今日の夕飯7 (パスタ)
いつもより、少し早めに帰って来たら
甘い香りが家中に充満していた
ほんのりと焦げた匂いも混じっていた
「ただいま」と呼び掛けても探しても
嫁の姿は見当たらなくて
たまにある、唐突なかくれんぼでは無さそうだ
よほど慌てて出かけたのだろうか
嫁のスリッパがあさっての方向へと散らばり
雪予報の態勢のまま玄関に放置されている
台所を見ると皿や鍋が
計量カップなどのもろもろが無造作に置かれていて
五分ほど前までここにいたであろう形跡があった
ベトベトとしている床にスリッパが張りつく
さて、この状況から大体の予測はついていた
まず今日がバレンタインデーな事が大きな要因だろう
手作りチョコからのチョコケーキを作ろうとして
手を滑らせ床に大胆に落として全てを失い
泣きながら落ちたチョコを指で舐めている
そんな嫁の残像がはっきりと目の前に投影された
そして慌てて新しいチョコを買いに行ったんだろう
おそらくエプロン姿のままで、サンダルで
寒い中コートを着るのも忘れて
スマホも置きっぱなしだから財布ひとつ持って
あげるチョコが無くなったのと失敗を隠そうとして
何事もなかったように振る舞おうとするんだろう
今日に限って早めに帰って来たのがまずかったか
見事に入れ違いになってしまったみたいで
さてどうしようか
スーパーだと時間がかかるから近くのコンビニか
とりあえず換気扇を回してスリッパを戻し
置いたカバンをもう一度手に取った
「ただいま」と家に帰ると
甘い香りがまだ微かに充満していた
「おかえりなさい」
と嫁の声が聞こえ玄関に駆け寄って来た
「今日は少し遅かったですね」
「ああ、バスが遅れてたみたいで」
「さて、今日は何の日でしょうか?」
「えーと…」
嫁は答えを言う前に
エプロンのポケットからチョコを出し
「ハッピーバレンタイン!」
と笑顔でチョコを差し出した
ただ声は微妙に元気がないように感じる
「ありがとう」と嫁が好きなチョコを
おそらく自分で食べる前提のチョコを受け取った
でもやっぱり様子が何かおかしくて調子が狂う
いつもなら、例年ならば
会社でもらって来るチョコを楽しみにしていて
帰るなりカバンを取り上げて中をあさり
「こんな下心丸出しな物は没収です!」と
一方的に奪われて嫁のおやつになるのだが
今日はやけに落ち着いていていつもの覇気が無い
ケーキをひっくり返した事がかなりまいっているのか?
エプロンは予備の新しいのに代わっていて
同じく汚れたであろうスリッパも
証拠隠滅のためか来客用のに代わっていた
床のベタベタは無くなっていて
皿や鍋なども綺麗に片付けられている
もちろん何も見てない、知らないフリをした
もらったチョコの封を切りながら
「一緒に食べようか」と言うと
「すぐに夕飯ですよ」と怖いほど食いつかなくて
やっぱりいつもとは様子が違う
ちなみに夕飯のパスタはほんのり甘く感じた
食べ終わって洗い物をしていると
いつの間にか嫁はソファーで眠っていて
今日はよほど疲れたんだろうと
口元にチョコを近づけたら
寝ながら指ごと嚙みつかれた
そう言えば会社の人からもいくつかもらったなと
カバンから出してみると、その中のひとつに
チョコの入浴剤と言うのがあった
これは嫁が喜びそうだ(まぁ全部喜ぶんだろうが)
頬をつまんだり髪の毛を逆立てたりして
眠る嫁でしばらく遊んでいたら
お風呂のお湯が沸く音楽が鳴り
それで目を覚ました嫁に一番風呂を譲った
「ではお先にいただきますね」と
浴室に行った嫁は少しして
廊下を滑りながら戻って来て一言
「大変です!お湯が茶色に濁ってます!」
と目を丸くして叫ぶので
「あ、それチョコの風呂らしいよ」
と入浴剤の袋を見せると
「そうか、だから急にお腹がすいたのか!?」
と言い残し、裸のまま風呂に戻る嫁
さすがにお湯をがぶ飲みなんてしてないよな?
風呂場からは聞いた事もない
バレンタインのオリジナルソングが聴こえて来て
とりあえず少し寝て元気になったみたいで安心をした
チョコのストックは数えられないくらいにあるけど
明日はケーキでも買って帰ろうかと思う
カフェで書いたりもするのでコーヒー代とかネタ探しのお散歩費用にさせていただきますね。