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シンプルライフに戻るために/私は何の為にそれを持つのか

この記事は2022年4月26日に書いていたものである。なぜだか途中のまま下書きに入っていた。


まるで元ミニマリストかのようなタイトルだが、衣装だけで一部屋使ってしまうほど物の多い生活をしている。では捨てられない症候群か?というとそういうわけでもなく、もうだいぶ昔の事になるが断捨離という概念が世に出回る少し前にカレン・キングストン著の【ガラクタ捨てれば自分が見える】を購入し、それから何度も荷物の整理を行っているので、片付け歴はそこそこに長い。

熱しやすく冷めやすい人や、服の系統が定まっていない人には共感してもらえると思うが、趣味の物や衣類の量が必然的に多くなりがちだ。
多趣味でなければ物が増えないのかというと、部屋中にフィギュアや漫画を並べている人の部屋を想像すればそういうわけでもないだろう事は想像できる。
ただし、そういった人の持ち物に対する愛情は、私のような人間が持つものよりは遥かに大きくて、宝物であるのだと思う。

趣味が増えるごとに必要な道具は増えていくし、ファッションに統一感がなければテイストごとに合わせる小物も変わってくる。当たり前の事だが、それだけお金もかかるという事だから、いっそのこと興味が湧くものが出来ても手を出さないという修行僧のような心持ちで過ごしていた時期が過去にある。
まだこの時には【ガラクタ捨てれば自分が見える】を手にしていなかったので、オークションで不要になった衣類を売る事はあっても、趣味のものや思い出の物を手放すという思考はなかった。既にやらなくなっていた趣味の物も、"いつかまた、やりたくなるかもしれない"という執着の元、手元に置き続けていた。

クローゼットの一部を趣味のものが占領しているわけだから、衣類ケースを購入していくつも重ねて部屋に置くようになった。衣類ケースはどんどん増えていき、まるでアパレルショップのバックヤードの様だった。

その、煩悩を封じ込めた数年間に私は何をしていたかというと、懸賞生活に精を出していた。金銭的にきつい時であったということも大きな理由だが、興味を持った事に飛びついて飽きた時の事を考えると、手を出したら駄目だと自制心が働いていた。
懸賞生活やサンプル生活を楽しんでいた自分から想像するに、荷物が増える事が問題というよりは、お金を無駄にしたくないという気持ちが強かったのだろう。

それなのに、そのうちポイントサイトで稼ごうという気持ちから、気がつけばよく分からぬ会社の、必要のないサンプル品を購入してポイントを貯め、訳の分からぬ一つの趣味に没頭していた。これが本末転倒というやつである。
自分が興味を持った事を我慢するというのは、なんとも空虚な事か。今思えば、何年も前にステイホームを実践しているような状況だった。湧き上がる自分の想いに反する行動をとっていると、次第に気持ちも内向きになり、噛み合わない歯車は予期せぬ方向に廻りだす。

初めての大がかりな整理作業は、不本意な引っ越しの時だった。
趣味の道具は相変わらず捨てる事は出来なかったが、自分がしたためたノート等は思い切って処分した。
あれだけ荷物がありながら、ソファやベッド、ラグマットのない生活を何年もしていた私の家具といえば、三種の神器の家電と、DVDデッキ、CDプレーヤー、3段のアルミラックと3段ボックス、そして大量の衣類ケースだけだった。
引っ越しに相当な金額がかかるかと心配していたが、三種の神器を処分した事もあってか、単身パックと段ボール二箱程度で事足りる量であった。

引っ越し先で、また新たに物が追加されていく中、2回目の大掛かりな片付けに取り掛かったのは、押し入れに入れていたバッグや靴が湿気で駄目になってしまった時だ。

ここでも書いた通り、私は靴を綺麗な状態にして保管する事がルーティンの一つであるので、何年もそうやって保管してきたものが環境が変わってたったの1年でカビにやられてしまうという事実に心を傷めた。
これまで自分が費やしたお金や、大切に保管してきた労力や想いが、湿気とカビで木っ端微塵になってしまったのだ。大切な物が一瞬にして壊れてしまう、ああなんという不条理。

その時に、先ほどの【ガラクタ捨てれば自分が見える】を購入し、私は初めて物と向き合った。
何かに取り憑かれたかの様に部屋の中の物を処分する姿を見た親戚は、私が生前整理をしているのではないかと心配した。
まだ捨てきれない趣味の物もあったが、それから数年は欲しいものがなかった。

欲しいものがないと言ったら嘘になるが、私が欲しいものといえばその時の自分には手を出せない金額のものばかりだったので、日常的に欲しいものというのが無かった。
美術品好きの人が、ピカソの本物の絵が手に入ったらいいな、と夢想するようなものと似ていると思う。

そんなわけだから、大型の複合施設が出来て数年経っても行った事がなかったし、買い物に興味がなかった。その頃の楽天市場とAmazonの購入履歴がまっさらな事からも、自分の欲が物に向いていなかったことが伺える。

そのとき私は物欲との闘いに買ったはずなのだが、何がどうなってかストックを大量に買い溜めする日常に戻っていた。それを誘発したのは、コロナ禍による備蓄の必要性に迫られての事だった。

ということを、この記事の前に書こうとしていた様だ。
そして今また、私の購入履歴は着々と更新され続けている。
当時、バイオハザードの世界がやってくると思った私はソーラーライトやカセットガスヒーター、防護服代わりに雨合羽、シャワーキャップなどなど世紀末を生き抜くための備蓄に励んでいた。

でも、世界は今もこうして淡々と時間を刻んでいく。

シンプルライフに戻るために、私はいま何をすれば良いのか。そうだ、バックパック1つでどこへでも軽やかに動けるように、身軽になろう。





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