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恐怖指数

恐怖

株の投資では(僕は株投資はやっていないのだけど)VIXという指数があります。これは恐怖指数というもので、投資家の恐怖をリアルタイムにグラフ化したものです。銀行が潰れたなんてことがあると、敏感にグラフが反応するなど、投資家の心理状態を反映します。

10年前くらいから、学校で子どものこの恐怖指数がとても高くなっていることを感じます。荒れているクラスではこの恐怖指数が天井を突き破っているというイメージです。荒れているというクラスは、すべての子どもがこの恐怖指数が高い状態だと言えます。

僕が荒れたクラスを立て直すにはまず、この恐怖が何からやってきているのかを感じとります。ここで分かるのは大抵の場合は「お勉強」だということです。なので学級の立て直しの一丁目一番地は授業だと分かります。つまり、大半の子どもは授業というものに恐怖を感じ取っていることなのです。

そうかなぁ、そんな感じがしないけど・・・

そう思うなら、その子どもの恐怖に触れてみるとよいと思います。怒りだすか、泣きだすか、暴れだすか、塞ぎ込むかすぐに反応が出ると思います。僕がたまに使う「看る」とは、この「手」の感触で子どもの心の部分を感じ取るということなのです。

なぜ恐怖指数が高くなっているのか。

この世の物事は全て「対」となっています。例えば「ほめる」は、「ほめられない」、「できる」は「できない」、「達成」は「未達成」というように左側の文字があるのは、右側の文字があるからです。従来、学校や教室に隙間のあった時代はこの境界線が曖昧でした。曖昧だからこそ、その隙間に隠れることもできました。ところが学習指導要領が「知識理解」を教育の一番重要視し始めたころから、「誰もが」「一人のこらず」というように、全員を言葉の左側に持っていこうとする作用が強くなりました。それでも昭和や平成の20年ごろまでの時代でしたら、子どももそれに追従できたかもしれません、でも多様性の中に生きてきた子どもたちには、その圧力と息苦しさは耐えられません。教室から飛び出すのも、無意識的にそうした恐怖を回避しようとする反動でもあります。

どうしたら恐怖を取り除けるか

それは簡単でとても難しいものです。つまり、負の肯定、言葉の左側の姿や状態の肯定です。「できる」は「できない」と一体です。一体だから同時に存在するものなのです。それが偏る時に恐怖は生まれます。それはブランコで後ろに下がるような感覚です。ブランコでは下がってもまた前に進むことを体験的に知っています。だから後ろに大きく下がっても「楽しい」であって、恐怖になりません。もし、そのブランコが一体どこまで下がるか分からないことを想像してみてください。怖いでしょ? それが子どものもっている恐怖ですから、その後ろに下がることを楽しめるようにしてあげればいいわけです。できなくても👍 失敗しても👍 そんな空間では恐怖指数はとても低くなるのです。でもそのためにはまず、教師自身がそう思っていなければなりません。僕はそう考え始めて、その言葉に質量が乗ってくるまでに3年ほど時間を要しています。それくらい簡単ではないということです。でも、その効果は抜群です。ぜひみなさんも!


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