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三人の母と祖母が織りなす人生の絆

私の人生は、三人の母、育ててくれた祖母との出会いと別れを通じて形成されました。

小学3年生の時、実母と二人で家出(夜逃げ)をして、世田谷で約1か月、逃避行をしていました。

結果的に、私は父のもとで暮らすことになり、母との離別は心に深い痕を残しましたが、その後現れた二人の継母、私を育ててくれた祖母、そして実母との感動的な再会が、私の世界に温かな色を加えてくれました。

これらの話は、また後日お話しします。

祖母は社交ダンスを愛し、紫に染めた髪が風になびく姿は、まるで古い映画の一コマのようでした。彼女の明るく活気ある性格が、私の幼い日々に鮮やかな色を加えました。

祖母は、社会人になってからも、私の成長をいつも喜んでくれていました。

しかし、ある夏の出来事が私の心に深い悲しみを刻みました。

家族で沖縄を訪れていた時、東京の八王子に一人で暮らしていた祖母のもとを訪ねる代わりに選んだその旅行中、祖母が脳梗塞で急逝したという突然の知らせが届きました。

もしもあの時、祖母の家を訪れていたら、という思いは今も私の心を痛めています。それでも、祖母の温かな笑顔は、今も私の心の中で生き続けています。

私の実母は商人の家庭に生まれ、その遺伝を受けて東京で宝石店を経営していました。彼女のさっぱりとした性格は、宝石商としてのビジネスに良い影響を与えました。

現在は80歳近くになりましたが、八ヶ岳近くで穏やかな日々を過ごし、75歳まで毎日テニスを楽しんでいましたが、最近は腰の手術を経て無事に回復しています。

母と美しい八ヶ岳を背景に、何度もテニスをしたことは、私にとても楽しく、心温まる思い出です。コートで過ごした時間は、私たちの絆を深めました。

私の人生には変化と試練もありましたが、それらの経験は、前向きな気持ちさえ忘れなければ、全ては幸せな方向に進むことを教えてくれました。

実母、二人の継母、そして祖母との思い出は、これから先も私の生きる支えです。

写真:実母とのツーショット写真(約10年前)

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