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ヴァンパイアらばぁあ!―魔界に堕ちて恋を知る― 六話

六.第四章:それでもやっぱり放ってはおけない

「シオンさん、今日もお美しいですね」
「えっと、ありがとうございます、ガロードさん」

 金糸の短い髪を上げている端正な顔立ちの男はその青い双眸をシオンに向けていた。彼はエルフのガロード、教会で熱心に祈りを捧げている信者だ。シオンが人間界から堕ちてきた人間というのは教えていないが、シオンがリベルトの義娘であることを知っている。

 ガロードはシオンを気に入っているようで、会うたびに彼女を褒めて話をするのだ。シオンは相手が悪い人ではないのは分かっているけれど、毎度毎度、手を握ってずっと話をされるのには慣れなかった。

「今日は天気も良いですし、私と一緒に出掛けませんか?」
「あー、孤児院での手伝いがあるので……あと、父に断りなく男の人と出かけるのは禁止されていますから……」

 なるべく丁寧に言葉を選びながら断れば、ガロードは残念そうに眉を下げる。そんな顔をされても困るのだが、嘘はついていないのでシオンは悪くない。

 孤児院での手伝いもあるが、今日はアデルバートに血を渡す日なので予定が入っているのだ。そうとは言わずに「ごめんなさい」と謝れば仕方ないといったふうに引いてくれた。

「では、またお話しましょう。気を付けて、シオンさん」
「えぇ、ガロードさんも……」

 ガロードは名残惜しそうに手を離して教会を出ていく、それと入れ違うようにサンゴとカルビィンがやってきた。二人は彼を見て「あぁ、また」と察している。

 ガロードが居なくなったのを確認してからサンゴが「もう決まったようなものよね」とシオンに告げた。

「ガロードさん、絶対にシオンちゃんに気があるわよ」
「それなー」
「……否定したいけど、あたしもそう思った」

 シオンはですよねといったふうに答える。そう、ガロードの態度はシオンを気に入ったというよりも、好意を寄せているようにしか見えないのだ。流石のシオンでも分かるほどにはあからさまだった。

 好意を受けているシオンだがガロードに対して何か感情を抱いてはいなかった。物腰柔らかなエルフのお兄さんといった印象なのだ、彼は。なので、好意を抱かれてもシオンはどう返していいのか分からない。

「シオンちゃん的にはガロードさんはなし? あり?」
「何それ」
「恋人にするならよ」
「えー……分かんないなぁ」

 そう考えたことがなかったのでシオンは想像ができなかった。彼女の反応にサンゴは「ありなしだとない寄りっぽいよね」と呟く。

「ガロードさんでこう、キュンってきたことないでしょ?」
「多分」
「まぁ、シオンにはアデルさんがいるからいいんじゃない?」
「え、なんでアデルさんが出てくるんだ?」

 カルビィンの言葉にシオンが首を傾げると彼は「え! 付き合ってないの?」と聞いてきた。何処をどうみれば付き合っているのだと思わず突っ込んでしまう。

「契約してるだけだよ?」
「いや、それにしたって毎回送迎してもらってるじゃん!」
「わかる、そう見えなくもない」
「いや、契約に入ってるからだよ?」

 送迎してもらっているのは契約の一つに含まれているからだ。アデルバートとはそんな関係ではないので彼のためにも訂正しておかねばならないとシオンははっきりと否定する。カルビィンは納得はしたものの、「でも、契約がある以上はシオンは恋人できそうにないよね」と返す。

 ヴァンパイアと契約している人間と恋人になりたいかと問われると微妙なものだ。他所の男と二人きりで会って、血を渡しているのだから気にならないわけがない。嫉妬や独占欲的なものが湧かないとは限らないと言われてシオンは確かにと頷く。

