見出し画像

ヴァンパイアらばぁあ!―魔界に堕ちて恋を知る― 二話

二.第一章②:彼はただのヴァンパイアではなかった

 この街には広場があってその中央には大きな噴水があり、目立つために待ち合わせの場所として定着していた。困った時は噴水前と言われるぐらいには普通のことなので、周囲は待ち合わせの人たちで賑わっている。

 シオンはそんな広場にやってきていた。いつもの修道服とは違う、動きやすそうなハーフパンツにフリルのついたシャツ姿は彼女によく似合っている。

 今日はヴァンパイアのアデルバートと約束した日だ。流石に修道服姿で会うのは目立つだろうからと私服でシオンはやってきていた。晴天の日、少しだけ暑さを感じるものの過ごしやすい天気に晴れてよかったなと思いながらシオンは周囲を見渡す。

 約束の時間よりも少し早く来てしまったが、アデルバートは来ているだろうかと探してみれば、空色の瞳と目が合った。

 端整な顔立ちに映える襟足の長い浅葱色の髪、黒いロングコートは二日前に見た彼の姿だ。あ、いたなとシオンが見遣れば彼は酷く驚いた様子だった。なんだ、その顔はとシオンは不思議に思いつつも駆け寄った。

「えっと、アデルさん? はもう来てたんだな」
「……本当に来てくれたのか」
「なんだよ、それ。あたしが来ないみたいじゃないか」
「来ないと思っていた」

 シオンは「はぁ?」と声を上げる、自分から約束をしておいて来ないと思っていたとはどういうことなのかと。対価を支払わなければならないと言い出したのはそちらだろうにと、シオンはむっとしたふうに眉を寄せるとアデルバートは「当然だろう」と答えた。

「俺が誰だか知ったはずだ。それに知り合いでもない他人で不審者にも見えただろう。そんなものの約束など信じない、普通は」

 決してお前が約束を破る人間だと思ったわけではないとアデルバートは謝る。彼の言う通りなのだ、こういう時は不審に思うのは当然である。あの場では気づかなくとも、冷静になればどうしてあんなところにいたのか、何故怪我をしていたのかを考えれば不審な点は多い。あの約束も何か理由があるのではと思い至るはずだ。

 それを言われてしまうとシオンは言葉に詰まる。よく危機感がないだのお人好しだの言われるが、まったく疑わないのもどうかと自分でも思った。

「シオンといったか。シオン、俺が言えた義理ではないが気をつけたほうがいい。お前は女性だ、何をされるかわからないだろう」

「そ、そうだね……気を付ける」

 相手の言う通り過ぎてシオンは自分の危機感の無さに反省した。人間界の感覚で魔界を過ごしてはいけないのだと痛感する。人間界でもそうなのだが、ある程度のことならば法律が守ってくれる。でも、魔界では必ずしもそうとは限らないのだ。

 反省しつつも、困っていたら放っておけないだろうなとシオンは思った。それを察してか、アデルバートは呆れたように見つめている。

「お人好しの度が過ぎると俺は思う」
「うっ……」

 そんな真顔で言われると返す言葉がないのでシオンは黙る。反省はしているのでこれからは気を付けようとは思っている、いるけれどお人好しが治るとはそうそう思えなかった。まだ見つめてくるアデルバートにシオンは「で、これからどうするのさ」と、話を変えるように問えば彼はまた呆れたように息を吐いた。

「今、気をつけると言ったばかりではないか?」
「注意してくれるなら大丈夫かなぁって。てか、ルールだっけ? それがあるんでしょ?」

 そこまで言ってくれるのだから悪い人ではないのではないか。これもまた危機感のない甘い考えなのかもしれないけれど、リベルトからルールのことを聞いて本当であるのは確認済みなので大丈夫ではないかと思ったのだ。

