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ヴァンパイアらばぁあ!―魔界に堕ちて恋を知る― 三話

三.第二章:契約

「うぇっ……あぁ……」

 キッチンに置かれた桶が赤く滲む。アデルバートは口から赤い液体を吐き出しながら嗚咽して、手にした吸血種用の献血袋をゴミ箱に叩き付けた。

「……これも、ダメか」

 眉間に皺を寄せながら口を拭うとアデルバートは口を濯いだ。

(人工血液も吸血種用献血も受け付けなくなっている……)

 アデルバートは問題を抱えていた。シオンと出会ってから数日、いつもなら飲めていた人工血液も、ヴァンパイア用の献血も口に受け付けなくなっていた。これも彼女の血を吸ってからである。

 最初は無理にでも飲んでいたけれど、今ではそれすら出来ないほどに身体が拒絶していた。ヴァンパイアが血を摂取しなければ身体に影響が出てしまう。魔法も上手く使えることができなくなるためアデルバートはどうしたものかと悩む。

 シオンの血はアデルバートと相性がよかったようだ。相性の良い血と巡り合うとヴァンパイアはその血を欲する。身体がそれを要求し、その欲が落ち着くまでは他の血を口に出来ないと言われている。今までそんなことはただの迷信だと思っていたアデルバートだが、これはそのせいなのだろう。

「…………」

 再び彼女を頼るのは忍びないけれど、この身体の受け付けなさは尋常ではなかった。アデルバートは覚悟を決めたようにコートを羽織ると部屋を出た。

   ***

 いつものように教会でシオンは修道服の裾を風に靡かせながら掃き掃除をしていた。外は少しばかり曇っていたけれど雨は降りそうではない。晴れていないというのは気分が上がらないものだなと思いながら掃除をしていると、「シオンちゃーん」と声をかけられる。

 顔を上げればいつものようにサンゴとカルビィンが駆けてきた。相変わらず元気だなとシオンが口にすれば、サンゴはもちろんと笑みを見せる。

「元気が一番だからね!」
「元気すぎるのもどうかと僕は思う……」
「カルビィンはもう少し足早くなろうな」

 シオンの言葉にカルビィンは眉を下げた、これ以上はどうしたって無理だと言うように。そんな彼にサンゴは「頑張って!」と声をかけている。

「シオンちゃんは今日も孤児院のお手伝いよね?」
「そうだよー。まだ時間あるけどね」
「朝からじゃないんだね」
「院長がいつも朝からだからたまには遅くていいよって」

 シオンはいつも朝から孤児院に手伝いをしに行っているのだが、院長がたまにはゆっくりきなさいと気を使ってくれたのだという。そこまで気にする必要はなかったのになとシオンは思っていたのだが、サンゴは「確かに朝早くから行ってたもんね」と院長の気遣いに納得している様子だ。

「教会に居ても暇だし」
「でも、たまにはゆっくりするのも大事よ?」
「そうだねぇ。休むって大事」
「それはそうかもしれないけど……」

 別に毎日のように行っているわけではない。ちゃんと休みをもらっているのだが、それでもシオンの朝早くから手伝うことを続けているというのは心配になるらしい。人間界だと当たり前だけどなとシオンは魔界のほうが保証が充実しているのではと考えてしまった。

「じゃあ、孤児院に行く時間までワタシとカルビィンでおでかけしない?」
「えー、またお店回るんでしょー」
「何よ! ショッピングは楽しいじゃない!」
「それにしてはサンゴは回り過ぎなんだよなぁ」
「カルビィンまで!」

 むーっと頬を膨らませるサンゴにシオンが「分かったって」と諦めたように返事をする。カルビィンもこれは大変だなぁといった表情をしていた。

 何処を巡ろうかと話ているとワンワンと犬の鳴き声がした。それは教会で番犬として飼っている犬だったので、誰か来たのだろうかとシオンが顔を覗かせて目を瞬かせる。

 そこにいたのはアデルバートで彼は周囲を見渡しながら教会の敷地内を歩いている。シオンを見つけてか、足早にやってきたので「アデルさん、どうした?」と声をかけた。

「あ、あのウサギのことでなんかあった?」
「いや、ウサギの件は片付いたから問題はない」
「なら、何かあった? てか、顔色悪いよ」

 アデルバートの顔色がこの前会った時より酷くなっていることにシオンは気づく。それでも綺麗な顔立ちなのだが、それはいいとしてと心配そうにシオンが彼を見詰めていると、サンゴとカルビィンが彼を凝視していた。