「ねぇねぇ、シオンちゃんはアデルさんを見てキュンってしたことある?」
「キュンって例えば?」
「ほら、かっこいいなって思ったこととか!」

 サンゴに言われてシオンはうんと思い当たることがあった。それはミーニャンをだっこした時に見せた笑み、あれには見惚れてしまったし、格好いいなと思ってしまったのだ。黙るシオンにサンゴは「あったんでしょ!」と食い気味に聞いてきたので、「まぁ、まぁ……」と返す。

「あったのね!」
「いや、あったけど……」
「脈ありだわ!」
「どうしてそうなるのか」

 目を輝かせるサンゴにシオンは突っ込む、そうはならないだろうと。誰かを不意に格好いいなと思うことはあるはずなので、それを脈ありだと言うのは早計ではないかとシオンは指摘する。

「でも、きっかけにはなるかもしれないじゃん!」
「そうかなぁ?」
「無くはないんじゃない?」

 カルビィンに「きっかけって些細なものだって言うし」と言われて、それはそうかもしれないけれどとシオンは考えるがいまいちピンとこなかった。自分が恋愛している様子というのが想像できないのだ。

 なので、首を傾げるしかなくて、そんな反応にサンゴが呆れている。恋愛に興味がないのが信じられないようだ。

「まー、シオンが恋するかは時の流れに任せるとして。今日も孤児院での手伝いでしょ?」

「そうだけど、先にアデルさんに会って血を渡す」
「あ、そうなんだ。じゃあ、僕らは先に行ったほうがいいね」

 カルビィンにそう言われてシオンは「先に手伝い任せる」と手を合わせる。二人に少し遅れるけれどちゃんと行くことを院長に伝えてもらうことにした。

「あ、噂をすれば来たわよ」

 こそっとサンゴがシオンに耳打ちする。見遣ればもうすっかりと慣れてしまい犬に吠えられることのなくなったアデルバートが歩いてきているところだった。腕に付けた時計を確認して、相変わらず時間通りだなとシオンは感心する。

「アデルさん、おはよう」
「あぁ、シオン。体調は大丈夫だろうか?」
「大丈夫だよ。採血できる」

 シオンの体調が悪い日は採血を止めている。少ないとはいえ、血を抜くので貧血など起こさないためだ。アデルバートは毎度、シオンの体調を気遣ってくれる。彼の血の欲求を目覚めさせたのは自分だというのに、そうしてくれるのでシオンは優しいなと感じていた。

「アデルさんは大丈夫?」
「俺か? 俺は特には問題がないが」
「シオンちゃんの血ってそんなに相性よいのかしら?」

 サンゴは前々から思っていた疑問を口にすれば、アデルバートが「俺にもよくは分からないが」と前置きして答える。

「シオンの血を摂取すると魔法の威力が上がったり、扱いがしやすくなる。質が良いというのもあるのだろうが、身体に合っているからか調子が良い」

「ヴァンパイアって不思議ねぇ。血液でそうも違うんだもの」

 人魚であるサンゴには分からないことなので興味があるようだ。シオンもそれは同じなので何か凄いなと話を聞いていた。

「人工血液や輸血と混ぜてるんだっけ?」
「シオンの血を少しでも混ぜれば飲める」
「でも、アデルさんは大変だよね。シオンがいないと生活に関わるし」

 カルビィンの言葉にアデルは眉を下げながら「これは仕方ない」と返す。それはシオンを気遣っているようだったので、「あたしが悪いから」と言っておく。

 元はと言えば自分がどんな存在か忘れていたことに問題がある。血液を与えなければアデルバートは今でも人工血液や吸血種用の輸血で過ごせていたのだ。なので、こればっかりは自分のせいなので、シオンは「欲求が治まるまでは付き合います」と返すしかない。

「それはそうよね。シオンちゃんのせいかもしれないし」
「自分の血肉が魔族にとって極上だからかもしれないからね、欲求」
「ごめん、これ不謹慎かもしれないんだけど聞いていい?」
「何?」
「いや、シオンの血って美味しいのかなって」

