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戦争まで引き起こした「イエロー・ジャーナリズム」⑧~つくられた”卑劣なスペイン人”

前回はこちら。

「イエロー・ジャーナリズム」の帰結として悪名高いのが、米西戦争(アメリカ・スペイン戦争)にまつわる報道だろう。

何が戦争の発端だったか

 カリブ海に浮かぶキューバは、16世紀からスペインの植民地だったが、19世紀末になると独立運動が激化していた。キューバの砂糖産業にはアメリカからも多くの資本が投資されていたので、アメリカ人はキューバ情勢に強く関心を持った。

 1896年、スペインは反乱鎮圧のため、ウェイレル将軍をキューバに派遣した。彼は農民たちが反乱軍に協力するのを防ぐため、彼らを強制収容所に入れるなどして非難を受ける。

キューバ報道を過熱させた《ジャーナル》


 ハーストも、すぐさまキューバの独立運動に食いついた。「キューバ人の運動を弾圧する残虐なスペイン人」という構図は、大衆の興味を引く物語としてうってつけだった。そして《ジャーナル》紙は、「残忍なスペイン人」の悪事を告発する「正義の味方」になるわけだ。

 ハーストは早速、特派員デイヴィスと挿絵画家レミントンをキューバに派遣する(1897年1月)。ハーストにとって、キューバ情勢の切迫はビジネスチャンスであったのは確かだ。しかし、彼はそれ以上に心情面でもキューバにかなり入れ込んでいた。

「私は戦争を用意する」

 キューバの首都ハバナに到着した特派員と画家だったが、特に記事になりそうな戦闘や残虐行為は見当たらない。画家レミントンは、ハーストに電報を送った。
「万事平穏、ここには何の問題もありません。戦争は起きないでしょう」
 ハーストは、画家にこう返信したという。
「そこにとどまるように。君は挿絵を用意しろ。私は戦争を用意する」
 米西戦争と《ジャーナル》紙の関わりを語る上で外せない有名な逸話であるが、史実のやり取りであったかは確証がない。この逸話の信頼性については後述しよう。

”女性を辱めるスペイン人”

 いずれにせよ、《ジャーナル》紙は火のないところにも無理やり煙を作り出した。1897年2月12日の紙面には、スペイン当局がアメリカ船を捜査し、キューバ人女性を取り調べたという記事が掲載された。記事の隣には、スペイン人によって裸にされ、取り調べを受ける若い女性が描かれている。スペインの野蛮さを読者に印象付けていることは言うまでもない。

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 政治的・経済的、あるいは軍事的な意味での重要性より、「いかに紙面に映えるか」を優先して取り上げる内容を決めたわけだ。

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