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ヴァンパイアらばぁあ!―魔界に堕ちて恋を知る― 一話

【あらすじ】
 現世で両親と共に事故で死んだシオンは気が付くと別の世界にいた。彼女を拾ってくれた神父、リベルトからここが魔界であること、死して魔界に落ちてきた人間は元の世界には戻れないことを教えられる。困惑するシオンだったが、リベルトが自身の娘として迎え入れようと提案してくれたことによってこの魔界で暮らすことになった。
 シオンはそんな魔界で暮らす人間の一人として生活していく中で出逢う――ヴァンパイアに。傷を負う彼を助けたシオンはひょんなことから彼と契約をすることになってしまって――。
 それは恋なのか、運命なのか。これはシオンの魔界に堕ちて恋を知るまでの物語。

一.第一章①:魔界に堕ちた少女と傷だらけのヴァンパイア

「ヴぁぁぁっ……」

 形容しがたい巨体な獣が倒れ伏す、それを冷めた眼差しで男は見詰めていた。襟足の長い浅葱色の髪を靡かせて、黒いロングコートを翻すと男は歩き出す。

「今日はついていない」

 男は愚痴る。下級魔物の討伐だと聞かされていたというのに、蓋を開けてみれば中級魔物でしかも群れを成していた。何組かに別れ討伐にあたったが、群れの長に当たり思った以上に時間がかかってしまう。

 下級魔物だと誤報が回ったことへの始末書のことを考えると面倒でならない。そもそも、それに関しては自分は関係ない。

(連日の捜査と討伐で魔力をだいぶ消費してしまった。早く、血液を摂取しなくては……)

 男は腕につけた時計に目を遣って空を見上げればゆっくりと日が沈み始めていた。

(人工血液では回復が追いつかないないか……献血を頼るか)

 男がそんなことを考えた一瞬の隙、バシュッという何かが引き裂かれる音が響いた。溢れ出る血、男の脇腹は深く切り裂かれていた。

「……っ!」

 男は素早い動きで振り返ると魔弾を放つ。それは一直線に獣の方へと飛び、その身体は破裂した。ばらばらに飛び散る肉片、群れの長の最後の力のようで男は脇腹を押さえながら苦笑した。

「あぁ、本当についていないな、今日は」

   ***

 魔界という異世界が存在する、それを人間界で生きる者たちは知らない。そもそも、信じている者すらいない。そんなものなどただの御伽噺だとしか思われていないのだから。

 魔界でも人間という存在はいるが人間界で生きていた人間は少ない。けれど、稀に人間界から魔界に堕ちてくる人間というのがいる。人間界の人間の血肉は極上であり、魔族からは贔屓されるが命の保証があるわけではない。

「いいかい、シオン。お前は人間界から堕ちてきた哀れな人間だ。死して魔界に落ちてきたのなら最後、元の世界に戻ることはできない」

 神父の姿をした年老けた男が目の前に座る少女にこの世界のことを説明する。シオンと呼ばれた少女は黙ってそれを聞いていた。

 シオンは人間界で暮らしていた人間だ。彼女は人間界での事故で両親と共に死んだのだが、魔界に堕ちてきてしまった。右も左も分からず不安と恐怖で固まっているところを神父の男に拾われたのだ。

 街から外れたぽつんと建つ小さな教会の傍だったこともあってか、魔族に見つかることもなく神父の男に保護されたシオンは彼に事情を話した。それを聞いた男がこの世界のことを教えたくれたのだ。

「シオンは今日からこの世界の人間として生きなければならない。そうしなければ、魔物に食い殺されるか、魔族にいいように扱われるだけだ」

「あたし、どうやって生きれば……」

 シオンの愛らしく中性的な顔が不安で歪む。神父の男は彼女のボブカットに切り揃えられた赤毛の髪を優しく撫でた。

「お前は今日からわたしの元で暮らしなさい。わたしの娘として生きていけばいい」

「でも、あたし……」

「何も知らないのは当然だ、わたしが教えよう。それにシスターになれとは言っていないさ」

 この世界で生きれるように教えるだけだと神父の男は安心させるように笑みを見せる。シオンはまだ不安そうにしているがこの男の申し出を断れば、自分は長く生きられないのは理解できたので頷くしかない。

