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#3 なぜ危険地帯でメディアは命を落とすのか

ロシアによるウクライナ軍事侵攻で市民の犠牲者が増えていますが、一方で、ジャーナリストにも犠牲者がでています。第一報はアメリカ人の50歳のジャーナリストが亡くなったというものでした。避難する人たちを取材するため車で移動中に銃撃されたということです。この人はアフガニスタンやイラク、ハイチでも取材経験があったものの、戦争真っ只中というよりも戦後の混乱や難民問題、ホームレス問題などを取材してきたとのことでした。

その次にはいってきニュースはFOXニュースのアイルランド人の男性カメラマンと、ウクライナ人の女性記者が亡くなったというものでした。記者の情勢は情報収集にあたっていたということなので、コーディネーターのような役割だったのかなと思うのですが、やはり乗っていた車が攻撃を受けたということで、アメリカ人ジャーナリストが受けた攻撃と同じパターンです。このアイルランド人カメラマンは、イラクやフガにスタン、シリアなどの紛争地で取材経験のあるベテランの方でした。つまり戦地の場合は、このようなベテランでも命を落としてしまうんです。どこまでが危険で、どこからが安全なのか、そうした線引きができない「現場」なんですね。

戦後のアフガニスタンに残っていた”脅威”

戦後のアフガニスタンに取材にいったことがあるのですが、印象深かったひとつが「地雷原」です。もともと田んぼや畑だった場所に、地雷が埋められている。側から見る限り、まったくそんなことはわかりません。まるでいますぐにでも農作業がはじまりそうなのどかな田園風景です。野良犬が走り、気持ちいい風が吹き抜ける。でも、そこで足を吹き飛ばされた子供たちがいるんです。

戦地における危険性の判断は素人には到底無理で、ベテランであってもそれを見誤るんです。

ジャーナリストの大先輩、木村太郎さんに教わったのですが、銃声を聞いたらうつぶせになり、頭をよこに向けろといわれました。まっすぐうつ伏せになるよりも、頭の高さがさらに低くなるからです。つまりその数センチの高さで命を落としかねないんだ、だから頭を横にむけろと、言われました。

そしてもうひとつ。

テロがあった現場に、すぐいくなといわれました。テロが発生し、救助のために人が集まる。そしてそこでさらにもう一回、テロが起きる。そのくらい緊張感を持ってあたらなければならないのが戦場の取材なんです。
でもベテランが命を落としてます。
都度都度、判断していかないといけない。でも、経験を積んだからといって安全は保証できない。

災害現場からの報道に潜む危険

僕の場合は、災害取材が多いのですが、その現場でも命を落とすことがあります。

1991年に雲仙・普賢岳が噴火し、大規模火砕流が発生、43人が巻き込まれて亡くなる事故がありました。自分もそうした危険な場所で感じるのは、多くの人がそこにいると安全なのではないかと思ってしまうんですよね。大雨の影響で九州で土砂崩れが発生した時、集落がのみこまれて多くの人が亡くなる災害があり、その現場に行っていたのですが、土砂崩れが発生した場所、起点となった山肌のようすを見に行きました。

台風一過でものすごく天気が良くて、もう土砂崩れはおきないという、なんの根拠もない思いから、取材に行きました。そして、すべての日程を終えて、会社にもどったとき「実は社内ではかなり揉めたんだ」という話を上司から聞きました。「あれはさすがに危険すぎたのではないか。土砂崩れがふたたび起きたら、森下たちは完全に巻き込まれていた」と。

ただ、そのときその上司は「現場では、現場でしか判断できない要素がある。その現場で森下たちが安全だと判断したんだ」と説得したということでした。一方で僕に対しては「おまえがマイクをもって走れば、カメラマンはついていくしかない。だからおまえはそうしたクルーの命も預かっているんだ」と言われました。あのとき、僕はそこまでの責任感を持って、土砂崩れの取材に行ったわけではありませんでした。あれから20年が経ちますが、いまでもしっかりとその言葉を胸に取材に当たっています。

ひとそれぞれの「経験」があると思います。それでも戦地では命を落としてしまう。極めて難しい現場なんです。

DCのニュージアム・墓碑銘に空白が

もう閉館してしまったのですが、ワシントンDCにニュージアムという、報道・ニュースに関する博物館があったのですが、ずっとコースをたどっていくと、最後のほうで、取材中命を落としたマスコミの人たちの名前が記された記念碑があって、天井から床までの大きなものなのですが、そこには大きな余白があったんですね。

つまり、この先も現場で命を落とす人たちがいることを暗示しているようでした。

ここに自分の名前がのらないように、今一度、気を引き締めようと思わされました。でも現場にいくとアドレナリンがでてしまうのも事実です。より前に、より前に、と思ってしまうんです。人が撮れないもの、まわりのひとたちが簡単にはいけないところにいきたい、そうした思いで報道を担っているわけですが、やはり線引きは難しいですね。都度都度判断していくしかないのですが、皆さんが日々接するニュース、戦地に限らずとも、自分達がそうした思いで取材に当たっているということを思い出してもらえると嬉しいです。

(voicy 2022年3月20日配信)

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