冬の厳しいトレーニングが終わる。 次男は中学生の時も得意としていた外野手 として、定着していた。 2年前、長男が言った言葉を思い出す。 「最後の夏はね、みんなグローブをオーダーしてた。 でもね、ウチはお金ないから、俺はいいんだ。 ただ、次男の時は、作ってやってくれないかな?」 びっくりした。 こんなに弟思いだったのか。 自分はいいけど、次男にはしてあげて欲しいとか… 嫁は泣いていた。 時は過ぎ、次男の冬が明けた頃。 長男との約束を守るため、外野手用グローブをオーダー
長男は就職が決まった。 次男は、1個上の先輩と試合に出たいと、必死に慣れないポジションを練習した。 しかし、現実は甘くなく 1個上の世代には、自分の得意な外野は空いてなく、手薄だが唯一狙えそうなセカンドも、同級生にとられてしまう。 ベンチ入りは出来たものの 公式戦にはやはり出れなかった しかし、先輩後輩、仲がよく 次男は本当に先輩が大好きだった。 先輩の、最後の夏が始まる。 県大会予選、激闘を繰り広げ、ベスト8まで進むものの、おしくもそこで敗れてしまう。 三年生は
岸田さんの書く話が好きです。 僕は影響されてしまうと、その人を真似してしまうところがあるので、「僕と野球と息子の日記」を書いている間は、岸田さんの文章を目に入らないようにしてました… 子供の事がひと段落して、久々に岸田チェックをしてみたら… 本出してんじゃん! 読みたいじゃん! 買うじゃん! 読むじゃん! お酒に合うじゃん(意見には個人差があります)! いや、本当に面白い人。 ずっと息子2人に言ってる事がある。 「全部、笑いに変えて笑ってたらいいやん!」 間
小さな頃から夢見て来た甲子園。 今年は開催されなかった。 誰が悪いわけでもない。 最終目標を失った長男が心配だった。 最後の望みだった、県の独自大会は開催が決まり、なんとか最後は試合が出来ると安心した。 ずっとやって来た野球。 本当にこれが最後になる。 小学生の時から、僕らのそばにあった野球。 悔いのないよう、笑顔で終わって欲しい。 そんな事ばかり考えていた。 試合の日。早朝、僕は長男にラインを送った。 「やめそうな時もあったけど、本当によく頑張ったな。君のお
今、僕の長男は高校3年生。 次男は高校1年生です。 同じ高校に通う2人。 兄弟であり、同じ野球部の先輩・後輩でもあります。 野球好きの方はご存知でしょうが、今年は「甲子園」が中止となりました。 小学生から野球を始めた長男。 「甲子園に行きたい」 「甲子園でプレーしたい」。 まぁ、本当に行けるかどうかは別の話ですが、野球少年が夢見た舞台が、今年は無くなってしまいました。 「甲子園中止」の報道が出た時。 「当たり前だ」 「野球だけは特別だと思ってるのか」 などの言葉をネ
次男が中学1年生の時の話。 中学は3つの小学校が集まっている。 少年野球時代、何度も他の2チームと戦った。 その上で、僕には確信があった。 「中学で一緒のチームになったら、絶対に強い!」 そしてその確信のとおり、次男達は1年生大会で優勝した。 その時の監督は、兄の代からお世話になった、とても馬の合う先生だった。 いつも2人には学校で僕の話をしてたらしい笑。 僕より歳下で、野球が大好きで、ちょっとバカで…笑 僕達家族は、その先生が大好きだった。 時に厳しく、兄も試
長男が中学1年生の時の話。 いよいよ長男の中学野球が始まった。 小学生時代、試合の出場機会は少なく、いつもランナーコーチをしていた。 中学ももしかしたら、この延長なのかな… そんな不安が僕に押し寄せる。 しかし、運のいい事に、長男が得意なセカンドは、あまりやりたがる人がいなかった。 長男は地道に努力を重ねて、これはもうすぐ行われる1年生大会、先発入りかも!! くらいの雰囲気だった。 ある日の仕事の帰り道。 突然鳴った携帯電話。 嫁からだった。 「長男君が、練習
最後の県大会をかけた予選。 あと1つ勝てたら、3位で県大会に行ける、大事な試合。 みんなで、このチームで県大会へ! その気持ちがプレーに現れたのか、なんと3対1で勝利! そして、1番出来の良いピッチング!! あれは嬉しかったなぁ、父兄で凄く喜んだのを覚えてる。 この後から、次男のピッチングは、劇的に変化し、練習試合でも、そう簡単に負ける事はなかった。 そして県大会。 4対2でリードして、1回戦突破か!?と思ってた時。 セカンドランナー、次男。 だが、相手の保護者か