「その、本当にいいの?」
「いいよ。丁度、娘が欲しいなと思っていたところだ」

 男は「わたしには子供がいないからね」と言って優しく微笑む。シオンは彼が嘘なく本心から言っているのだとその表情から察した。

 シオンはこうして神父の男、リベルト・ルデーニの娘として魔界で生きることになった。

   *
  
 シオンはそんな少し前のことを思い出していた、自分が人間界から魔界に堕ちてきた日のことを。小さな教会の前で落ち葉を箒で掃きながらシオンはこの世界は不思議だなと思う。空を飛ぶドラゴンに、翼の生えた魔族、魔物、それらを見てはいるけれど実感が今だにない。

 これは夢なのかと思うこともあるけれど、お腹は空くし、怪我をすれば痛みを感じる。疲れも、睡魔もあるのだから現実なのだ。

 黒い修道服にもすっかりと慣れてしまったシオンはこの魔界を実のところ楽しんでいた。未知の世界に不安や恐怖がなかったわけではない。どうなるのだろうかと考えていたし、魔族や魔物を恐れたこともある。

 とはいえ、もう自分は元の世界に戻ることはできないので、此処でやっていくしかないと受け入れてシオンは楽しむことにした。

 そうやって気持ちを切り替えて生活してみると、思ったよりも居心地が良くて住みやすかった。人間界であった便利な器具はないにせよ、魔術が発展しているため魔法で済んでしまうので不便に感じたことはない。

 火を熾すのも、水をくみ上げるのも、魔法だ。ヴァンパイア用の人工血液も魔術によって作られているらしい。採血や献血だって魔術で作られた器具で行えるのだから、人間界よりも凄いとシオンは感じた。

 自分を拾ってくれた神父、リベルトは人間だけれど魔術が使えるのでシオンは彼の魔法を見て毎度、驚いている。そんなシオンにも彼は簡単なものを教えてくれていた。

 シオンが使えるのは火を熾す魔法と水をくみ上げる魔法だ。まだこれしかできないけれど、練習すれば護身術くらいならできるようになるとリベルトから言われていた。自分が魔法を使えるとは思っていなかったのだが、使えるようになると幼き頃に夢見ていたことが現実になって嬉しかったのを覚えている。

「シオンちゃーん」

 名前を呼ばれて振り向けば、長い金糸の髪を靡かせて駆けてくる少女の姿があった。色白の肌が日差しに煌めいて、真っ青な瞳はシオンを捉えている。その後ろには白毛の髪をもつ猫の耳を頭に生やした少年が彼女を追いかけるように走っていた。

 鮮やかな緑のワンピースを着こなす少女はシオンの前までやってくると、「シオンちゃんおはよう」と声をかけた。

「サンゴ、おはよう。今日も元気だな」
「ワタシはいつでも元気よ!」
「その元気に付き合わされる僕の身にもなって、サンゴ~」

 やっと追いついた少年はサンゴの隣に立つと息を整えながら愚痴る。すると、彼女が「ごめんね、カルビィン」と手を合わせた。

「サンゴって人魚の割に地上で元気だよな」
「シオンちゃん、人魚でも地上では元気よ」
「カルビィンは虎の獣人でも足遅いもんなぁ」
「それ、僕が気にしていることだからね!」

 シオンの言葉にカルビィンはむーっと頬を膨らませる。そんな様子にサンゴはくすくすと笑い、シオンは「ごめんって」と謝る。

 二人はシオンのこの世界での友人だ。リベルトの友人の息子と娘で、シオンが此処に来てからいろいろと世話を焼いてくれた魔族である。シオンが人間界から堕ちてきた人間というのを知っている数少ない存在なのだが、彼らは態度を変えることなく友達として接してくれていた。

 サンゴは人魚で、カルビィンは虎の獣人だ。見た目は人間となんら変わりない二人だが、サンゴは水の中に入れば下半身を魚に変えることができ、カルビィンは頭に猫の耳と尻には長い尻尾が生えている。