 ルールのことを言えば、アデルバートは暫くシオンを見つめてから腕につけた時計に目を向ける。

「昼頃までにはお前を帰そう。何か要求したいものはあるか?」
「え?」

 何か欲しいものはないか、その問いにシオンは目を丸くする。対価って支払うほうが決めると思っていたのでシオンは目を泳がせた。突然のことにまったく何も思い浮かばない、そもそもこれといって欲しいものが今はなかった。

「いや、特にないんだけど……」

 素直にそれを伝えると信じられないといったふうにアデルバートが見てくるものだから、シオンは困ってしまった。本当にないのだからどうしようもないと言うシオンにアデルバートはどうするかと考える仕草をみせる。

「なら金銭か?」
「ちょっと待って、それは無理。お父さんにバレた時の言い訳が大変だから!」

 余計なお節介でヴァンパイアの傷を癒すために血を分けたなどリベルトに知られれば、何を言われるか分かったものじゃない。長い説教をくらうことになるのは目に見えている。

「欲のない人間など初めて見た」
「し、仕方ないじゃん。本当に思いつかないんだから」

 珍しいモノを見るようにアデルバートは目を向ける。年頃の女性なら化粧品やら服、アクセサリーなど欲しいものには困らないのだろうがそんなものとシオンは無縁だった。人間界の時から化粧も別に拘らないし、服も着れればいいといった考えである。

 魔界でもその考えなので何か欲しいと思ったことはこれといってなかった。リベルトにも「遠慮しなくていい」と言われているのだが、本当に何もないのだから困る。

「……一先ず、街を見て回ろう。中心街ならばアクセサリーも服も売っている」

 店を見て回れば何か欲しいものが見つかるかもしれないとアデルバートに言われて、シオンはそれもそうかとそれを了承した。

「何も見つからなかったらごめん……」
「それはもう相談するしかない」

 アデルバートは珍しい人間だと言いたげにシオンを見つめながら返す。その視線に申し訳なさを感じつつも、シオンは彼と共に街の中心街へと向かった。

 街の中心街は様々な店がならぶ商店街だ。アクセサリーショップからブティックなどがひしめき合っているので人が多い。周囲を見渡せば、魔族や人間が楽しそうに、時に苛立ったように歩いている。

 市場から近いことからか、レストランなどもあってシオンも食事に何度か訪れたことがあった。時間帯が時間帯なせいか、買い物客で賑わっているのを眺めていると、隣を歩くアデルバートの眉間に皺が寄っているのが目に留まった。

「もしかして、人混み苦手?」
「……得意ではないが、別に苦手というほどでもない。ただ、久しく仕事以外でこういった場所に来たんだ」

「そうなの?」
「あぁ、賑わっている場所は父に連れられたパーティーか仕事でぐらいか……」

 父に連れらて参加したパーティーのところで顔を顰めたので、あまり良い思い出ではないのだろうなと思ってシオンは「うん?」と引っかかる。

「えっとさ、ちょっと気になってたんだけど……もしかして、アデルさんってお金持ち?」
「貴族階級だな」
「ちなみにどの程度で……」
「シュバルツ家の爵位は公爵だ」

 魔族の階級制度がどんなものかはシオンは知らないが、公爵は確か最上級であるのは教えてもらっている。とんでもないヴァンパイアを自分は助けたものだなとシオンが思っていると、「気を使われるのは苦手だ」とアデルバートに言われてしまう。そうは言われても気を使ってしまうのでシオンはなるべく大人しくしていようと思いつつ、頷いておいた。

 そのまま中心街の店を眺めながら歩いていたシオンだったが、話題がなくて無言になるのが嫌だったので、気になっていたことを質問することにした。

「そういえばさ。ヴァンパイアって日中動き回っても大丈夫なの?」

 人間界ではヴァンパイアは太陽の光に浴びると灰になると言われていたのをシオンは覚えていた。とは言えないので、「なんか、太陽の光が苦手って聞いたことある」と付け加える。これはリベルトから聞いたことだった。

