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忘れ去るための教訓

ポール・グレアム(Paul Graham)が執筆したエッセー「The Lesson to Unlearn」の日本語訳になります。

2019年12月

あなたが学校で学んだ最も有害なことは、特定の授業で学んだことではない。それは、いい成績を取ることを学ぶことだった。

私が大学にいたとき、非常に真面目な哲学科の大学院生の一人がかつて私に次のように言った。「私は授業でどんな成績を取ったのかを気にしたことがなく、授業で何を学んだのかだけを気にしている」誰かがこういうことを言うのを私が聞いた唯一の機会だったので、これは自分の心に刻み込まれた。

ほとんどの学生と同じように、私にとって自分が学んでいたものについて測ることは、完全に大学での実際の学習を支配していた。私はかなり真面目だった。自分が履修したほとんどの授業に純粋に興味があり、一生懸命勉強した。それでも、私はテストのために勉強していたときに、特に一生懸命取り組んだ。

理論的には、テストとは単なるその名前が意味するものに過ぎない。あなたが授業で学んだことのテストである。理論上、あなたは血液検査の準備をする必要がある以上に授業のテストの準備をする必要はないはずである。理論上、あなたは授業を履修したり、講義に行ったり、読書や宿題をしたりすることから学び、その後にやってくるテストは単にあなたがどれほどよく学んだかを測るだけである。

実際には、このエッセーを読んでいるほとんど誰もが知っているように、物事は非常に異なっているので、授業とテストがどのように機能すべきかというこの説明を聞くことは、完全に意味が変わった言葉の語源を聞いているようなものである。実際には、「テストのために勉強する」というフレーズは、テストは人が本当に勉強をしたときであるという理由から、ほとんど冗長(じょうちょう)である。勤勉な学生と怠慢な学生の違いは、前者はテストのために一生懸命勉強し、後者はテストのために一生懸命勉強しなかったである。誰も学期に入って2週間徹夜で勉強していなかった。

私は勤勉な学生であったにもかかわらず、自分が学校でしたほとんどすべての取り組みは、何かでいい成績を取ることを目的としていた。

多くの人にとって、前述の文の中に「にもかかわらず」という言葉があることは奇妙に思えるだろう。私は類語の反復を述べているだけではないのか? それが勤勉な学生、オールAの学生ではないのか? これが、学習が成績と結びつくことがどれほど深く私たちの文化に注ぎ込まれたかである。

学習が成績と結びついているかどうかはそんなに悪いのか? はい、それは悪いことである。そして、私がYコンビネーターを運営していた大学卒業後の数十年後になって始めて、それがどれほど悪いのかに気づいた。

自分が学生だったとき、私はもちろんテストのために勉強することは実際の学習とは決して同じではないことを知っていた。少なくとも、あなたはテスト前夜に頭に詰め込んだ知識を保ち続けない。でも、問題はそのことよりも悪い。本当の問題は、ほとんどのテストが測るべきものを測ることに近づかないことである。

テストが本当に学習のテストであったなら、事態はそんなに悪くないだろう。いい成績を得ることと学習することは、少しだけ遅れて合流するだろう。問題は学生に与えられるほぼすべてのテストがものすごくハック可能なことである。いい成績を取ったほとんどの人たちはこのことを分かっていて、そのことを疑問に思うことさえやめたことを非常によく分かっている。あなたは自分がそうではない行動をするのがいかにナイーブに思われるのかに気づくと分かるだろう。

あなたが中世の歴史の授業を受けていて、最終試験が近づいていると仮定する。最終試験はあなたの中世の歴史の知識のテストであるはずだよね? なので、もしあなたに今からテストまでの間に数日間あるなら、テストでいい成績を挙げたい場合、時間を過ごす最高の方法は間違いなくあなたが見つけられる中世の歴史に関する最良の本を読むことである。その結果、あなたは中世の歴史に関して多くのことを知り、テストでいい成績を挙げるだろう。