 魔族であるけれど人間は人間として見ているので、特に差別をすることも贔屓することもないのだと言っていた。そんな彼らに助けられながらシオンは生きている。

「今日も孤児院のお手伝いに行くんでしょ? ワタシも手伝うわ」
「なんか、いつも手伝ってもらっている気がするけど、いいのか?」
「いいに決まってるじゃない! 家に居ても暇だし」
「サンゴはまだ働き口決まってないからねぇ」
「そっち、探した方がよくない?」
「えー、でもまだ十九歳だし、遊んでいたいなぁって」

 サンゴの返事にシオンはこれが人間界だったら批判されるだろう言葉だなと思った。二人は比較的、裕福な家庭で育っているらしく、二十歳になるまでは自由に過ごしていいのだという。二十歳になると両親からの紹介や、斡旋所で仕事を見つけるのだとか。

 これは裕福な家庭だからできることで、そうでないところは今は必死に仕事探しらしい。なんと恵まれているなと二人の様子にシオンは思ったけれど口には出さなかった。

「シオンちゃんは此処を継ぐの?」
「お父さんからは継がなくていいって言われてるから、孤児院で働こうかなぁって」

 リベルトはシオンを娘として迎え入れたけれど、この教会を継げとは言わなかった。シオンの自由にしないさいと彼は一任したのだ。シオンは孤児院の子供たちの世話するのが嫌いではなかった。

 子供たちに御伽噺を聞かせて、外で遊び、彼らの面倒を見るのは苦ではなくて。子供たちも懐いてくれていて、孤児院の院長からも「ぜひ、うちで雇いたい」と話がきている。

 シオン自身、リベルトに拾われた身なので少しでもその恩を返せるのならばと働くことに意欲的だ。彼の優しさに縋ってばかりでは申し訳ないというのもある。

「ワタシも孤児院で働こうかなぁ。子供たち可愛いし」
「シオンとサンゴにはぴったりだと思うよ。僕はお父さんと同じガルディアに就職することになるけど」

「ガルディアって、対魔族魔物犯罪取締組織だっけ?」
「そうだよ」

 魔界には対魔族魔物に関する犯罪などを取り締まる組織が存在する、人間界でいうところの警察機関である。魔族の犯罪や魔物の暴走など様々な問題を解決するための組織であり、そこに就職できるだけでエリートだと憧れる存在だ。

 カルビィンの父はそのガルディアに所属している。カルビィンは就職するための試験を合格しているため、既定の年齢になるとガルディアに就職することになるのだと話した。

「ガルディアは二十歳以上からだから」
「来年、就職かー」
「僕でやっていけるか不安だよ」
「お父さんが一緒だから大丈夫よ、カルビィン」

 カルビィンはお腹を押さえていた、考えると胃が痛むらしい。父親がいるとはいえ、心配なことには変わりないのか、「迷惑かけないようにするよ」と不安げだ。

「就職とか考えるだけで憂鬱になるから、他のこと考えましょう! まだ若いんだから恋とかのこと考えましょう!」

「でた、サンゴの恋愛脳」

 サンゴは恋に積極的だった。恋をしてみたい、愛してみたいし、愛されたいと夢見る乙女だ。シオンは人間界でもそうだったのだが、恋愛というのに全く興味がない。

 もちろん好き嫌いの判別はできるのだが、それが親愛なのか情愛なのかが分からない。友達は友達だしと思ってしまうし、誰かを夢中で好きになったこともない。サンゴの言う恋がどれなのか、シオンには想像がつかないのだ。

 あの魔族がカッコイイとか、誰かに優しくされたとか、そんな話を聞いても「そうか」としか思わなくて。気になる人とかいないのかとと問われても、別に何か惹かれる存在はいないとしか答えられない。

 魔界に来てから日が経つとはいえ、好きだとか恋愛感情らしいものを抱いたことはない。そもそも、人間界時代から今までで恋愛経験なんて無いので、女子特有の恋愛話になるとシオンは途端についていけなくなる。

 サンゴは「同い年なんだからそろそろ恋とか考えなきゃ!」と主張する。どうやら、魔界では結婚する平均年齢が低いらしい。成人年齢が十八歳でこの年で結婚していても若すぎるとは言われず、むしろ「結婚おめでとう!」と祝福される。子供ができての結婚などしようものなら「よくやった!」と褒められるのだ。

