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子どもの何を見る?

授業中に僕は子どもの何を見ているか。僕が注意深く見ているのは、子どもの目線や表情、僕から放たれた言葉への反応。それも最も反応の低い場所(子ども)を大事にする。どのクラスだって、教師の言葉を受けて目をキラキラさせ、うんうんと頷いてくれる子どもは一定数いる。どうしてもそうした子どもは目に入りやすく、そして自分もそう求めているから、どうしてもそこに注視してしまう。これが子どもと教師が乖離してしまう原因なのだ。また個にフォーカスせず、全体をぼんやりと、それは近眼の目で遠くを見るように教室の子どもをみることもある。そうしたことで教室全体の意図を捉えることができる。
そして最近の僕の算数の授業は個別化が中心になっている。子どもは一人一人やってきて、僕のチェックを受ける。その際に、教科書やプリント、ノートなどをどのように僕に渡すのか、僕がチェックしている際にそれをどう眺めているのか、その◯や✖️をつけたものをどう受け取るかをずっと見ている。その際に顔はあまり見ない。子どもの息遣いや心の動きが見えにくくなるからだ。

こうしたことって、恐らく多くの教師は意味がわからないと思う。たぶん、授業で見ているところがまるで違うとも思う。ただ僕がその先に見ているのは、子どもの成長だ。常に子どもがどう変化しているか、その変化がその子の何につながっていくのかをずっと考える。授業とはそういうものなのだということだ。

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