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“思えば叶う”系の注意点


思えば望み通りの現実がやってきます。

強く願えばその通りの現実がやってきます。


いわゆる引き寄せだったりイメージングだったりという一種の自己啓発といいますか、人生を楽しく生きるための術としてこのようなものがありますよね。


別に言っていることはあながち間違いでもありませんし、全くの嘘というものではありません。

現にその通りになった人は沢山いらっしゃいますし、大願成就までいかなくても日常の端々で良いことが起きたり物事が好転したりと様々な体験談もございます。


私も大なり小なりの実際に実験してみて体験済みです。


ですが、恐らく願望成就した人というのはほんの一握りか、もしくは実際に試してみた人の5割を切るぐらいの割合しかそれを実感できないのではないでしょうか?


実際に現実に反映されなかったという人々にとって、こういう手合いは口先だけの詐欺まがいだと感じる人も少なくありませんよね。

今でこそ「個人差による」という注釈めいたものをつけるのが当たり前になっていますが、昔では結構な発信者は絶対に良くなる、絶対に成功するなどと言い切ることも少なくありませんでした。



そんななか、「そこまで自信を持って言うのに何故自分はできないのだろう」と思い悩む人もいるのではないでしょうか。


今回はその「何故上手くいかないのか」という点について、私なりの見解を述べたいと思います。


【注目すべきは発信者】


かくいう私も強く念じたりイメージしたりノートに書いたり云々と…もう随分と長い間挑戦し続けてきました。叶ったものもあれば二十年近くも願い続けているものもあります。

そして何故うまくいかないのかとふと考えたときに、同じ事を発信している人複数名の「共通点」に着目してみたのです。

その結果、個人的にではありますが以下のような共通点がありました。


・だいたい借金の経験がある
・貧乏時代苦労はしたが友人や家族に支えられた
・家族仲がさほど悪くない
・「たくさんの人に支えられてここまできた」的な発言がある

細かくしていくとまだまだありそうですが、大まかな部分を抜粋するとこんな感じではないでしょうか。


さて、では今度は自分自身で想像してみてください。

あなたは借金の経験はありますか?
もう返せないという程膨れ上がって死を選ぼうとした境地までいきましたか?
周囲に支えてくれる親しき人はいますか?
家族の仲は良いですか?
その他、その発信者が語る経験談に共感できた節はありますか?

この問いに対して全てがNOだった場合、その発信者の言う方法を真似しても恐らく現実に反映させるのは難しいかもしれません。例えできても時間がかかる可能性は大きいでしょう。

「全部NOだったけどなんなく願望実現したよ!」という方はこれからもそのままのあなたでいて下さい(笑)


因みに私は全てNOの人です。


これ何が言いたいかというと、成功者の語る経験談とはもう既に終わった過去の出来事であり、そういった紆余曲折のなかでその人が実際に何かを感じ、何かを思い、何かを学んできた先にあった現状打破の「ひとかけら」なんですね。

そして自分の身の振りが落ち着いた頃に「僕・私はこのようにして今の生活を手に入れた!」と発信しているわけです。


これはいわゆる、整備された登山道、整備されていない登山道、獣道みたいな登山道、その他諸々の登山道があったとして、装備も仲間も人それぞれ違う状況でそれに挑むとします。

ひいひいふうふうと山登りして頂上まで登り切った人が何かを見つけ、下山してこういうモノがあったよと周囲に知らせ、その人のそれまでの軌跡はどうであれ頂上にあったモノだけを真似していればOKなんだ!…というような解釈で真似ているようなものなんですね。


まぁ大体の知識や術というのは重要なポイントの部分だけ切り取られるものなので当たり前ですが、端的にいうならば「そこだけ」「その術だけ」「そのやり方だけ」を一生懸命真似しても多分なかなか上手くいかないよ~ということなのです。


しかしこんなことを言うと…

「ではその発信者と同じ過去を辿っていないとその術は活用できないの?」「私だって現状苦労している。だから打開策をこうして探してるのだから今登っているんだ!」

このような意見もあると思います。

私もそれは良くわかります。

ですので、もう少し踏み込んで解説するのであれば「あなたはこの発信者たちと同じくらい人に恵まれかつ大胆な行動をしてきましたか?」というところが重要ポイントなのです。