「え、ヴァンパイア?」

 どうやらサンゴとカルビィンはアデルバートの正体に気づいたようだ。少しだけ警戒している様子にシオンはあっと言葉を零す。そうだ、二人には説明していなかった。

「シオンちゃん、どういうこと?」
「え? いや、その……知り合いで」
「私、シオンちゃんにヴァンパイアの知り合いがいるなんて聞いたことないけど?」
「僕も聞いたことないなぁ」

 ワタシたちが知らないとかあるのかしらとサンゴはがじとりとシオンを見遣る。その視線にシオンは言葉に詰まった、此処に来てから殆どの時間を二人と過ごしていたことが仇となる。サンゴに「もしかして、またお人好しなことをしたんじゃないでしょうね」と言われて、シオンの肩は跳ねた。

「シオンちゃん!」
「いや、その、ね!」
「あのね、シオンちゃん!」
「……すまないのだが」

 サンゴがシオンに説教を始めようとするのを遮るようにアデルバートが口を挟む。

「シオンに急用があるんだ」
「急用って!」

 急用と言われたシオンはそれならさっさとしないととアデルバートの腕を引いた。それを止めるようにサンゴがシオンの手を掴むと彼に厳しい眼を向ける。

「貴方はシオンちゃんとどういう関係かは知りませんがね! きっとシオンちゃんの余計なお節介で知り合ったんでしょうけど」

「……別にシオンに危害を加えるわけではない」

 それをどう信じろというのですかとサンゴはアデルバートから視線を逸らさない。警戒心を露にしている様子に彼は「仕方ない」とコートのポケットからパスケースを取り出して二人に見せた。

「……俺はガルディアに所属する魔族だ」
「はぁっ! シオンちゃん、何かしたの!」
「違う違う! 何もしてないから、あたし!」
「シオンに血液を分けてもらっただけだ」
「なんだって!」

 カルビィンの驚きの声と、サンゴの形相にシオンは話すしかないなと「実は……」とこの前の出来事を隠すことなく話した。それを聞いたサンゴは痛む頭を押さえ、カルビィンは呆れた様子を見せた。

「シオンちゃん、自分の現状をちゃんと理解しなさい」
「えっと?」
「貴女がどういった人間なのかよ」

 そう小声で言われてシオンはあっと気づく。人間界の人間は極上の存在で、その血肉は魔族からしたら舌が蕩けるほどだということを。人間を食すことは禁止されているけれど、血は献血によって売り買いができるようになっている。それで生計を立てている人間もいるほどには価値があるものだ。

 アデルバートが此処にいるということはもしかしてとシオンは恐る恐る問う。

「あの、用事って……」
「シオンの血液に関することなんだ」
「あー……」

 アデルバートは話を切り出した。シオンの血液が自身と相性がいいこと、そのせいか人工血液や吸血種用の献血が受け付けなくなっているが、シオンの血を多少摂取している状態ならば飲めることを。       

 シオンは「それ、あたしのせいだわなぁ」と呟いた。アデルバートはシオンたちの様子がおかしいことに気づいてか、「何かあったか」と問う。これはどうしようかとシオンがサンゴを見遣れば、「これは言うしかないわよ」と返される。

「シオンちゃんの血液と相性が良い以上、隠していても味でいずれバレるわ」
「ですよねー」
「どういうことだろうか?」
「そのー、実は……」

 シオンは正直に自分が人間界から落ちてきた人間であることを話すと、アデルバートは何とも言い難い表情を見せる。彼女が何を言いたいのか理解したようだ、これは確かに自分のせいだと言いたくなるなと。

