沢弘文の言葉であるhttps://bit.ly/390Lo0Q

・・・別に言えば、それは19C末~20C初め頃から数学、および数学周辺の確率論、統計学、測定・計量学(測定術)など、すなわち「真理の科学化ヴァージョン2」の環境条件が科学それ自体の進化と相まって深化してきたことにも関係があると考えられる

・・・現下の「リアル裁判のエビデンス全消滅!の超リスク」(↓◆)の問題は、この「19C末~20C初め頃から、公式な科学言語の中で使われていた「裁判のレトリック表現」が消滅し始めたこと」とは無関係なことである。

◆【エビデンス消滅の危機!】IT弱者の置き去り問題に止めず、リアリズム倫理&ヒューマンな証言が必須!の時代にリアル裁判の「証拠et証言」全消滅!の超リスクを見逃すな!刑事では更に深刻!→IT化、変わる民事裁判 ウェブ会議で審理・紙使わず効率化 今日、法案成立518朝日、https://www.asahi.com/articles/DA3S15297171.html https://twitter.com/tadanoossan2/status/1534681602386952192

・・・しかし、今度は此の「IT化、変わる民事裁判 ウェブ会議で審理・紙使わず効率化」ということで肝心の裁判制度そのものが自らにとって肝心要である「裁判のレトリック」までを失いかねぬ超リスクを背負うことになるだろう。そればかりか、その超リスクを全ての日本国民が背負わされるはずである

・・・換言すれば、それは裁判と国民が諸共に<愚かなor 錯誤(果ては作為?)の合理性=AI‐DLアルゴリズム>にソックリ飲み込まれるのに等しいのだ!更に言えば、それはAI内部にディープラーニング・ブラックボックスが、i.e.「予測不可の説明不能性」が内生化(寄生)し続けるという恐るべき事態であることを意味する

[参考情報]デジ裁判の先取りかは知らぬが全国民を危機に曝した原発事故の全てを想定外で抽象化!の冷酷判決恰もヒトの概念流動性↓♨を無視してデジタル寄生虫化変態中のAI‐DLアルゴリズムの不条理同然!   →原発事故で国を免責 、想定外に逃げ込む理不尽618朝日社説
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1537956077274537984


♨ ■啓蒙思想初期に周知!のタナトスはヒトの共有エルゴン i.e.その悪の情念の天敵はアナログモーダル!先行把握の身体知で新しい「社会構成」への展相が急務/<注>アナログモーダル=生あるヒトの概念流動性、https://note.com/toxandoria2/n/ndf2a223ea56c

https://twitter.com/tadanoossan2/status/1537956077274537984

関連/アナログモーダル情念の海に漂う概念の流動性PSS理論↑♨)と「同等」かそれ以上に重視すべき皮膚の役割!特に#プーチン ・ネオコン・ #トランプ ・ #安倍晋三 ・ #日本会議 ら先制攻撃(常在主戦)論派は必読!       →モンティ・ライマン著『皮膚、人間のすべてを語る 万能の臓器と巡る10章』‐みすず書房‐618朝日

関連/【QT】「自分」が皮膚の内側に隠れていると思ったら大間違い。皮膚こそ、自分そのものであり、つねに私たちを語っている。とくに、アイデンティティとの関連では皮膚の色に格別の関心が置かれがちだが、皮膚はもっとずっと多彩なやり方で私たち自身を形作っている。…


5[アナログモーダルからの俯瞰4]「真の科学時代」に適合する『新たなエビデンス』を求めて

5-1 オミクス生命論に因る「真の科学時代」に適したエビデンスの条件とは?

ところで、同著書『エビデンスの社会学-証言の消滅と真理の現在-』(青土社)のなかで松村一志氏は以下のように見立てる(同書、p173より部分転載)。

(1)17世紀の段階では、「科学的証拠」は必ずしも特権的な地位(現代科学の意味での)を獲得しておらず、むしろ「法廷証拠」を模倣していた。つまり、この時代の科学的証拠と法的証拠の間には連続性があった。

(2)19世紀には、「科学的証拠」が洗練されていき、やがて「法的証拠」と「科学的証拠」との差異が強調されるようになる。その結果、

(3)「科学的証拠」と「法的証拠」の関係が逆転し、[「法的証拠」が「科学的証拠」に従属]する立場に変わってくる。つまり、[「科学」は「法廷」との結びつきの切り離しを通じて、自らを特別な「真理のゲーム」として構成してきた]と、仮説的に考えることができる。・・・ここで転載終わり・・・

<参考>いわゆる指紋が世界中の人それぞれで異なることが知られるようになったのは1880年の英ヘンリー・ フォールズ(Henry Faulds/1843年6月1日 - 1930年3月19日)は、イギリスの医師、指紋研究者)の学会発表が契機とされる。→「指紋認証の歴史」https://bit.ly/3NwjA3s 

因みに、DNA型鑑定が初めて犯罪事件の捜査に使われたのは1986年にイギリス・ナーバラ地方で起きた強姦殺人事件であるとされる(@ウイキ/https://bit.ly/3s14sT9

・・・

ともかくも、以上の「フーコー“真理の科学化”」から理解できるのは、同じ「真理を探究するゲーム」でありながら、フーコーのそれはルーマンの「作動実在論」の水準を遥かに超えていたと言えることだ。つまり、ルーマンのそれが、「いわゆる只の機械主義(アロポイエーシス/allopoiesis/異種産出)を脱し、たとえそれが疑似生命論(社会構成主義のジャンル)の意味でオートポイエーシス(autopoiesis/自己創出)の“科学システム論”であった」としても、未だルーマンは「“オミクス論”的なアナログモーダルの意義が理解できなかった」という意味である。

言い換えれば「フーコー“真理の科学化”」は、当時において理解できた人文・社会科学の領域にまたがる「生命の多様なコミュニケーション」の諸相を幅広く取り込むという意味で、「ルーマン“真理の科学化”/作動実在論(≒オートポイエーシス)」の“生(生命論)に関わる視座/”を遥かに超えていたことになるCf.↓★。それどころか、それは現代科学知の最先端である「多体問題/互いに相互作用する3体以上からなる系を扱う量子物理・天体物理フィールドの問題https://bit.ly/3OXXmZsにすら殆ど接近していた可能性がある