 人間界の人間の血肉は魔族にとって極上であり、舌を蕩けさせるとは聞いたことがあるけれど、実際はどうなのだろうかとカルビィンは気になっていたらしい。人間の血肉には興味がないし、食べるつもりはないけれどそこまで言われるほどなのだろうかと。それにはシオンも気になるなと思ってしまった。

 実際のところはどうなのかとシオンがアデルバートを見遣れば、彼はそっと視線を逸らした。それはもうあからさまだったもので、サンゴもカルビィンも察してしまう。

「美味しいんだ……」
「……すまない、その……」
「いや、アデルさんは悪くないから。飲ませたのあたしだし」
「素直な感想は悪くないと思うわ」
「うん、これは仕方ないよね」

 飲んでいる以上は味覚で味わうので、美味しいと感じてしまうのは悪いことではない。それは正常な反応なので文句は言えないことだ。なので、シオンは自分の血が美味しいと言われても嫌な気はしなかった。元々、そう教えられていたので抵抗感がなかったのかもしない。

 アデルバートが申し訳なさげにしているのでシオンは「気にしてないから」と笑って返す、不味いよりはいいだろうと。

「飲みやすいほうがいいじゃん」
「それはそうだが……」
「シオンちゃんって受け入れるのが早いよね」

 魔界に堕ちてきた時だってすぐに環境になれていたとサンゴに言われて、シオンはここでの生活を楽しんでいたとは言えなかった。死んでから魔界に堕ちた人間は元の世界には戻れないと言われてはここでの生活を満喫するしかないのだ。そう割り切ってしまったから、すぐに受け入れてしまっただけだった。

 なので、「あっちではもう死んでるわけだし、生まれ変わって戻れないならここで暮らさなきゃならないんだし、しょうがないじゃん」と答えておいた。

 死んでこの魔界に堕ちてきてしまったのだがら人間界に戻れないのは納得ができるし、それにリベルトやサンゴたちがいるので暮らしは幾分か楽だ。心配な部分がないわけではないけれど、身体もうこの世界に慣れてしまっているので問題はなかった。

「まぁ、そうよねぇ。シオンちゃんは運が良いからリベルト神父に拾わてるし、ワタシたちもいるからあまり苦労はないわよね」

「だったら、環境になれるのが一番だって」
「それにしても早いと僕は思うけどね」

 カルビィンの突っ込みにシオンは「いいじゃん」と口を尖らせる。それが可笑しかったのか二人はくすくすと笑う。

「まぁ、シオンちゃんに問題がないならいいんだけど。あ、アデルさん、お待たせしちゃってごめんなさい。ささ、シオンちゃんをどうぞ」

「その言い方、何、サンゴ」

 ずいずいっと背を押すサンゴにシオンが聞けば、彼女は「なんでもないのよー」とにこにこしていた。サンゴの様子にアデルバートも不思議そうにしていたが、話が終わったのならばとシオンに「行こうか」と声をかける。それに返事をしてシオンが駆け寄ろうとした時だ。

「アデルさんの気になるところよく見てみたらいいわよ~」

 サンゴが小声でそう言った。シオンは何のことだろうかと振り返ると、彼女は笑みを見せながら手を振っているだけだ。気になったものの、アデルバートを待たせるわけもいかないのでシオンは彼の背を追いかけた。

   ***

 アパートメントの門を警備員に軽く挨拶をして通り抜けて、アデルバートの住居へと向かうのもだいぶ慣れてきた。いつきても掃除の行き届いたシンプルな室内のソファにシオンは座ると、アデルバートが採血キットを持ってきたので左腕を出した。

 アデルバートが採血の準備をしているのを観察する。すらっとした指で管を持ち、針を腕に刺すのも手慣れたもので、何回もやっているのだから上手くもなる。

(綺麗な手だなぁ)