 アデルバートはそんなことを聞くのかと言いたげにしていたが、「平気だ」と答えた。日光が苦手ではあるけれど別に大して影響はないと。

「人間はよく勘違いするらしいが、別に日中でも動き回れる。若い吸血鬼ならば魔法が多少うまく扱えないぐらいはあるだろうがな」

 人間が勘違いしていることで言うならば、強い香草の臭いを嫌うというが、それは臭いからであって撃退できるものではない。別に十字架などに効果はなく、若い美しい女性のものじゃなくとも血は飲めるとアデルバートは教えてくれた。

「あ、じゃあさ。瞳が赤いっていうのは?」
「それは戦闘時と血を吸う時だけだ。普段は元の瞳が赤くなければそうはならない」

 血を吸った時に見たわずかに赤みがかっていた瞳はそういうことなのかとシオンは納得する。魔界に来てからヴァンパイアをみるのはアデルバートが初めてだったけれど、意外と印象というのは悪くなかった。本物というのは物語とは違って現実的なのだなと知る。

「魔界の人間でも知っている情報だと思うのだが……」
「え! いや、あたし学校とか行ってないから!」

 慌ててシオンは返す。この魔界にも学校というのはあるのだが、そこに通っていないのは本当なので嘘はついていない。これで誤魔化せるだろうかとアデルバートを見えれば、少しばかり訝しげにしていたが一先ずは納得してくれたようだ。

 魔界では学校に行くことは強制されていない。行かない魔族や人間というのは多いし、通っていないからと批判されることはない。なので、シオンが通学していないこと自体は不自然ではないのだ。だから、アデルバートは怪しむことはしなかったのだろう。

「魔界でのルールは親に教えてもらったのか?」
「お父さんに一応……」
「それでこうなのか……無欲で危機感のないお人好しの人間とは、早死にするぞ」
「それ、貶してるのか、それとも忠告してくれてるのかどっちなのさ」

 そうシオンが問えば、アデルバートは「忠告だ」と答える。ならもう少し言い方というものがあるだろうにとシオンは苦笑した。

「それでまだ欲しいものは決まらないのか?」
「えーっと、まだかなぁ」

 魔族が決めた掟というのは面倒なものだなとシオンは考える。どの店の商品も特に欲しいとは思わず、それでも選ばなければいけないのでどうしたものかと悩ませる。あまり、店に詳しくないので特にシオンは頭を悩ませた。

(そういや、サンゴが良く行く店があったはず……)

 サンゴはその店の服が好きなのだとよく話していたのを思い出した。行ったことはないけれど、彼女が行くところならば自分でも着れる服はあるだろうと思って、シオンはアデルバートをその店に連れていくことにした。

   ***

 店内に入ってシオンは後悔した。色鮮やかな衣服たちは可愛らしく、格好良いものが飾られて煌びやかだ。客の女性たちは皆、着飾っていて上品に見えてシオンは場違い感を味わう。

(そういや、サンゴは裕福層だった……)

 大事なことをシオンは思い出した、サンゴは裕福な家庭であることを。入ってしまったので商品を見ないわけにもいかず、シオンは挙動不審にならないように気を付けながら並べられている服を眺める。

 可愛らしいものから格好良いものまで品揃えは良くて、これなら自分でも着れそうなものはありそうだなとシオンは探す。ただ、どれも値段が少々するので「これを買ってもらうのは……」と遠慮が出てしまう。

 いろいろと眺めてみてもやっぱりどれがいいのか分からず、もう適当にブラウスとか買ってもらおうかと考えていると、隣にいたアデルバートが何かを見つめていた。なんだろうかと視線の先を辿るとそこにはコーディネートされた服が飾られれていた。

 白いカーディガンとレースのあしらわれたブラウス、ピンクのキュロットはシオンの目から見ても可愛らしく感じた。

「この服がどうかしたのか?」
「いや、シオンに似合うと思ったんだ」
「えっ!」

 この可愛らしい服が自分に似合うとと、シオンが見遣ればとアデルバートの目は真剣そのものだった。からかうでもなく、純粋に似合うと思っているようだったのでもう一度、飾られている服をシオンは見るが似合う自信は自分にはない。