「……教会には知らせてあるのか?」
「そこはあたしを拾ってくれた神父のリベルトお父さんがちゃんと……」
「保護されたのが教会の人間でよかったな、本当に……」
「それは思います……」

 シオンの運の良さにアデルバートは驚いていたが、本当にその通りなので頷くしかない。アデルバートはシオンの今までの反応が人間界から落ちてきた人間ということで納得したようだ。その知識の無さはそういうことだったかというように。

「神父はいるだろうか?」
「わたしを呼んだかね?」

 アデルバートの声に反応して返事が返ってきた。振り返ればリベルトが彼を観察するように見つめている。シオンが「お父さん、あの」と黙っていたことを話すと、リベルトは眉を下げて息を吐いた。

「気を付けなさいと言ったというのに……」
「その、すっかりと頭から抜けてて……」
「だろうね。しかし、そうか……」

 リベルトは困ったように頭を掻く。ヴァンパイアは相性の良い血を持つ人間を見つけるとそれ以外の血液は混ぜなければ飲めない。そういう特性があるのは本当のことだったので、リベルトは「これは仕方ないか」と諦めたように呟く。

「これはヴァンパイアであるアデルバート殿の生活にも関わる問題だ。こればっかりは仕方ないから血を定期的に分け与えるしかない」

 リベルトの言葉にシオンは「ですよね」と頷く。

「あたしの血を少し分ければいいってことだよね?」
「そうなる。定期的に血を分けてくれないだろうか?」

 期間は欲求が治まるまでだが、それがいつまでかは分からない。すぐに治まるかもしれないし、もしかしたら長期的になるかもしれないので、アデルバートは「すまないが」と申し訳そうに頼んできた。

 血液の量もそれほど多くは採血せず、三日に一度ほどでいいと言われてシオンはまぁそれぐらいならばいいかと了承する。そもそも了承する以外の選択はない、もとはといえば自分がやった行いのせいなのだから。

「血液の代金は払う」
「え、お金とかいいのに」
「これはヴァンパイアの契約だ。対価は支払う」
「契約?」

 契約という言葉にシオンが首を傾げたのでアデルバートは契約について説明した。

 ヴァンパイアとの契約。契約者はヴァンパイアに定期的に血を与え、またそのヴァンパイア以外に血を差し出してはならなず、その代償にヴァンパイアから対価を貰い受ける。

 そういった契約というのがいくつか魔界には存在するのだと教えてもらい、シオンはファンタジーっぽいなとのんきに思ってしまった。

「なるほど……」
「病院で採血する時の量ぐらいだ」
「そんな少なくていいの?」
「人工血液や吸血種用の献血と混ぜるから問題ない」

 それに献血と同じ量を週二回も貰うことはできない。献血でも四週間ほど開けるなど決まりがあるだろうとアデルは答える。

「リベルト神父、義理とはいえ娘の血をもらい受けることを許してほしい」

「それは仕方ないことだ。キミはガルディアの魔族だし、シュバルツ家と言えば公爵家のなかでも名家だ。そんなキミの生活に支障が出ては問題になるだろうからね」

 そこで問題が起きてシオンが人間界から落ちてきた人間だというのを知る魔族が増えては、事件に巻き込まれるリスクというのが増えるだけだ。許可を出すしかないとリベルトはそれを承諾した。

「採血ってどこでやるの? アデルさんの家?」
「採血キットがあればとこでも可能だ。不安ならばここでも構わないが……」
「教会内での血のやり取りは禁止されている」

 リベルトにそう指摘されてアデルバートは「では、俺の家でもいいだろうか」と問う。シオン自身はどこでもよかったので、「いいよ」と返すとサンゴに「このおバカ」と突っ込まれた。

「男性の家に普通に行くもんじゃないわよ! 危機感を忘れないで!」
「えー、でもうちの家って教会の敷地内にあるから無理だしさー」
「そこの人魚の言う通りなので、俺からは何も言えない……」
「こればっかりはそうだよねぇ……」

