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プールの自由時間に何をしていた?(日記23)

いつものように明日が来ることに対する緊張で眠れないので、プールの水底に沈んでいく感覚をイメージしていたけれど、結果として小学生時代のプールの時間のことを思い出していた。

クロールとか平泳ぎの練習を終えると、必ず最後に自由時間があったと思う(いいえ、誰でも?)。
あの時間にしていたことといえば友達と笑いながら水中鬼ごっこをしたり、1人でプールの奥深くまで潜ってその上に浮かんでいるクラスメイトの下を泳いだりしたことで、太陽の光が射し込んでキラキラした塩素臭い水の中で私は何よりも自由だった。今の自分には意味の無いこと、そして“増える”とか“増やす”に何の関係も無いことだから、〈それこそが有意義だと思っている今のわたし〉

潜水ごっこをしているときの水中の時間はたしかに歪んでいたし、耳に入り込んでくるガボガボでいて静かな音と、夢みたいに曇ったゴーグルの視界だけが私に入ってくる“情報”だったから、いつまでもあの時間を忘れたくないと思う。それは今日の夕方、デリダのハイデガー講義を読みながらうたた寝をしていた時のあたたかさにも似ていた。

ハイデガーをちゃんと読んでいないからか、存在と時間、そして存在と言語に関して、わかるけどわからないような感覚で読み続けていたけどこれでいいのかなって思ったけど、意味に囚われすぎないで。