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GIGAの時代の学び方


タブレットなどを使う上で問題となるのが言語力だ。学力上位の子どもや、幼い頃から豊かな言語環境で育った子どもにとっては、タブレットなどの電子デバイスは、飛躍的にその領域を伸ばすことができるだろう。GIGAを推進している多くの先生はそのタイプだ。
一方で、学力の低い子どもにとってはタブレットによって一層学力が低くなる可能性が高い。タブレットでは短文しか使わないからだ。学力の高い子どもは、自分の持つ長文の言語思考からトリミングして言葉を扱う。一方で言語能力の低い子どもにとっての言葉は、短文そのままでしかない。つまり付随するイメージがまとわりついていないのだ。タブレットに書き込まれた言葉のイメージは子どもによってまるで違う意味であり、違う深さなのだ。
言葉とは経験に裏付けされたイメージがまとわりつくことで初めて、その質量が高くなる。なので「なってみる」のように、身体を使って初めて理解できる言葉や匂い、感覚を大切にしなければならない。そして僕らはそうして言語能力を高めてきたはずだ。
小学校においては、なおさら体験や経験が重要なのだ。それをタブレット上の動画で補うのはとても危険だ。それは化石発掘でハンマーを振れば石が簡単に割れると思ってしまうようなものだ。石灰石がなぜライムストーンと呼ばれるのかは、全力で石灰石を叩かないと分からない。
タブレットが悪いわけじゃない。そういうことを知らない教師が経験や体験を疎かにして、動画やドリル学習に興じてしまうことが危険なのだ。
GIGAでは(本当の意味で)効果的な活用、そして、スペシャリストの実践が求められていくことだろう。僕はその現場最前線の実戦に期待している。

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