 シオンはアデルバートの手を眺める。手荒れもなく、色白の手は女性のシオンから見ても羨ましく思えた。爪も切り揃えられているので手入れがされているようだ。

 血の抜かれる違和感を我慢しながらその手を見つめていれば、アデルバートに「どうした?」と問われてしまう。手を見ていたとは何とも言いがないので、「なんでもないよ」と返す。

「爪ってやっぱり鋭いの?」
「割と傷つけたりするからきちんと切っている」

 なんとなく気になったことを聞いてみると、どうやらヴァンパイアの爪は鋭いらしい。伸びすぎると傷つけかねないのでこまめに切り揃えるのだと教えてくれた。

(カルビィンも爪には注意するって言ってたなぁ)

 カルビィンは虎の獣人なので爪が獣ように鋭い。毎日、爪の長さを見てはやすりで削ったり、切ったりしているのだと言っていたことを思い出した。魔族の爪は傷つけやすいということのようだ。

「手入れ、大変そう」
「まぁ、人間よりは神経を使うかもしれないな」

 アデルバートはそう言って針を抜いた。もう三本、採血が終わったらしく、早いなと腕を擦りながらシオンはキッチンへと向かう彼を目で追う。

 氷魔法で冷されている保冷庫から輸血袋を取り出して、採血した血を混ぜると口に含んだ。舌で確認して飲みすすめていく姿というのは何とも様になっている。

(顔が良いというのは何をするのも様になる)

 ちょっと格好いいと思ってしまう自分に気づいてシオンは視線を逸らした。

「シオン。何か飲むか?」
「え? あー、飲もうかな」

 採血した後は少しばかり咽喉が乾くのでシオンが返事を返せば、アデルバートは果実水を手に取ってグラスに注いだ。飲み干した輸血袋をゴミ箱に捨ててからグラスを持ってシオンの隣に座る。渡されたグラスを受け取ってシオンは一口、飲んで目を瞬かせた。

「美味しい」

 普段、飲んでいた果実水よりも果実の味が濃くてのど越しが良い。舌にへばりつく甘さもなくて飲みやすかった。驚いているシオンにアデルバートは「実家から届いた品だ」と話す。

「母がこの種類の果実水しか飲まないんだ。それをよく送ってくる」
「そうなんだ」

 厳選された果実を使っているらしいとアデルバートに教えられて、高級品ということかとその味にシオンは納得した、それは美味しいはずだ。

「これ飲んだら他の果実水を普通に飲めなさそう」
「それは……まぁ、あるかもしれない」

 アデルバート自身もあまり外の果実水を飲まないと言う、味が好みではないらしい。これを幼い頃から飲んでいたらそれはそうなるよなとシオンは思った。

 果実水を飲みながらアデルバートのほうを見れば、彼がじっと見つめていることに気づいた。なんだろうかと「何?」と聞くと、「いや」と言いにくそうに返す。

「シオンは魔界での生活を受け入れているようだが……不安はないのか?」
「不安? そりゃあ、あったけど」

 不安がなかったわけがなくて恐怖だってあったけれど、リベルトやサンゴ、カルヴィンたちが傍に居て、いろいろと教えてくれたから幾分か楽になっていた。まだ不安がないわけではないが恐怖心はだいぶ落ち着いてきている。

 悪い魔族が居れば、善い魔族もいるというのをシオンはその身で体感しているので、彼ら自身を偏見な目では見ていなかった。人間にだって善悪はあるのだから、魔族だからって理由で差別的に見てはいけないのだ。だから、シオンは「それを割り切って生活してる」と答えた。

「なんというか……そう割り切れる人間は早々いないと思う」

「そうかな? だって、人間界|《あっち》では死んでるわけだし、生まれ変わっても人間界には帰れないなら、此処に慣れるしか選択はないわけじゃん。人間にだって善悪があるんだから、魔族にだってそれはあるでしょ? なら、そういうもんだよなって割り切ったほうが気持ち的に楽だよ」

 ぐだぐだと悩んでいても解決するわけではないのだから、割り切ってこの世界で生きていくしかない。そのほうが精神衛生上、良いのだから。考えすぎて病むよりは健康的な判断だというのがシオンの考えだ。