 サンゴの突っ込みにアデルバートは言い返すことができず、カルビィンも選択肢がなぁと呟いている。病院に行けばその血の匂いで人間界から落ちてきた人間だと勘づかれる可能性もあるので、アデルバートの家というのが妥当な選択になってしまう。

 それはサンゴも理解しているようで眉を寄せている。まだヴァンパイアであるアデルバートを警戒しているようだった。

「家と行っても俺は実家の屋敷では暮らしていない、一人暮らしをしているので魔族が関わることは殆どない。周辺はガルディアの本部が近いから防犯上は問題なく、俺はシオンに何もしないし、送迎もする」

「……まぁ、、それしかないわよねえ……」
「アデルバート殿を信じるしかないだろう」

 サンゴはリベルトに言われて仕方ないかと溜息を吐く。二人の心配というのはよくわかることなので、シオンは「ごめんな?」と謝るしかなかった。

   ***

 アデルバートの家は街の中心街から少し外れたガルディアの本部にほど近い場所だった。小さな城のような白い建物がこの街を守っているガルディアの本拠地だ。塔が何重にも建っているような重圧感のある風体は迫力がある。

 その側には商業店や魔族たちのアパートメントが建っている。その中でもレンガ調で柵に囲まれた警備の整ったアパートメントがアデルバートの住んでいるところで、門前には警備員が常駐していた。

 三階建てほどのアパートメントの最上階の一番奥がアデルバートの住居だ。ドアを開錠するとアデルバートは「入ってくれ」と扉を開けた。白く綺麗な玄関にシオンはきょろきょろと室内を見渡しながらお邪魔しますと室内へと上がる。

 リビングへ通されると想像とは違い、意外と落ち着いた内装をしていた。アデルバートがあまり飾らないからなのか、家具などもモノトーンで揃えられておりシンプルである。ソファにかけるように言われてシオンは大人しく座って待つことにした。

 そわそわと足を揺らしているとアデルバートが用紙と採血キットを手に現われる。

「これが契約書だ。サインしてくれ」
「わかった」

 シオンは用紙を受け取り軽く内容を読むとサインしていたのだが、その行動を観察していたアデルバートが呆れたふうに息をつく。

「シオン。俺だからいいが、もっと警戒したほうがいい」
「えーっと、うん、そうだね」

 自分でも何の抵抗もなく契約書にサインしてしまったなとシオンは反省する、これは心配されても仕方ない。でも、これはアデルバートがガルディアの魔族であり、訳をしっかりと説明していたからであって、そうでないなら警戒ぐらいするとシオンは思った。

「あたしだって、その、理由なく着いていかないし……」
「困っていたら手を貸すだろう?」
「……ぐぬぬ」

 それはそうだなとシオンは黙る、こればかりはお人好しな自分の性格を恨んだ。アデルバートは「一人で帰すのは不安だな」と呟いていたので、断っても送迎してくれるだろう。

 はぁと溜息をつくアデルバートにシオンは「気を付けるよ」と言って契約書を渡した。それを受け取ったアデルバートは確認すると用紙をガラステーブルに置く。

「採血だが、三本ほど貰う」
「それだけでいいの?」
「人工血液とヴァンパイア用の献血に混ぜるから問題ない」

 アデルバートはそう説明して腕を出すように指示する。シオンは言われるがままには左腕を差し出すと、彼は採血キットから器具を取り出した。細い針がシオンの血管に刺さると、ぽっと淡く光る。

「……っ」

 刺される感覚にシオンは眉を寄せる。淡く光った針から血が抜かれて管へと溜まっていく。人間界の採血と違って痛みはないけれど違和感はあったのでシオンは顔を顰めてしまった。それにアデルバートが「違和感があるか」と聞いてきたので、シオンはは「少し」と答える。