★[生権力と死の思想/金森 修・東京大学教育学部教授(哲学)]フーコーの支配の概念、生政治(生権力)とは?・・・この場合、人間を単なる身体として捉えるのではなく、多数の人間を生命(地球上の全生命の一環たる/補、toxandoria)に固有のプロセスの全体、つまり誕生・死・生産・病気などのプロセス(マクロ(古典物理的)・ミクロ(量子力学的)の生の多様なプロセス/補、toxandoria)を備えた大きな塊として捉える。https://bit.ly/3F8OpYD

5-2 [アナログモーダルからの新たな期待]ガダマー『地平の融合』によるAI‐DLアルゴリズム原理主義批判

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 Hans-Georg Gadamer

・・・ヒトのアナログモーダル意識で、未だ見えない「一歩先」を見続けるための基本的視座/ガダマー( Hans-Georg Gadamer/1900-2002/ドイツの哲学者、解釈学と名づけられた『言語テクストの歴史性に立脚した独自の哲学的アプローチ』で知られる)の画像↑はhttps://www.facebook.com/Hans-Georg-Gadamer-54716731333/ より・・・

(1)ガダマー『地平の融合』の概要

・・・「AI‐DLアルゴリズム原理主義」批判のアナログモーダル意識を保証するガダマー哲学・・・

いま明らかなのは、もし「AI‐DLアルゴリズム原理主義」社会化がもたらす『人間の壁』(本来的にヒトを包摂するリアル生命環境と断絶したAI‐DL高度機械“抽象”生産性がもたらす大格差の定着化)が基本的に何も手を打たず放置され続ければ、やがて、その<GAFA型「差別(選別)化による恐るべき大格差」>が更に深刻化する一方になる!ということだ。

そして、より厳密に見ればその内容は≪人間の壁1≫と≪人間の壁2≫から成るが、≪人間の壁1≫の中に≪人間の壁2≫が内包されている関係(別に言えば、両者は共依存関係/奇しくもコレはディープラーニング内で内生化している共依存関係と入れ子構造的に共鳴している!/更に言えば、惜しくもオミクス生命論、i.e.自然環境への深い気付きさえあれば構造的カップリングへの展相もあり得る!)にあることが理解できる。

換言すれば、この現象はディープラーニングにおけるブラックボックス問題(統計理論上の内生“共依存”による)と呼ばれるものである。つまり、これは伝統的に「AI知識表象/人工知能」研究の中核と見られてきた『物理的シンボルシステム(非感性的シンボルシステム仮説/ PSSH )』による「特徴量」抽出方式の限界!?とも見える(Cf.↓◆/関連“要参照” →第1章‐注目すべき、ローレンスW.バルサルーのアナログモーダル・シンボル理論)。

◆ディープラーニング(深層学習)のブラックボックス問題と課題/NTT先端技術(株)、https://www.intellilink.co.jp/column/ai/2019/041100.aspx

・・・

ところで、≪人間の壁1≫は、「ヒト本来(労働力)のリアル生産性」と「AI‐DL機械経済化なるデュナミス(潜在的)機械高度生産性」との間で必然的に生じる大格差のこと(適切な分配政策がなければ、両者間の格差解消は不可能!)である。

一方、≪人間の壁2≫は、先ず「準汎用AIの高度機械生産性」の角度から見れば『人間の壁1』の問題そのもの(AI抽象化デュナミス潜勢態、i.e.生命体のヒトにとっては、あくまでも抽象化!)である

しかし、同時に其処では「アナログモーダル感性・感情で日常を生きるヒトは高度デジタル抽象的なビジネス・サービス環境だけでは十分に“感性・感情的”に満足できない(ヒトは何のために生きるのか?)という問題が必ず付随することになる。

つまり、それは<知覚・感覚ひいては感情>こそがヒトの日常言語における固有名(人名・地名ら固有名詞)の一義的な「意義」と概念の形成にさえ先行していると見る、言語哲学で言う「選言説」(https://bit.ly/3zolTSa)の人間観・文化観そのものとの関りが深いと考えられる。

このため、もし此の≪人間の壁(1、2)≫の問題を「社会政策・経済政策・教育政策」的な意味で放置すれば、事態は更に現況より深刻化すると考えられ、ひいてはその<AI‐DL機械経済化に起因するGAFA型「差別(選別)化による大格差」>が皮肉にも自らの生みの親である「資本主義社会」どころか人間社会(民主主義ベースの現代市民社会)そのものの崩壊をもたらすことが考えられる。

しかし、今となってはランゲ・モデルの証明(社会主義経済計算論争の決着https://bit.ly/3MsIP5sを引き合いに出すまでもなく、我われ人類が市場経済に頼らざるを得ないのであれば、愈々、これからがAI‐DL機械経済化による「デュナミス(潜在的)高度生産性」の時代を生き抜くため知恵を絞り、その<AIのデュナミス生産性>をリアル化(血肉化)してヒトの幸せのため活用できるようになる社会・経済・科学技術などのあり方の方向性について、<哲学的解釈学『真理と方法』の確立で“解釈学”自身の≪見えない部分≫に風穴を開け、ヒトのアナログモーダル知に衝撃的な新風を吹き込んだ>と見るべき「ガダマー哲学における“意味の全体論”」の「知」を真剣に生かすべき時ではないかと思われる。

なお、当「ガダマーの“意味の全体論”」は、ユク・ホイ『再帰性と偶然性』https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784791774463が指摘するシモンドンの論点『個体生命の価値的な機能は一つの全体的システム論として内・外の両面が共に構造的に変容する』に重なる?と見えることが興味深い。

