解
いつも ありがとうございます。
2024年10月も始まりました。
いよいよ、誰もの目に見えるように様々な解体が始まるようですね。
破壊ではありません。解体です。
解体する。解く。解脱する。
こんな言葉があったタイミングなのだと思います。
先日、トランプ氏がポップコーンを購入する姿やネクタイをしていない姿をわざわざ公開しているのを目にして、ああ、公言通りに11月5日までに先ずは4年前の決着を見せるんだなぁ。と感じていました。
そうなれば当然、ウクライナ、シオニストのイスラエル、金融市場そのもの、債券や基軸通貨、そして日本の財務省。全部が決着と戦後処理になっていきます。
トランプ氏の発言はいつも面白い。例えば「ユダヤ人」という言葉を使う時にも「シオニスト」を表現しているのか、「昔からのユダヤ教信仰のユダヤ人」を表現しているのかで全く違う意味合いの発言。
中国のことを「チャッイーナ」というウクライナの言語イントネーションでわざわざ表現していたり。
このクイズやなぞなぞを解く作業もあった数年間でした。
気付くように見せてきた映画の世界と現実世界を合致させた形で解体が始まるのでしょう。
小さな社会 大きな社会で
当然これから大きな社会、世界も虚構と悪事が終わり等身大の実体に戻っていくのですが。この変化は小さな社会も満遍なく誰にも例外なく平等に、正常化した社会や個人の人生になっていきます。
古い時代の秩序も価値観も終わり、新しい時代の秩序や価値観は青天井と解放された地に民が立て直すのですから。
「官民」の「官」が存在しない、民生自治ですから、政府なんてものは勿論、お役所や平成にどっぷり傲慢を突き抜いてしまったリーダー達は何もできません。心真っすぐで温かいオピニオンリーダーのような方々がどの土地にもいますから、そんな方々と知恵を出し合うのが善の道かと思います。
小さな社会や身の回りにいる人との関わりのなかでも「違和感」を何となく感じ始めた人もいるのではないでしょうか。
虚構 嘘 他者への印象操作など、大きな社会で悪い事やってきた人たちと同じ事をやっている人は小さな社会にも多い。
特にこういった人たちが印象操作などで攻撃したがるのが先程言った「オピニオンリーダー」の人たちなのです。
金融緩和や債券バブルによって、傍若無人に傲慢を押し通せる人がリーダーとなれるようになってしまったのが古い時代の特に平成の社会です。
ここまで探究心でこの時代の情報を見てきた人はピンとくる人もいるのではないか?と思いますが、ディープステートの人間たちなんて見ればこんな人達ではありませんか。
実力なく、劣等感が多く、承認欲が強く、高圧的であり、取巻きを作りたがり、自分の利益のためなら道徳を無視して、自分の失敗や失態を心底では認めず最終的には人に擦り付けることまでして、保身のためならば嘘をつき、立場と取巻きを使った印象操作で本質的に優秀な人を陥れ・・・結構、身近な小さな社会にも良い人そうにいるものです。
人を思いやれたり、全体を冷静に見て動けたりする人は、立場や何か特別なアピールが無くても人が集まってくるものです。
自我を削ることなく、傲慢を拗らせた人たちは、その劣等感で妬みや嫉妬を抱き、こうしたオピニオンリーダーの人たちを攻撃し排除してということを「恥ずかしい」という気持ちすら持てない人。
これが社会。相手のため。様々な言い訳を「正しいの押しつけ」として取巻きたちに教えることまでやってしまうのです。
しかしながら。。。解体なんです。
このような古い時代と自我の保身の方々は破壊をしたがりますが、今起こっていて、この10月から見えてくるものは「解体の始まり」です。
私は「こうするべき」となかなか言わない人間なのですが、今回の時代の終わりと始まりの今についてならば。
傲慢で徳が無い方々とは離れてください。
上手にこういった方々から傷つけられないように生きることは、仮面を被っていれば出来るでしょう。しかし現実に「悪の僕(しもべ)」「取巻き」になっていますよ。
仮面を被れば自分を守れるが、視野が狭くなる。
例えば「家族のため」「子供のため」と真の大切な愛するものを守る自分で日々を頑張っていても、仮面を外して視野を広めてみた時に。
実は、「自分が」でなく、その大切で愛する者たちが、あなたを守るために要らぬ我慢をしたり、本音を留めていたりと、逆さまが起こっています。特に子供は親や大人に守られなければ生きられない、まだこれから成長続ける未熟な心身。健気に従うままに、不安や心配を無意識に我慢し「仕方ないんだ」と。
大人になる中で、劣等感の拭い方を間違え、本当は満たされていなかった心が承認欲を高め、満たし方が金やものになり・・・
例えばパーソナリティ障害などに至る経緯はこのような、周りの環境や大人の小さな小さなことが、小さな心が育まれる中で歪みとなるところからおきます。「これは病気ですから誰のせいでもありません」という事はないのです。意識から脳波が始まるのですから。
継続的に病院と薬剤との関係は続くのでしょうが、人の満たされた循環は何時しか止まってしまいます。満たすために何かに依存。乾けばまた求めと。
三毒という言葉があります。
貪瞋痴
貪欲であり、自分が満たされないならば怒り、道徳的恥を知らず人を排除したり無視したりも平気となる三つの煩悩
この煩悩を捨てずにいること。この煩悩の人や環境に関わり居れば自分も同じ負のカルマを背負う。
この煩悩のカルマは、自分の負のカルマだけでなく、身内へも同じ負のカルマが及ぶ。
これはどういう事なのだろうか?と考えていた時期があります。
「悪の僕 取巻き」となり、視野を狭めて日々を過ごしていれば、先程までに述べたように、負のカルマは自分にも身内にも広がるものですね。
留まることで罪穢れは自分に付着しています。
溜まった水は汚れていきますが、流れ水は循環して清いものです。
流れましょう
解体される古い時代 自分を解いて 自分を解毒して
真実と愛があれば鳳凰のように甦ります
今回もありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?