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このnoteを書き続けることで生まれた現実


去年の夏「海辺の山辺の宿」という言葉がふと浮かび、このnoteを書き始めたのが、2018年7月28日。
いつかそんな場所を創りたいというぼんやりとした思いで書き始めた。自分の中にとっ散らかっていた、好きなものたちを、かき集めては言葉にしてみた。実際、あっちの海辺、こっちの山辺へも出かけてみたりもした。私は実際にそんな宿を作るのだろうか?と思い巡らしながら。

「書く」という行為が、自分を一歩また一歩と、現実的にも動かしてくれたようだ。
一体このnoteを書く行為が自分をどこに連れて行ってくれるのか、あまり自覚はしていなかったが、この夏前に最後の投稿をして以来、実は今日まで投稿が止まっていた。その頃から住む場所を変えるために動き出したために、何を書いたらいいのかしばらくわからなくなっていたのだ。

そして、海辺の山辺の宿とは言えないけれど、10数年前まで住んでいた山辺の家に、今年の7月末に、私は戻ってきた。

”海辺の山辺の宿”はこの後どうなるのか、自分でまとめられず宙ぶらりんのまま数カ月がすぎた。
けれど、今日、ああ、私はこの文章を書き続けたことで、自分の暮らしの変化を実際に創り出したのだなと感じることができて、今日はそれをここに綴ってみることにした。

一年間、このnoteを書き続けて、私は大都会の真ん中の暮らしから、土のあるこの山辺の家の暮らしへ自分を連れてくることになったわけだ。

朝起きると、まずは畑に飛び出して、昨日からどんな変化が畑に起こっているのか、ドキドキしながらよ〜く畑中を観察して、その変化に合わせてその日の畑仕事をするという1日の始まり。身も心も大地とつながる時間。目の前の山を手本にして落ち葉も雑草も土地を肥沃にしてくれる様を見つめながら種を蒔く。間引いた野菜の味は形容しがたい美味しさだ。コンクリートの街で夢に見た暮らしの中に、私は今いる。

子供達も巣立って大きな空きスペースのできた家を片付けながら、ここにどんな人たちを呼ぼうかと考えてもいる。宿を提供するもよし、イベントを開催するもよし。思い描いてきたものをひとつまたひとつと形にしていけるのだという希望。これからどんな出会いをここで作れるだろうか?

この一年で自分が創り出した、暮らしと未来の展望の変化に少し驚いている自分。
けれど、ひらめいた「海辺の山辺の宿」という言葉に、自分の感じるものを重ねて、注意を注ぎ続けたことで、この現実の変化が創り出されたのだなと、今は確信している。自分の信じることを現実として創り出すということは知っているが、気ままな日記のようなこの書き物が自分の内側の青写真を明確に描くのに大いに役立ったというのは、創り出し方として面白いなと思う。

そして皆さんの大切な書き物も、素晴らしい現実として形を成していくのかなあと、宇宙を見上げながら思っている。

さて、私のまだ形を成していない「海辺」の部分は、これからどんな風に創り出していくのかしら。。

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