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自分の素直な気持ちを伝える事~両親との再会~



先日、両親に、会いに行く事が出来ました。
やはり確実に出会いたいと思い、前日に母親に連絡をしていました。
出発し、近くの道の駅で果物とご飯のおかずになる手土産を買いました。高速道路のスピード感が不得手なので、一般道路でゆっくり焦らず、時間を掛けて向かいました。
実家まで、ゆっくりと近づいて行く。長い間辿れなかった、その道のりを味わいたい。景色を見ながら向かいたい。自分の気持ちを確かめながら。そういう気持ちもありました。
高校生の頃の通学路を敢えて通ってみました。
実家への道、実家のまわりも変わってなく、懐かしさのあまり車から降りて写真を撮りました。
実家に着いて、庭の犬の鳴き声で分かったようで、両親が外まで迎えに出てくれました。
お互いに、歳を重ねた容姿になっていました。久しぶりだね~...と、長い年月出会っていなかったとあまり思えない普通のテンション(もともと常にそういうテンション)での再会でした。
父親はすぐに畑へと姿を消し、私は母親としばらく話しながら庭の草花の写真を撮り、その後実家に入りました。変わっていない間取りや家具に懐かしさを感じました。
3人でお茶を飲んで、近況報告や他愛のない話しをしました。話した様子では2人共、身体は元気そうで、素直に良かった...と思いました。数日前に頭に浮かんだおばの言葉は、私の考え過ぎだったかな...と思いました。

持参した手紙を渡しました。今年に入ってから、自分の育ち方や過去と向き合う時間が作れた為に、私なりに色々考えて、気づく事が出来たから、書いて持って来たと話しました。
手紙には、伝えたいと思った事、前回の記事に書いた2つの事と、私が長年思い込み気づかなかった間、両親の気持ちがわからず傷つけてきてしまった事へのお詫びと、私が今こうして命があって生きているのは、代々続いてきた命のリレーのおかげで、両親が存在してくれていたからだと。機能不全家族の中にも温かい時間があった事を思い出していると。産み育ててくれた事への感謝を書きました。
父親はすぐに読んでいました。反応はありませんでした。読み終えた時、なぜこういう内容の手紙なのか、よく解っていないような様子に見えました。母親は後で読むとの事でした。
手紙の内容の詳細については、今回私は話そうとは思っていませんでした。今の私自身の素直な気持ちを伝える事が出来たらそれでいい。あとは今の父親、母親、それぞれが、それぞれの解釈で受け取ってくれたらそれでいい。もしも必要な時には話そう、そう思っていました。


1時間半程話し、3人と犬で写真を撮り、帰途につきました。
帰宅時は行く道とは違う道で帰り、途中の案内板で通り道沿いに神社がある事を知り、立ち寄り参拝しました。
私は、宗教という物に抵抗感と、何かを信仰する事に心が囚われるという事に強い警戒心があるので、現在も、熱心に神様仏様を信心している訳ではないのですが、近年自分自身に実際に起きた出来事から、この世界、この宇宙には、何か見えない大きな力が存在していて、日々、その大きな力に守られていて、導かれているんだな...という事が、信じられるようになっていました。そして、その大きな力は、日々の感謝の対象だと感じていました。
神社参拝は、その感謝を伝えられる1つの行動だと思っていて、今日、こうして帰省出来た事も、大きな力の支えのお陰だと感じ、そして無理が無く立ち寄れる場所でしたので、寄り、感謝を伝えて帰りました。


帰宅して、部屋に入って、力が抜けました。
母親からメールが届いていました。遠方来てくれてありがとうと、それと、私が感じている事や気持ちを伝えてくれて嬉しかった、ありがとう、と書いてありました。
note記事を自分で振り返り、10日程前は両親と会う予定もなかった...。ただただ目の前に現われて来た事と、その時の自分の気持ちに正直に、精一杯取り組んだらその結果会えた...、動けてしまい...会えてしまった...と、自分で今日の事を振り返り、嘘のような、でも本当の事で、何だかここ数日間、魔法に掛かってしまい動いたような、そんな気持ちになりました。
今日の私の行動、手紙、言葉掛けが、良かったのかは、わかりません。
でも、今の、私の心に正直に動いたから...これで良いと信じて、また明日から翌日から、日常を生きるだけだと思いました。母親には何かが届き、受け止めてもらえた気がしましたし、今日の事は、私にとって必要なけじめで、区切りだったと思いました。

帰り道から少しモヤモヤしていた気持ちがあり、すぐには何かわからずにいましたが、夜になり、わかってきました。今日実家へ行き、両親に会えた事は本当に良かった。
でも、そこで何も変わっていない父親を目の当たりにした事がモヤモヤの原因でした。
父親には、父親なりの、私への愛情があるという事は、もうわかっていました。でも、私の事、気持ち、なぜこの長い年月実家に帰る事が出来なかったのか、その理由は何もわかっていないし、深く考えて、わかろうとか、わかりたいという姿勢はないんだな... ...と感じました。
そこで、私は、僅かでも、やっぱり父親にわかってほしいと、心の中で思っていて、どこか少しはわかってくれるかもと期待していたんだな...と思いました。
なるほど...私はまだそう思っていたんだ...と、感じ、涙と共に洗い流しました。
父親とは、見ている世界、生きている世界が全く違うんだなという事実、現実が、再度冷静にわかりました。
本当に、呆れる程に、変わりようのない父親だと、気持ち的に何の凹みもなく受け入れられました。その事に気づくまでのモヤモヤでした。
そこは変わりようがないと、その期待がスッキリ消えた感覚がしました。不思議と悲しみではなく、あぁこれで囚われの終わり、ようやく終われる、という安堵感でした。


父親と私、母親と私、別々の人間、別々の人格。
父親への執着の手放し、何度目かの解放の涙、私の心の自立、精神的自立の時でした。
今日、心は傷つきませんでした。実家に向かう道中を楽しみ、両親に会えた事への喜びを感じました。会っていた時も帰り道も、その後も、心は平常でした。私が私の足で立ち、これから歩くための今日だったと思いました。
私はやっと、両親と私の間にきちんと線を引く作業が出来て、子供から大人になれた気がしました。
世の中の人生の先輩方は、年齢など関係なく、こういう経験を経て、ここを通って、大人になって生きておられるのだろうか...すごい... と。私は今までずっと精神的に子供だったのだろうか... ...今、ようやく大人になったのかも... ...いや...大人の入り口に立てた所なのかもしれない...、そう、思いました。
今日は、私の通過地点。自己満足かもしれない、...それでもいい。過去に、自分の素直な気持ちを伝える努力をせずに諦めた事への後悔がありました。
今回は、自分の気持ちに正直に動き、動けて、伝える事が出来た。私にとって、意味のある、両親との再会でした。




お読み頂き、ありがとうございました。




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