【よく見かける“大借金からの復活ストーリー”の裏】


引き寄せ、イメージング系推奨者に見られる「大借金からの復活ストーリー」ですが、これは本当に大したものですよね。

私は一人暮しで仕事も無くなり病気になりで貯金残高数万円を経験していますが、数万円でも借りることを躊躇する上に世間に迷惑かけるくらいなら死ぬかぁと思う質でした。
(結局そこから少しずつ巻き返しましたが)


それなのに状況や使い道はどうであれ、世の中には数百万、数千万などの借金経験者もいらっしゃるのです。

これを言葉を選ばずしていうのであれば、おおよそ「普通」ではありません。
決して皮肉、蔑み、侮辱等ではありませんよ!いわゆるあまり一般的では無いということです。


何が言いたいかというと、それほどまでに「大胆な行動ができる」ということなんですね。


借金をする時点で色々な算段はあったのだと思いますし、どちらに転んでもこうなるだろうというその後の予測のようなものもあったと思います。

しかしながら大抵の人は借金してまでやろう!という行動力にならないんですね。


何故かというと、借金というリスクを背負う位ならやらないというのが恐らく多数派です。

そして大きなお金を借りてまで何かをしようとする人はそれこそ社長向きと言いますか、一人模索してフリーランスで起ち上げていくとかそういった物事に向いてる人が多いとはいわれます。
(あくまでそういう人が多いというだけで、その後の成果を約束するものでは決してありませんよ)


私も昔人から「会社を立ち上げるため資本金を貯めようと計画する人初めて見た」「会社を始めるならお金は借りるものでしょ。稼いで返せばいいんだから」とか言われたことがあります。

当時イマイチ理解できなかった私は経営者向きでは無いのでしょうが、それだけ「お金を借りる」ということに対して躊躇するものでした。


しかしあれこれと事業を立ち上げて挑戦していきたい人にとっては違います。
どんどん借りて、どんどん挑戦し、失敗しても次々!という人が結構多いのです。

そして一時期どん底まで落ちたとしても、貧乏生活しながら落ち込んでいる姿を見せても何も言わずいつも通り接してくれる知人友人や家族がいる。

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何が違うか少しずつ見えてきたかもしれません。

とどのつまり、それほどまでの「大胆さ」を持ってますか?という点です。

持っているなら、その発信者と同じ術を試して今の場所でたたらを踏むことなど考えられないんです。


重要ポイントは「大胆さ」。

つまり行動力と勢いと力強さみたいな、そういった勢いのままに発信者の術を試していますか?ということになるんですね。


ともすれば…

「いえ、私は病弱で鬱々として覇気が無くて、周囲に助けを求められる環境で無くて、毎日不平不満で過ごしながら引き寄せチャレンジしています…」という人がいたとして、それは果たしてその発信者と同じように叶うでしょうか?

答えは「否」だと私は思う次第です。


【引き寄せ成功者は恵まれている人が多い??】

では続いて、引き寄せ系の成功者は実は恵まれている環境だった?という見解と考察です。

あくまでも実験的試験的?といいますか、研究対象としての私見ですよ!妬みや僻みを含まない事だけは前置きしておきますね。

これに関してはそれこそ個人差といいますか、もしかしたら当てはまらないと感じる人も多くいるかもしれません。

しかし私が感じた点を上げるならば「そもそも人の縁に恵まれている」という点があるように思えます。


勿論、全くそんなことは無かったけど自分の工夫と努力で友達も家族も仲間も増えたよ!という人もいらっしゃると思います。
私が知らないだけでもの凄いどん底から引き寄せだけで昇りつめた方もいるのかもしれません。

単純に私が見てきた引き寄せ系の方々の共通点として、家族仲も悪くなく、たった一人でも理解者である友人がおり、周囲に手をのばしたら助けてもらえたというケースが多いように感じたのです。


こちらも何が言いたいかというと…

劣悪な家庭環境、人格否定を長年にわたり受けてきた、犯罪スレスレのことを長年されてきた、靴を隠された程度では済まないいじめを受け続けてきた等など、幼少期から成人するまでの間にこういった環境にいた方は、この手合いの「引き寄せ」が非常に相性が良くないんですね。


これ、非常に難しいんです。

何故ならできないわけじゃない。できないわけじゃないけど非常に時間がかかる。

ビックリするぐらい時間がかかるときあります。


まず根本に「自己破壊」させるような思考の癖を植え付けられてしまうので、素直になれないし卑屈に考えるし疑り深いし物事斜に構えてみてしまう(笑)