「人間界がどういったものかは俺には分からないが、痛みはないはずだ」
「痛くはないけど、違和感が凄い」

 痛みはないけれど、血液が抜かれる感覚なのだろうか何処か違和感が腕を襲う。それが気持ち悪いのだとシオンが言えば、アデルバートは「我慢してもらうしかない」と返した。

 我慢すること数分、無事に三本とも採血を終えるとアデルは刺された箇所を軽く撫でた。針が刺さった痕が消えていたので回復魔法の類を使ったようだ。

「これで終わりだ」
「割と早かった」
「そう時間はかからんさ。それで、次の採血だが」
「あ、そうだ。三日後だっけ?」
「そうだ。俺がシオンを迎えに行くから教会で待っていてくれ」
「わかった」

 三日後と忘れないようにしなきゃなとシオンが呟くと、アデルバートは時計を確認する。そういえばとシオンも時間を確認して、あっと声を零した。

「孤児院に行く時間だ」
「シオンは修道女ではなく、孤児院で働いているのか?」
「まだ職員ではないけど、手伝いしてる」

 教会の人間として登録はされているけれど、教会を継ぐ気はなくて孤児院で働こうと思っているのだとシオンは話した。アデルバートはそれを聞いて「ならば、孤児院まで送ろう」と立ち上がる。

「此処の孤児院となるとパスカリアだろう。それなら此処からそう遠くはないが、帰りだな……」

「え、一人で帰れるけど?」
「採血時は送迎をすると約束しただろう」

 その約束は契約でもあるのだから破ることはできないとアデルバートに言われて、シオンは面倒くさいものなのだなと思ってしまった。それでも、契約してしまったので従うしかなく、「じゃあどうするの?」とシオンが問えば、「休憩時間を利用する」とアデルバートは答えた。

「いつも孤児院を出るのは何時ごろだ?」
「十七時ぐらいかな」
「なら、その時間に迎えに行こう」

 アデルバートはキッチンへと向かい、氷魔法で冷やされている保冷庫から輸血袋を取り出すと採血した血を少し混ぜた。それを口に含み、問題ないことを確認して一気に飲んでいく。シオンはその様子をあぁやって血液を摂取するのかと眺めていた。

 血液を摂取したアデルバートの顔色は良くなっていたので、ヴァンパイアにとって血というのは重要なもののようだ。

「大丈夫そう?」
「あぁ、血液を摂取できたので問題ない」

 アデルバートは輸血袋をゴミ箱に捨ててキッチンから出てくる。もう大丈夫なようで「行こうか」と言って、玄関のほうへと歩き出した彼の背を追いかけるようにシオンは立ち上がった。

   
   ***

 孤児院、パスカリアはガルディアの本部の裏手に位置する場所にある。商業店に囲まれるようにひっそりと建っているレンガ調のシックな外観の建物がそうだ。門を潜れば庭で遊んでいた孤児院の子供たちが「シオンお姉ちゃん!」と駆け寄ってくる。

「シオンお姉ちゃん、またお話聞かせて!」
「アタシ、あの話がいい! シンデレラ!」
「わたしは白雪姫!」
「焦らなくてもちゃんとお話してあげるから待ってて」

 駆け寄ってくる幼子たちは皆、シオンに懐いているようでアデルバートは「懐いているな」と呟いていた。それに「自分でも不思議だったりする」とシオンは答える。

 子供は嫌いではなく、好きなほうだ。可愛いからというのもあるが、その純粋さに惹かれている。もちろん、イタズラ好きな子や生意気な子、言うことを聞かない子などもいるのだけれど、それでも嫌いになれない。好きだからと言って気に入られるとは限らないのだが、孤児院の子供たちには懐かれていた。

「あっちで伝わってる御伽噺を聞かせたり、外で一緒に遊んでただけなんだけど」
「そういうところがよかったんだろうな」
「そうかな」
「悪い人間には見えないだろう」

 何をするでもなく、御伽噺を聞かせて、一緒に遊んでくれるだけでも子供たちからしたら印象は良いものになる。懐かれてしまうのも無理はないとアデルバートに言われて、そういうものなのだろうかとシオンは思いながらもそういうことにしておくことにした。

