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思い出した愛を抱きしめて~母親と幼い私~




自分との向き合いを振り返って、
今、私は、自分の事を愛する事が出来ているんだな...と感じました。
どんな自分でも受け入れようと思って、少しずつ、受け入れられてきて、今、受け入れる事が出来ている...。
当初は、自分を愛するという事が、よくわからなかった私でした。それが、少しずつ変化する事が出来て、自分で自分の事を、ありのまま認めて大切に思い、大切に接し、優しい気持ちで愛していると、守っていると感じられました。


夜、就寝するために横になりながら、私にも、他者貢献出来る場所と住まいがあって有り難いな...と思い、そして今後の事はきっと導かれるから大丈夫...と思い、大きな安心感に包まれました。
そして、あぁ... 今、この時のために、今までの全部はあったのかな...  と、ぼんやりと思いました。
そんなふうに思えてよかったね...私...と思いました。今、生きてそう思えた...、生きているのは、両親から
命をもらったおかげ...、育ててもらったおかげ...、そう思いました。
そうしたら、両親2人の顔が思い浮かび、2人への気持ちが自分の中から滲み出てきました。私の心の中から、その感情が自然に滲み出てきた、その感覚は初めてでした。
シンプルに、お父さん、お母さん、ありがとう... という気持ちが込み上げてきて、涙が流れました。
今までの事、楽しかった事、嬉しかった事、辛く悲しかった事も、苦しかった事も、全部、きっと全部が、今この時、こうわかるために、あったんだ...と思いました。
そして、あぁ ... 、ここだ、と感じました。
ここが、この気持ちが、私の心の中心だ 、私の心の真ん中だ 、と思いました。
その感覚を感じた後、... ...生きていて... よかった... と思いました。


私の思考と感情と感覚も導かれました。
両親への感謝を感じ、じんわりと、あぁ...ここが私の心の中心だ...と感じた後、
手すりを持ちながら、螺旋階段をゆっくりと降りて行っている自分の姿が思い浮かびました。
そして、ある時1段を降りた時、もうその先に、降りる階段がない事に気づきました。そこはフラットな床だと感じました。
あ、着いた... ... 。という体感覚を感じました。
気持ちと連動し、着いた...、ここだ ... ここが私の心の中心、心の底だ 、と感じました。


螺旋階段を降りて、辿り着いた心の底。
そこは、古い喫茶店のような、優しい雰囲気の空間で、私にとって温かく懐かしい場所に感じました。
私は、好きな音楽をかけて、温かい飲み物を飲んで、ゆっくりしながら、
壁際の小さなスクリーンで、古い映画を観るように自分と家族の思い出の映像を観て、写真展を歩くように、壁に掛けてある自分と家族の思い出の写真を観ました。
それは、私の身体記憶、脳内記憶には、とても優しい時間があった...、ありふれた日常があった...、と感じさせました。もしかして、それは、誰もが...持っているものかもしれません。
穏やかな気持ちで、懐かしく回顧して、
それは、そこに辿り着いた労いと、私の、昔の思い出からの卒業式のようだったと思います。


そして、気づくと、空間の真ん中に、静かに愛がありました。
私がいつか気づいて、思い出して、取りに来るのを信じて、ずっとそこにあって、待っていたかのようでした。
両親達の事、たとえ考え方や価値観等が違っていても、理解が出来なくても、許せない事は許せないままでも、
ありのままを受け入れる、すべてを包容する、
無条件の愛 、見返りを求めない愛 。


私が忘れてしまっていた愛が、そこにありました。
私はそれを、大切に、胸に抱きました。




桜晴/優里



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私にとって、必要だった学びは、宗教バイアスの掛かっている今存在する現実の両親が、
私の思い描く宗教バイアスのない理想の両親と、そして私自身と、
それぞれと、言葉や考え方、価値観等がたとえ違っていたとしても、
否定せずに、ありのままを認めて、そのままを受け入れる事、だったんだと思います。


それは、昔、私が、両親とは違う考え方で、自分の生き方を選んだ時、
否定しないでほしかった。
ありのままを認めてほしかった。
私の決めた生き方をそのまま受け入れてほしかった。
と、思ったように、当時と、それ以降の私自身がずっと望んでいた事でした。
そう望みながら、私自身が出来ていなかった事。
私自身が、考え方や価値観等が違う両親達を、ありのまま認めて、受け入れる事。それが、学びだったと思います。



そして、反対の立場の両親の気持ちを私がわかるための学び。
両親はあの頃、私と同じ気持ちだったのだろうと思いました。
両親は、私の事が大事で、その気持ちに傾き過ぎて、私に宗教教義を強く押し付けた。
この宗教に入信し、信仰したら、命が助かるからと。
一緒に楽園に行けるからと。
両親は良かれと思って、自分達の価値観、エゴを私に押し付けました。



