深大寺城~都内に残された戦国の城
南北朝時代~戦国時代にかけての動乱の時代、各地に城が築かれました。しかし、その多くは開発の波に飲まれ遺構は破壊されています。
東京都調布市にある深大寺城は、大都市近くの中世城郭としては例外的に保存状態が良く、国指定史跡となっています。
北条氏VS.扇谷上杉氏
16世紀前半、武蔵国に勢力を伸ばしたのが扇谷(おうぎがやつ)上杉氏です。しかし、相模国からは新興の北条氏が攻め込み、上杉氏を脅かしていました。
深大寺城は、扇谷上杉朝興によって改修され、防衛拠点となります。しかし、天文6(1537)年に朝興が死去。当主が若年の朝定に代わった隙をついて、北条氏綱は深大寺城を迂回し、河越城を奪取します。深大寺城は戦略的意味を失い、その後廃城となったと考えられています。
深大寺城の現在
JR調布駅からバスに乗り、深大寺にアクセスします。深大寺城跡は、神代植物公園の「水生植物園」内にあります。
現在公園となっているのは、第一郭・第二郭ですが、往時はもっと広い城域がありました。
第二郭はとりわけ広々としています。地面に見えるのは発掘された建物の礎石の位置を示しています。
第二郭の西側には二重の土塁と、間の空堀が分かりやすく残っています。
第一郭は第二郭と比べると鬱蒼としています。木々が生い茂っているのに加え、曲輪を囲む土塁が高いのも影響しています。
第二郭の土塁。土塁の奥には空堀があり、さらに奥が第一郭です。土塁と空堀を組み合わせて高低差をつけているのです。
住宅地から城の痕跡を探す
第二郭の西側、現在はテニスコートや住宅地となっている部分も、かつては城の一部でした。
迂回してみると、確かに「国史跡深大寺城跡」とあります。今はただの空き地で、面白みは感じないかもしれません。
しかし、よく地形を観察すると、台地の縁の斜面に気づきます。天然の要害地形を活用して築かれた城だったのですね。この斜面は南向き、つまり敵対する北条氏に向いています。ここを攻め上ってくるのは困難でしょう。
地味な城に分類されるかもしれませんが、深大寺城は中々に「歩いて楽しい」城なのです。
余談ですが、深大寺はそばが名物。訪問前に食したそばは美味でした。
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