 それには賛成なようでアデルバートも「そのほうが此処は過ごしやすいだろう」と話す。この魔界で生きる以上は乗り切る力というのが重要だ。人間界よりは魔界のほうが物騒な世界であるので、怖がるばかりでは生きてはいけない。

「だから、シオンの考えはここでは生きやすくするだろう」
「だよねー。割り切るって大事。でも、魔族のことを全て知ってるわけじゃないんだよなぁ」

 リベルトに一通りのことを教えてもらったけれど、魔族の特性を全て知っているわけではない。生活に支障がない程度のことしかシオンは知らなかった。人間界で伝わっていたことと、実際の魔界に住む魔族たちは違うのだ。

 シオンは魔族の特性やここでの常識というのには興味があった。魔族の恋愛事情だったり、仕事だったり、生活習慣など人間界の人間からしてみれば気になるもので。なので、シオンはアデルバートに「ちょっと聞いてもいい?」と質問する。

「魔族ってやっぱり同じ種族同士て結婚するもんなの?」
「いや、そんなことはない。異種族間での結婚は当たり前にある」

 魔族は他種族とも婚姻を結べるし、子を宿すこともできる。それは人間と結婚しても同じなのだとアデルバートは説明した。異種族間での恋愛はこの世界では当たり前なのだという。

「じゃあ、ヴァンパイアが人間と結婚するとかもあるんだ」
「よくある。ヴァンパイアは人間の血を好むからな」

 気に入った人間を妻として、または夫として迎え入れるというのはよくあることらしい。ヴァンパイアは人間を魔族と同じように生き長らえさせる存在にできる数少ない種族なので、寿命の概念は解消できるとアデルバートは話した。

 それを聞いてシオンは驚く、そんなことができるのかと。彼女の反応に知らなかったのかといったふうの表情をアデルバートは見せた。

「え、じゃあ、ヴァンパイアに血を吸われたらヴァンパイアになるっていうのって……」

「あぁ、それは少し違うな。ヴァンパイアと婚儀を交わした人間が人でなくなるということだ」

 長寿の存在というのはもはや、人間ではないので人でなくなるという言い方をする。ヴァンパイアやエルフなど一部の魔族はそれが行えるが、上級種・いわば位の高い魔族にしかできないとアデルバートは教えてくれた。

 別にヴァンパイアになるわけではないのだと言われてシオンはファンタジーっぽいと思ってしまう。この魔界に落ちてきたのだから現実ではあるのだが、実際に聞くと好奇心をくすぐられてしまった。

「アデルの知り合いとかでヴァンパイアと人間の夫婦っているの?」
「いなくはないな。俺の家系は代々、ヴァンパイア同士なのであまり関りはないが」
「そうかー」

 公爵家となるとヴァンパイア同士が普通なのか、シオンは少しばかり眉を寄せたアデルバートに家のことは話したくないのだろうなと察する。なので、それ以上は触れずに「そういえば、アデルって恋人いないの?」と問う。

「……どうした」
「あ、えっと。いたら大変じゃないかなって、この状況」

 恋人が血の欲求が治まるまで契約していると知ってどう思うだろうか。契約というのが一般的だとしても、男女が二人っきりで会っているというのは相手からしたら思うこともあるだろう。シオンの言葉にアデルバートは納得したように「いないから問題はない」と答えた。

「いたら、確かに厄介だったかもしれないな」
「そうだよなぁ、やっぱり」
「嫉妬深い女性というのは多いからな」

 ヴァンパイアで契約の重要性を知っていても、嫉妬や独占欲で暴走する女性というのは多いのだとアデルバートは話す。それに関する事件というのも多々あるのだと。それは大変だなとシオンはアデルバートに恋人がいないというのは助かったと思ってしまった。