次男はピッチャーに選ばれた。 しかし、どの試合もストライクが入らず、 フォアボール押し出し押し出し。 相撲かよ!と思わず心の中で突っ込んでしまう。 見るのが辛かった。 負けた試合はほぼ、次男のピッチングからだった。 「ピッチャーを変えてくれ!!」 何度も何度も心で叫ぶ。 あれほど長男の時は、試合に出てくれと願ってたのに、 今は次男を代えてくれと願ってる。 少年団の飲み会で、コーチに言われた。 「今のまま、アイツ(次男)に7回を投げさせる事は出来んよ!!」 お酒の
絶対的自信がありました。 僕は物書きのシロウトです。 今回、「#キナリ杯」の企画を偶然目にして、 おもしろそうだ!と、参加させていただきました。 優勝まではなくても、何かしらの賞をとれるかと思い、「この高鳴りを何と呼ぶ」という つたない実話を投稿させていただきました。 岸田さんからは賞をもらえなかった。 前澤さんは100万円をくれなかった。 …いいんです。 この年齢になっても、何かチャレンジさせてもらえる事に、本当に「ありがとう」です。 あわよくば、岸田さんから何
長男は無事に卒団し、長男の1つ下、次男の1つ上の年齢の新チームになった。 そのチームは六年生が少なく、次男もほぼ先発メンバーに選ばれていた。 次男は運動神経がよく、足もめちゃくちゃ速かった。 1年がすぎ、そのチームもいよいよ卒団が近づいて来たある日、監督に次男が呼ばれた。 「来年は、お前がピッチャーな。」 ビビリました。 当時まだ、コントロール凄く悪かったし、何しろ、自分の子がピッチャー… 嬉しいやら悲しいやら不安やら…… そしていよいよ、次男の学生がメインとな
長男達は六年生になり、いよいよ親チームとして、少年野球最後の年が始まる。 ある日の練習の終わりに、背番号が配られる事になった。 六年生は14人。 長男がもらった背番号は「14」だった。 ウチのチームには、当時背番号「0」があった。 つまり、長男は五年生1人に抜かれて、背番号「14」だった。 これでいいんだ。 決して上手いわけじゃない。 病気もした。 これでいいんだ。 そう何度も何度も自分にいい聞かせた。 野球をしているのは息子なのに。 新チームはかなり強く、ほとんど
ある日の練習中、監督に呼ばれた。 「長男君、皆んなとは別メニューで、ボチボチやろうか?」 監督なりの気遣いを提案してくれた。 その優しさが嬉しくて、夜、長男に話をしてみた。 「監督が、皆んなとは別メニューでやろうか?て言ってくれたよ。」 長男は少し沈黙した後に、強めの口調で答えた。 「皆んなと別メニューとか、そんなのは嫌だ!僕だって、僕だってレギュラーになりたいんだ!」 僕はずっと息子を見てきたつもりだった。 お世辞にも、運動神経がいいとは言えない。 病気もした。
朝、嫁から電話があり、「今日、長男君学校休むって。」 熱は無いらしい。 サボったのか? 家に帰ると、長男はめっちゃ元気だった。 まー、たまにはいいか。そんな日もある。 しかし、次の日も、その次の日も 長男は学校に行く事は無かった。 あちこちの病院を回ったが、異常は無く、なんなのかわからないまま、何日か過ぎた。 僕も嫁も、イライラしていた。 サボってるだけなのか。 本当に体調悪いのか。 答えがないまま、数日が過ぎる。 ある病院に行った嫁から連絡があった。 「起立性
長男は野球少年になった。 スポーツ少年団の保護者は、中々と大変で、色々な役割があった。 早くも、僕達夫婦の心は折れそうになった… しかし、どんなに大変でも、息子の活躍を見れば、帳消しになる。 と思っていた。 思っていたんだ。 野球に無知なまま、どんどん時間は過ぎて行き、長男は5年生になった。 その時点で、長男の同級生はスポーツ少年団に14人。 中々の人数だ。 当然、試合には中々出れない。 家に帰り、「あれをやれ、これをやれ!」と言う私。 しかし、野球未経験の親が言っ
1週間が過ぎた。 長男は言った。 「野球に入りたい」 わかった。小学3年生とはいえ、1週間考えた結末だ。 わかりやすい。 ならば野球嫌いな私も、腹をくくるしかない。 小学校時代、牛乳が嫌いで給食の牛乳を残して、先生が 「誰だ!牛乳を残したのは!」とご立腹になり、名乗りでないと帰れない、そんな空気の時に腹をくくった、あの日の気分だ。 「とりあえず、体験入部があるらしい。行ってみるか…?」 息子を連れて、スポーツ少年団の使用しているグランドへ歩く。 グランドに到着したが