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そこで、今こそ必須と思われるのがガダマー哲学における『地平の融合』の意義の再確認ということだ。とはいえ、特に日本ではガダマー哲学そのものが未だあまり一般的に理解されているとは言えないようだ。しかし、(全くの個人的な見解だが)ガダマー哲学はAI‐DLアルゴリズム原理主義が持て囃される今の時代であるからこそ、より重要な意味が再確認されつつあるのではないか?とも思われる。・・・以下は、丸山高司著『ガダマー/地平の融合』(講談社)ほかを参照しつつ関連するポイントを纏めたものである。

(1)第一フェーズ:ガダマー哲学の揺籃期/哲学的解釈学の成立

ハイデガーから強い影響を受けつつも独自の「哲学的解釈学」を創造し今も現代思想に大きな影響を与えるドイツの哲学者、ハンス・ゲオルク・ガダマー(Hans-Georg Gadamer/1900 - 2002)はマールブルク(ドイツの閑静な学都)で誕生した。やがて、ガダマーは父親の仕事の都合でブレスラウ(現在はポーランド東部のブロツラフ)ヘ移り、1918年にブレスラウ大学へ入学した(同年、革命でプロイセンドイツ帝国が崩壊)。

ブロツラフ(ポーランド→ドイツ→ポーランドと変遷)が現代ポーランドの都市の中でも特に寛容な文化の伝統を持つことは知られているが、ガダマーはその寛容な揺籃期の土壌で若い時を過ごした経験があればこそ「“現代”を批判的に診断し、そもそも≪人間とは何か?≫を根底から考え、先験的に、つまり経験を重視しつつも理性に因る普遍性が持続できる冷静なスタンス(静観主義)で、科学技術(および“短絡的”な経済合理主義(Ex.新自由主義)ら)の未来をも視野に入れ現代の危機を克服しようとした」と言えるだろう。

そして、このような特色を持つガダマー哲学が示した『地平の融合』(委細、後述)の視座は、今や≪量子論的世界像&AI‐DLアルゴリズム原理主義”≫の一色で染まったか?にさえ見えつつある現代においても、絶えず近未来への大きな方向性を示し続けることになると思われる。

ところで、やがてブレスラウ大学からガダマーはマールブルク大学へ転入し、そこで学生時代と私講師時代を含め約20年(1919-1939)を過ごすことになる。そのマールブルクでフッサール現象学に助手として触れていたハイデガーから決定的に大きな影響を受けたガダマーはハイデガー学派の一人となった。

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カール・レーヴィット

同じハイデガー学派の一人であったカール・レーヴィット(ハイデガーの筆頭の門下とされる人物/Karl Löwith/1897-1973/ドイツの哲学者、20世紀を代表する哲学史家/画像↑は、https://bit.ly/3H584d4より)は1934年にイタリアへ亡命後(1933年、ヒトラー首相が登場)、更にヒトラーの支配を忌避して1935年に来日し、1941年まで東北大学に在籍したが、やがて日本も安住の地で亡くなりアメリカへ亡命した。しかし、戦後になってからレーヴィットは、1952年にガダマーの呼びかけでハイデルベルクで教授に就任するためドイツへ帰国している。

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ニコライ・ハルトマン

ガダマーはマールブルク大学で当時の主流であった新カント学派のニコライ・ハルトマン(Nicolai Hartmann/1882-1950/後にフッサールに影響を受け新カント派を脱するが、美的対象から表象観念を照射する方法で美の構造を解明した近代美学論が名高い/画像↑は、https://bit.ly/3Q9LJ26より)にも触れているしかし、ガダマーにとり初めて知った頃のハルトマン哲学は“抽象的な只の頭脳遊戯”にしか見えなかった

[注記]ニコライ・ハルトマン『美学(1953)/Ästhetik』
・・・世界構造を「無機物・有機物・心的存在・精神的存在(相互主観性?)」の諸相と理解し、それらが知覚を介する「現象」として直接的に看取される作用構造(ギブソンのアフォーダンス理論を連想させる?)から「前景」としての感覚的・実在的」な形象と、「後景」としての非実在的・理念的なものとしての観念的表象、という二層構造を導き出すハルトマンの美的構造を解明する手法(思考方法)は、第1章で既述の<ジルベール シモンドン「個体の哲学」>および、<「“形式知”(デジタル)たるAIディープラーニング(DL)特徴量」Vs「暗黙知(ヒト/アナログモーダルのジャンル)」の決定的な断絶の問題>との何らかの関りを連想させ、非常に興味深いつまり、ニコライ・ハルトマンも紛れなく「生の哲学」のジャンルであろう。

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三木 清

因みに、日本で新カント学派の全盛期に触れ、その後ドイツへ留学していた三木 清(1897- 1945/西田左派を含めた京都学派の哲学者/京都帝国大学の時代は西田幾多郎に師事/三木の画像↑はウイキより)がマールブルクでハイデガーやニコライ・ハルトマンの授業に出席しているが、この時期に三木もガダマーと同じくハイデガー学派に転向したとされる。この時代についての三木とガダマーの回想は一致しているが、彼らに共通するのが「人間存在の歴史性」であった。言い換えれば、それは「生の存在論、ヒトの存在のあり方/哲学的人間学(Philosophische Anthropologie)」とほぼ同義(ガダマーにとっては、これが地平の融合への布石となる)である。

第二次世界大戦後、1946年にライプチヒ大学の学長(東ドイツ)に選出されたガダマーは、そこで優れた“行政手腕とバランス感覚”を発揮したとされるが、翌、1947年にはフランクフルト大学へ移り2年間の在籍となる。そして、たまたまその間にハーバーマス、アドルノらの「フランクフルト学派」ができているやがて、ヤスパースの後任としてハイデルベルクに着任したガダマーは諸環境が安定したため、講演・論文などの学術活動に集中し、やがて約10年に及び研究成果を纏めるための沈黙期に入った。そして、1960年に主著『真理と方法』が出版される

(2)第二フェーズ: ガダマー哲学の成立/哲学的解釈学『真理と方法』

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『真理と方法』(Gesammelte Werke:1985–1995 (10 Bände).Band 1. Hermeneutik 1: Wahrheit und Methode: Grundzüge einer philosophischen Hermeneutik)は、1960年に発表されたガダマーの主著であるが、丸山高司『ガダマー/地平の融合』(講談社)の“あとがき”によれば、その第二部の抄訳であるO.ペゲラー編、瀬島 豊・訳『解釈学の根本問題』(晃洋書房)が1977年に出版されたことで、漸く、ガダマー「地平の融合」説が日本の思想界でも広く知られることとなったようだ。