私が先日感じたエゴ、自分中心の思いとそれは同じ気持ちだと思いました。
私は、両親達が大事でした。
両親達も、心の中では、本心では、私の事をそう思ってくれていた、という事だと思いました。
その愛に、気づきました。
表現の仕方は嘆かわしい程間違ったものでしたが、私は、愛されていたんだ... と気づきました。
愛に気づくための学びでした。
それは、当たり前に、もうわかっている、と思っていた事でした。


考え方や価値観等の違いはあっても、それを認めて、認めた上で相手を愛し、大事に想う事の学び。
そして、忘れていた愛情を思い出すための学びでした。
そして、わかった気ではなくて、本当の意味でわかる、という学びでした。


そして、いつか、この気持ちを伝える学びなのかな...と。きっと、なんとなく...。
自分の気持ちを、まず、妹に伝えている私が、頭に浮かびました。今は、イメージです。
でも、心が、気持ちが、自然とそう動いたら、私は、伝えたいなと、今、思いました。
無理は、しません。
本当に無理のない、自然な、心からの気持ち。
伝えるのは、伝えた後に、気持ちがブレたり傾いたりしない、ニュートラルな私を保てるようになった時。然るべき時に、然るべきように、私に訪れる...と思います。
その時に、心からの気持ちに沿って、素直に表現出来る私でいたいと思いました。
その時までの、いろいろな濃淡のグラデーションの気持ちも、喜怒哀楽を感じるどんな自分も、受け入れていたいと思いました。




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気づくと...私の気持ちの中に、また何か、モヤモヤとして胸のつかえになっていて、それが大きくなってくるのを感じました。


私の感覚は、まだ私の心の底に滞在していました。
温かく、心が安らぐその場所を味わっているかのように寛いでいました。
気づかずに、過ごしていましたが...
その空間の隅に、誰かが小さく、うずくまって居るのが見えました。
母親でした。...母親が、私の心の片隅で、小さくうずくまっていました。母親の事が最近ずっと気になっていました。
私は、声を掛けました。

「お母さん... どうしたの...?」

「○○ちゃん(私)... ...」

私は、母親に、話さなくては...と思う事がありました。穏やかに話しました。

「お母さん、...どうして、守って...くれなかったの...?」
「お母さん、...私...、叩かれていた時、守ってほしかったよ」 ...実際に言葉に出して、涙が零れました。
零れる涙を拭きながらこの記事の文字を打ちました。

「○○ちゃん...、ごめんね。守ってあげられなくてごめんね...。守ってあげられなかった... どうする事も出来なかった...本当にごめんね...」

「... ... 助けてほしかったよ...」

私は、静かに泣きながら、母親に伝えました。
母親も、泣きながら、私に伝えてくれました。
母親も嫁ぎ先で1人、父親にも、義理の両親にも、もしかしたら母親の母親にも、気持ちを話せずに、悩み葛藤した...そんな場面が思い浮かびました。
私は、...うん...うん... と頷いて、母親を、包むように抱きしめました。
2人抱きあったまま、泣きました。
私は、自分との向き合いの最後の最後に、母親と、向き合う必要があったんだ、と思いました。
ひと通り泣いて、涙を拭いた後、私は、心の底からの、呼吸が出来ました。



そして、...はっ...と
私の心の底にいた母親は、幼い私だった...と気づきました。
母親の姿に、幼い私の姿が重なりました。
誰か助けて...、誰か見つけて...、と願っていた幼い私が...、そこにいました。
私は、泣きながら幼い私を抱きしめました。

「ごめんね... ずっと気づかなくて... ごめんね... ずっと1人で辛く寂しい思いをさせて... ごめんね... ごめんね...」

ぎゅうっと抱きしめて、抱えて抱っこしたら泣き出しました。

「...ずっと...待ってた...」泣きじゃくりながら...言ってきました。

「うん... うん...ごめんね... ごめん...。寂しかったよね...ごめんね... 辛かったね...。もう何処にも行かないからね。ずっと一緒にいようね。ずっと、一緒にいるからね。...もう、離れないからね... もう... 大丈夫だよ...。」
抱きしめて背中をゆっくりトン...トン...としてなだめながら、伝えました。

「...うん... 助けてくれて... 見つけてくれて... ありがとう...」

「うん... うん... 今まで...がんばってくれて...ありがとう...、待っててくれて...ありがとう...」

幼い自分を抱きしめながら伝えました。もう二度と離れない。いつも守るし、一緒にいるからね。
これから、いつも一緒だよ。そう思いました。
私は、愛しい気持ちで、幼い私を、私自身を、抱きしめました。

すぐ傍に母親も来ていました。私は、私と幼い私の隣に母親も入れて、3人で抱きあいました。






お読み頂き、ありがとうございました。
noteとの出逢いと、
noteでの出逢いに、心から、感謝致します。





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