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もう一度、センス・オブ・ワンダー
「センス・オブ・ワンダー」という文を書いたのは、ちょうど一年前。 こんな風に。 https://note.com/toshikokamada/n/n344d41d0bd2e 今読み返して見ると、肝心のレイチェ…
縁側で日向ぼっこ移動オフィス
縁側で日向ぼっこをしているおばあちゃんの図。
それは子供の頃、う〜んと歳をとったら、そんな風になれたらいいなあ、と思っていた図だ。
その図の中のおばあちゃんは、白髪で、手には湯のみ、いつでも笑顔でどんな話でも聞いてくれる。
私の実のおばあちゃんたちは、最後まで活動的な人だったので、縁側にじっと座ってなんかいなかったが、
どういうわけか、この縁側のおばあちゃんは、私の意識にどこからか入ってきて、今も
種のことを語り合おう
種に興味のある人は、そんなに多くはないかもしれない。種苗業者や農家でなければ、種のことを熱心に語る機会もないだろう。
ところが、私は今とっても種のことをいろんな人と話してみたい。
きっかけは3つ。
SEEDSという映画を見て、世界の種事情を垣間見たこと。
数ヶ月前から畑を始めて、日々種を播いていること。
「タネの未来」という本を書いた小林宙くんの存在。
畑で日々、種に感動している話は他に書いた
もう一度、センス・オブ・ワンダー
「センス・オブ・ワンダー」という文を書いたのは、ちょうど一年前。
こんな風に。
https://note.com/toshikokamada/n/n344d41d0bd2e
今読み返して見ると、肝心のレイチェル・カーソンの本については、何にも書いてなかった。
ただ、センス・オブ・ワンダーという言葉にワクワクするわあ、ということを書いただけではないか!
そこで、もう一度、センス・オブ・ワンダーに
このnoteを書き続けることで生まれた現実
去年の夏「海辺の山辺の宿」という言葉がふと浮かび、このnoteを書き始めたのが、2018年7月28日。
いつかそんな場所を創りたいというぼんやりとした思いで書き始めた。自分の中にとっ散らかっていた、好きなものたちを、かき集めては言葉にしてみた。実際、あっちの海辺、こっちの山辺へも出かけてみたりもした。私は実際にそんな宿を作るのだろうか?と思い巡らしながら。
「書く」という行為が、自分を一歩また一
行ったり来たりで、元気になる
民俗学や人類学を学んだ頃、共同体の境界線あたりに、人間は、色々と面白いものを作り出すのだということを知った。
日常の慣れ親しんだ世界と、未知の異界との間に、通り抜けたり、跨いだりする境界線がある。共同体を守ってくれる守り神がいたりする。実際に目に見えるような同祖神のような物を作ることもあったり、そこで儀式のようないつもと違う行動が行われたり。
それは、空間の境だったりもするし、日常の時間とまつり
ここに住みたいと魂が共鳴する場所
10日前のこと。居てもたっても居られず、鳥取行きの始発バスに飛び乗った。目指すは、Rock beauty 岩美。
海辺の山辺の宿(このNoteのタイトルでもある架空の場)を作る場所はここなのではないか、との唐突ながら確信に満ちた思いとともに。
岩美出身の作家・尾崎翠さんについて書いた次の日のこと。
そのコラムはこちらなので、よかったら合わせて読んでくださったら嬉しい。「五官と第六感を超えた感覚・
五官と第六感を超えた感覚・第七官 尾崎翠に出会う
屋根裏部屋に住んで、いつも風や煙や空気の詩を書いていたというヨーロッパのどこかの国の女性詩人。
尾崎翠の小説「第七官界彷徨」のなかで、主人公が「私もそんな詩を書きたい」と空想する場面が出てくる。
読み終えて、私もそんな詩を書きたいと空想している。
七つ目の感覚である第七官ーー人間の五官と第六感を超えた感覚に響くような詩を書きたい、と願う少女・町子が主人公のこのお話を読み切って、その豊かな世界を通
植物が糸になり布になる迫力
何かが込み上げてきて、静まり返った展示室で、嗚咽をこらえて、思わず手を合わせた。
「自然布ー草木で織りなす」大阪日本民芸館の特別展。
縄文以来編まれ、織られて来た苧麻や大麻、藤、葛、科、楮、オヒョウ、芭蕉の植物繊維による布たちだ。
柳田國男「木綿以前の事」で、柔らかくよりカラフルに染まる木綿の登場でいかに人々の生活が変わったかが語られるが、
その木綿以前の事が、目の前の布たちと共にある。
植物が
ル・コルビュジエに出会う
「家は暮らしの宝石箱でなくてはいけない。」私がこの言葉を知ったのは、「人生フルーツ」という映画の中であって、これがル・コルビュジエの言葉だと知ったのは、先日、国立西洋美術館にル・コルビュジエ展を見にいった時の事。
この言葉は、深いところで心を捉え、さなぎのように私の内側にとどまっていた。
久しぶりの東京での自由時間を過ごすのに、これはどう?と教えてくれた友人のおかげで、人生の中の点と点がまた繋が
川辺の山辺の里〜西郷工芸の里〜
鞍田崇さんの民藝のお話がふるさと鳥取で直に聞けるチャンスとあって、大阪から駆けつけた。
ここは、鳥取市河原町牛戸。牛ノ戸焼は180年以上続く窯だが、この里に中井窯、やなせ窯、花輪窯とある陶磁器の里。そして木工やガラス工芸の工房もでき、今後さらに豊かに発展しそうな工芸の里がここにできていると知る。
鳥取東部を縦断する千代川に流れ込む曳田川に沿って車を走らせると、小雨の中、霧たつ山々が日本画の連なり
海水浴と森林浴と日光浴のある暮らし
街での暮らしが長い。
その中で湧いてきた、海辺の山辺に住むという私の妄想。
この妄想に、それにつながるあれこれを、言葉にして、このNoteに記してみている。
言葉にするたびに、その妄想が形をなし、肉付けされ、命が吹き込まれていくようだ。
海辺の山辺の宿というイメージが心に湧いてから、私の気持ちはその家での暮らしに向いていたけれど、
ここにきて、私の妄想はその周りの海や山へと広がってきた。
海
夫婦の神秘 きずな&みぞ 映画The Wife(天才作家の妻)を見て
何かと何かが出会うところに、きずなが生まれる時もあれば、みぞが生まれる時もある。
時を経ながら、その接点で、きずなとみぞが重なり合い、混じり合って、混沌とした複雑なものが生まれることもある。
海と山が出会ったリアス式海岸のように。
映画 The Wife(邦題は天才作家の妻 40年目の真実)を見て、昨日からそんなことを考えている。
どの文化にも、妻とは夫とは、というような社会的役割についての