そもそも、思想運動としての解釈学という言葉そのものの由来は古代ギリシャまで遡るが、それには凡そ以下三つの意味、i.e. [(1)言葉で表現すること、(2)同じく遍く異分野の人々の理解のために説明・解釈すること、(3)そして、翻訳・通訳すること]があるが、要するに『意味の不明な言葉や事柄を、より広く理解できる言葉で表現(翻訳)し直し、それを他者へ伝えること』である。そして、その意味での解釈学は“表現の解釈を通してもとの体験を理解”する古典解釈学および文献学、神学、法学らの各分野でそれぞれに発展してきた

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シュライエルマッハー

やがて、19世紀前半にシュライエルマッハー(F. D. E.Schleiermacher/1768 - 1834/ドイツの神学・哲学・文献学者、自由主義神学の先駆者、一般解釈学の開祖/画像↑はウイキより)が新しく「一般解釈学」の構想(理解ないし解釈の作用そのものを普遍化し体系的に理論化するという考え方)を打ち出したことで、漸く解釈学は独立した学問の場としての地位を得る。

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ディルタイ

そして、それを哲学の1ジャンルへ変貌させたのがディルタイ(W. C. L. Dilthey/1833 - 1911/ドイツの精神史家、哲学・美学者、心理学者/ディルタイの画像↑はウイキより)とハイデガーであり、その意味でガダマーの仕事はこの二人にその多くを負っている(なお、ディルタイ心理学を精神病理学の世界で継承したのがカール・ヤスパース)。

(3)ディルタイとハイデガーを肯定的に克服したガダマー

ここで結論を言ってしまえば、<ヒトの哲学的・存在論的な精神科学の理解においては[自然科学の説明的・構成的方法/いま風に言えば形式知・デジタル知(コレは ベンサムの“量的功利主義”と共鳴する)]ではなく、[分析・記述的な方法(いまで言えば暗黙知・アナログモーダル知で表現する方法(コレは J.S.ミルの“質的功利主義”と共鳴する)]を、より重視するという意味で、ガダマーとディルタイが「生の哲学」を共有するということだ

つまり、それは人間存在の生命論、歴史性、哲学的人間学(Philosophische Anthropologie)の重視という意味でもあるので、その点では、既述の三木 清にも繋がることにな。因みに余談だが、この解釈学の視点を狂気(or詐欺師)のそれへ没入させたのが、現下の日本社会で深刻な病理を発症させた政治権力と統一協会カルト」の癒着である。それは、<地球の自然環境に根づくヒトの意識はThe Economics of Belongingのため“オミクス生命論に因る多様体の地平の融合@ガダマー”を目指すが、カルトは、只管、Narrow inner circle friendsのために虚構空間を目指す!w>であるからだ

例えば、2000年以降の日本社会に深刻な病理を発症させてきた「政治権力と統一協会カルト」の癒着で大活躍したのが「世界日報社」(統一教会ダミー・メディア)による“男女共同参画、LGBTQの権利擁護”らへの“草の根”バックラッシュ狙いの潜入である。その“草の根”バックラッシュ活動(潜入活動)の手法は実に巧妙で、主要ターゲットは地方自治体らのジェンダーフリー担当のセクションであった(当然、町内組織らも視野に入る)。

また、その潜入活動では統一(世界日報社)と共に諸々の宗教右派が絡んでいる。そして、その活動の旗を高みから巧みに振ってきたのが安倍晋三、山谷えりこ等の政治家たちであった。なお、当件の委細は<記事「自民党の性をめぐる政策と宗教右派―地方の草の根運動の視点から―/社会学者・斎藤正美」(雑誌『世界』9月号=フィールドワーク・レポート)> を参照乞う。

更に、この論点は現代のマクダウエルの「リアリズム倫理学」にも重なると考えられる(関連参照 →バシュラール「形式的想像力・物質環境的想像力」と深く共鳴するマクダウエル「リアリズム倫理学」の核心(第二の自然)、https://bit.ly/3MzDp8O)。


一方で、シュライエルマッハーのそれが過剰に主観を重視する解釈学であることから、同じ生の哲学を継承しつつも、ガダマーはシュライエルマッハーの解釈学を正統に引き継ぐディルタイを「ロマン主義の“神秘的”解釈学」と名付け批判していた。

しかし、ハイデガーの解釈学を学んだガダマーは、そのハイデガーの「学」としての解釈方法よりも更に精密な論理で批判する手法を創造し、その自らの「適用」(Übernehmen)なる概念でハイデガー解釈学をも肯定的に乗り超えることになる

因みに、「ディルタイによる『主観』偏重のロマン主義的な解釈」の特徴は、客観的な「学 」を謳いつつも、その解釈の結果が「文献等への自己移入による追体験で自己の主観と文献に潜む諸主観との間の“神秘的”(理解不能)な“内生的”で妙なる交わりのジャンル」から生まれると考えている点にある

奇しくもここからは、目下、益々、期待が高まりつつあるかに見える人工知能AIディープラーニング深層学習)]、[「特徴量を抽出するニューラルネットワーク計算の内容の論理的な検証が不能”(i.e.先に述べたばかりの、かの“妙”なる?ブラックボックスによる内生化の極み?)である!]という現実AI‐DLアルゴリズムなる神秘主義!?/苦w)が連想させられる

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・・・[閉鎖的かつ内生的なAI‐DL‐Blackboxの透過的推論だけで結果を急ぐ(出す)のは危ういので、ローカルな部分と全体のバランス i.e.多様性多様な関係性に支持されたアナログモーダル世界の暗黙知)」の視点の確保(関与)こそがヒトに有意なPSSHになり得るそれには数学の活用とヒトの十分な関与による緻密な評価が役立つ事実が理解できた!]ということ? 
 → 

https://news.mit.edu/2022/machine-learning-explainability-0505

これは、生来の小心者ゆえの只の気のせいか? それとも何ゆえかは定かならずながら、いまや確実に日本社会にも漂い始めた、異様かつ絶対不可知な「アポカリプス」の如き妖しい空気の拡がりに対し、いささか過剰に反応しがちな、ヒトの「アナログモーダル」意識がもたらす、取り越し苦労のジャンルの杞憂なのだろうか?

