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働き方改革なんて実は簡単

小学校教師と中学校教師とでは忙しさの質が異なるので、ここでは小学校教師に的を絞って書いていきます。

簡単にいうと「保護者」のために時間を使い込んでいる

遅くまで同僚の仕事をずっとみっていると、子どものテストの丸つけやコメント、評価などに多くの時間が使われていることが分かります。これらは一見、子どものために細かな対応をとっていると思われることでしょう。でも考えてみてください。毎日単位の評価って本当に必要でしょうか。子どもの成長なんてせいぜい半年単位。僕の学校では評価は二期制だから、4月に比べて「ここが成長したな」「ここはまだまだだな」そんなものです。半年してやっと変化が作れてきたかなと思う程度です。例えば「書く力」なんて、週単位で伸びるなんてあるわけないのです。
「そんなことあえて言われなくても分かっている」はずですが、ストイックと言っていいほど、プリントへのコメントや丸つけに没頭しています。これらは、何のためだろうと、どう考えても子どもの成長のためではなく、「ちゃんと子どもの指導をしていますよ」という保護者への説明責任だとしか考えられません。

保護者への説明責任って大事じゃないの

はい。とても大事です。子どもがどんな学びをして、どんな成長を遂げているのかを保護者に伝えるというのは教師の大事な仕事です。ですから、子どもがどのように成長したのかを見せればいいのです。でもそれは半年単位でよいのです。だってそれほど変わらないのですから。テストだってそうです。早生まれの子どもは点数が低いでしょうし、テストで分からなかったところを学び直すのが、教育なわけで、平均点が90点でしたなんてものではありません。

一方で子どもは残酷です。教師がどんなに細かな指導をしている、子ども一人一人を大事にしているとアピールしても、「今年の先生の授業はつまらない」そんな話を家でするものなのです。ましてや、放課後大量のプリントの丸つけに追われるような授業の質が高いわけなく、子どもはそれを子どもの言葉で親に説明するわけです。

肝心なところは説明しない

考えてみてください。最近の授業参観って半分くらいが、子どもの発表みたいな感じに置き換えられていませんか。それは学習指導をブラックボックス化(見せたくない・見せられない)して、裏で練習を重ねた分かりやすい「発表」だけに絞って、自身の指導力は見せません(まあ自分の力量が低いと苦しいですからね)
でも、保護者にとって本当に知りたいのは、授業で子どもがどんな姿で臨んでいるのか、どのように発言しているのか、どんなことを考えているのか、そんな授業の取り組みだと思うのです。

つまり仕事は大幅に減らせるということ

余計なことをやめたらどうでしょう。ひょっとすると半年かけて子どもを評価するって考えたらテストなんて今の半分もいらなくないですか? いちいち子どもの書いたプリントに丸をつけたり、コメントしたりしなくてもいいとは思いませんか。大事なのは半年かけてどのように成長させたのか、子どもの姿で保護者に説明できることではないでしょうか。僕はこうした余計な仕事はめちゃくちゃ削っています。でもそれで苦言されたことはありません。子どもの成長をしっかりと作っていく、仕事も減らせて、子どもも成長する。そんな道もあるんじゃないかと。そう考えると多忙化している多くのものは実は子どもの成長に役立っていない可能性もありますよね。

どうしてこんなことになったのかというと

教師の評価制度ですね。特に保護者へのアンケート。これに酷いことを書かれることを防ぐために、小学校教師は多くの時間が使ってしまっているということです。このアホな評価制度については、また機会があったら詳しく書いてみたいと思います。

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