 そんなシオンを他所にアデルバートは展示されている服について店員に訊ねていた。暫く会話をすると店員が持ってきたものに靴も合わさって、そのままアデルバートは購入していた。ほんの十数分ぐらいだっただろうか、呆気にとられていたシオンだが我に返り口を開く。

「え! なんで!」
「何故って、これをお前に」
「はぁ! いや、流石にこれは貰い過ぎでは……」
「これは俺の一方的な贈り物だ」

 アデルバートに「シオンはこのまま何も要求しないだろう」と言われて、確かにこのままいくと適当なブラウスを買ってもらうことになってしまう。対価を支払ったことにはなるかもしれないが、適当に決めては相手にも失礼だ。

「この服はシオンに似合うと俺が思ったんだ」

 受け取ってくれればそれで対価を支払ったことにしても構わない。そんな言葉をシオンの瞳を見詰めながら言うものだから、それを受け取るしかなかった。

「き、着るかわかんないけど……」
「構わない」

 受け取るシオンを見てアデルバート微笑む。その笑みが彼の整った顔立ちを強調させるものだから、なんだかシオンは恥ずかしくなった。

 店員は微笑ましく見ているし、店内にいた女性客は羨ましげな視線を向けている。それに気づいたシオンは「も、もう終わったから出よう!」とアデルバートの背を押して店から出た。

「えっと、対価の支払いって終わったからもういいんだっけ?」
「あぁ、そうなる。というか、本当に何も無いんだな」
「物欲なくて悪かったな」

 むっと頬を膨らませれば、アデルバートは小さく笑った。余程、珍しい人間のようなので逆に怪しまれないかシオンは不安だった。

(人間界の人間だってバレないようにしないと……)

 アデルバートを疑っているわけでがないが、隠しておくことで自分の身を守れるならばそうしたほうがいい。申し訳ないけれどと思いながら見遣ると彼は時間を確認していた。

「昼を御馳走しよう」
「そこまでしなくてもいいんだけど」
「それぐらいさせてくれ」

 アデルバートに「お前は欲がなさすぎるから」と言われて、それが関係あるのかと疑問に思いながらもシオンは驕ってくれるならばとその申し出を受けることにした。

 近くのレストランまで歩いているととある店がシオンの目に留まった。店内が見える窓からは多種多様な動物が展示されている。なんだろうかと興味深げに見ていれば、その視線に気づいたアデルバートが「ペットショップか」と呟いた。

「ここ、動物売ってるんだ」
「様子を見るに愛玩用魔物も売っているだろうな」
「え、魔物って飼えるの!」
「愛玩用ならば飼育はできる」

 愛玩用魔物とは魔物のなかでも力はなく人間に害のない種類のことをいう。その取り扱いには特別な資格が必要であり、専門店以外では珍しいのだと教えてくれた。アデルバートの目付きが途端に厳しいものになっていることにシオンは気づく。

「どうかした?」
「……いや、何でもない」

 苦手な動物でもいたのだろうかとシオンはそう思いながら奥の方を覗くいてみる。普通の動物ではない生き物がちらほらと目に止まった。魔物を間近で見れる機会など早々無い、あってはならないのだがそれは置いておいて、興味を持ったシオンは店内を指差した。

「ちょっと見てもいい?」
「……構わないが」

 アデルバートの許可をもらい、シオンはペットショップへと入る。犬や猫、ウサギのコーナーを抜けると愛玩用魔物が姿をみせる。魔物の姿は犬のようなものや鼠のようなものなど様々で、羽根の生えている猫を見て「すっごい」とシオンは声を零す。

「この猫、翼がある!」
「ミャオネライト。ウィングキャットとも呼ばれている人間に無害な魔物だ」
「空飛べるの?」
「低空飛行ではあるがな」

 空が飛べる程度の能力だとアデルバートは説明する、それ以外は何の変哲も無い猫そのものらしい。翼の手入れが面倒な点以外は飼育難易度は猫と変わらないと教えてくれた。

 なるほどとシオンがミャオネライトのゲージを眺めているとその値段が目に留まり、思わず二度見してしまった。

(たっか!)