[注記1]J.S.ミル“質的功利主義”とベンサム“量的功利主義”の違い・・・“質的功利主義”(精神的快楽)は、“量的功利主義”(身体的快楽)よりも永続性・安定性・低費用性などの点で優れているので、J.S.ミル“質的功利主義”はベンサム“量的功利主義”よりも、ヒトのためのリアルな質(適度で中庸な快楽)を重視するという条件を付けることになるが、ヒトにとっては、より優れた価値の高い快楽であると考えられる(https://bit.ly/3O4MFCZ)。また、それ故に此の問題は、現下の<総AI‐DLアルゴリズム化(or AI‐DXリーン)>時代における、『人間の壁1,2/止まることを知らぬ?“格差”拡大』とも非常に深く係わる、と考えられる。

[注記2]ここで言う多様性についての“小考察”“混群”の問題について(人間社会のことなので、あるいは“混住”の表現が適切かも?)
・・・“混群とは異種の小鳥たちが群れることで多様性の日常の住環境を創ることによる、生存上のリスクヘッジが観察されることを意味する/@京都大学白眉センター特定助教 鈴木俊貴氏、https://www.youtube.com/watch?v=hMHKmn3hoeU

(4)ハイデガー解釈学の前提条件/ガダマーに与えた『存在と時間』の衝撃 

これは一つの見方にすぎないが、「マッハ感覚論的素材性(エトノス&感情の海を漂うエネルゲイア)がその切り口であると理解できる自己自身をふくむ現存在(Dasein/いま目前にある生のリアルとしての存在)を重視するガダマーは、[ハイデガーの「先入見」と「解釈学的状況」]に出会ったことにより、自ら(ガダマー自身)が、今まではただ内生的な「被解釈性」の内側を動いていたにすぎなかったということを深く思い知らされたはずである

それは、今まで主体的かつ客観的に自分が解釈していると思い込んできたのだが、実は個体生命・自然環境・歴史らを含む内外ミクロ・マクロの両環境を志向する視座から見れば、我われは、ある文脈について閉鎖的な解釈を常に受動的に強いられていたのだという厳然たる現実について、ハイデガーの内外に向けて開かれた先入見解釈学的状況という思想既述した『フーコーの“アルシーブによるリアリズム解釈”の問題意識』ともほぼ重なる!?)に出会ったことで、ガダマー自身が大きな衝撃を伴いつつ覚醒させられた!と考えられるからである

[補足]【ハイデガー哲学の核心】の問題については、下のブログ記事◆の[第1章- D.デイヴィッドソン「トークン同一説」/非法則的一元論)の再評価/<注>【ハイデガー哲学“慧眼”の核心】]の部分を参照乞う

◆「リアル意識(感性・知性)Vs 実在(自然)」での地球誕生ら「メイヤスーの祖先以前性」の覚醒と、「リアリズム倫理」即ち“理由の空間”の展相(ポテンツ)の二点を喚起するのが“原因の空間”たる数学!∴ コンシリエンスこそが必須!https://note.com/toxandoria2/n/n4ea0f2eba0e6

(5)ハイデガーの解釈学的状況の前提となる、三つの種類の「先入見」について

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ハイデガー

ところで、ガダマーに衝撃を与えた、ハイデガー(Martin Heidegger/1889 - 1976/ドイツの哲学者/画像↑は、Wikiより)の「解釈学的状況」が意味するのは、以下のプロセスのことを指している

(解釈学的状況の前提となること1/先入見の三つの種類)

[前提条件となること1]

その先入見(Vorschau)ということの三つの種類を列挙すると以下のとおりである。まず前提となるのは「それが何であれ、存在への最も根本的な問いが今ではすっかり忘れ去られている」ということだ。そして、ハイデガーは、その「存在への最も根本的な問い」である「忘却」を生み出す「先入見」が三つあるという。

一つ目の先入見 → それは、「存在」が最も普遍的な概念である(一般的には、何かが存在すると考えるのは当たり前のことだと思われている)ということだ。そのため、「存在の概念は最も明晰で、なにも究明を必要としないものだ」と考えられているが、実は、「存在」とは、もっと曖昧なものなのである。余談だが、いま日本の政治・経済・社会に大混乱を齎している統一協会カルト、i.e.アベ・マターが悪辣なのは此の存在の曖昧さなる科学・哲学上のアキレス腱を徹底的に攻め続けている点にある!

二つ目の先入見 → それは、「存在」という概念は完全に定義することが不可能であることだ。たしかに、例えば人間なる存在を完全に一義的に定義することはできない。理性的な人間もいれば、感情的な人間もいるという具合になるからだ。しかし、だからといって何かの「存在」が定義できないということでもない。

三つ目の先入見 → それは、存在は自明な概念であるということである。たしかに、日常会話の中で「・・・がある」という表現を用いれば、それは直ちに理解されるはずだ。しかし、実は、その「・・・がある」とされたものの意味は多様であり、そのことを思うと、その「・・・がある」という表現の意味は不分明のものとなってしまう(これも、例えば現下の日本を深刻なホワイトアウトへ誘いつつある統一協会カルトの問題を想起してみよ!→♨↓)。
♨ https://twitter.com/tadanoossan2/status/1547689597790228480

結局、以上三つの「先入見」を考えると、「存在」への問いには答えが見つからないうえ、「存在への問い」それ自体が方向性を見失っていることになる。i.e. 凡ゆる存在について、それら各々のことを一義的、完結的、自明的な理解内容で固定的に把握できないことになる

[前提条件となること2]