それでいてそのマイナスでしか無い癖を植え付けてくるのが実の親だったり兄弟だったり、周囲の人だったりで助けを求めても八方塞がりという状況。


心当たりがある人もいるかもしれません。

時間がかかるかもしれないと頭ではわかっていてもソワソワと、まだかまだかと心の落ち着きが無くなる。

微々たるものでも現実に反映されたら万々歳だけども、こういった手合いの人の何が一番最悪って「思ったことと逆のこと起こりませんか?」ということなんですね。


願えば願うほど、イメージすればイメージするほど、何故だかドツボにハマるようにどんどん悪い方向へ堕ちていく…そんな経験をされたことはないでしょうか。


これのカラクリは「類ともの法則」だとか「固有振動数の共振」だとか「振動数の法則」のようなものです。

共通するポイントとしては「波動(ラジオの周波数のようなもの)」をどんなチャンネルを合わせるか、というところにあると考えています。

その「波動」とは科学的な観点で言えば電子的な流動物です。

そしてその電子的な流動物は、ときに人の記憶や感情をそのまま記録して運んだりできるものと私は考思っています。

波動が電子的流動物として考えるのならば、もちろん固有振動数の共振が起きるのも十分考えられるわけなので、「あなたが今感じていることが現実に起きる」という状況になるんです。


つまり、いくら頭だけで考えていてもそのイメージは現実にならず、「ああはなりたくないな」「こんな人に当たりたくないな」とか、日頃鬱々と考えて感じている低く重たい感覚の方が優先されてしまうんですね。


そもそも波動自体に善し悪しとか聖や闇という属性はありません。

人間の感情や思考で軽いか重たいか、光か闇かというような属性が付与されてしまうんです。

属性がつけられた念は同じ波動を持ったものと惹かれ合い固まっていき、それが大きなものとなっていくんです。そういったエネルギーが最終的に現実に影響を及ぼしていきます。

なので、長期間に渡る辛い経験や、長期間に渡る虐め、長期間に渡る虐待、長期間によるパワハラ、人格否定などなどを体験されてきた人は、「心地よく軽やかな気持ち」「前向きな気持ち」「素直な気持ち」というものをスタンダートというかニュートラルな状態になかなかできないんです。


いうなれば、「思えば叶う術」の前の「ベイビーステップ」自体がまだまだできてないんですね。


【辛い過去がありすぎて引き寄せに向かない人の打開策】


こういったタイプの人の場合のは、まず何よりも「自分が自分の事を好きなること」です。

はい、でたー。もう無理―と思ってもあとほんの少しだけお付き合いください(笑)気持ちはわかります。本当に。

長い期間蔑ろにされてきた人は自分自身が嫌いだという人も少なくありません。

しかしこれが負のスパイラルを生んでしまうのです。

自分が自分に対してやっていることが現実に反映され、他人から受けることに繋がります。

自分で自分を卑下すると他人からもされますし、自分に嘘をつくと他人から平気で嘘をつかれます。

自分で自分を責めたり虐めると人から虐められるようになるし、なんでこんなこともできないの!と自分を叱責すると他人から言われたりします。


嘘だ~と思う方もいるかもしれませんが、私は実体験を交えて「ある」と感じていますね。

私は自分に「好きだよ」「愛してるよ」「大丈夫だよ」を言い続けるプロジェクトを始めたとき、その後の人間関係や環境が今まで見たことない程にみるみる変わったのを体験しました。

仕事している間、脳内に好きな人やお気に入りの人、はたまた二次元のキャラでもなんでも住まわせてひたすらに自分自身をヨイショし続けました。


およそ1ヶ月くらいを目処に変化が現れたのを覚えています。


「自分が自分にしていることは他人からされる」

この法則を身をもって体験し、身をもって良い方向へと変換させた実体験があるからこそ、同じように引き寄せ系の術の前のベイビーステップでたたらを踏んでいる人に伝えたいのです。

まず行うべきは自分自身を愛すること。

恥ずかしい、胡散臭い、無理~と思っても構いませんよ。

だって私もそうでしたから(笑)

虚しくて悲しくて、なんて馬鹿馬鹿しくて変なことしてるんだろうと思いながらやってました。


それでも次第に心に変化が現れてくるんです。

そして現実が代わり初めて自分の心やトラウマが柔和した頃に初めて「引き寄せの術」に本腰入れて挑戦してみてはいかがでしょうか?


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