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言葉が伝わるということ

ある会での話。
「自分の言葉で語ることが子どもにとって大事だ」

確かにそうだし、僕らが子どもの頃、教師からよい影響をもらったのはきっとそんな「熱量」の高い話だったのだろう。
でも、考えてみれば全国の多くの教師はみな「私は私の言葉で子どもに語っている」そう思っているに違いないと。くどくどと説教するのも、宿題の大切さを語るのも、授業をするのもみな、「子どもに伝わるように自分は自分の本気の言葉で話をしている」そう思っていることだろう。ところがこうした言葉が子どもに伝わる教師もいれば、伝わらない教師もいる。そこに何の違いがあるのだろう。

それは目の前にいる大人としての「楽しさ」なのだろう。目の前の大人がさも楽しそうにいれば、子どもは楽しそうだから話を聞くし、伝わる。きっとそんな単純で、そして難しいことなのだろう。全国の多くの教師はどうだろう?僕も含めて子どもの目の前に立ち、子どもが「こんな大人になりたい」そんな大人になりえているだろうか。新しいことにワクワクし、失敗を怒れずに、自由で、そして楽しい、いつもニコニコしていられる、そんな大人に。それは教育の技術とかそんなことじゃない。結局は人なのだ。

そう考えると、今の学校は本当につまらない。つまらない学校なのだから、教師もつまらない。指導、指導、指導の中で笑顔なんて生まれるわけないし、僕ら自身に賢さなんて生まれない。だから僕らが子どもの前で、魅力的な大人としているためには、僕ら自身が学校を楽しまなければならないのだ。

学校なんて「遊び」だ! これでいいのだ!


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