「シオンはそんな存在がいないのか」
「いないよ」
「それはこちら的にも助かったが……なんというか、その……」

 アデルバートは何とも言いがいた様子でシオンを見遣る。多分だが、自分の存在がシオンの今後の恋愛に関わってくるだろうことを予測しているようだ。それに気づいてシオンは「気にしてないからいいよ」と笑う。

「まだこっちに来てから日は浅いし、恋愛とか特に考えてないからなー」
「そうなのか……」
「まー、何とかなるでしょって感じ。だからアデルさんは気にしなくていいよ」

 何とも楽観的なシオンにアデルバートは驚きつつも彼女がそれでいいのならばと深く突くことはしなかった。

「気にしない、気にしないってね」

 軽く、けれどおちゃらけた様子でもない明るい表情にアデルバートは暫く見つめてしまう。そんな彼に気づかず、シオンはのんびりと果実水を飲んでいた。

   ***

 魔族で賑わう中心街を歩く。友人と家族と楽しそうに話している脇を通りながらシオンはサンゴとカルビィンと共に買い物をしていた。

 孤児院での手伝いが今日は休みなのでサンゴが「お出かけしましょ!」と二人を誘ったのだ。もちろん、買い物の殆どは彼女がしているのだがシオンは楽しんでいた。自分には眩しいブティックも、アクセサリーショップも見ているだけで楽しめる。

 サンゴは指をさしながら次に行く店を選んでいる。生き生きとしたその顔にシオンは嬉しそうだなと眺めた。

「おや、シオンさんではないですか」
「あ、ガロードさん」

 人混みを抜けるとエルフのガロードが立っていた。彼も買い物途中だったようだが、シオンに会えれて嬉しいのか「こんなところで会えるだなんて!」と手を握ってきた。

「なんと偶然なのでしょうか」
「えっと……そうですね?」
「今日もまたお美しい」

 ガロードは目を輝かせながら話すものだからシオンはその勢いに笑うしかない。サンゴもカルビィンも言葉を挟まむタイミングを伺っているようだった。

 今日は運が良いなどと話すガロードに相槌を打ちながら、シオンは不自然にならないようにどうにか手を離すことに成功させる。

「今日はご友人と買い物で?」
「そうなんですよ」
「そうですか。シオンさんと買い物ができるとは羨ましい」

 ガロードがそう言いながらサンゴたちを見る。彼の瞳はどこか鋭くて、二人は苦笑を返すしかなかった。何か余計なことを言えば、棘のある言葉が返ってきそうだ。

 二人は友人なのだから遊ぶことはよくあるからなのだが、シオンはどう返事を返せばいいのか悩ませる。

「あぁ、買出しなどでなければお供したというのに……」
「ははは……買出し頑張ってください」

 悔しそうにするガロードにシオンはそう返すと、彼はまた喜んだように「頑張りますよ!」と元気よく返事をする。このテンションにはついていけないなとシオンは思ったけれど、口には出さなかった。

「キャー!」
「どけぇっ!」

 中央街に悲鳴が響く。何事だと目を向ければ、犬耳を持った獣人の男が、別の魔族から追いかけられていた。ぶつかることなどお構いなしに人混みを駆けていく犬の獣人の男の手にはナイフが握られている。

「そいつ強盗犯です! 民間人は避けてください!」

 追いかけているエルフの女性が叫ぶと周囲の魔族や人間たちが逃げるように避けていくが、人混みゆえに思うように身動きができないようだ。シオンたちも巻き込まれないように逃げようとした時だった。

「いたいっ」

 幼い女の子が転んだ。人混みに追いやれて蹴られていくその様子をシオンは放っておけずに彼女の元まで行く。女の子を立ち上がらせて、怪我がないか確認すると大丈夫そうだった。

「大丈夫?」
「うん……お姉ちゃんっ!」

 女の子の声にシオンが振り返る――犬の獣人の男が彼女の首に腕を回した。

 シオンは「逃げて!」と女の子に言って、回された腕を掴む。女の子は言われた通りに駆けだした。逃げていくその背を見送ってから自分の現状を把握する、首元にナイフがちらりと見えた。