この[前提条件となること2]は、解釈学的状況の理解に係わる先行構造(Ver‐Struktur)ということであり、それは下の三つから成る。

(a)先把持(センハジ/Verhabe)・・・ヒトとしてのアナログモーダル意識の視野が開かれ、解釈されるべきもの(対象)が、その中に確実に取り込まれること。 

(b)先視(センシ/Vorsicht)・・・その対象へ照準が合わせてあること(視線のベクトル)。

(c)先行把握(センコウハアク/Vorgrift)・・・これは予め抽象概念的に規定されているということこの論点は、“もし、プラトン的な観念が不在であれば数学の概念を我々は理解できない”と見るR.ペンローズ(英国出身の天才的な数学者・理論物理学者/1931-)の主張と重なるものがあり興味深い!(関連参照:当記事、第三章:自然計算はアナログ暗黙知ワールド?/超デフォルトモード・フラッシュ?)/←補足、toxandoria)。

・・・

そして、ハイデガーはこれら(a)~(c)の全体を此の意識の働きとしての「先入見」(Vorschau)が隠蔽していると見る。そこで、現存在(Dasein)の解釈学を成立させるために「先入見」を破壊する(解く)か、ないしは「その状況」を変容しなければならないとハイデガーは主張する。別に言えば、それがハイデガーの「事実性の解釈学=先入見を取り払った(先入見を解いた)テキストの解釈で漸く自己理解が変容し得ることとなり、その状況に対して根源的な問いを出せるようになる」ということである。

[補足]先行把握(センコウハアク/Vorgrift)と「選言説」の関係について
・・・直接的には無関係なことだが、このハイデガーの「先行把握」からは、[第1章-意識の源としての情念、 アナログ・デフォルトモードフラッシュ、そして“時間の矢”の問題、…[補足]…]でも触れた「選言説」(知覚・感覚ひいては感情こそがヒトの日常言語における固有名の「意義」と「概念の形成」に先行する(±、および内外の両面において)と見る、言語哲学の考え方)が連想される
尚、選言説(論)の委細については、下記★を参照乞う。

★科学哲学 42-1(2009)「論文/知覚の志向説と選言説」小草 泰https://bit.ly/3zolTSa

(6)現代における知の解釈学の基底と適用

ガダマー『真理と方法』の核心として絶対に押さえるべきことについて、丸山高司氏は著書『ガダマー/地平の融合』の中で以下のように語っている。

・・・「知識」だけでなく「規範」(おそらく倫理も含む/補足、toxandoria)についても、現代思想の特徴となっているT.クーンという新たな視座を、「解釈学」の「先行理解」(既述のとおりハイデガーが始祖)のなかにシッカリと取り込むべきことが理解されるようになったが、当然、ガダマーは当初からそうした“人文・社会と自然科学の垣根”を超える、よ(おそらく、カルト対策の意味でも!)り広い意味での現代思想に関わる「知識」の問題へスポットを当てることが必須であるとの理解を自らの解釈学の基底に取り込んでいた。・・・

このようにして、ガダマーの解釈学は恰も現象学(エルンスト・マッハの“マッハ感覚論的素材性(論)”がそうであるような意味でダイナミズムに満ちた、人文・社会・自然科学の垣根を超える広大な「生の思想運動」へ変容したのである

つまり、ガダマーの深い理解は「解釈」と「適用」(理解していることを、只の知識として抱えているのではなく人々がそれを自己の状況へ解釈的に関係づけつつ自ら何らかの新たな意味(それぞれ固有な人間存在の歴史性の意識)を個々に発見すること)の契機を含む統一的で全体的な運動となったのである。

(7)ガダマー『地平の融合』によるAI‐DLアルゴリズム原理主義批判のポイント

(ガダマー『地平の融合』は“意味の全体論”への希望)
 

『地平の融合』の説明に入る前段で『ガダマー/地平の融合』(講談社)の著者・丸山高司氏は以下のように述べている。

・・・ガダマーは「すべての独断論を批判的思考の訓練で克服する」という、先ず非常に地味な立場を主張しつつ、一方でラディカルな問いかけが哲学にとり絶対的に不可欠であることを認めている。しかし、ラディカルな問いからラディカルな帰結を引き出したとしても、それを「最後の言葉」とすることを断固と拒否しており、あらゆる幻想や狂信(例えば、統一教会やオーム真理教の如きカルトは無論のこと、それと近しい権力的な狂信ら)に対して常に覚醒し続けるのがガダマー哲学の心髄である.・・・

そこで、『地平の融合』の最も重要なキーワードと見るべきものが「適用」と「作用史(Wirkungsgeschihite)」である。

先ず「適用」についてだが、これは「理解していることを、只の知識として抱えているのではなく人々がそれを自己の状況(夫々の生き様など)へ解釈的に関係づけつつ自らが何らかの新たな意味(それぞれ固有な人間存在の歴史性の意識)を個々に発見すること」を意味する


ガダマーによれば、過去の理解とは「単純に過去を現在に引き寄せ同化すること、あるいは現在を過去に同化すること」(等時性/例えば、懐古趣味(アナクロニズム)に溺れる極右らがこの罠に落ちることが多い)ではなく、「過去を現在に媒介すること」(共時性)である。

<注>「等(同)時性、共時性」について

・・・・・・等(同)時性:意識空間において美的・歴史的対象などの表象が恰も万華鏡の如くバラバラに散らばっている状態。この場合は、逆説的に見えるがそうであればこそ特定の恣意的な力(例えばカルトや悪しき権力の誘惑など)が隙間に闖入し、それによって周辺が強圧的に支配され易く、必要に応じて“時間の矢の倒置すらが行われ得る”という弱点(これが、例えば安倍晋三・シンパによる公文書改竄の動機となったり、あるいは米トランプ・シンパらによるポストトウルース狂信などの悪しき『権力行使』願望の根源となったりする!)が生まれることになる。

・・・共時性(これは健全なアナログモーダル表象の事例):例えば、仮にそれが古い芸術作品であるとしても、その作品に価値があるのは、それを享受(鑑賞)する側(鑑賞者・解釈者ら)が、その古い作品の意味を個々に摂取し、それと共感するという作用プロセスで自己(個々人)の変容がもたらされ、結果的に、新たな自己同一性が絶えず創生されるような状況(極端な事例がカルトによる此の創生プロセスの破壊!)を意味する

