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東京大学2013年国語第1問 『ランボーの詩の翻訳について』湯浅博雄

 詩や小説の翻訳に関する論考である。受験生の多くが、入試対策において、英文和訳は少しでも読みやすく、要約なら少しでも的確に、と工夫をこらしているだろうから、身近な題材に感じた人も少なくなかったのではないだろうか。
 ただし、メッセージは明確だが、特に前半部分は同じような意味の文が繰り返されており、筆者が重点的に述べたいことがよくわかる一方で、やや散漫な印象もぬぐえない。

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(一)「もっぱら自分が抜き出し、読み取ったと信じる意味内容・概念の側面に注意を集中してしまうという態度を取ってはならない」(傍線部ア)とあるが、それはなぜか、説明せよ。
 第2段落の冒頭の文「それゆえまた、詩人―作家のテクストを翻訳する者は、次のような姿勢を避けるべきだろう」の「次のような姿勢」の具体例の一つが傍線部アであることが読みとれる。したがって、その理由は第1段落中にあると考えられる。
 第1段落中の主旨をもっとも端的にあらわした文は、「〈意味され、志向されている内容〉は、それを〈意味する仕方、志向する仕方〉の側面、表現形態の面、意味するかたちの側面と一体化して作用することによってしか存在しないし、コミュニケートされない」である。第1段落では、まだ文学の翻訳にまで話題が進んでいないが、この一文が実質的に傍線部の主な理由となっている。
 また、第4段落の「自分が抜き出し、読み取った中身・内容を、自らの母語によって適切に言い換えれば首尾よく翻訳できると考え、そう実践することは、しばしば読みやすく、理解しやすい翻訳作品を生み出すかもしれない」は傍線部とほぼ同じ主張の文である。この文の後に、「大きな危うさ」として、「原文のテクストがその独特な語り口、言い方、表現の仕方によって、きわめて微妙なやり方で告げようとしているなにかを十分に気づかうことから眼をそらせてしまうおそれがある」と述べられている。
 また、第7段落にも「翻訳者は、この特有な独特さ、なにか密かなものを絶えず気づかうべきであろう」という傍線部とほぼ同じ意味の文があり、このあとに「なぜならそこにはランボーという書き手の(というよりも、そうやって書かれた、このテクストの)独特さ、特異な単独性が込められているからだ。すなわち、通常ひとが〈個性〉と呼ぶもの、芸術家や文学者の〈天分〉とみなすものが宿っているからである」と理由が述べられている。
 これらもやはり設問に対する解答になりうる部分である。
 以上から、「文学作品に内包される独特の意味内容や作者の個性、天分は、原文の独特で微妙な表現形態と一体化して作用することで初めて伝わるものだから。」(67字)という解答例ができる。

(二)「はるかに翻訳者による日本語作品である」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。
 傍線部イのような状況はまさに第4段落に書かれたような態度を翻訳者が実践した場合の帰結である。そこで第4段落の内容をみてみると、「自分が抜き出し、読み取った中身・内容を、自らの母語によって適切に言い換えれば首尾よく翻訳できると考え、そう実践する」という条件が具備されると、「しばしば読みやすく、理解しやすい翻訳作品を生み出すかもしれない」が、しかし、「そこには、大きな危うさも内包されているのだ。原文のテクストがその独特な語り口、言い方、表現の仕方によって、きわめて微妙なやり方で告げようとしているなにかを十分に気づかうことから眼をそらせてしまうおそれがある」ということである。
 そして、「原文のテクストがその独特な語り口、言い方、表現の仕方によって、きわめて微妙なやり方で告げようとしているなにか」とは、第7段落中の「独特さ、特異な単独性」「個性」「天分」のことである。
 したがって、「詩の意味内容だけを適切な日本語に置き換える翻訳は、読みやすいが、原文の表現形態に微妙にこめられた作者の個性を伝えられないということ。」(66字)という解答例ができる。

(三)「原語と母語とを対話させる」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。
 傍線部ウは、全体の文が「こうして」で始まっているので、まさに直前の第8段落の内容全体を言いかえたものである。
 まず、第8段落は、「翻訳者は、相容れない、両立不可能な、とも思える、二つの要請に同時に応えなければならない」で始まっている。その二つの要請とは「原文が意味しようとするもの、言おうとし、志向し、コミュニケートしようとするものをよく読み取り、それをできるだけこなれた、達意の日本語にするという課題・任務」と「原文の〈かたち〉の面、すなわち言葉づかい(その語法、シンタックス、用語法、比喩法など)をあたう限り尊重するという課題・任務」である。
 そして、「そういう課題・任務に応える」ために、「翻訳者は、見たとおり、原文=原語と母語との関わり方を徹底的に考えていく」。具体的には、「原文の〈意味する仕方・様式・かたち〉の側面、表現形態の面、つまり志向する仕方の面を注意深く読み解き、それを自国語の文脈のなかに取り込もうとする」。
 しかし、「フランス語における志向する仕方は、日本語における志向する仕方と一致することはほとんどなく、むしろしばしば食い違い、齟齬をきたし、摩擦を起こす」ので、「翻訳者は諸々の食い違う志向する仕方を必死になって和合させ、調和させようと努める」。具体的には、「あるやり方で自国語(自らの母語)の枠組みや規範を破り、変えるところまで進みながら」、行うのである。
 以上の内容はボリュームが非常に大きく、短くまとめるのは非常に困難であるが、あえて要点だけをまとめると、「外国文学の表現形態を尊重しつつ達意の翻訳文を作るため、母語の規範を変えながら、外国語の表現形態を母語の文脈に取り込もうとするということ。」(68字)という解答例ができる。

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