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大河「いだてん」の分析 【第13話・感想】 分かれ道と出会いと別れ

今回の第13話は、“祭りのあと”だ。
初めてのオリンピックが終わったあとの後日談で、いろんな別れもあり、しんみりとした回だ。

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1、分かれ道と、出会いと別れ

ストックホルムオリンピックのマラソン競技の当日は1912年7月14日。

レースを走り終えたばかりの金栗四三は、記憶があいまいなところがあってまだ自分が棄権したのが信じられず、自分が走ったであろうコースを、歩いて振り返ってみることにした。すると少しずつ記憶が戻ってくる。

重要なのは“分かれ道”だ。
左が正しくて、右にいくとコースアウト。
ここの“分かれ道”で四三が道を間違えてしまうことは、第10話ですでに伏線が張られていて当ブログでも触れていた。

今回の第10話のなかで、36分15秒のシーンでも、再度、四三は、“同じ分かれ道の場所で、コースを間違える”。
つまり、ここの“分かれ道”が、事件現場になるのだろう。
森に迷い込む妖精。「夏の夜の夢」である。

この“分かれ道”には、“出会い”と“別れ”がひとつずつある。

ひとりは“幼い頃の四三自身”との出会いだ。
幻となってあらわれ、右の道へと走り去っていった。四三はそれを追いかけて、コースアウトしてしまう。

もうひとりは“ラザロ”との別れだ。
オリンピックスタジアムでの最終練習のロッカールームで知り合ったポルトガル代表のマラソン選手。ラザロは四三の足袋に興味津々で仲良くなる。
“分かれ道”に差し掛かり、後ろから追いかけてきたラザロが「No!No!」と叫ぶ。追いつかれると思った四三は慌てて右へと走るのだが、ラザロは追いかけてこない。
ラザロは正しいコースを進み、四三は森の奥深くへと迷い込む。
しかし“亡くなってしまう”のはラザロだった。

ラザロの死を四三に伝えたのは、弥彦だった。素晴らしいシーンだった。朝起きてきた四三に弥彦は新聞を手渡す。悲しみすぎず、冷たすぎず、同じスポーツ選手としての敬意を含んだ表情と声で。一言だけ、話した。

「亡くなったそうだよ」。

四三は、これから何年経っても、この分岐点のことを思い出すだろう。
正しいのは左なのに、左に行った者は亡くなり、間違って右に迷いこみ迷子になった者は生きながらえる。
正しいか、間違っているかは、結局のところ、進んでみなければわからない。人生の選択肢に似ている。

右へ行こうと先導をしたのが“自分自身だった”という事も大きい。
カラダが弱かった子供の頃の四三が、身体を鍛え始めようと決めたのは“自分自身”だったし、スッスッハッハッの呼吸法も人に教わったわけではなく“自分自身”で身につけたし、東京に出てきたのも、徒歩部に入りマラソンを始めたのも、オリンピックに出場することに決めたのも、“自分自身”だった。
死にそうになって最後に見る幻が、仲間でも家族でもなく“幼き日の自分自身”で、そして自分自身に救われて生きながらえる。マラソンも人生も、とてつもなく“孤独な戦い”なのである。



2、“復活の狼煙”となる翌日の日記の一文

第13話のタイトルは『復活』だ。
翌日、目を覚ました四三は、すべてをふっきったようにストックホルムの町をふたたび走りはじめる。
四三の“復活の狼煙”として位置づけられたのは、四三自身が“レースの翌日に書いた日記”の文章である。
日記のここの文章が“四三の復活と繋がっている”という指摘は、私も前回の第12話の感想ブログで触れていて、ドンピシャで当てられたのでうれしい。

四三は、自己分析ではストックホルムを「(ただの)失敗」と捉えているし「技の未熟」を磨くために「粉骨砕身して」努力することを日記の中で誓っている。つまり、“どうにかなる”と評価している。

脚本家のクドカンもあの日記の一文にたどりついた時に、“四三はレース翌日にはもう吹っ切っているな”と感じたのだろう。さわやかに再び走り始めた四三を描いてみせた。

3、ラザロの死と、“4年後への違い”

そして四三は、偶然、ラザロ選手の即席の墓へとたどり着く。
コースの途中に墓標がたてられており、レースを競い合った各国の選手たちが肩を落とし集まっている。

同時刻に、ストックホルムの街のどこかでオリンピック総会が開かれており、嘉納治五郎が参加している。ラザロ選手の残念な死に触れた議論だが、自国ポルトガルの代表者はこう語る。

彼の死を無駄にしないでほしい。ラザロを忘れないでほしい。かならず四年後もマラソンを開催してほしい!

嘉納治五郎たちは立ち上がって拍手を送る。

NHK公式ホームページの『いだてん紀行』にはラザロについてこうある。

オリンピックが開催されたころ、ポルトガルは長く続いた王制から共和制になったばかり。ラザロの家庭はとても貧しく、大工として働いていました。
それまでスポーツは、お金持ちしか参加できなかったもの。彼は新生ポルトガルの期待の星でした。」

スポーツがあったからこそ、ラザロは、そして四三たち各国から集まった選手たちは、“国を代表するような役割”を担えることになった。
殺し合いではなく、正々堂々と身体をぶつけ合って、競いあった。そして仲間の死に、ともに涙をこぼした。

自分の死によって、愛するマラソンが中止になってしまうことをラザロは悲しむだろう。

なによりも選手たち自身が、ラザロ選手の墓の前で誓い合うのである。「4年後にまた会おう」と。
彼を偲び、走り続けようと。
そしてまた、正々堂々と戦おうと。

(しかし、4年後のオリンピックは開催中止になる。それもまたドラマだ。)

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