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戦争まで引き起こした「イエロー・ジャーナリズム」⑨~「革命のヒロイン」登場

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 スペイン領キューバの情勢が緊迫化するにつれて、ハーストの《ジャーナル》は煽情的な報道を繰り返した。

脚色された悲劇のヒロイン

 1897年8月には、キューバの革命家の娘で、18歳のエバンジェリーナ・シスネロスという女性が投獄されていることが報じられた。エバンジェリーナはキューバ一の美女に仕立てられ、刑務所の劣悪な環境も誇張して書きたてられた。その反響は大きく、彼女の救出のために著名人を含む数百の署名が寄せられた。


 ハーストは、なんと記者のカール・デッカーに対して、エバンジェリーナを脱獄させるよう命じる。デッカーは賄賂を使ってエバンジェリーナを救出することに成功し、彼女はニューヨークまで連れてこられた(賄賂が通用して簡単に脱獄できるあたり、重要人物ではなかったのだろう)。民衆は彼女を熱烈に歓迎し、マッキンリー大統領までもが彼女をホワイトハウスに招待したという。

《ジャーナル》に引きずられる《ワールド》紙

 一方、ライバルである《ワールド》紙の方はキューバ情勢をどう報じていたか。その報道姿勢は意外と冷静で、キューバ民衆の窮状を同情的に書いていたものの、マッキンリー大統領やスペイン政府の見解なども報じていた。しかし、扇動を控えていたのも1897年の末までだった。情勢が緊迫するに従い、《ワールド》紙の記事内容も刺激的になっていく。

 年が明けた1898年初めには、《ジャーナル》紙が在米スペイン公使の手紙をすっぱ抜いた。スペイン公使デ・ローメの手紙が盗まれ、《ジャーナル》に持ち込まれたものだ。そこには、マッキンリー大統領について「弱腰で、大衆のご機嫌ばかりうかがっており、共和党の主戦論者と手を結んでいる見ばえのしない政治家」と酷評していた。ハーストはこの手紙を紙面で暴露し、「米国に対する史上最悪の侮辱」という見出しをつけ、市民の対スペイン感情をさらに悪化させた。

運命の「メイン号事件」発生

 スペインに対するアメリカ市民の敵愾心を煽る報道は、1898年2月の「メイン号事件」で頂点に達した。カリブ海で緊張が高まっていたことを受け、アメリカのマッキンリー大統領は軍艦メイン号をハバナに派遣していた。その矢先の2月15日、メイン号はハバナ港で大爆発を起こし、約260人の乗組員が犠牲になった。ちなみに、その中には料理人・給仕として8人の日本人も乗艦しており、6人が死亡している。

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