とんたん

小学校教諭です。カリキュラムマネジメント、てつがく、学び合いの授業を行っています。

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小学校教諭です。カリキュラムマネジメント、てつがく、学び合いの授業を行っています。

最近の記事

エビデンスという「怪しさ」

医学界ではよく使われ、最近では教育でも使われるけど、医学界でも、教育界でもこの言葉は好きになれない。 医学ではある意味、割り切り方がはっきりしている。例えば抗がん剤で「この薬は70%の人には効果がある」となれば、大ヒットする画期的な薬となるけど、残りの30%人には効果はないわけで、その30%はある意味「しかたない」と割り切ってしまう。もちろん、効かなければ別の薬で試すわけだけど、人の体、ましてや免疫機能はとても多様で複雑なので、そう簡単ではない。効果のあるという70%でも、

    • なぜ今の学習指導要領が悪なのか

      僕は近年の学校の混乱を招いた最も大きな要因は学習指導要領だと考えています。まともな話ばかりの要領がなぜ今日の学校の混乱を引き起こすことになったのか少しまとめてみようと思います。 多くの教師は読んでいない 小学校の学習指導要領をビニルの買い物袋にいれると破れてしまうくらいの分量です。改訂になってほとんどの教師は全教科を買うことになったと思いますが、多くの人はその10分の1も読んでいないと思います。多くの場合、開くのは授業公開で人に自分の授業を説明しなければならないときにくら

      • 中学校の異変

        古くから僕のことを知っている人は、僕が小学校の異変を分析し始めた頃、「これから中学校も大変なことになる」そう書き込んでいたことを覚えているかもしれません。でも、実際には僕がイメージしていたような異変は起こりませんでした。でもある意味、今の中学校の異変は僕の予想を超え、多くの人が考えるよりもまずい状況だと僕は思っています。 まず、僕は6〜7年前の小学校の状況(データ)から中学校でも荒れが大きくなるだろうと考えていました。もちろん、データ上の荒れはあります。生徒の人口比で言うな

        • 恐怖指数

          恐怖 株の投資では(僕は株投資はやっていないのだけど)VIXという指数があります。これは恐怖指数というもので、投資家の恐怖をリアルタイムにグラフ化したものです。銀行が潰れたなんてことがあると、敏感にグラフが反応するなど、投資家の心理状態を反映します。 10年前くらいから、学校で子どものこの恐怖指数がとても高くなっていることを感じます。荒れているクラスではこの恐怖指数が天井を突き破っているというイメージです。荒れているというクラスは、すべての子どもがこの恐怖指数が高い状態だ

        エビデンスという「怪しさ」

          働き方改革なんて実は簡単

          小学校教師と中学校教師とでは忙しさの質が異なるので、ここでは小学校教師に的を絞って書いていきます。 簡単にいうと「保護者」のために時間を使い込んでいる 遅くまで同僚の仕事をずっとみっていると、子どものテストの丸つけやコメント、評価などに多くの時間が使われていることが分かります。これらは一見、子どものために細かな対応をとっていると思われることでしょう。でも考えてみてください。毎日単位の評価って本当に必要でしょうか。子どもの成長なんてせいぜい半年単位。僕の学校では評価は二期制

          働き方改革なんて実は簡単

          「学校」という機械学習AI

          AIは「人工知能」と言われますが、今のAIに考えることはできません。考えているように見せかけているだけで、データから機械的に学習して、そのパターンやルールを見つけ出すものにすぎません。 ここ10年でAIが騒がれたのは、ディープラーニングでマシンパワーが向上し、分岐を深く計算することで予測できるようになってきたからです。でも、これらは全て考えているわけではなく、「膨大な計算力で」「機械的に」処理しているだけなのです。 人類を滅ぼすAI? AIがいつか人類を滅ぼすのではないか

          「学校」という機械学習AI

          洞察

          洞察 どうしてこの子どもはこんな言葉を吐き出すのだろう? どうしてこの子どもはこんな行動をとるのだろう? どうしてこの子どもは泣き出しそうなのだろう? どうしてこの子どもは怒っているのだろう? こうした子どもの姿について僕らは日常的に振り回されるのだけど、それが一体にどこから生まれているのか、多くは「想像」するしかない。特に教師自身が原因の場合は、視点が自分から外れ、それを外部に求めてしまうことで子どもの姿を正確に理解できなくなる。 教師は深く洞察できることが大事

          それは脳機能の拡張のためのもの

          GIGAは何をもたらすのだろうか?  僕は現状で言うならデメリットの方が大きいとみている。 誤解ないようにいうと、僕のクラスはほぼ毎日使うし、子どもにはほぼ自由に使わせている。休み時間も係活動も使わせている。こうやって、構成的、効果的にICTを使わせる教師の何倍も使わせているけど、観ていていろいろ危なさを感じる。その危なさを認識でき、すぐさまフィードバックできるならいいのだろうけど、多くの場合、そのどこがだめなのかも分からないままICTの幅を広げてしまうことになってくだろう。

