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責任とは何だろうか? 組織の中で複雑に絡み合った闇を暴く映画『七つの会議』

池井戸潤原作の映画『七つの会議』。池井戸小説は読んだことがないですが、『陸王』『ルーズヴェルト・ゲーム』『空飛ぶタイヤ』『半沢直樹』『下町ロケット』などの映像化作品が好きで、今回も逃さず鑑賞してきました。

本作のあらすじを映画.comより抜粋します。


中堅メーカー・東京建電の営業一課で万年係長の八角民夫は、いわゆる「ぐうたら社員」。トップセールスマンで、八角の年下である課長の坂戸からは、そのなまけぶりを叱責され、営業部長・北川誠が進める結果主義の方針の下、部員たちが必死で働く中、八角はひょうひょうとした毎日を送っていた。そんなある日、社内でパワハラ騒動が問題となり、坂戸に異動処分が下される。坂戸に代わって万年二番手に甘んじてきた原島が新しい課長として一課に着任するが、そこには想像を絶する秘密と闇が隠されていた。
映画.com

八角を野村萬斎、北川を香川照之、原島を及川光博が演じています。さらに、朝倉あき、立川談春、片岡愛之助、音尾琢真、木下ほうか、世良公則らも名を連ね、池井戸ドラマオールスターズとなりました。飛ぶ鳥を落とす勢いの土屋太鳳も出演時間は1〜2分だけという贅沢な使い方。本作で俳優・藤森慎吾を初めて見ましたが、良い味を出していました。池井戸映像作品において嫌なキャラクターが光ることは、作品のバランスを取る上でとても重要です。藤森は、嫌味な奴を絶妙に表現していたと思います。

本作は、2つのキーワードに表せます。

それは「責任」「自責」です。

本作では、パワハラ問題の裏にある人の命に関わる問題の隠蔽が存在しています。当初その隠蔽は、一人の人間によるものだと思われていました。しかし、その隠蔽には複数の人間が複雑に関わっています。

展開を追うごとに暴かれていく真実。そこには、組織の悪しき体質が見え隠れします。それらに関わった人間は、皆こう言います。

「私は悪くない。仕方なかった」

責任は、直接的に関わった人間が取ればいいのか、それとも責任者である上層部が取ればいいのか。

そもそも「責任を取る」とはどういうことなのでしょうか。
私は本作を通じて、「責任を取る」とはその問題から「逃げない」ことだと感じました。
どれほど怖くても、どんなに辛くても、目を背けないこと。
それが、この作品の大きなテーマだと思います。

もうひとつのキーワードである「自責」。言い換えれば「良心の呵責」です。自分がしたことに対して、他人に不幸が降り注いだ時、悶えるような自責の念に駆られるでしょう。その自責の念を自分の心の中から隠蔽するのか、それとも逃げずに立ち向かうのか。

本作の最後でその自責から解放された人物がいます。その人物は会社を去りましたが、とても生き生きとした表情を覗かせていました。間違いなく言えることは、胸を張って生きるためには後ろめたさがあっては無理ということ。

なぜ、日本人はこんなにも働くのか、会社に尽くすのか。今もよく言われていますね。この体質が戦後から高度成長期を経た現在の礎になっていることは言うまでもありません。しかし、その時代も平成とともに終わりを告げることでしょう。少なくとも、会社がそこで働く社員の人生を狂わせていけない。

話を戻すと、本作の鍵を握るのは主人公である八角(野村萬斎)です。普段はぐうたらな社員ですが、時折見せる不気味な表情と言動に怪しさは募るばかり。誰が味方で、誰が敵なのか。大組織とは、何とも怖いものです。

事の真相は、ぜひご自身の目でお確かめください。
(元宣伝マンなので、PR風にしてみました)

責任から目を背けず、胸を張って歩ける人生でありたい

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