「では、シオン。また夕方に」
「あ、うん、ありが……」
「シオンちゃん!」

 呼ばれて振り返れば先に来ていたサンゴが慌てた様子で駆け寄ってきた。その姿だけで何かあったというのは分かるので、シオンは「どうした?」と問う。

「ミーニャンが居なくなったの!」
「はぁ!」

 ミーニャンとはこの孤児院の子供だ。猫の獣人でまだ四歳の小柄な女の子なのだが、よく一人でうろつく癖がある。なので、職員たちは彼女に気を配っていたのだが、そんな子が孤児院から居なくなっていると知ってシオンは「他の職員さんは!」と慌てていた。

「敷地内を探しているんだけどいなくて……もしかしたら外に出ちゃったかも……」
「外はあたしが探すよ」
「あ、ワタシも探すわ。カルビィーン!」

 サンゴは大きな声でカルビィンを呼ぶと、彼は裏手から出てきた。外を探すことを伝えれば、カルビィンも手伝ってくれるとのことなのでシオンは子供たちに「ごめんね」と謝る。

「ミーニャンを見つけたらお話聞かせるから少しだけ待ってて?」
「わかったー」

 子供たちもミーニャンが居なくなったという事実を理解したようで、「お姉ちゃんたち気を付けてね」と声をかけてまた庭で遊び始める。

 獣人とは言え四歳の足なのでまだ遠くへは行っていないはずだ。シオンは「大通りのほう見てくる」と二人に告げる。サンゴは裏手を、カルビィンは商業店周辺を見ることになった。

 シオンが駆けだそうとしてアデルバートに引き留められる。

「えと、何」
「手伝おう」
「でも、仕事……」
「まだ出社まで時間がある」

 子供が居なくなったことのほうが重要だろうというアデルバートに、シオンは人手は多いほうがいいよなと、その申し出を有難く受け取ることにした。

「ミーニャンは猫の獣人で四歳の女の子、小柄で髪の毛は短くて明るい茶色なんだ」
「わかった」

 アデルバートに特徴を伝えるとシオンは孤児院を出て大通りへと走り出した。

 孤児院から真っ直ぐ進めば大通りへと出る。馬車や人が行き交う中をシオンは目を凝らしながら見渡した。

 近くにいた商人に子供を見なかったかと聞きながら走っては見て回る。人が行き交っている中に子供らしい姿はあれど、ミーニャンの影はない。何処を探しても大通りにはいないようで、シオンは「ここの裏通りかも」と大通りを外れた道を駆けていく。

 大通りから一本、道を逸れると裏通りと呼ばれる場所に出る。俗に言う歓楽街なのだが、まだ昼間ということもあって開いている店はない。人通りも少ないので見通しは良くて探しやすいけれど、ミーニャンがいる気配はなかった。

 ここじゃないのだろうかと裏通りの道を一本、逸れると魔族の男が煙草をふかしていた。彼に聞いてみるかとシオンが「あの」と声をかける。

「あん? 何?」
「えっと、四歳ぐらいの猫の獣人の女の子見ませんでした?」
「あー……そういや、ガキが走っていくの見たわ」
「それ、どっちですかね!」
「あっち」

 魔族の男が指さした道は裏通りの奥だ。風俗関連の店が並ぶところなので、子供が行っていい場所ではない。シオンは魔族の男に礼を言って裏通りの奥へと駆けだした。

 まだ閉まっている店が目立つ通りを見渡していると、魔族の女が店から出てきてシオンを見つけるや眉を寄せる。

「見ない顔だね、こんなところで何してんだい」
「あ、その、女の子探してて……」
「女の子? あぁ、あそこにいる子かい?」

 魔族の女はそう言って顔を向けたその先に女の子がいた。猫の獣人の証である耳と尻尾をつけて、明るい茶色の髪を揺らしながら走っている。間違いなく、ミーニャンだ。

「ミーニャン!」

 シオンが大きな声で呼べば、ミーニャンは振り返って見つかってしまったといったふうの顔をした。シオンがこっちに来なさいと声をかけるも、彼女は怒られると思ってか逃げるように走っていく。