いえいえ、経験豊かな学生は自分にそう言い聞かせている。中世の歴史に関するいい本を読むだけなら、ほとんどのあなたが学んだことはテストに出ないだろう。あなたが読みたいのはいい本ではなく、この授業の講義ノートや課題図書である。そして、あなたはテストの問題として出てくる可能性のあるものについて心配しさえすればよいので、講義ノートや課題図書のほとんどを無視できる。あなたははっきりと定義された情報の塊を探している。課題図書の一つに細かい点で面白い余談がある場合、あなたはそれを安全に無視することができる。なぜなら、それはテストの問題に出される可能性のあるようなものではないからだ。だが、教授が「1378年の教会大分裂には3つの根本的原因があった」「黒死病に関して3つの主な影響があった」とあなたに話す場合、あなたはそれらのことをよく分かっているだろう。そして、それが実際に原因や結果であるのかどうかは別問題である。この授業の目的で、原因や結果はそうなっているのである。

大学では出回っている古い試験のコピーがよくあり、これはあなたが学ぶ必要のあることをさらに絞り込む。この教授がどのような問題を質問するのかを学ぶだけでなく、あなたはしばしば実際のテストの問題を得るだろう。多くの教授がテストの問題を再利用している。10年間授業をした後、少なくともうっかりしてテストの問題を再利用しないのは難しいだろう。

ある授業では、教授にはある種の政治的な思惑があり、もしそうであるのならあなたにも政治的な思惑がある必要がある。政治的な思惑の必要性は様々である。数学、ハードサイエンス(化学、物理学、生物学などの自然科学)、工学の授業では、政治的な思惑はほとんど必要ないが、その対極では政治的な思惑なしにいい成績を得ることができない授業がある。

xに関する授業でいい成績を取ることはxについて多くのことを学ぶこととはあまりに異なるので、あなたはどちらかを選ぶ必要がある。そして、学生が成績を選んだ場合、あなたは学生を責められない。誰もが学生の成績で学生を判断する。大学院課程、雇用主、奨学金、自分自身の親でさえも。

私は学ぶことが好きで、自分が大学で書いたいくつかの論文やプログラムを本当に楽しんだ。だけど、ある授業で論文を提出した後、私はただ楽しむために座って別の論文を書いたことさえあったのか? もちろんない。私には他の授業が理由でやることがあった。もし学習か成績を選択することになったら、私は成績を選ぶ。私は悪い成績になるために大学に来たのではない。

いい成績を取ることを気にする人は、このゲームをしなければならない。さもなくば、ゲームをする人たちに超えられるだろう。そして、エリートの大学では、いい成績を取ることを気にしない人はおそらくそもそもエリートの大学にいないだろうから、これはほぼ全員を意味する。その結果、学生たちは「学ぶこと」と「いい成績を取る」ことの差を最大化するために競争する。

なぜテストはそんなにも悪いのか? もっと正確には、なぜテストはそんなにもハック可能なのか? 経験豊かなプログラマーならこれに答えることができる。ソフトウェアの作成者がハックされるのを防ぐために注意を払わなかったソフトウェアは、どれほどハック可能であるのか? 通常、それは水きりボールと同じくらい穴だらけである。

ある支配者によって課せられるどんなテストでも、ハック可能はデフォルトである。あなたに与えられたテストがあまりに一貫して悪い理由、つまり一貫して測るべきものを測ることからかけ離れている理由は、単純にテストを作っている人たちがハックされるのを防ぐために努力をしなかったからである。

しかし、テストがハック可能な場合、あなたは先生を責められない。先生の仕事は教えることであり、ハック不可能なテストを作ることではない。本当の問題は成績で、もっと正確には成績が過重な負担になっていることである。成績が、コーチがアスリートにアドバイスするように、先生が学生に学生のしていたことが正しいのか間違いなのかを伝えるための手段に過ぎないのであれば、学生はテストをハックしたい気持ちにはならないだろう。だが残念なことに、ある年齢を過ぎると、成績はアドバイス以上のものになる。ある年齢を過ぎると、あなたが教わるときはいつでも、あなたはたいてい評価もされている。

