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未来予知を紐解く

新年あけましておめでとうございます。
昨年はあまり更新できませんでしたが、また少しずつでも記事を書けるよう頑張りたく思います。

新講座のテキスト内容など編集していたらあちこち本を読み漁って脱線してしまったり、漫画やアニメが好きなヲタクでもあるのでそちらの活動もチラホラしていた2022年でした。

なんせよ、「楽しい」という感覚に従うのが幸せな人生にするための一番の条件ですからね。
今年も自分の心地良さや軽やかさに偽りなく過ごしていきたいと思います。

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さて、今日は未来予知を題材にお話ししていこうかと思います。

初めに、私が物事を分析するときは引き寄せ(世界は自分が作っている)視点と量子力学系(気や波動)の視点の両方を同時に見ている状態で考えています。
ややこしいところもあるかもしれませんが興味ある方はお付き合いしてください。


【物事は複数の視点から見るとよい】

私は普通に生活していた中で、一度天井から電灯が降ってきたことがあります。
しかし、その出来事が起こる1か月くらい前から何の前触れもなく「落ちてくる」ビジョンが視えていました。
脳の裏に映写機が映し出すように映像が流れているのです。
気にしないと言えば噓になる、かといって深刻に捉えるほどでもなかった。

ビジョンの映し出しは一か月ほど毎日のように続く。
時には「え、本当に落ちたりしないよね?」と少し不安になったり、時には「落ちる確証もないのにしつこいな、イヤな念でも拾ってきたかな」と冷静に分析したりする。このような日々を送っていました。

そして1か月経つかという頃合い、就寝している真夜中に上から電灯が降って来たのです。

これをとある霊能者の方に話してみたらそれは「予知の能力」と言われました。
引寄せなどのメソッドをしている人に話してみたら「完全に引き寄せた」と言われました。

面白いですよね。
どっちが本当?と思うところでもあります。

これはあくまで私の認識ですが、これ両方正解です。
正解というか、両方とも存在していることは確かなのです。


【思考や情報の影響】

世界というのは「自分が視ている」という判断か、「視せられている」という判断か。
よく議論になります。あくまで主観ですが両方同時に存在していると私は考えています。

例えば霊能者が「視ている」つもりでも「視せられている」ということになる。
目に見えないものによる影響→対象のエネルギーが訴えかけてくる信号を拾う、そうして対象の本音や過去などを受け取って視る。視ると視せられるは同時に在る。

また逆に「視せられている」つもりでも観察者が「視るものを定めている」から視ることができる。
「引き寄せ」→観察者本人の願望、理想、希望、そういった情報の信号を投げることでその波動と同じものが反応する→応じた信号を受け取りその情報や感情を自分のなかへ記録してまた新たに創り出していく。

言葉で表現するのは難しいですがこんなことが起きています。

多くの人は、なぜかこれらが同時に存在していることを拒みます。
拒むというより理解が追いつかないといいますか、納得できていないといいますか、なかなか腑に落ちないという状況かもしれません。

しかし私自身、引き寄せの法則のような「世界は自分の認識次第」と捉えるのと同時に、目に見えない神様の類も同時に世界に存在していると考えて物事を俯瞰することにより、より願望の実現化が早いという体感を得ていますね。
自分の意思と思考に加え、隠身(神)は自分たちの知らないところで動いているという考えが同時にあると尚更です。

はたから見るととても矛盾しています。でもまたこれが面白い。
自分が世界を作っている=神様は存在する、という世界の理解はちょっと難しいですよね。
神様が存在しているのなら起こる数々の不幸は悪魔や魔物や疫病神の類が起こしていても過言ではない、引寄せでいうところの「全ては自分が作っている」というのは当てはまらない、という結論になります。

逆も然りです。
全てが自分の考えるままに世界を作れると信じていても、どうしても叶わない(現実化しない)ことがある。それを引き寄せ的には信じ切れていないからとか、本当はしなくてもいいと自分が知っているからとか説明されたりします。
でも色んなアドバイスも受けて様々なセミナーに通ってるのに、誰でもできると歌うものでさえも、試してみてほんの小さなことですら「現実化」できない人がいるわけです。

世界は自分が引き寄せている、と断定した文句を言うが「できない人」が存在するのはなぜなのか。
言霊を唱えるだけで未来が好転すると言われて、そうなる人とならない人がでるのはなぜなのか。
唱えるだけでもいい、ただやるだけでいい、快に向か方への行動をすればいい、〇〇するだけなハズなのに、なぜできないのか。

それは、メソッドも、言葉も、瞑想も、特別意味はないからです。
意味があるとすればそれらは「呼吸」や「想像」をより良く保つためのツール。
認識の変更を自分で創り変えていくためのきっかけにすぎません。
なにせ、言葉自体に力が宿るのなら万人が言って万人が願望の現実化をしてなくてはおかしいですし、誰でも簡単にできるというメソッドをトライしてもできない人が少なからずいるのはおかしいのです。
瞑想だってただ座って云々かんぬん色々あるが、合う合わないという相性がでてくる。

ここまで小難しく説明してきましたが簡単に纏めると、根本的な部分は何事も「自分次第」ということなのです。そして、世界は自分を無遠慮に揺さぶり、心を惑わせるエネルギーに塗れているということを同時に知らないといけません。

人は生きている限り、それぞれが強力な電波塔なのですから。


【未来予知の見え方】

予知夢で災害や事件事故を当てる人もいます。
未来予知でこんな人と出会うよ、と言われて本当にそれっぽい人が合われるケースもあります。
嘘かホントかという討論はしません、事実として記録が残っているのなら少なからず「現象はあった」ということになります。