          それは脳機能の拡張のためのもの

          言葉が伝わるということ

          ある会での話。 「自分の言葉で語ることが子どもにとって大事だ」 確かにそうだし、僕らが子どもの頃、教師からよい影響をもらったのはきっとそんな「熱量」の高い話だったのだろう。 でも、考えてみれば全国の多くの教師はみな「私は私の言葉で子どもに語っている」そう思っているに違いないと。くどくどと説教するのも、宿題の大切さを語るのも、授業をするのもみな、「子どもに伝わるように自分は自分の本気の言葉で話をしている」そう思っていることだろう。ところがこうした言葉が子どもに伝わる教師もいれ

          言葉が伝わるということ

          学ぶ

          中学生の長男が社会科のテストが悪かったというのでテストを見てみる。ああ、なるほど。アホな小学校時代の授業を受けてきたらまず分からないだろう。ひょっとすると、本当の意味で分かっている中学生はほとんどいないんじゃないかしら。成績が良い子でも、本質的に内容を理解できていないだろうという感じ。 今、ニュージーランドの季節は何? え〜〜〜〜〜っと、ふ、冬? そうだな。冬だな。 で、どうして日本は夏なのにニュージーランドは冬なのさ? ええええっ・・・・南半球だから日本と季節は反対になる

          子どもの何を見る?

          授業中に僕は子どもの何を見ているか。僕が注意深く見ているのは、子どもの目線や表情、僕から放たれた言葉への反応。それも最も反応の低い場所(子ども)を大事にする。どのクラスだって、教師の言葉を受けて目をキラキラさせ、うんうんと頷いてくれる子どもは一定数いる。どうしてもそうした子どもは目に入りやすく、そして自分もそう求めているから、どうしてもそこに注視してしまう。これが子どもと教師が乖離してしまう原因なのだ。また個にフォーカスせず、全体をぼんやりと、それは近眼の目で遠くを見るように

          子どもの何を見る?

          人生は一度だらけ

          僕はコロナで部活動の大会が中止なってもちっともかわいそうとは思わない。多くの大人が可哀想だと思うのは「人生の大切な時期の〜」というこだろう。でも、僕だってこの歳になっても「人生の中で1度」だらけだ。 一つ前にポストした中身に書いたように、学校にウエイトがかかりすぎていることが問題なのだ。スポーツだって大人になっていくらでもできるのに、大人になって楽しめるスポーツ団体があまりにも少ない。社会が勝利至上主義なので下手な人が気軽にスポーツを楽しむことができない。音楽も似たようなもの

          人生は一度だらけ

          教育改革とは

          僕が朧げに見えているビジョンを話します。明治からの日本の教育システムというか、アーキテクチャーはもう終焉を迎えているのだと考えています。変化する子どもへの対応、進まない働き方改革、学力の二極化の中、そこに対応しきれない今の公立学校はすでに死にかけているとも言えるでしょう。このFacebookの中で、多くの人が私立に流れていくのもその流れに中の一つです。 それでも、50年後に今の時代を振り替えたときに、この2020年ごろが転換期だったと知ることになると僕が考えています。これから

          教育改革とは

          浮き上がる言葉

          何度か言葉には重量があると言ってきたけど、荒れた学級に1時間入ってみて感じるのは、教師の言葉に重さがないこと。教室の子どもが水だとして担任の言葉は油のように子どもの頭の上を滑っていく。磨き上げてきた質量ではない。これまでなら何とかなってきたのだろう。でも、この状況において質量の低さは致命的でもある。言葉の質量が大きくならない限り、子どもの荒れは収まらないのかもしれない。 ところで言葉の質量とは何だろう。それは少なくとも内容でない。同じことを初任者と僕が言ったのではまるで違うも

          浮き上がる言葉

          GIGAの時代の学び方

          タブレットなどを使う上で問題となるのが言語力だ。学力上位の子どもや、幼い頃から豊かな言語環境で育った子どもにとっては、タブレットなどの電子デバイスは、飛躍的にその領域を伸ばすことができるだろう。GIGAを推進している多くの先生はそのタイプだ。 一方で、学力の低い子どもにとってはタブレットによって一層学力が低くなる可能性が高い。タブレットでは短文しか使わないからだ。学力の高い子どもは、自分の持つ長文の言語思考からトリミングして言葉を扱う。一方で言語能力の低い子どもにとっての言葉

          GIGAの時代の学び方

          すぐにできる方法なんてないよ

          「考える」ということの経験がほとんどない子どもたち。教師の多くは自分の問いに答えさせることを「考える」と考えている。なので、ゆるい課題設定の中では、多くの子どもは考えるこということそのものに戸惑う。「考えるって何を考えればいいんですか?」と真面目に聞いてくる子どもも、考えることをめんどくさがる子どももいる。 いや、それってそもそも課題設定がガバガバなんじゃない?と思われるかもしれないけど、課題設定を子どもが答えやすいようにしている時点で、何かまちがっているのです。課題設定を絞

          すぐにできる方法なんてないよ