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神の山で考えた


うちから路線バスで45分、山の方へ登って行くと、今では全国的に有名になった神山(徳島県名西郡神山町)という土地に到着する。
子供が小さい頃には、川で泳いだり、キャンプをしたり、山中ひかる蛍を見に行ったりしたものだが、そんな時期を過ぎて以来、20年ほどの時間を隔てて、ふたたび神山を訪れた。2時間のイベントを、古民家を改装した貸しスペースで開催するためだったが、この機会に、一泊二日の時間をとって、この土地でゆっくり過ごしてみたい気持ちになった。神山移住19年のCocoちゃんの心のこもった案内で、この土地の素晴らしさを感じることのできる濃い時間を過ごした。二日間の間、ただただ感じながら、言葉にならずに持ち帰ったものを、言葉にしてみたい。

神山、神領、そんな地名はここから来たかと思わせる、知る人ぞ知る阿波国一ノ宮 上一宮大粟神社。この空間の荘厳さは、熊野や伊勢に行った時のような清らかで力強いエネルギーで、人影もない社の裏手の杉の御神木を感じていると、しばらく身動きができない。
この聖なる山は、アートインレジダンスによるアートがあちこちにあり、森づくりの町の人たちの手が入り、山と町がそれは美しく繋がっている。

そんな中、地方創生のモデルとして全国から視察者が後を立たず、都会のサテライトオフィス、移住オフィスを数々迎え、新しい暮らし方を実践する人たちが移住し、時代の最先端がこの山の中にあるよ〜という、リラックスした発信の神山町。
素敵である。会う人会う人、たおやかな笑顔で、ここの暮らしを語ってくれる。地元の人も、移住した人も、とりあえず来てみたという人も。1泊2日の私でさえ、視察に来た人に、ここどうですか?と道端で聞かれ、思わず熱く神山の魅力を語ってしまう。

訪問者の私には、町の中の詳細も苦労ももちろんわからない。けれど、この神山という空間に入って、ただ感じることで、ここになぜ人がやってくるのかはわかる、という感覚だけは確かにある。その中身は、たくさんの人が感じ、住民も訪問者も、たくさん語り、何冊もの本になっているのだから、私がここで語らなくてもいいので、興味のある方は以下アマゾンで見つけてほしい。
「神山プロジェクト」
「神山プロジェクトという可能性」
「神山進化論」

この町で感じたことは、こんなことだ。
魅力的な場所には多分要素として取り出せるものもある。真善美がそろっているといったらいいだろうか。頭も心も魂も体も、「ああ、それがいい」と感じるような。それは地球にとっても良いね、とか、美しいと多くの人が感じるとか、神聖さが保たれているとか、人間的な暮らしだと感じれるとか、人と人が信頼しあって協力し合っているつながりがたくさんあるとか、新しい可能性や希望が感じられるとか。

そういった要素を増やしていくのに、今までの枠を超えて見れる視点を持った個人やグループが、何かの理由で、ある時あわられて新しい試みを実行に移し、人を惹きつけて、さらに行動が広がっていく。私が感じたのは、そういう変化は、そこに関わっている個人やグループと、その周りの人に影響するだけでなく、あるところまでくると、何かの一線を越えて広がって浸透していくということだ。それも直接的に関係を持っていなくても、具体的に活動の内容などを知らなくても。

人の意識は、個人という範囲を超えて、どこかがみんな繋がっていて、集合意識として機能してもいる、と私は思っている。目に見えないものの影響がどんなに大きいのかということに、目覚め続けていくのが、私たち人類のこれからの道のりかもしれない。山のてっぺんで鐘がつかれると、その響きが裾野へ拡がっていくように、川に投げた小石の波紋が海まで続くように、私たちの思いや行動も、響いて影響し続けている。

一つの町にたくさんの響き合いが積み重なり、さらに響きあい、共鳴してそこに惹きつけられるものを呼び、そのエネルギーが一つの谷に満ち満ちている。神山という地で感じたのはそういうものだ。この地のバイブレーションが元気で、人も元気な人が多いなと。野菜も。それは、いろんな人の思いと行動でできている。

何に価値を見て、何を神聖に扱い、何を楽しむか。それを自分で決めて、分かち合うことで、響きあいが起こり、また何かを惹きつける。たった一人の人間でも、何かを大切にするという、シンプルなことを大事に行えば、必ずそれが何かを生む。
神の山で感じたのは、そういうことだ。

神山へ行ったことのない人は、ぜひ一度行ってみられるといい、と、こうして私もまた鐘を鳴らす。

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