 先ほど見た猫の金額を軽々超えていた。ちらりと他の金額も確認するとどれも桁が凄いことになっていて、愛玩魔物は高いのかとシオンはすっとガラスから離れる。

「パパー、うさぎさんだっこしたい!」

 ウサギのコーナーから幼い子供の声がする。見てみれば、幼い女の子がピンクのワンピースの裾を掴みながらぴょんぴょんと跳ねていた。

 ふれあいコーナーとして、ウサギが何匹か店内のゲージに放されている。一匹のウサギを指差しながら「この子がいい!」と父親にせがんでいた。全身の体毛が白く、耳先が少し黒っぽいウサギはじっと女の子を見ている。

 娘のお願いに父親は店員に声をかけてそのウサギを抱きかかえさせると、女の子が嬉しそうにぎゅっと抱きしめる。

「可愛い!」

 そんな様子を微笑ましくシオンは眺めていた。幼い女の子は「この子欲しい!」と離さないので、父親がどうしたものかと悩んでいると、今まで微動だにもしなかったウサギが首を揺らした。女の子の手首を臭うように鼻をひくひくと動かす。

「痛い!」

 がぶりとウサギが女の子の腕に噛みついた。その痛みに思わず手を放すとウサギはぴょんと跳ね逃げるように走る。店員が慌てて追いかけるが、動きが素早く陳列された棚などに隠れながら移動するために捕まらない。

 捕まえるのを手伝おうか迷っていると、ウサギがシオンのほうへと走ってきた。これは丁度いいやとシオンが手を伸ばすとアデルバートがそれを制止し、腕を引かれた――瞬間だった。

「シャァァァァァっ!」

 ウサギが犬ほどの大きさに巨大化し、アデルバートの腕に噛み付いた。シオンは突然のことで目を白黒させる。

「キャァァァ!」

 巨大化したウサギが腕に噛み付いている光景に店内にいた客は慌てて逃げ、店員はどうしたらいいのか判断できず困惑している。

 アデルバートはウサギを引き剥がすと地面に叩き付けた。ウサギは起き上がろうとするが、アデルバートは睨みつけると「動くな」と低い声で言い果つ。

 酷く冷徹な声音に赤くなる双眸はウサギを射抜く。一瞬、身体を震わせるとウサギはそのまま動かなくなった。

 その豹変振りにシオンが固まっていると、アデルバートはウサギの首根を掴み店員に見せ付ける。

「これは吸血ウサギだ。愛玩用魔物として取り扱うのは禁止されている。どういうことか聞かせてもらおうか?」

「え、いや……その……」

 男性店員は動転しているせいか、声を詰まらせている。騒ぎを聞きつけてか、奥から店長らしき人物が走ってきた。

「な、何があった!」
「店長か?」
「はい、そうですが……」

 アデルバートは男性に事態を軽く説明するとウサギを見せる。先ほどよりは小さくなっているがとてもじゃないがウサギには見えない風貌へと変わり果てていた。

 吸血ウサギは見た目は可愛らしく擬態しているが、本来は犬ほどの大きさで牙が鋭く、可愛らしさのかけらもない。吸血種であり、人体に影響が出るほど血を貪り食らう個体も存在するため、愛玩用魔物として取り扱うのは禁止されていた。

 それがウサギの中に紛れ込んでいた。男は初めは話を聞いていたが、だんだんと訝しげにアデルバートを見詰めだした。その視線に気づいたのか、彼は小さく溜息をつくとコートの内ポケットからパスケースを取り出して見せた。