「来るんじゃねぇ! こいつを殺すぞ!」

 人質に取られているシオンはなるべく落ち着くように何度か呼吸をした。ここで焦っては恐怖を抱いてはいけない、冷静に男を刺激しないように大人しくする。

 追ってきたエルフの女性をシオンは知っていた。確か、アデルバートがグラノラと呼んでいたガルディアに所属している魔族だ。グラノラもシオンに気づいてか、一瞬だけ目を開いたものの、すぐに男へと視線を移す。他にも数人の魔族がいたので、彼らもガルディアの一員だろう。

 犬の獣人の男は追いつめられていることに焦ってか喚き散らしている。シオンはそれを耳元で聞きながら大人しく動きを観察していた。ナイフは首元にあるものの、当たってはいないので少し動いても傷はつきそうにない。

 男も目の前のガルディアの魔族たちに注意がいっているとはいえ、シオンには力がないので振りほどくことは難しそうだ。

 ガルディアの魔族たちが説得を試みているので彼らに任せるしかなく、シオンは黙って話に耳を傾ける。

「彼女を解放しなさい。これ以上の罪を重ねないの!」
「うるせぇ! そんなものは関係ないんだよ!」

 犬の獣人の男は聞く耳を持たないようで暴言を吐いている。話を受け入れてくれない様子にこれは長期化するのではないかとシオンは覚悟した。

 グラノラが一歩、前に出て犬の獣人の男は「動くな!」と叫ぶ。

「こいつがどうなっても……あ、手が動かなっ……」

 犬の獣人の男の動きが止まった瞬間、蹴り飛ばされた。その勢いに首に回された腕が離れてシオンは転げる。何事がとシオンが起き上がれば、男の腕を掴み締め上げているアデルバートの姿があった。

 何処からとシオンが驚いていると上から「アデル、そのまま拘束しとけ!」と声がした。見上げれば店舗の屋根にバッカスが立っている。どうやらアデルバートは屋根から飛び降りるように男の顔面を蹴り上げたようだ。

 アデルバートが犬の獣人の男を拘束したことで他のガルディアの魔族たちが駆け付ける。男は複数人に捕まり、暴れていたが逃げられないようだ。シオンは一連の流れをやっと理解して立ち上がると、「シオンちゃん!」と呼ばれる。

 駆け寄ってきたサンゴたちにシオンは「大丈夫」と返事をした。怪我の無い様子に安堵の息を零しながらサンゴが言葉を紡ごうとしてガロードが前に出た。

「大丈夫ですか、シオンさん!」
「だ、大丈夫で……」
「怪我などしては!」
「それはないです……」

 心配するようにガロードは聞いてくるがその圧が凄まじい。シオンは大丈夫だと言うけれど、彼は不安げに見つめている。なんとか彼を落ち着かせていれば、アデルバートが「シオン」と声をかけてきた。

 犬の獣人の男は他のガルディア職員によって捕まっているので、アデルバートはシオンの無事を確認するために来たようだ。

「怪我はないだろうか?」
「ないよ、アデルさん」

 シオンの返事にアデルバートは彼女の様子を見て嘘ではないことを判断したようだ。安堵した表情を見せながら「無事でよかった」と言われる。

「何が無事でよかっただ! ガルディアの連中がもっと早く捕まえていればこうはならなかっただろう!」

 それに噛みついたのはガロードだった。彼はアデルバートの前に立つと、「怪我ではすまなかったかもしれないんだぞ!」と怒鳴る。その剣幕にシオンだけでなく、サンゴたちも驚いていたけれど、アデルバートは怯むことなく、「こちらの不手際であったことは認める」と言って謝罪した。