 シオンはこれ以上、子供が奥に行くのは危険だと慌てて追いかけた。ミーニャンと呼べど彼女は止まってはくれず、子供の足なので追いつけそうではあるけれど転んで怪我をしては大変だ。なんとか止まってくれと頼むがミーニャンは足を止めない。

 ミーニャンは後ろを振り返って、足を縺れさせて転んでしまった。シオンが捕まえるならば今だと思った時だ。

 馬車の走る音が聞こえて、シオンは慌ててミーニャンに駆け寄る。抱きかかえたのと同じく、馬車が目の前までやってきていた。いきなり飛び出してきた二人に馬は驚いて止まろうとして暴れる。その足で蹴られそうになってシオンがミーニャンを庇うように抱いた瞬間――ふわりと抱きかかえられた。

 すっと駆け抜けていく感覚にシオンが目を瞬かせながら顔を上げると、アデルバートが小さく息を吐いていた。どうやら、彼に抱きかかえられて助けられたようだ。アデルバートの両脇にミーニャンとシオンが抱ええられている。

 馬は落ち着きを取り戻したようで大人しくなり、手綱を持っていた男が「危ないだろう!」と怒鳴る。

「いきなり飛び出してきやがって!」
「此処は馬車侵入禁止だが?」

 男の文句にアデルバートは冷静に返す。シオンとミーニャンを下ろすと彼は男に近寄って、「違反をしているのはどこの誰だろうか?」と威圧した。

「そ、それは……」
「残念ながら俺はガルディアの魔族だ。違反者を見逃すわけにはいかない」

 アデルバートはそう言うと男に「身分証と馬車使用許可書を見せろ」と告げる。彼が見せたパスケースで本当にガルディアの人間だと理解した男は、くっそうと小さく呟きながら大人しく言うことを聞く。

 アデルバートはそれらをメモすると「三日以内にガルディアの本部に書類を提出するように」と黄色い紙を男に渡す。男はそれに頷くしかなく、しぶしぶ紙を受け取って来た道を引き返していった。

「シオン、大丈夫か?」
「あ、うん。大丈夫、ありがとう」

 シオンは返事を返してからミーニャンに怪我がないか確認する。怪我はないようだが勝手に外に出たことを怒られると思っているらしく、俯いて黙っていた。それにシオンは「無事でよかった」と頭を撫でる。

「お姉ちゃん、ごめんなさい……」
「いいよ。早く帰って院長たちを安心させような?」
「うん」

 ミーニャンは泣きそうになりながら頷いていた。シオンは怒ることをしなない、それはこの場ですることではないと判断したからだ。彼女をちゃんと見れていなかった職員にも非があることだったというのもある。

 それに一方的に叱るのでは子供には伝わらない。怖い想いをしたばかりの身ではただ、恐怖を植えけるだけだ。それをシオンは分かっていたので今は彼女を落ち着かせることを優先させた。

 そんなシオンの行動をアデルバートは感心したように見つめていた。彼には珍しく映ったのかもしれない、叱らないということが。

「アデルさん、ありがとう。ほんっと、助かった!」
「いや、気にすることはない」
「これでサンゴたちも安心するよ。ミーニャン、帰ろう」
「疲れた、お足痛い」

 ミーニャンはそう言って座り込んでしまった、どうやら走り疲れて足が痛いようだ。シオンが抱き上げるしかないかなと思っていると、アデルバートがひょいっと彼女を抱き上げた。だっこされるミーニャンは嬉しそうに「たっかーい」とはしゃいでいる。

「あ、あたしがだっこしてもよかったんだけど……」
「小柄とはいえ、四歳児は重い。俺が抱えていこう」

 シオンでは疲れるだろうとアデルバートに言われる。どうやら気遣ってくれているようだったので、シオンはありがたくお願いすることにした。ありがとうと礼を言えば、彼は振り返って小さく笑むとミーニャンを抱きかかえながら歩き出した。

(その笑みは反則な気がする……)

 シオンは思わず見惚れてしまっていた、不意打ちだったから。少し、そう少し格好良いなと思ってしまったのだ。

 そんな自分に気づいてシオンは頭を振るとアデルバートを追いかけた。

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