「俺は対魔族犯罪取締組織、ガルディアの者だ」

 それを見た男性の表情が途端に青ざめて、隣に立っていた店員は「俺はただ雇われているだから何も知らない!」と慌てだす。

 アデルバートはポケットからメモ帳のなものようを取り出してさらさらと記すと、ページを破いて口元に当てる。小さく何かを呟くとメモ紙が煙のように消えていった。それは伝達魔法の一つであるのをシオンは知っている。

 この魔界に電話などといったものはないが、その代わりに伝達魔法というのが存在する。それを使いうことで遠くの人を呼んだり、用事を伝えることができるようになっていた。アデルバートはそれを使ったようで、「ガルディアに報告させてもらった」と店長に告げた。

「話は今から来るガルディアの者に話してもらおうか。いいな?」
「……はい」

 店長は頷くしかなかった。ガルディアは行動が早い、転移魔法などを使用すれば数分もしないうちに到着する。そして、ガルディアの者に言い訳は通用しない。

 店長の返事を聞いてからアデルバートはウサギを掴んだままシオンの方へと振り向いた。

「怪我はないか、シオン」
「あたしはなんともないけど……アデルさん、怪我!」

 シオンはアデルバートの腕から流れる血をみる。吸血ウサギに深く噛まれたまま引き剥がしたせいか、服が破れていた。

 それにあぁと思い出したふうにアデルバートは腕をみると小さく何かを呟く。すると傷は癒えて跡形もなく、服も元の姿に戻っていた。

「これぐらいなら治癒魔法でどうにかなる」
「え、じゃあ、治癒魔法が使えるならあの時、使ってればよかったんじゃないのか?」

 治癒魔法が使えるならあの時の傷も治せたのではと問うシオンにアデルバートは眉を下げる。 

「あの時は魔物討伐の後で魔力を消費していた。それに思った以上に傷は深かったったこと、さらに血が足りなくて治癒魔法の効果がなかったんだ……」

 ヴァンパイアはエルフと違い、それほど多くの魔力を蓄えてはいない。魔力を多く消費した上に血の足りない状況では治癒魔法など気休めにもならない。けれど、少し休めば傷口を隠すぐらいは回復させることができた。

「転移魔法は?」

「あれは一度に飛べる距離が決まっている。一度、別の場所を経由して、あそこまで飛んだが疲れがでたんだ」

 転移魔法で飛んだ場所は丁度、人気がなかったのでアデルはただ休んでいただけだったのだ。

「病院に行きなよ」
「……苦手なんだ」

 アデルの渋い表情にシオンは「子供か!」と思わず突っ込んでしまう。病院に行っていればもっと早く回復できたはずなのだから、もっと身体を大切にすべきだとシオンはアデルバートに指摘する。

「病院は面倒だから嫌なんだ」
「それでも行こうね! てか、よくあたしの血を吸ったね、それで」

「逃げてもらおうと思ったんだ。知らない魔族からそんなことを言われたら怖くて逃げ出すだろうと思った」

 シオンの相手をするのも面倒なほどに疲れていたこともあって、人間ならばこれぐらいすれば逃げ出すだろうと踏んだようだ。けれど、結果は血を差し出すと言われてしまって失敗に終わった。

「飲むつもりはなかったが、疲労には敵わなかった」

 この後の仕事を考えると早急に回復しておきたかったというのもあって、アデルバートはシオンの同意もあるからと吸血したらしい。

「普通は飲まない。あの時は仕方なかったんだ」
「なるほど……。いや、でも病院には行こうね? そんなんじゃ、親が心配するよ?」

「……どうだろうな」

 親。その言葉にアデルバートは目を伏せた。シオンはしまったと口を噤む、どうやら親の話はアデルの地雷だったようだ。シオンは彼が名家であることを思い出す、公爵家だと。詳しい家庭環境は分からないが名家なりの悩みというのがあるのだろう。