私は事例として大学のテストを使ったが、これは実際には最もハックできないものである。すべてのテストの中で最も華やかな学生を大学に入れるテストを含め、ほとんどの学生が人生で受けるすべてのテストは少なくとも同じくらい悪いものである。大学に入ることが、科学者が物体の質量を測るように、自分の心の質を入学事務局の責任者に測らせるという問題だとしたら、私たちは10代の子どもたちに「たくさん学びなさい」と言ってそっとしておくことができる。あなたはテストとして大学入試がどれほど悪いのかを、高校がどれほど異なっているのかからも分かる。実際、野心的な子どもたちが高校でやらなければならないことの異常な特性は、大学入試のハック可能性に正比例している。あなたがそのことを気にしない授業は、ほとんどが暗記、自分が「多方面に秀でている」ことを示すために参加する必要がある「課外活動」、チェスと同じくらい人工的な共通テスト、おそらく何か非常に明確な目標を達成させるように意図されているけど、その目標が何か言われていないのに書かなければならない「エッセー」である。

テストがするものは子どもにとって悪いだけでなく、このテストは非常にハック可能であるという意味でも悪い。あまりにもハック可能なので、業界全体が成長してそれをハックする。これはテスト対策会社や入試担当者のはっきりとした目標であるが、私立学校の機能のかなりの部分でもある。

なぜこの特定のテストは非常にハック可能なのか? 私はテストが測るものが原因であると考える。よくある話はいい大学に入る方法は本当に頭がいいことであるが、エリート大学の入試担当者はそれだけを求めていないし、それだけを求めているとも主張していない。彼らは何を求めているのか? 彼らは単に頭がいいだけでなく、少し一般的な意味で称賛に値する人たちを求めている。そして、どのようにしてこの少し一般的な称賛に値することを測るのか? 入試担当者はそれを感じる。言い換えれば、彼らは自分が好きな人を受け入れるのである。

なので、大学入試がテストするものは、あなたがあるグループの人たちの好みに合うかどうかである。もちろん、そのようなテストはハック可能であるだろう。そして、テストは非常にハック可能で多くの危険となっている(と考えられている)ので、他の何よりもハックされる。だからテストがあなたの人生を非常に長くの間ゆがめるのである。

高校生がよく疎外されているように感じるのは当然である。彼らの人生の形は完全に人工的(人為的)である。

しかし、あなたの時間を無駄にすることは教育制度があなたにする最悪なことではない。教育制度がする最悪なことは、勝つための方法は悪いテストをハックすることであるとあなたを訓練することである。これは私がこのことが他の人たちに起こっているのを見るまで気づかなかった、かなり微妙な問題である。

私がYコンビネーターでスタートアップの創業者たち、特に若い創業者たちにアドバイスをし始めたとき、創業者たちがいつも物事を必要以上に複雑にしているようなやり方に戸惑った。あなたはどうやってお金を調達しますか? と、創業者たちは質問する。ベンチャーキャピタリストがあなたに投資したくなるようにするトリックは何か? VCがあなたに投資したくなるようにする最良の方法は実際にいい投資になることである、と私は説明する。たとえあなたがVCをだまして悪いスタートアップに投資させることができたとしても、あなた自身もだましていることになる。あなたは、自分がVCにお金を投資するように頼んでいるのと同じ会社に時間を投資している。それがいい投資ではない場合、なぜあなたもそれをしているのか?

おー、と彼らは言うだろう。それから、この新事実を消化する一呼吸を置いてから、何がスタートアップをいい投資にするのか? と彼らは質問するだろう。

なので、スタートアップを有望なものにするのは、投資家の目だけではなく実際には成長だと説明するだろう。理想的には収益での成長だが、その使い方では失敗する。投資家が必要としていたのは多くのユーザーを獲得することだった。

どうやってスタートアップは多くのユーザーを獲得するのか? 彼らはこのことに関するあらゆる種類のアイデアを持っていた。彼らは自分たちを「露出」させるだろう大きなローンチをする必要があった。彼らは影響力のある人たちに自分たちのことを話してもらう必要があった。彼らは火曜日が最も注目を集める日なので、火曜日にローンチする必要があることさえ知っていた。

いいや、それは多くのユーザーを獲得する方法ではない、と私は説明するだろう。多くのユーザーを獲得する方法は、プロダクトを本当に素晴らしくすることである。そうすれば、人びとはそれを使うだけでなく、友人にオススメし、そうなり始めると成長は指数関数的になるだろう。

