見出し画像

真っ白なノートの上に



机の上には
ノートと万年筆、
カップに淹れた茜色の紅茶。
それから、読みさしの本が1冊。


そうして、栞を頼りに
本を開いたら、
私の、好きな時間のはじまりです。


万年筆にインクを十分に充填して
姿勢をととのえて
書かれている文章に目を落として。


本の中の、
美しい響きの言葉や
新鮮に感じる表現、
思わず共感する部分だったり、
心に触れた台詞を
真っ白なノートの上に
ひとつひとつ、拾い集めてゆきます。

つい見過ごしてしまいそうな
心がふっと動いた瞬間を
逃さないように
そっと書き留めるのです。





私がとくに好きなのは
大正から昭和にかけて発行された本です。
現代の図書には無い
あじわい深い言い回しに出会えて
ハッとしたり、うっとりしたり。

同じ風景を描いていても
言葉の装いが違うだけで
こんなにも
心の中での広がり方が違うのだと
痛感します。



今日、思わずメモを取ったのは
小説家であり随筆家であった
田辺聖子さんが書かれた文章です。

ほんとに好きな本に出あったら、(あと、何ページあるのかしら?)と、こわごわ、うしろを見たりする。こんなにおいしいお菓子が、あと、どれほど残ってるか、と心配になったりして。そして、よみ終ると、がっかりしたような、深い感動に押しひしがれたような、両方のきもちで、(ああーあ)とためいきをつく。

そんな好きな本が、そして美しい本が、帽子屋や、靴屋にも売っていたらたのしいことだろうに。

そういう本と出あうためには、たくさん、本をよんで自分の好み、というのがわからなくてはいけない。どれが好きで、どの小説は自分に向いていないか、わからなくては、しかたがない。そのうち、好きな作家もわかってくる。

日記に、小説のすじがきや、人物の感想を書いたりして。ついでに作家へのラブレターも。音楽もそうだが、活字からひきおこされるイメージは、深くてゆたかで、容易に消えない。

篭にりんごにテーブルにお茶


その内容につよく共感するのもそうですが、

こんなにキュートで、乙女チックで、かつ
知的なニュアンスをも合わせもっている文章に
くらりと魅せられてしまいました。



言葉を書き留めることが習慣になって、
自分の心の機微に
丁寧に向き合えるようになりました。

そして、
自分の想いを伝えるために
どんな言葉を選び、
どう結び合わせるとよいか、
印象的な言葉の紡ぎ方というのを
よく、考えるようになりました。

自分で文章を書こうとするとき
言葉を書き溜めたノートを訪ねると
新たなヒントが見つかります。

現実に疲れて感性を見失ったとき
言葉を織り込んだノートを訪ねると
やさしい世界に目が向きます。

このノートは
自分の手で作り上げてゆく、
たいせつな宝物です。


私は
これといってすぐれた才能を
持ち合わせてはいませんけれど


こうして
小さなことを
時間をかけて、積み重ねた先で
自分の中に、何かこう
あたたかくてゆたかなものが
養われているといいなと
思います。


そしていつか私も
読んだ人のこころの奥深くで
やさしく息づくような
そんな
美しい言葉を綴りたい。

そう、願っています。


この記事が参加している募集

朝のルーティーン

今日やったこと

これからもあたたかい記事をお届けします🕊🤍🌿