つまり、「過去は現在へ働きかけ、現在が過去へ働きかけ続けるという意味で(老婆心だが、これは時間の矢の逆転ではない!)、我われ人間社会を含む全ての地球上の自然・文化・社会エトノス環境のトータルが、リアルに生命あるものとして生き続けること解釈学的循環になるこれこそが、ディルタイ・ハイデガーらの生の哲学の延長線上にガダマーが発見した、『理性の生命論』とも言える「新たなアナログモーダル意識が創生される場」の核心である

言い換えれば、ガダマーにおける解釈学上の理解とは、開放的な問いのプロセスにおける伝承の運動と解釈者の運動とが互いの見えない内側”(アクセル・ホネット/Axel Honneth/1949年- /ドイツ、フランクフルト学派の哲学者)において働きあう“Das Ineinanderspiel ”のことである。

このような理性の働き(AI‐DLアルゴリズムBlackboxで内生(に寄生)する“神秘的”な作用とは全く異次元!の意味で精妙な働き)によって、過去の地平と現在の地平とが絶えず融合されて“意味の全体”が確認されるが、それだけではない。ガダマーの『理性の生命論』の視座から俯瞰すれば、これら二つの地平の延長には、絶えず未来の地平への“アナログモーダル・ブラウジング意識”で一回性を生き続けるヒトのための希望、i.e. 展相(ポテンツ)が見えてくるのであり、これこそ『地平の融合』、換言すれば堂々巡りのカルト・ループならぬ健全なアナログモーダルの持続的創生ということなのだ

【補足】ガダマーによれば「解釈」は意味不明なものをより分かる言葉で翻訳し異分野の他者へ広く伝える事なので、義務教育による国語の放棄は日本の漢字、伝統表象文化に唾する愚行!Cf.↓♨  →深刻な教員不足、国語が自習に 兵県教委、公立校で114人足りず…626神戸新聞https://twitter.com/tadanoossan2/status/1541915956641173504

【連想】いま求められるのはエマルション(物質が反発しつつ共存する)から a[ヒューム『身体化認知(認識論)』] Vs b[AI‐DLアルゴリズム『ヴァーチャル身体論』の逆説的構造的カップリング/b<a」]への展相に必須の文化表象意識の再発見! Cf.↓♨ 
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1542239564533997568

(アナログモーダル“再認識”の社会構成(Social Constructivism)に有意な、新たな『解釈学』創生への期待)

・・・一旦の「ナチス罹患」で、<アンチ・ナチス「抗原提示『細胞』」型抗体>を獲得したハイデガー哲学、およびガダマー解釈学に残された課題・・・

・・・自然免疫より、一層、重要か?とも見える「抗原提示細胞/↓◆」型免疫! 問題は、一旦の深刻な「ナチス罹患」の経験でも<アンチ・ナチス「抗原提示細胞」型免疫>が一向に獲得されない!“美しい日本?”ということ!・・・

◆「抗原提示細胞型」抗体、i.e.組織の全体『細胞』に定着して提示されるタイプの抗体(喩えれば、人間・社会“最深部”の文化免疫、持続創生型プロトモダニティー・パワーに相当!)とは?/免疫のしくみと働き(WEB PHYSIOLOGY:“人体の仕組みと働き”の一部)、http://plaza.umin.ac.jp/~histsite/3immuntxt.pdf

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・・・“体細胞、幹細胞、ES細胞、iPS細胞”をめぐるエトセトラ・・・
 
★ES細胞(胚性幹細胞)とは? その倫理上の問題点| 国際幹細胞普及機構、https://stemcells.or.jp/about-embryonic-stem-cells/
・・・(ポイント)ES細胞は発生初期段階で胎盤胞期の胚の一部、内部細胞塊から産生する幹細胞細胞株のこと。ES細胞には治療が困難とされてきた難治性のがんや、神経損傷などの重篤疾患を治療する可能性があるが、発生初期の胚の一部である内部細胞塊から産生する幹細胞細胞株を利用することに因る倫理上の問題(クローンの可能性などで、個体生命の一回性に係わる/補記、toxandoria)、およびそれに男性の精子が入っていることによる、生体移植時と同じ拒絶反応(自己免疫の発生)などの問題がある。
 
★ES細胞とiPS細胞(人工多能性幹細胞):幹細胞のあれこれ | 生物学科 | 東邦大学、https://www.toho-u.ac.jp/sci/bio/column/0810.html
・・・下の画像×2枚は、↑HPより転載。

・・・(ポイント)山中伸弥氏のノーベル賞受賞で周知のとおり、iPS細胞は体細胞へ4種類の遺伝子を導入(山中4遺伝子で分化過程を初期化、リプログラミング)することでES細胞(胚性幹細胞)と同様に非常に多くの細胞に分化できる分化万能性 と自己複製能を持たせた細胞。特にヒトiPS細胞は体細胞ドナーにとって免疫拒絶のない移植細胞の供給源になると期待される(補記、toxandoria)。