 魔界特有である感覚にシオンは戸惑ったのを覚えている。サンゴは友人が十八歳で結婚したので少しばかり焦っているようだった。人魚である彼女はまだまだ若く長く生きられるのだから焦らなくてもいいとシオンは思うのだが、それを言うと倍になって返ってくるので言わない。

「シオンちゃんはもうこの世界の住人なのだから、ここで旦那様を見つけなきゃならないのよ!」

「いや、まぁそうだけどさ。まだいいかなって……」
「そんなんじゃ行き遅れちゃうわよ!」
「そうかなぁ」
「でも、シオンはばったり出会いそうだよね~」
「ばったり?」

 のほほんとした口調でカルビィが言ったので、ばったりってなんだとシオンが顔を向けると、「シオンってお人好しだし」と話す。

「困ってる人とか魔族を見かけたら放っておけない性格じゃん。人間にしては珍しいんだけど、それきっかけでありそうだなぁって」

 カルビィンの言葉にサンゴもなるほどと頷いた。シオンは二人が言うようにお人好しだ、知らない人間や魔族であっても困っているなら声をかけてしまう。それはシオンの性格ゆえで、彼女からしたら困っている存在ならば種族など関係ない。

 魔界に堕ちてきてもそれは健在なので二人から心配されるほどだ。そんなシオンだから彼女の親切心と優しさに惹かれる魔族がいるかもしれないとカルビィンは指摘する。そんな都合よくあるものかとシオンは笑えば、サンゴは「そうでもないのよ?」と話す。

「私のお母さん、お父さんに助けられたから出会ったんですもの」
「あー、絡まれていたところを助けられたんだっけ?」
「そう。だから、案外そう近いうちにあるかもね」

 サンゴはにっこりと笑む。そんなものがそうそうあるわけもない、そうシオンは思うのだが二人は「シオンならありえる」と言うものだから否定ができなかった。

 確かに困ってる人とか放っておけない性格なのは認める。けれど、そこまで頻度が多いわけでもないし、出会ったからといってそんなふうに流れができるのはなかなかに難易度が高くないだろうかとシオンは考えて首を振った。

「そうそうないって!」
「じゃあ、もしあったらその方を紹介してね?」
「あったらなー」
「あ、これ絶対に紹介しないやつだ」

 カルビィンの言葉は間違ってはいなかった。シオンは仮にそんな出会いがあったとしても、言わないつもりだ。あったらあったで「運命よ!」とサンゴが言いかねない。夢見がちなところがある彼女ならば絶対に口に出すとシオンは自信があった。

「でも、気を付けるのよ? シオンちゃんは人間界から落ちてきた人間なんだから。気づかれて狙わちゃうかもしれないからね?」

「それは気を付けるよ」
「でも、シオンならお人好し発動させそうだなぁ」

 カルビィンが心配そうに言うとシオンはうっと言葉を詰まらせる。放っておけない質なので気を付けていてもやりそうだと自分でも思ったのだ。

「シオン」
「あ、お父さん」

 二人と話しているとリベルトが教会から出てきた。サンゴたちに挨拶をすると彼は「そろそろ孤児院に行く時間ではないかい?」と時計を見遣る。はっとシオンは腕に付けていた時計を見れば、約束の時間に迫っていた。

「うっわ、遅れる!」
「急ぎましょう!」
「三人とも気を付けてね」
「行ってきます、お父さん!」

 慌てて駆け出す三人の背をリベルトは優しく笑みながら見送った。

   ***

「じゃあね、シオンちゃん。帰りには気を付けてね?」
「大丈夫だよ。カルビィンはサンゴをよろしくな」
「うん。シオンも気を付けて」

 シオンは手を振ってサンゴとカルビィンと別れた。孤児院での手伝いを終えたシオンは街を歩く。空を見上げれば太陽は沈みかけていて、周囲を歩く魔族や人間たちは少ない。

 レンガ調の家々が並ぶ路地を通りながら、薄暗くなる景色に早く帰らなければと気持ち早めに歩く。夕陽に照らされる外観はファンタジーの世界に入り込んだようで、実際に入ってしまっているのだがシオンはその光景が好きだった。

 それでも夜道は人間にとって危険だと教えられているので早く帰ろうと帰路を急いていると、わき道が視界に入る。

(そういえば、近道なんじゃなかったっけ?)