そして霊能者にしろ占い師にしろ「未来予知」を売りにしている人はたくさんいます。

そこで問いたいのですが、それが現実に反映された数は如何ほどのものでしょうか。
実際に「的中率」というものは低いと私は感じています。しかし100%でないものの、少なからずは、なんとなくでも「わかる」という事実はあるわけです。

では、ある人の体験談をもとにちょっと「未来予知」について検証してみましょう。

ある日とても悩んでいる人がいました。
とある霊能者の方に相談したところ、その霊能者には子供が泣いているビジョンが見えていたそうです。
悩みを紐解いていくうちに、相談者は仕事が立ち行かなくなってこの後に死ぬ予定だったのだそうで、見えたビジョンをそのまま伝えると引きとどまり考えを改めて家へ帰ったという話があります。

これを「視る」「視せられている」という多角的視点から分析してみましょう。

波動的視点(量子力学)でいうならば、霊能者はその相談者の現在持っている「波動」的なエネルギーを受信したことになります。そして同時に「視ようとした」ということにもなります。

波動は感情や記憶などの情報なので、対象の情報(記憶や情動)が本人の意思とは関係なく常々垂れ流されているものなのです。それが流れ込んで来たとき「受信」したのだと推測します。
ともすると、例えば相談者がお話ししながら「こんなことをしたら子供が泣くだろうな」ともし考えているのであれば、それを霊能者側がその情報を「受信」するという構図は十分あり得るのです。

つまり現在過去未来に至るまで、それが「視える」というよりも、相談者が持っている(もしくは考えているだろう思考情報)を受け取って視ているということにもなるのです。

ようするに、厳密には未来そのものが視えているのではなく、対象が思考している「可能性」や「希望」、「不安」「ありうる凄惨な未来」だったりを「受信」して「視えた」としている。
そのような可能性もあるわけです。

霊能力など直観力や目に見えない系統に敏感な人からすると、オートで入ってくる誰かの情報(記憶や感情や予想)は、受信者本人の意思とはあまり関係なく何らかの形で外部から干渉をしてきてエネルギーを与えてきたりします。

たとえば不幸の渦中にいる人を視た時に、そりの合わないパワースポット等に行って波動を下げるようなエネルギー体を引き連れてしまっているビジョンを視たりとか、周囲の人でマイナスなエネルギーが強力な人がおりその人に影響されているビジョンを視たとか、住んでいる環境とか、外部による何らかの影響が相談者に悪さをしているような背景を何らかの形で「受信」します。

感知タイプの人にとってこういった面は少し生きづらいところもありますよね。
でもそれをコントロールして使いこなすのもひとつの課題だと思いますよ。

それにもちろん、不幸とも取れる状況とは何も目に見えない外的要因だけではありません。
そのようなマイナスエネルギーに左右されやすいということは、その本人に「自分がない」状態でもありますから、不幸とも取れる出来事や負のエネルギーに付きまとわれていつまでも楽しくないという人の波動(覇気)はとても弱く、不安げで(もしくはイライラしてて)、とても自分に自信がない人が多いのではないでしょうか。

波動や覇気といった自分自身を守るバリアのようなものは、本人が本人自身を責めて虐めて抑圧して殺していると弱く、それでいて脆くなります。自己破壊状態なのですね。


【物事多角的視点から見てみる訓練を】

面白いのが「世界は自分が作っている」という引き寄せ視点の人が、相談者として占い師と対面したとき、だいたい既にわかっていることを言われます。
あなたは〇〇な性格で~とか基本的な事でなく、未来を視ますと言うタイプの人にでさえ「自分はこう考えているから似たようなことも言われるのか」なんて思っていればその通りのことを言われたりします。

反面、思ってもみないことを言われたとしても、それは自分が願望実現に向けて密かに持っていた「不安」の部分だったりします。
そうそう、そうはなりたくないって感情があるからだろうな…とすとんと腑に落ちて終わりです。

これを霊能者や占い師側が「ほら、私視えるのよね」と上から目線な場合は注意です。
あくまでも「視る」と「視せられている」は同時に存在しています。
視るという能力は才能であったり生まれつきだったり研鑽の後に手に入れたものだったりと素晴らしいものですが、対象が意図的に壁を作っている時はうまく視えません。
(同業者の方は何となくわかるのではないでしょか)

「視る」と「視せられている」は同時に存在している。
「目に見える世界」と「目に見えない世界」も同時に存在している。

自分が波動を作り出し引き寄せてくるのは「視えない世界の住人」でありエネルギーです。

ここの辺りを理解して占いでも霊能相談でも受けるとまた違う気づきがあると思われます。
そしてこれを理解しながら「自分の世界」を見つめると、現在の自分の状態、自己研鑽、自己観察などが捗りより良い未来につなげられる一歩となるかもしれません。

私は宇宙も神様の類も自然も動物もメカも好きです。人間だって好き。
占いもおまじないも好きです。
好きだからこそ自分の軸が納得できるよう調べて「知る」ことを選びましたし、そう望んだからこそ隠身(神)はそのような縁と繋げるように関係する書物や人との出会いを引き寄せてくれました。

これは占いや霊能力や引寄せを懐疑的にさせるものでもなく、何をどう想像し、何をどう楽しもうとも最終的な決定権は自分にあるということですね。


新たな年の始まり。
願掛けや占い、おみくじ、神頼み。日ごろ信じていない人でさえも色々と目に見えないものにアクセスする時期だと思います。
それらも、全ては豊かに楽しんで、心地よく生きるためのツールなのです。ツールは工夫しながら上手に使うもの。
少しずつでも「自分」を持って歩んでいきましょう!


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