この時点で、あなたには完全に明らかであるように思えることを私は創業者たちに言っていた。創業者たちは、いいプロダクトを作ることでいい会社を作るべきである。それでも、創業者たちの反応は、多くの物理学者が初めて相対性理論について聞いたときにしたにちがいない反応のようなものだろう。その明らかな天才への驚きと、非常に奇妙なことがもしかすると正しい可能性がないという疑いが組み合わったものである。オーケー、と彼らは律義に言うだろう。そして、私たちにどこそこの影響力ある人を紹介してもらえますか? それに覚えておいてください、私たちは火曜日にローンチしたい。

創業者たちがこういったシンプルな教訓を理解するのに何年もかかることもある。それは、創業者たちが怠け者でも愚か者でもあったからではない。創業者たちは自分の目の前にある正しいことが見えないようなだけであった。

私は自問するだろう。なぜ創業者たちはいつも物事をあまりに複雑にするのか? そしてある日、私はこれが修辞的な質問ではなかったことに気づいた。

なぜ創業者たちは目の前にある答えが正しかったときに、間違ったことをして自分たちを苦境に立たせたのか? それは、創業者たちがそうするように訓練されてきたものであるからである。

創業者たちが受けた教育は、勝つ方法は悪いテストをハックすることである、と創業者たちに教えてきた。自分たちがこのために訓練されている、と創業者たちに伝えることもなくだ。最近の卒業生である若い創業者たちは、非人工的なテストに直面したことがなかった。彼らはこれがまさに世界の仕組みであると思っていてた。あらゆる種類の課題に直面したとき、あなたがやった最初のことはテストをハックするためのトリックが何であるかを見つけ出すことだった。だから会話はいつもお金を調達する方法で始まるのだろう。それがテストとして読めるのである。テストはYCの最後に出てきた。テストには数字がついていて、より高い数字がいいように思えた。それがテストに違いない。

勝つ方法がテストをハックする世界の大きな塊は確かにある。この現象は学校に限らない。そして、ある人たちは、イデオロギーや無知が原因で、これはスタートアップにも当てはまると主張する。しかし、そうではない。実際、スタートアップに関する最も魅力的なことは、いい仕事をするだけであなたが勝てる度合いである。何事にもあるようにエッジケース(特別な問題を含む可能性がある状況)はあるが、一般的にあなたはユーザーを獲得することで勝ち、ユーザーが気にすることはプロダクトが自分のしたいことをするかどうかである。

なぜ私は創業者がスタートアップを複雑にし過ぎた理由を理解するのにそんなに時間がかかったのか? 学校は悪いテストをハックすることで勝つように私たちを訓練する、ということをはっきりと理解していなかったからだ。そして、学校だけでなく、私もだ! 私も悪いテストをハックするように訓練されてきていて、数十年後になるまで気づかなかった。

私は自分がそのことを気づいていたように生きてきたが、理由は分からなかった。たとえば、私は大企業で働くことを避けてきた。でも、もしあなたがなぜかと聞いたら、私は大企業はインチキまたは官僚的だからと言っていただろう。つまり、ただ不快なもの。私はどれだけ自分の大企業の嫌悪が、悪いテストをハックすることで勝つという事実によるものであると決して理解していなかった。

同様に、テストはハック不可能という事実は私をスタートアップに引きつけるものの多くだった。しかし、私はまたしてもそのことをはっきりと理解していなかった。

私は実際には閉形式解を持っているかもしれない逐次近似法のようなもので成し遂げた。私は知らず知らずのうちに悪いテストをハックする訓練を徐々に取り去っていたのだ。学校から出て来る人は悪魔の名前を知るだけでこの悪魔を追い払うことができるのか? やってみる価値はありそうだ。

この現象に関してはっきりと話すだけで、状況をよりよくする可能性がある。なぜなら、その力の多くは私たちが当たり前だと思っている事実から生まれるからである。あなたがそれに気づいた後、それは象が部屋の中にいるようではあるが、かなりうまくカモフラージュされた象である。この現象は非常に古く、非常に浸透している。そして、この現象は単に無視の結果である。誰も状況がこうなるようにするつもりではなかった。これはあなたが学習、成績、競争、ハック不可能性に関するナイーブな思い込み、を組み合わせたときにちょうど起きることである。

私を最も悩ませた2つのこと「高校のインチキであること」「創業者に明らかなことを見させることの難しさ」の両方に同じ原因があることを理解することは、ショッキングだった。このような大きなブロックが非常に遅く所定の位置へスライドするのは珍しい。