 この道を突っ切った先に公園があって、そこを抜ければ教会へと続く道に出るはずだ。シオンは道順を思い返すと周囲を見渡してからわき道へと入った。

 わき道は建物に囲まれているからだろうか、さらに暗く薄気味が悪いのだが気にするでもなくシオンは歩を進める。

 この角を曲がるんだっけと曲がり角を覗くと道に蹲るものが一つ。目を凝らしそれをよく見ると、片膝をついている黒いロングコートを羽織った人らしき存在だった。何か落し物でもしたのだろうかとその人に近づくと汚れた地面が目に留まる。それは赤黒く、ぽたぽたとその人物から滴り落ちていた。

 怪我をしている、シオンは思うよりも身体が動いていた。走って駆け寄ると黒いロングコートの人物に声をかける。

「あの、大丈夫!」

 様子を窺うようにその人物の顔を覗くとシオンは息を呑む、端整な顔立ちの男が空色の瞳で睨んだのだ。顔につく血のせいか、襟足の長い浅葱色の髪が頬に張り付いていた。

 男はシオンの気配に気づけなかったことについてか、「余程、鈍っているらしい」と小さく呟くと、立ち上がろうと腰を上げる。ふらつく様子にシオンは慌てて男の手を引いた。

「怪我してるんだから、いきなり立ったら余計に悪くなる!」
「俺に構うな、問題ない」
「問題ないわけないだろ!」

 声を荒げるシオンに男は目を丸くした。怒ったように見詰めるその瞳から目が離せないように見つめてくる。そんな男の様子などお構いなしにシオンは傷の具合を見ようと腹部へと目を向ける。白いワイシャツは血で赤黒く滲んでいた。魔物に斬り裂かれたのか、破れた隙間から見える傷口は深そうだ。

 シオンは「この近くに病院は」と街にある病院の位置を思い出していると、男は「構うな」と言う。

「これぐらいならば問題ない」
「何処をどう見ればそう言えるのか、教えてほしいけど!」
「魔族の回復速度を舐めないでもらいたい。少し休めば治まる」
「それでもきついのは変わらないでしょ!」

 魔族だからといって怪我をしているのだ、このまま放っておくことはできない。せめて、医療機関には連れていきたいとシオンは思った。男の言う通り、少し休めば問題がないのかもしれないがそんなことは関係ない。魔族にだって治癒能力の早さに個体差があることをリベルトに教えてもらっていたからだ。

 とにかく病院に連れて行こうとするシオンの手を男は振り払う、俺に構うなと。少し休めばいいのだからと話す男にシオンは納得ができない様子で見つめる。

「ちょっと休めばっていうけど、顔色悪いじゃん! そんな人を放っておくことなんてできない!」

「何故、そこまでする。魔族だぞ、俺は」
「魔族がなんだっていうのさ! そんなもの関係ないだろ! あんたは身体をもっと大事にしろ!」

 シオンに「あんたは馬鹿かなの!」と叱られて男は固まってしまった。そんなことを言われるとは思っていなかったのか、目を瞬かせている。黙る男をシオンはじっと見つめる、強い眼差しだった。

 一切、引く気のみせないシオンの様子に男は考える素振りをみせた。何を考えているのかとシオンは思ったけれど、怪我が気になって傷口を観察する。汚れてはいないけれど手当ては早くするべきだろう。そう思っていると、男は「行かなくてもいい方法はある」と言った。

 どんなに言っても聞かないシオンに男は諦めたようだ。そんな方法があるなら早くするべきだろうとシオンに言い返されて男はまた黙る。

 なんで黙るのだろうかとシオンが「どうした?」と声をかける、できるなら早くその行動をとればいいだろうと。どうしてそれを今までしなかったのか疑問に思っていると、男は躊躇うように口を開いた。