「その、ごめん」
「何故、謝る?」
「いや、だって……」
「あ、いたいた。アデルバート!」

 シオンの言葉を遮るようにアデルバートを呼ぶ声がする。声のほうを見てみると一つに結った綺麗な藤色の髪を揺らしたエルフの女性が手を振っていた。どうやらガルディアの捜査員が到着したようだ。

 アデルバートはシオンに「少し待っていてくれ」と言い残すとエルフの女性のほうへと向かう。周囲を見渡してみるとエルフ以外にも数名の魔族が店員や客に話を伺っていた。

(あれ、竜人かな。半分ドラゴンみたいだ)

 顔は人の姿をしているが背中の翼を小さく畳み、角を持つ人型の存在。竜人と呼ばれる魔族は珍しい種族なので、近くで見るのは初めてだなとシオンはつい眺めてしまう。

「うん?」
「……っ⁈」

 視線に気づいたのか、竜人が顔を上げる。ばっちり目が合ってしまい、シオンはじろじろと見すぎたと目を逸らしたが、竜人はのっそりと近づいてきた。

「そこの人間のお嬢さん」
「え、あ、はいっ」
「君も目撃者かい?」
「えっと、そうです」
「話を聞きたいけど、いいかな?」
「サイファー」

 竜人がシオンに話を聞こうとした時だ、サイファーと呼ばれた竜人は振り返るとアデルバートが立っていた。呼んだのが彼だと知ると竜人は「休日なのに運がないね」とからかうように口にする。

「その女性は俺の連れだ。事情はグラノラに話した」

「なんだ、そうだったのか。それならいいや。と、いうか君に彼女がいたとは思わなかったよ」

「いや、彼女では……」
「いーって、いーって。お邪魔してごめんよ。それじゃあ、のちほど」

 サイファーはそう言ってグラノラというエルフの元へと歩いて行ってしまった。アデルバートははぁと小さく溜息をつくと「誤解を解くのが面倒だ」と悩ましげに額を押さえた。

「シオン、すまないがこの後、俺は署に戻らなければならない」

 一人で帰れるだろうかと申し訳なさげに問うアデルバートにシオンは頷いた。中心街は教会へと帰る時や買い物をしたりしている時によく通っているので慣れている。それにまだ日が出ているいので、いくら街から外れた場所にある教会とはいえ危険はそう多くはない。なので、「大丈夫」とシオンは答えた。

「あたし、いなくて大丈夫なのか?」

「それは問題ない、俺が事情を話す。ただ、証言をもらわなければならないことになった時のためにお前の住所と身分を証明するものを見せてくれないだろうか?」

「身分って……お父さんから渡されている教会のカードでもいい?」
「それで構わない」

 シオンはリベルトから「身分証になるから」と教会に入信している証であるカードを渡されていた。それで問題ないということだったので、シオンははポケットからカードを取り出すとアデルバートに見せた。彼はそれを確認すると教えられた住所を手帳に書き込む。

「アデルさんってガルディア勤務だったんだねー」
「別に隠すつもりはなかったが……」
「あ、別に隠してたことがどうとかじゃなくて、ちょっとびっくりしただけだから」
「そうか。あぁ、もういい。すまなかった」

 アデルバートが手帳を仕舞うともう帰ってもいいと伝えた。周囲を見渡してみると目撃者であろう客も店から出て行っている。

「えっと、じゃあ。今日はありがとう、また機会があれば?」
「あぁ」

 シオンは頭を下げると店を後にした。店を出る間際、シオンは振り返り小さく手を振ると、アデルバートも振り返してくれた。

   *

「不思議な人間だ」

 アデルバートはそんなふうにを思った。欲も無く、危機感も薄く、お人好しであり魔族に対して抵抗のない人間で。何故だろうか、嫌な気がしなかった。

 人間に特に興味などない、嫌いでも好きでもないけれど、あの少女には何処か惹かれるものがあった。

「……珍しい人間もいたものだな」

 アデルバートはシオンが出て行った扉を眺めながら目を細めた。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?