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固定概念に囚われている?今の演劇を進化させる視点の変え方

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「13歳からのアート思考」

先日、「13歳からのアート思考」という本を書いた末永幸歩さんの講座があったので聞かせていただきました。
絵を描くアートと舞台演劇、何が関係あるの?
と思った人は考えを改めてこの本を読んでもらいたい。

【色々な視点からアートを見よう】

「リアルに卵を描いて」というお題に
「では、卵の裏側ってどうなっているの?」
「絵が描いてあるかもしれない」
「実は半分かもしれない」「穴が空いてるかもしれない」
と見えない部分は想像している状況と違うかもしれない。
当たり前だと思っている事でもその裏側は違うかもしれない。
私も固定概念がこびりついていると思った。
その後もいろいろな例題が出てきたが、
確かに、絵で表現するアートとは理解しようとしていてもそこしか見ていなかったら面白くない。もっと自分の世界観を広げよう

この講義を終えて私がまず視点を変えた事は
「舞台と観客の境目ってどこだ?」
という事だ。

【お客の不便を解消する事が企業のマーケティングなら演劇で2時間拘束されてじっと動かない事ではないか?】

企業の売り上げを上げるためにはお客の不便を解消する事で需要を上げることができる。

演劇の世界での不便はなんだろう?
お金を払って2時間という長い時間を暗い席でじっと黙っていないといけない。みんなも感じた事があると思うが本当に辛い。
確かに、作品や演技が魅力的ならそれで十分。体感時間も早い。
私たちはそれに囚われすぎていないか?と思う。
昔から演劇は進化していないではないか?
シェイクスピアでも、状況を表すためのセリフを書いたり、
今では照明やプロジェクションマッピングや豊洲の360度回転のシアターもあるが
「お客って1歩も動いていないよな?」
という疑問が生まれてきた。

観客と一体となった舞台ってないの?
小劇場の魅力って臨場感のある近さじゃないの?
舞台と客席の間の壁って壊されていないよね?

そう感じてしまった。これは固定概念ではないか?

もしかしたら、究極の進化した舞台演劇は
USJのような役者と客が一緒になって物語を完成させるものなのではないだろうか?

私はUSJのハロウィンのバイオハザードが好きだ。
自分で銃を持ってゾンビを倒しながら進む。ゲームにも忠実だし、何より体験できるからだ。
謎解き体験や、お化け屋敷、VR施設もそうだ。

【この体験って舞台にできないのだろうか?】

観客が自由に動いて、客席がなくて、お客さんが見たい角度から見て、お客さんによって物語が変わる。
そんな舞台の方が、同じ物語ではないからリピーターも増えるし、チケット代金を上げても見にくると思う。いや、体験しにくると思う。

役者は、アドリブが必要になるがお客さんによって話が脱線しても
物語の軸を戻すキーワードセリフや主軸人物がいれば可能だ。

これはかなり面白いと思う。

どんなに、時代が最先端でプロジェクションマッピングや、最新音楽や照明があっても
体験は心と体に感動をあたえる。

いかに役者や演出家、作家が舞台表現という枠のアートの見方を変えるかによって
舞台の需要はどんどん広がっていくだろう。

それを作れば顧客を獲得し、利益も得られる。
リピーターを作り、お客がSNSで拡散していく事が出来てくる。

今までの、視覚聴覚だけではなく五感全てを使ってお客に体験させれば良い。
気軽にご飯を食べながら、その舞台にあった時代のワインを飲みながら、スタンディングでもいい。
そうやって舞台の凝り固まった思考を壊し、舞台演劇のを進化させよう。

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