「……それにはお前の協力が必要だ」
「何? あたしにできることなら協力するけど……」

 そう返せば、なんだこの人間はと言いたげな表情を男に向けられるがシオンは気にしない。何をすればいいのかと話を促せば、男は遠慮げに答える。

「俺はヴァンパイアだ。お前の血を分けてもらえれば傷は癒える」

 ヴァンパイア、男の口から出た言葉にシオンは目を見開く。そう言われて男を観察すれば、口からわずかに鋭い牙が見えた。

 ヴァンパイアは血を吸うことで魔力を回復することができる。ヴァンパイアが生きるには血が不可欠で、人間であろうと魔族であろうと血液には関係ない。昔と違って魔術が発展した今では人工血液や吸血種の魔族専用の献血なども存在するので、ヴァンパイアによる血液を巡る問題というは少なくなっているとリベルトからシオンは教えられていた。

「……怖いか」

 シオンの反応に男は眉を下げる。魔族、それもヴァンパイアという人間に害を与えることもある存在だと知れば少なからず、人は恐怖を感じる。それは男も理解しているようで逃げてくれて構わないといった様子だ。

「いや、怖くはないんだけど。もっと早く言ってくれればよかったじゃん」

 シオンは顔を明るくすると自身の首筋を露にする。ほらと差し出される身体に今度は男が驚いた、この人間は何をやっているのかと。そんな男にシオンは首を傾げて、「どうした?」と問う。

「早く吸えば?」
「……信じるのか?」

 シオンが「何が?」と問えば男は言う、お前の血を全て食らい尽くかもしれないだろうと。

 魔族が人間に被害を与えてはならないとこの世界では一応、決まりがある。けれど、それを破る、犯罪に手を染める魔族は少なくない。今だって演技で人間を騙そうとしているかもしれないのだ。

 知らない魔族に「血を分けてくれ」などと言われて、それ以上の危害を加えられないと信じられるだろうか。男の言葉になるほどとシオンは納得したように手を打った。

 そういう反応をするのが普通なのだ。そうじゃないから男は戸惑っているのだとシオンは理解して「それはそうかもしれない」と前置きして答える。

「でも、お兄さんはそんなことしないだろ」
「何故、そう思う?」
「えっと、お兄さんさ、話す時に悩んでたじゃん。騙すつもりならもっと早く行動してそうだしさ」

 シオンに「今だって聞いてくるし」と言われて男は信じられない様子だ、それはあまりにも愚かだと愚か過ぎると。男は露になった首筋に目を落とす。

「お前はお人好しすぎないか」
「それ、よく言われる」

 にへっとやんわりと笑うシオンに男は呆れていた。どうやら、自覚があるというのに辞める気がないのだろうと理解して。

「ここでそんなお人好しだと長生きできないぞ」
「うーん、そうかもしれないけどさー。放っておけないじゃん?」

 困っている人がいるというのに無視して放っておくなど、その優しさに付け込まれて騙されるかもしれないと分かっていてもシオンにはできなかった。だから、お人好しだと言われても仕方ないとシオンは笑った。

「ほら、死んだら死んだってことで」
「……なんでそうも受け入れられるんだ」

 男の問いに人間界で一回、死んでるからなんだけどとは言えなかった。人間界の人間は魔族からしたら極上存在だから隠しておきなさいと厳しく言われている。なのでそうとは言わずに、「いつかは死ぬもんだし」とシオンは返す。

 男はまだ納得はしていない様子だったが、一応は理解したらしい。そんな彼にシオンは「ほら、早く吸えって」と誤魔化すように首筋を見せる。男は暫く見つめてから目を細めると諦めたふうにシオンの首筋に噛み付いた。

 牙がゆっくりと刺さっていく。不思議と痛みはなかったが生温かい感触と吸われる感覚にぞくりと身体が震えて、思わずシオンは男の肩を掴む。

(なんだろ、この感覚)

 言い知れぬ感覚に痺れる身体にシオンは耐えようと目を瞑る。男の咽喉が鳴るのを耳にして、それだけで血が抜かれているのだと実感する。だんだんとぼんやりする思考にシオンが落ちそうになると刺さっていた牙が抜かれた。