通常、そのことが起きると、それは多くの様々な分野で意味を持ち、この場合も例外ではない。

たとえば、それは教育がよりよくなる可能性がある、どのようにしてあなたは教育を修正するのか、ということを示唆する。だが、それは大企業が持っていそうな問題への潜在的な答えも示唆している。どのようにして大企業はもっとスタートアップのようになれるだろうか? 私は今すべての示唆を追うつもりはない。ここで注目したいのは、それが個人にとって何を意味するかである。

まず第一に、これは大学を卒業するほとんどの野心的な子どもたちには忘れ去りたいものがあることを意味する。しかし、それはあなたの世界の見方をも変える。人びとがするすべての様々な種類の仕事を見たり、それらを多少は魅力的だと漠然と考えたりする代わりに、あなたは面白い方法でそれらを分類するだろう非常に具体的な質問をすることができる。あなたはこのような悪いテストをハックすることによる仕事でどの程度まで勝つのか?

悪いテストをすぐに認識する方法があったら役立つだろう。ここにはパターンがあるのか? パターンがあることが分かった。

テストは2種類に分けられる。支配者に課せられるテスト、支配者に課せられないテストである。支配者に課せらられないテストは、それが彼らが実際にテストする以上の何かのテストであると誰も主張していないという意味で、本質的にハック不可能である。

たとえば、サッカーの試合は単純にどちらが勝つかというテストで、どちらのチームが優れているかというテストではない。あなたはそのことと解説者が優れたチームが勝ったと後からときどき言う事実を区別することができる。一方で、支配者に課せられるテストは、通常何か他のものの代理(代用)である。授業のテストはどれだけあなたがその特定のテストよくやったかだけではなく、どれだけあなたがその授業で学んだかをも測ることになっている。支配者に課せられないテストは本質的にハック不可能であるのに対し、支配者に課せられるテストはハック不可能であるようにする必要がある。通常、支配者に課せられるテストはそうではない。なので、第一近似として、悪いテストは支配者に課せられるテストとほぼ同じである。

あなたは実際には悪いテストをハックして勝つのが好きかもしれない。おそらく一部の人たちはそうである。しかし、自分がこのような仕事をしていると気づいているほとんどの人たちはそれが好きではない、と私は思う。あなたがドロップアウトして何らかのヒッピー職人になりたい場合を除いて、彼らはこれが世界の仕組みであると当たり前に考えている。

私は多くの人たちが、悪いテストのある分野で働くことがたくさんのお金を稼ぐことの対価である、と暗黙のうちに思い込んでいるだろうと思う。しかし、私はあなたにそれが虚偽であると言える。かつては真実だった。経済が寡占で構成されていた20世紀半ば、トップへの唯一の道のりは彼らのゲームをすることだった。しかし、それは今真実ではない。今はいい仕事をすることで金持ちになる方法があり、これは人びとが以前よりもずっと金持ちになることにワクワクする理由の一部である。私が子どもだったとき、あなたはエンジニアになってカッコいいものを作るか、「役員」になって多くのお金を稼ぐかのどちらか一方ができた。今はカッコいいものを作ることで多くのお金を稼ぐことができる。

悪いテストをハックすることは、仕事と支配者のつながりが損なうにつれて、あまり重要ではなくなっている。このつながりの損ないは現在起きている最も重要なトレンドの一つであり、私たちはその影響を人びとがするほぼすべての仕事において見る。スタートアップは最も見られる事例の一つだが、私たちはライティングにおいてもかなり同じことを見る。書き手は読み手にリーチするためにもはや出版社や編集者に原稿を提出する必要がない。今、書き手は読み手に直接リーチできる。

この問題について考えれば考えるほど、私は楽観的になる。これは、排除されてやっとあるモノがどれだけ自分たちを妨げていたのかに気づく状況の一つのようである。そして、私はインチキの体制全体が崩壊しつつあるのを予見することができる。ますます多くの人たちが自分は悪いテストをハックして勝ちたいのかを自問し始め、そうしないように決意するにつれて、何が起こるのか想像してみてください。悪いテストをハックすることで勝つような仕事は人材不足に陥り、いい仕事をすることで勝つような仕事は最も意欲的な人たちの流入が見られるだろう。そして、悪いテストをハックする重要性は低下し、教育は私たちを悪いテストをハックするように訓練するのをやめるために進化するだろう。そうなった場合の世界の姿を想像してみてください。

