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僕と息子と野球の日記⑮

冬の厳しいトレーニングが終わる。 次男は中学生の時も得意としていた外野手 として、定着していた。 2年前、長男が言った言葉を思い出す。 「最後の夏はね、みんなグローブをオーダーしてた。 でもね、ウチはお金ないから、俺はいいんだ。 ただ、次男の時は、作ってやってくれないかな?」 びっくりした。 こんなに弟思いだったのか。 自分はいいけど、次男にはしてあげて欲しいとか… 嫁は泣いていた。 時は過ぎ、次男の冬が明けた頃。 長男との約束を守るため、外野手用グローブをオーダー

    • 僕と息子と野球の日記⑭

      長男は就職が決まった。 次男は、1個上の先輩と試合に出たいと、必死に慣れないポジションを練習した。 しかし、現実は甘くなく 1個上の世代には、自分の得意な外野は空いてなく、手薄だが唯一狙えそうなセカンドも、同級生にとられてしまう。 ベンチ入りは出来たものの 公式戦にはやはり出れなかった しかし、先輩後輩、仲がよく 次男は本当に先輩が大好きだった。 先輩の、最後の夏が始まる。 県大会予選、激闘を繰り広げ、ベスト8まで進むものの、おしくもそこで敗れてしまう。 三年生は

      • やっぱり読んでしまった。

        岸田さんの書く話が好きです。 僕は影響されてしまうと、その人を真似してしまうところがあるので、「僕と野球と息子の日記」を書いている間は、岸田さんの文章を目に入らないようにしてました… 子供の事がひと段落して、久々に岸田チェックをしてみたら… 本出してんじゃん! 読みたいじゃん! 買うじゃん! 読むじゃん! お酒に合うじゃん(意見には個人差があります)! いや、本当に面白い人。 ずっと息子2人に言ってる事がある。 「全部、笑いに変えて笑ってたらいいやん!」 間

        • 僕と野球と息子の日記 ⑬

          小さな頃から夢見て来た甲子園。 今年は開催されなかった。 誰が悪いわけでもない。 最終目標を失った長男が心配だった。 最後の望みだった、県の独自大会は開催が決まり、なんとか最後は試合が出来ると安心した。 ずっとやって来た野球。 本当にこれが最後になる。 小学生の時から、僕らのそばにあった野球。 悔いのないよう、笑顔で終わって欲しい。 そんな事ばかり考えていた。 試合の日。早朝、僕は長男にラインを送った。 「やめそうな時もあったけど、本当によく頑張ったな。君のお

        僕と息子と野球の日記⑮

          「僕と野球と息子の日記」⑫

          今、僕の長男は高校3年生。 次男は高校1年生です。 同じ高校に通う2人。 兄弟であり、同じ野球部の先輩・後輩でもあります。 野球好きの方はご存知でしょうが、今年は「甲子園」が中止となりました。 小学生から野球を始めた長男。 「甲子園に行きたい」 「甲子園でプレーしたい」。 まぁ、本当に行けるかどうかは別の話ですが、野球少年が夢見た舞台が、今年は無くなってしまいました。 「甲子園中止」の報道が出た時。 「当たり前だ」 「野球だけは特別だと思ってるのか」 などの言葉をネ

          「僕と野球と息子の日記」⑫

          「僕と野球と息子の日記」⑪

          次男が中学1年生の時の話。 中学は3つの小学校が集まっている。 少年野球時代、何度も他の2チームと戦った。 その上で、僕には確信があった。 「中学で一緒のチームになったら、絶対に強い!」 そしてその確信のとおり、次男達は1年生大会で優勝した。 その時の監督は、兄の代からお世話になった、とても馬の合う先生だった。 いつも2人には学校で僕の話をしてたらしい笑。 僕より歳下で、野球が大好きで、ちょっとバカで…笑 僕達家族は、その先生が大好きだった。 時に厳しく、兄も試

          「僕と野球と息子の日記」⑪

          「僕と野球と息子の日記」⑩

          長男が中学1年生の時の話。 いよいよ長男の中学野球が始まった。 小学生時代、試合の出場機会は少なく、いつもランナーコーチをしていた。 中学ももしかしたら、この延長なのかな… そんな不安が僕に押し寄せる。 しかし、運のいい事に、長男が得意なセカンドは、あまりやりたがる人がいなかった。 長男は地道に努力を重ねて、これはもうすぐ行われる1年生大会、先発入りかも!! くらいの雰囲気だった。 ある日の仕事の帰り道。 突然鳴った携帯電話。 嫁からだった。 「長男君が、練習

          「僕と野球と息子の日記」⑩

          「僕と野球と息子の日記」⑨

          最後の県大会をかけた予選。 あと1つ勝てたら、3位で県大会に行ける、大事な試合。 みんなで、このチームで県大会へ! その気持ちがプレーに現れたのか、なんと3対1で勝利! そして、1番出来の良いピッチング!! あれは嬉しかったなぁ、父兄で凄く喜んだのを覚えてる。 この後から、次男のピッチングは、劇的に変化し、練習試合でも、そう簡単に負ける事はなかった。 そして県大会。 4対2でリードして、1回戦突破か!?と思ってた時。 セカンドランナー、次男。 だが、相手の保護者か

