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教育改革とは

僕が朧げに見えているビジョンを話します。明治からの日本の教育システムというか、アーキテクチャーはもう終焉を迎えているのだと考えています。変化する子どもへの対応、進まない働き方改革、学力の二極化の中、そこに対応しきれない今の公立学校はすでに死にかけているとも言えるでしょう。このFacebookの中で、多くの人が私立に流れていくのもその流れに中の一つです。
それでも、50年後に今の時代を振り替えたときに、この2020年ごろが転換期だったと知ることになると僕が考えています。これからの50年に向けて学校はどう変わっていくのか。どう変わるべきなのか。そこをずっと考えています。その中で2つのことがキーポイントになると考えています。
それは学校が今の負っている役割を大幅に減らし、子どもの心情への回帰するということです。
明治時代から、学校は社会を作り上げていく基盤にされてきました。そのために多くの子どもが犠牲になったことも間違いありません。戦前では富国強兵として思想と服従の教育を、そして戦後は経済優先の基礎学力定着の教育ななされてきました。今が思想と服従、そしてそこに基礎学力が織り混ざった息苦しい学校となっています。今の学校があれもこれもと、どんどん内容が増やされていくのはなぜいかというと、今の社会で不足していることや歪みを学校教育に盛り込んでいるからです。つまり、今の経済の歪みを子どもが負わされているわけです。英語教育も、道徳の教科化も、GIGAもそうした流れの中の一つなのです。
そして、そうしたものを詰め込んだが故に、学校教育はオーバーフローしてしまい、最も大切な子どもの心を蔑ろにしてしまいました。いや、平成に入って一度は文科省で、子どもの心情を最も大事にしようとした時代もありましたが、それは経済主義に抑え込まれ、ゆとり教という言葉で闇葬られてしまいました。まだその時期ではなかったのでしょう。そうして長い間、経済が停滞し、心は荒み、二極化は激しくなり、人々のルサンチマンは強くなっていきます。モンスターペアレンツや、SNSの炎上もこうした文脈なのだと思います。そうした状況の中、学校はもう機能不全一歩手前にまで追い込まれつつあります。2030年の時代に向けたはずの学習指導要領は、2030年に向けて学校が徐々に崩壊していく道標となっていくと僕はみています。
そして、多くの人がこれからの10年で何かを間違えていることに気づき始めていくと僕は考えています。その時、学校は子どもの心情に沿った教育を再構築していくことになるはずです。今の学校のもつアーキテクチャでは対応できないのです。
また、日本社会ではいずれ生涯教育が広がっていきます。高等学校や大学を卒業すれば大丈夫だという時代はもう終わりなのです。その時代において、公立の小中学校の役割はもっと軽く、少なくなっていかなければなりません。今はあまりにも公立学校が背負わされすぎなのです。生涯学習、キャリア教育として持続的に学び続けられる社会環境になっていくことでしょう。その時代にあって、公立学校の最優先課題はスキルとしての学力ではありません。
そんな時代に向けて、僕らができることはなんでしょう?僕はそうした教育の変換を実感できる前に死んでしまうだろうけど、だからと言って何もしないで達観しているわけでもありません。僕らは僕らができる小さな一歩で改革を進めればいいのです。改革というと、何か壮大なもの、誰からも賞賛されるもの、カリスマ的なインフルエンサーをイメージするかもしれませんが、残念ながらそうしたものが広がることはありません。僕らは僕らができることを一歩ずつ進めればいいのです。僕ら一人一人の行動の集合体こそが改革なのです。

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