 男は噛み付いた痕を舐めるとシオンの首筋から顔を上げた。その瞳はわずかに赤みがかっていたが、すうっと元の空色へと変わる。

 飲み終えた男は怪我をした脇腹に触れた。破けていた服から見えていた傷跡が途端に消えて、服も元の綺麗なワイシャツへと戻っている。

 治る瞬間というのを初めて見たシオンは「おぉ……」と思わず声を漏らす。男は腰を上げるとシオンの身体を支えるように立ち上がらせた。

「助かった」

 男に礼を言われてシオンはまだぼうっとする頭を起こしながら「いいって」と返す。治ってよかったなと笑う彼女に男はじっと目を向けていた。

「対価を払わなければならない」
「え、別に気にしていないんだけど」

 これはシオンが放っておけないからと自分で決めたことで、半ば押し付けだったと思わなくもない。そのため、お礼をされる義理はないので「気にしなくていい」とシオンは言うが男は違うのだと首を振る。

「これはルールだ。対価無しに血を分けてもらってはならない。人工血液や吸血種専用の献血などは金銭という対価を支払っている」

「でもさ、普通に血を吸ったりしてたんだろ?」
「それは百年前の話で、今は法が制定されている」

 魔界にも法律というのが存在する。百年前は対価無しに吸血することは許されていたが、今はそうではない。対価無しに血を買う行為は許されず、許可なく行ったものは裁かれる。

「今回のはお前の同意があったからいい。だか、その対価を支払わなければならない」
「その、なんか大変なんだな……知らなかった」

 同意があったとして、対価を要らないと言ったとしても支払わなければ罰が与えられる。黙っていればいいのではないかとも考えるが、何処でそれを知られるか分からない。隠していたことで罰が重くなるのはシオンでも理解できた。

「名前は何という」
「えっと、シオン。シオン・ルデーニだけど……」
「……フルネームを明かすのか」

 シオンの素直さに男が眉を寄せる。名前を聞かれたのだから答えるのは普通だろうとシオンが「名前を聞いたのはあんたじゃん」と返せば、「シオンだけでいい」と男は返す。

 知らない魔族に全ての名を明かすのは危険な行為だ。その名を悪事に使う可能性だってあるのだと危険性を男に指摘されて、シオンはうっと声を詰まらせる。

「なら、あんたも教えてくれればよくない?」
「アデルバート・アインハイム・シュバルツ」
「あ、アデルバート?」

 相手もフルネームで明かすものだから、シオンは思わず聞き返す。そんな様子に「アデルで構わない」とアデルバートは返す。

「フルネームは教えてくれるんだ」
「公平ではないだろう。それに偽名かもしれないぞ?」

 アデルバートはそう言うと口角を上げる。そんなことを疑いだしたらきりがないとシオンは口を尖らせた。それが彼には可笑しかったのだろうか、小さく笑う。あんなに表情が冷たかったのに綺麗に笑うものだからそれは反則だなとシオンは思う、よく整った顔立ちにそれは映えていたから。

 出かけていた文句も口にできなくなってシオンはむーっとアデルバートを見つめる。

「今すぐにでも対価を支払いたいが、もう日が暮れてしまった。お前はその見た目だとまだ若いだろう? 親が心配する」

「あっ、そうだ! もうこんな時間じゃん!」

 腕に付けた時計を確認したシオンが月が昇り始めた空を見て慌てる様子にアデルバートはふむと考える素振りをみせた。

「シオン。二日後は空いているか?」
「二日後? えーっと……空いてるけど」
「ならその日に対価を支払いたい」

 本当に気にしないのにとシオンは思うが、そういう決まりなのだと言われてしまうと断ることはできない。知らずに飲ませてしまったのは自分なので、大人しくその対価を貰うしかないのだ。

 アデルバートが断っていたのはこの決まりがあったからなのかもしれない。余計なお節介だったのかなぁとシオンは思いつつ、それを了承した。

「二日後、十時にこの街の広場に来てくれ」
「広場っていうと……噴水前が一番分かりやすいからそこにいるよ」

 じゃあと手を振ってシオンは走った、急いで帰らなければリベルトが心配してしまう。此処から教会はそう遠くはないので急げば大丈夫だとシオンは駆けていった。

  *

 シオンの後姿を見送りながらアデルバートは唇を拭う。

(久しく人間から直接、吸血したな……)

 直接、吸血するなどいつぶりだったか。久片ぶりのそれはとても甘美なもので、癖になる味わいだった。

「……シオン、か」

 アデルバートはシオンの血の味を思い出しながら呟いた。


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