★iPS細胞(人工多能性幹細胞)の可能性と新たな倫理上の問題点(解明すべきメカニズムと新たな倫理的課題)| 国際幹細胞普及機構、
https://stemcells.or.jp/abaout-induced-pluripotent-stem-cells/
・・・(所見/toxandoria )細胞の初期化がOct3/4、Sox2、Klf4の3つと、c-MycまたはGlis1でなぜ起こるのかについては詳細なメカニズムが未だ解明されていない。また、拒絶反応についても、そもそも自己細胞なので拒絶反応は理論上起こらない筈だがマウスでは起こることがあるとされる。加えて、「理論上、同性者間でも子供を作る事が可能」、および「理論上、同一人物の細胞から精子と卵子を作製して受精させる事も可能(事実上、クローン人間が可能)」であるため、新たな宗教・文化・文明意識上の、あるいは新たなリアリズム倫理上の問題が生まれつつある。だから、この医学的技術の可能性が大きいだけに、一層の慎重を期す姿勢と謙虚な研究姿勢が求められる。矢張り、そこで最大のカギを握るのは、ヒトとAIの「意識をめぐる論争」の最大の難題(アポリア)の形でも垣間見えた、あの<「個体生命の一回性をどう、我われ人類文明が評価するのか(orできるのか)?>という点であろうそして、この<ある意味での人間性生命性?)の壁/“二つのエス”(Cf.当記事・第1章ほかのイニシエーションで現実社会に必ず横槍を入れようとする『悪徳』のエルゴン、i.e. 暴走・横暴化し易い市場原理主義ら>の取り扱いを誤れば(特に、このiPS細胞の技術が、もし市場原理主義の道具視されるようなことにでもなれば)、ポストトウルース派(狂信者になった俗物 =凡人権力のリアル狂人化、i.e. プーチン、安倍晋三、トランプら)がエンドレスに再出現し続ける事態ともなりかねない
 
★[関連情報]iPS細胞を使って毒性検査、京大などがAIシステムを開発20220615MIT. Rev.https://bit.ly/3NVCkcL

・・・

ともかく、もし<主に第1章と第3章でふれた「二つのエス」なる無自覚(無意識/無媒介的認知的自己意識)の奥にある一部の闇の部分が、過剰に肥大化しリアル感情を無自覚のままで浸潤するように>でもなれば、意識バランスの様態は一転し自己破壊的リスクとエントロピーを増加させ、遂には自滅(無限背進・後退)型の「超利己主義の病理」(喩えれば、オミクス病(ここでは、いわゆる難病のジャンルが数多くみられる)の発現(発症))へ、人間社会そのものが没入することもあり得る。

それ故、今や「政治思想史」と「感情の政治学」はこの非常に悩ましい問題(ダン・ザハヴィが言うところの無媒介的認知的自己意識である二つのエスの問題↓★、https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2019/09/02/123620)との対峙が避けられなくなっており、これもリアリズム倫理(Fiduciary、https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2021/02/02/011339)が益々重要になる背景となっている。

だから、二つのエス(二つの前意識)、つまり【開放的で持続生命論的な光の系譜】と【閉塞的で無限後退(背進・退嬰)的な闇の系譜】の二つは夫々が「情念(前意識に潜む)のノエマ(いつでも何かを契機としてリアル意識化され得る無自覚な情念の内容)」として自覚的な意識に対し大きな影響を隠然と与え続けることになる。

例えば、古典的な自由平等の「建国の精神」への回帰を標榜するウルトラ保守層(あの“負け組を覚醒し悔しがってきた米国のRust Belt白人層”、i.e.人種差別主義者?)ら熱烈なトランプ支持層が、そもそも自らを困窮化させた元凶である筈の「“格差”拡大政策がホンネの偽イデオローグである自由原理主義」を未だに篤く信奉し、リベラル共和派(その過半超は限定自由主義派)を厳しく批判する米国政治の今の姿(再び、バイデン政権を脅かしつつある)は大きな「自己矛盾」である

従って、この重篤な「米国分断」病の寛解のためにもM.アンリ『感情の政治学』(↓★/https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/06/04/155449 )由来の知恵(悪の情念へもhttps://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000123.000071s://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000123.000071 )を生かすために、その「前意識」の病理を冷静に摘出するとともに、先ず、その大いなる自己矛盾についてのポピュリズム層の自覚を促すため、より広く、かつ分かり易く解釈し、説明するという意味でのリテラシーのための「ガダマー解釈学」的な努力と工夫が求められる。

参考資料/20世紀最大の哲学者はなぜナチスに加担したのか?/轟 孝夫「ハイデガー・ナチズム論」の決定版!『ハイデガーの超-政治--ナチズムとの対決/存在・技術・国家への問い』‐明石書店-https://www.atpress.ne.jp/news/206188

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参考資料/「気づかう人」(ハイデガー哲学)には人間相互の気づかいに留まらず、情念的な成分の“強者側の一方的勝利もあり得るエトノス、i.e.宇宙的・多義的な自然と生命の宿命が視野に入っていたとされる。そのためナチスを歴史的好機(必然の歴史的瞬間=カイロス)と見たハイデガーは、一時期、フライブルグ大学総長・拝命後の同年(1933)にナチスに入党したhttps://toxandoria.hatenablog.com/entry/20171109/p1

参考資料/ 近づく本格的な「第4次産業革命」の時代に潜む超リスク/一般に欧米では“科学技術が政治権力と結びつき易いことが理解されている https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938


(エピローグ)

マルクス・ガブリエル『外界の思考/新実存主義』とモネ・セザンヌ『印象派美学』の共鳴

https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/06/04/155449

・・・<知覚・感覚ひいては感情>こそがヒトの日常言語における固有名の一義的な「意義」と概念の形成に先行すると見る「選言説」と関りが深いことになる(https://jstage.jst.go.jp/article/jpssj/42/1/42_1_1_29/_pdf/-char/en)。・・・

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因みに、「外界の思考」という哲学的でユニークな考え方がある。これは、新実存主義を提起する新進気鋭の哲学者マルクス・ガブリエルの言葉であり、それは内外のエトノス自然・社会環境との深い関係性を維持する意識のことを意味するが、例えば、これは「龍安寺・石庭」が我われの内心に拡がる広大な感情の海に永遠の静寂なる感動を与える秘密を解明するヒントを与えてくれているようだ。

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また、それぞれアプローチ手法は異なってはいても、モネとセザンヌは「外界の思考」の美学を実践した芸術家であるといって間違いではなさそうだ。つまり、モネの金字塔とも言うべき、かの連作『ルーアン大聖堂』の「色彩を強調した一瞬一瞬の印象の違いの表現」は“まさにモネ自身の感動を伴う感性”の表現である。

一方で、あの「変化しながらも変わらないものについてのセザンヌの表現」は<アナログモーダル意識の『地平の融合』(@ガダマー)における形象認知的な“象徴性”の表象>といえるかもしれない

(完)




















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