 もっと手際よく犯人を捕まえることができれば、シオンを人質に取られることはなかっただろうことを認めた上で、「中央街での攻撃魔法は禁止されている」と説明した。

 攻撃魔法などで相手を足止めすることもできたが、中央街は多くの魔族や人間が行き交うため、巻き込むのを避ける目的で攻撃魔法は原則として禁止されている。その点は留意してもらいたいとアデルバートが話せば、ガロードは眉を寄せていた。

「あれ、じゃあどうやって犯人の行動を制限したんだ?」

 シオンは疑問に思った、犯人は手が動かないと異変に気づいていたのだ。それにアデルバートが補助魔法は制限されていないと教えてくれた。

 アデルバートは身体の一部の動きを制御する魔法を使い、犯人の腕の拘束を緩めて、ナイフを持っていた手を動かないようにしたのだという。この魔法は相手と距離を縮めなければならず、術者から気が逸れていなければ効かない。そのため、グラノラたちは犯人の気を向けるために行動していたようだ。

「それにしたって、ガルディアの連中が悪い」

 ガロードは話を聞いてはいたものの、ガルディアを責めるのをやめなかった。不手際があったことは認めているのでアデルバートはそれに反論することはなくただ、批判を受け止めるだけだ。

 シオンは恐怖がなかったわけではないが、もう解決したことなのでそれ以上は何を言うこともないとガロードを落ち着かせる。彼女に言われてか、彼はは渋々といったふうに引くがアデルバートを睨んでいた。

「シオンには一応、話を聞かねばならないのだがいいだろうか?」
「そうなんだ、いいよ。大丈夫」

 アデルバートにそう返事を返すとガロードがまだ何か言いたげであったが、時計塔の鐘の音を聴いて買出しのことを思い出してか、「では、私はこれで」とシオンの身を気遣いながら足早に去っていった。

「……彼は」
「エルフのガロードさん。教会の信者なんだよね」

 アデルバートにガロードのことを伝えると彼の眉間に皺が寄る。

「……エルフ?」
「どうしたの?」
「いや、……何でもない」

 何か引っかかっているような物言いにシオンが不思議そうに見遣れば、アデルバートは「気のせいか」と呟いて元の表情へと戻す。

「ガロードさん、シオンちゃんが好きだから余計に怒ったんでしょうねぇ……」
「まぁ、そうなっちゃうのはなぁ」

 サンゴとカルビィンの話しにアデルバートが目を瞬かせる。どうやら、ガロードがシオンに好意を寄せているということに気づいていなかったようだ。

「彼はそういう……」
「付き合ってないからね?」
「ガロードさんの一方的な想いよねぇ」

 勘違いさせてはいけないとシオンが否定すれば、アデルバートはそうなのかと理解したようだ。彼の怒りようもそうだったのだのかと。

「あ、いたいた。アデル、シオンちゃん大丈夫だったか?」

 見つけたといったふうにバッカスが駆け寄ってくる。シオンの大丈夫そうな様子に「よかったよかった」と声をかけた。

「女の子を傷物にしちゃ大変だからな」
「その言い方をやめろ、バッカス」
「悪かったって。つか、お前の行動早かったなぁ」

 バッカスは思い出したように言う。アデルバートは人質に取られているのがシオンだと気づいた瞬間、素早く魔法を展開し、屋根から飛び降りて男の頭を蹴り上げた。その動きは速く、バッカスですら反応できなかった。

「素早く行動するのは当然だろう」
「いや、そうなんだけど、異常というか……まぁいいや。シオンちゃん、ちょっとだけ話を聞かせてくれ」

 軽い手続きですぐに終わるからとバッカスに言われてシオンは了承する。付き添いとしてサンゴとカルビィンも着いていくことになった。

 隣を歩くアデルバートを見ると彼は何か考え事をしているようだった。どうしたのだろうかと聞いてみると、「いや……」と返ってくる。

「大したことではない」

 気にしないでくれとアデルバートが言ったので、シオンはなら大丈夫かなと深く聞くことをしなかった。アデルの表情が少しばかり険しかったけれど。

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