これは個人が忘れ去るための教訓だけではなく、社会が忘れ去るための教訓でもある。そして、私たちは自分たちが忘れ去ったときに解放されるエネルギーに驚かされるだろう。


注釈

[1]学習を測るためだけにテストを使うことがとてつもなくユートピアのように思えたら、これは既にラムダスクール(Lambda School)でうまくいっているやり方である。ラムダスクールには成績がない。あなたは卒業するか卒業しないかのどちらかである。テストの唯一の目的は、カリキュラムの各段階であなたが次の段階に進められるかどうかを決めることである。なので、実質的には学校全体が合否である。

[2]最終試験が教授との長い会話で構成される場合、あなたは中世の歴史に関する良書を読むことで最終試験のための準備をすることができる。学校におけるテストの多くのハック可能性は、同じテストが大勢の学生に与えられなければならないという事実によるものである。

[3]学習は、いい成績を取るためのナイーブなアルゴリズムである。

[4]ハッキングには複数の意味がある。ハッキングは何かに侵入する意図がある、という狭い意味がある。これは人が悪いテストをハックするという意味である。しかし、しばしば違う考え方をすることで、ある問題に対する驚くべき解決策を見つける、という別の意味がある。これはより一般的な意味である。この意味でのハッキングは素晴らしいものである。

そして、実際に人びとが悪いテストで使うハックのいくつかは驚くほど独創的である。問題はあまりそのようなハッキングではないことである。テストはハック可能なので、テストはテストが意図されているものをテストしない。

[5]Yコンビネーターでスタートアップを選ぶ人たちは、恣意的である代わりに彼らの合否基準が非常に厳しいフィードバックループで訓練されているという点を除いて、入学事務局の責任者と似ている。あなたが悪いスタートアップを合格に、またはいいスタートアップを不合格にする場合、あなたは通常どんなに遅くても1〜2年、またはしばしば1ヶ月以内にそのことが分かるだろう。

[6]入学事務局の責任者は、合格するように思えるはずだが、見た目以上に個性がないように思える子どもたちの願書を読むことにうんざりしている、と私は確信している。彼らが気づいていないことは、自分たちがある意味では鏡を見ているということである。出願者の信ぴょう性の欠如は、出願プロセスの恣意性を反映している。ある独裁者は、ちょうど同じように自分の周囲の人たちの信ぴょう性の欠如に関して不満を言うかもしれない。

[7]いい仕事とは、私は道徳的な「いい」を意味しているのではなく、いい職人がいい仕事をする意味での「いい」である。

[8]テストがどのカテゴリーに該当するのか言うのが難しいどっちつかずの場合がある。たとえば、ベンチャーキャピタルを調達することは大学入試のようであるのか、または顧客に売り込むようであるのか?

[9]いいテストは単なるハック不可能なものにすぎないことに注意してください。ここでの「いい」とは、道徳的に「いい」という意味ではなく、うまく機能するという意味の「いい」である。悪いテストといいテストの分野の違いは、前者が悪く後者がいいということではなく、前者がインチキで後者がインチキではないということである。タラ・プラウマン(Tara Ploughman)が言ったように、善から悪への道はインチキを通り抜けることである。

※ Tara Ploughman は、実在する人物ではなく Paul Graham のアナグラムだとされている。

[10]近年の経済的不平等の増加は税制の変化によるものだと考える人たちは、スタートアップでの経験がある人には非常にナイーブであるように思える。現在、様々な人たちが以前よりも金持ちになっていて、彼らは単なる節税が自分たちを金持ちにするよりもずっと金持ちになっている。

[11]タイガー・ペアレントへの注意:あなたは自分の子どもを勝つようにしつけていると思っているかもしれないが、親がよくするように悪いテストで勝つように子どもをしつけている場合、あなたは最後の戦いを行うように子どもをしつけることになる。


このエッセーの下書きを読んでくれた Austen Allred、トレバー・ブラックウェル、パトリック・コリソン、ジェシカ・リビングストン、ロバート・モリス、Harj Taggar に感謝する。


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