          「僕と野球と息子の日記」⑨

          「僕と野球と息子の日記」⑧

          次男はピッチャーに選ばれた。 しかし、どの試合もストライクが入らず、 フォアボール押し出し押し出し。 相撲かよ!と思わず心の中で突っ込んでしまう。 見るのが辛かった。 負けた試合はほぼ、次男のピッチングからだった。 「ピッチャーを変えてくれ!!」 何度も何度も心で叫ぶ。 あれほど長男の時は、試合に出てくれと願ってたのに、 今は次男を代えてくれと願ってる。 少年団の飲み会で、コーチに言われた。 「今のまま、アイツ(次男)に7回を投げさせる事は出来んよ!!」 お酒の

          「僕と野球と息子の日記」⑧

          「ありがとう」

          絶対的自信がありました。 僕は物書きのシロウトです。 今回、「#キナリ杯」の企画を偶然目にして、 おもしろそうだ!と、参加させていただきました。 優勝まではなくても、何かしらの賞をとれるかと思い、「この高鳴りを何と呼ぶ」という つたない実話を投稿させていただきました。 岸田さんからは賞をもらえなかった。 前澤さんは100万円をくれなかった。 …いいんです。 この年齢になっても、何かチャレンジさせてもらえる事に、本当に「ありがとう」です。 あわよくば、岸田さんから何

          「ありがとう」

          「僕と野球と息子の日記」⑦

          長男は無事に卒団し、長男の1つ下、次男の1つ上の年齢の新チームになった。 そのチームは六年生が少なく、次男もほぼ先発メンバーに選ばれていた。 次男は運動神経がよく、足もめちゃくちゃ速かった。 1年がすぎ、そのチームもいよいよ卒団が近づいて来たある日、監督に次男が呼ばれた。 「来年は、お前がピッチャーな。」 ビビリました。 当時まだ、コントロール凄く悪かったし、何しろ、自分の子がピッチャー… 嬉しいやら悲しいやら不安やら…… そしていよいよ、次男の学生がメインとな

          「僕と野球と息子の日記」⑦

          「僕と野球と息子の日記」⑥

          長男達は六年生になり、いよいよ親チームとして、少年野球最後の年が始まる。 ある日の練習の終わりに、背番号が配られる事になった。 六年生は14人。 長男がもらった背番号は「14」だった。 ウチのチームには、当時背番号「0」があった。 つまり、長男は五年生1人に抜かれて、背番号「14」だった。 これでいいんだ。 決して上手いわけじゃない。 病気もした。 これでいいんだ。 そう何度も何度も自分にいい聞かせた。 野球をしているのは息子なのに。 新チームはかなり強く、ほとんど

          「僕と野球と息子の日記」⑥

          「僕と野球と息子の日記」⑤

          ある日の練習中、監督に呼ばれた。 「長男君、皆んなとは別メニューで、ボチボチやろうか?」 監督なりの気遣いを提案してくれた。 その優しさが嬉しくて、夜、長男に話をしてみた。 「監督が、皆んなとは別メニューでやろうか?て言ってくれたよ。」 長男は少し沈黙した後に、強めの口調で答えた。 「皆んなと別メニューとか、そんなのは嫌だ!僕だって、僕だってレギュラーになりたいんだ!」 僕はずっと息子を見てきたつもりだった。 お世辞にも、運動神経がいいとは言えない。 病気もした。

          「僕と野球と息子の日記」⑤

          「僕と野球と息子の日記」④

          朝、嫁から電話があり、「今日、長男君学校休むって。」 熱は無いらしい。 サボったのか? 家に帰ると、長男はめっちゃ元気だった。 まー、たまにはいいか。そんな日もある。 しかし、次の日も、その次の日も 長男は学校に行く事は無かった。 あちこちの病院を回ったが、異常は無く、なんなのかわからないまま、何日か過ぎた。 僕も嫁も、イライラしていた。 サボってるだけなのか。 本当に体調悪いのか。 答えがないまま、数日が過ぎる。 ある病院に行った嫁から連絡があった。 「起立性

          「僕と野球と息子の日記」④

          「僕と野球と息子の日記」③

          長男は野球少年になった。 スポーツ少年団の保護者は、中々と大変で、色々な役割があった。 早くも、僕達夫婦の心は折れそうになった… しかし、どんなに大変でも、息子の活躍を見れば、帳消しになる。 と思っていた。 思っていたんだ。 野球に無知なまま、どんどん時間は過ぎて行き、長男は5年生になった。 その時点で、長男の同級生はスポーツ少年団に14人。 中々の人数だ。 当然、試合には中々出れない。 家に帰り、「あれをやれ、これをやれ!」と言う私。 しかし、野球未経験の親が言っ

          「僕と野球と息子の日記」③

          「僕と野球と息子の日記」②

          1週間が過ぎた。 長男は言った。 「野球に入りたい」 わかった。小学3年生とはいえ、1週間考えた結末だ。 わかりやすい。 ならば野球嫌いな私も、腹をくくるしかない。 小学校時代、牛乳が嫌いで給食の牛乳を残して、先生が 「誰だ!牛乳を残したのは!」とご立腹になり、名乗りでないと帰れない、そんな空気の時に腹をくくった、あの日の気分だ。 「とりあえず、体験入部があるらしい。行ってみるか…?」 息子を連れて、スポーツ少年団の使用しているグランドへ歩く。 グランドに到着したが

          「僕と野球と息子の日記」②