恥についての考察③ 〜恥の原因2〜 ストラテラ服用日記120日目
80mg増量して95日
昨日同様、朝ストラテラ80mg とリーゼも飲んだ。動悸も不安も感じなかった。
リーゼはいいと判断して、特に仕事の日は飲むようにしようと思う。
鳥肌はなかったが、口渇は結構感じた。
恥を重んじるのは、根底に日本の文化があるという話を昨日書いた。
他人の目・嘲笑・批判・批評から成り立っている部分があると思う。
大震災の時でも、規律を重んじるのはこういう文化が根付いているからで、賞賛すべき部分は過分にあると思う。
ただ単純にその社会は発達にとって生きづらい世の中だということだ。
恥を感じる原因の一つが文化、外的要因だとすれば、内的要因も考察しなければならない。
発達障害の人にはよくある事だと思われるが、他人の目が必要以上に気になってしまい、余計に自分にプレッシャーをかけてしまう。
変なこと言っちゃったかな?さっき言ったことであの人ちょっと怒ったかな?とか。
相手の思考・感情を考えすぎて、往々にして悪い方に割り増しで考えて、不安になる。
また、ミスった時も、自分でやっちまったと自責することよりも、上司や同僚から、あいつこんなことも出来ないのか、とか、こんな簡単なことでミスしたのかと思う方がストレスになる場合がある。
恥を感じて、凹んでしまうのだ。
基準の時に書いたように、他人の目線・思考で出来て当たり前のことが出来ないから恥を感じてしまう。
ただし、特に発達の場合は、自分で考える他人の目線・思考が基準になるため、ハードルが上がる。
発達から見て、定型ならこれぐらいのことはできると考えていることは、よくよく考えるとできる人もいるし出来ない人もいる事なのに、自分への劣等感から他人(定型)をより有能に見てしまい、それを基準としてしまう。
こうなると大変。
客観的に見て定型でも出来ない人がいる事を、出来て当たり前だと思うと、出来ない事が沢山ある発達は恥の嵐の中で生きることになる。
生きづらさ、自己肯定感の低下につながる。
出来て当たり前、出来ないと恥。
こう思い込むことで、出来ない時に恥を感じてしまうのだ。
他人目線に固執してしまったり、認知の歪みが、恥の原因になってしまっている。
発達は生まれながらにして、ビハインド持ってるというか自分の性格上恥を感じやすい特性を持って生まれて、成長する過程で外的要因からさらに自信を無くす社会・文化になってるから、余計に生きづらい。
ただ、どちらにしろ恥の原因を作り出しているのは自分の心であることははっきり認識する必要があると思う。
私はカウンセリングなどにより、認知の歪みも把握できて、恥のハードルがかなり低くなった。今までは恥と感じるような事があっても、殆ど気にならなくなった。
自分の心・思考を変える方法はカウンセリングだけでない。
瞑想やアドラー心理学を学ぶのも良いと思う。私の場合で言えば、独学ながら瞑想・アドラー心理学や発達障害の勉強の素地があった上でのカウンセリングだったのが、良い結果に結びついていると思う。
全ては自分の心に通じるだなぁとつくづく思います。
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